2021年11月 Archives

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女優のためにラストをドラマチックに改変?これはこれでよい。でも、やはり原作の方が上。

秋津温泉d.jpg 秋津温泉11.jpg 秋津温泉12.jpg 秋津温泉 集英社.jpg
あの頃映画 「秋津温泉」[DVD]」岡田茉莉子/長門裕之 藤原審爾『秋津温泉 (集英社文庫)』(カバー・関野準一郎)
秋津温泉p.jpg秋津温泉3.jpg 太平洋戦争中、生きる気力を無くした青年・河本周作(長門裕之)は死に場所を求めてふらりと秋津温泉にくる。結核に冒されている河本は、温泉で倒れたところを、温泉宿の女将の娘・新子(岡田茉莉子)の介護によって元気を取り戻す。そして、終戦。玉音放送を聞いて涙する純粋な新子に心打たれた河本は、やがて生きる力をとり戻していく。互いに心惹かれる二人だったが、女将が河本を追い出してしまったために、河本は街に戻る。秋津温泉01.jpg数年後、秋津に再び現れた河本だが、酒に溺れて女にだらしない、堕落してしまった河本に、新子は苛立ちを覚える。そこで、河本が結婚したことを知った新子は、苦しい河本への思いを捨てきれないまま、河本を送り出す。その後、東京に行くことになった河本は再び秋津を訪れる。一途なまでに河本を思う新子、そして、優柔不断でだらしない河本は再び都会へ。さらに四たび秋津を訪れる河本、そのときには旅館を廃業した新子だったが、河本は新子との肉体の情欲にだけ溺れる。新子は、河本に一緒に死んでくれと言う―。

岡田茉莉子 吉田喜重1.jpg岡田茉莉子 吉田喜重2.jpg 1962(昭和37)年公開の吉田喜重(1933-2022/89歳没)監督作で、岡田茉莉子が「映画出演百本記念作品」として自らプロデュースし、初めて吉田喜重とコンビを組んで作り上げた作品(1962年キネマ旬報ベストテン第10位)。岡田茉莉子はこの映画の後で引退しようと考えたが、吉田喜重に「あなたは青春を映画に全て捧げて、もったいないかと思いませんか」と言われて引き留められたとのこと。そして、翌1963年に二人は結婚しています。

 映画は、温泉宿の娘・新子(岡田茉莉子)と宿泊客の青年・河本周作(長門裕之)との戦後17年、時代に流されてゆく男と、変わらぬ真情を抱きつつ裏切られる女の姿を描いており、原作小説のモデルとなった岡山の奥津温泉でのロケ、雪や桜などの風光美と、岡田茉莉子演じる女性の切なさ哀しさが重なり合う佳作です(岡田茉莉子は第17回「毎日映画コンクール女優主演賞」受賞)。
     
秋津温泉 (1949年)』    
秋津温泉 新潮社.jpg 原作『秋津温泉』は、藤原審爾(1921-1984/63歳没)が戦争中21歳の時に岡山での執筆を始め、戦災で吉備津に移り、戦後倉敷市で書き上げ、1947(昭和22)年12月に『人間小説集 別冊』1集として鎌倉文庫から刊行されて1947年上半期・第21回「直木賞」候補となり(授賞に至らなかったのは、川端康成系の"純文学"と受け止められたためのようだ)、1948年9月に講談社より刊行、さらに加筆版が 1949(昭和24)年12月に新潮社より刊行されています。

 原作は全5章。第1章「花風月雲」は、辺鄙な山奥にある静かな秋津の街に、17歳の〈私〉が未亡人である伯母に連れられてやって来るところから始まり、宿である秋鹿園で湯治客同士の交流があって、そこで直子という同じ年の女性と知り合って、〈私〉にとってはその直子さんの振る舞いは忘れられないものとなる―。

 第2章「春夢深浅」では、3年ぶりに秋鹿園にやってきた〈私〉は肺カタルになり帰郷。再び秋鹿園で療養するが、そこで旅館の娘・お新さんから「戦争が始まったのよ!」と知らされ、秋鹿園が軍医の宿舎として徴用されることになり、お新さんが送別会を催してくれて、その夜、酔ったお新さんに〈私〉は頬を寄せる―。

『秋津温泉』図2.jpg 第3章「流水行雲」では、〈私〉は5年ぶりに秋津を訪れるが、その時には"木綿のような、苦労するに向く"女・晴枝と同棲し。1歳の子もあり、秋鹿園を新装して、"熟れた美しさ"をもつ女将となった新子と再会、ある夜は浴室で"切迫した時間のなかで、私は燃えだしそうな体をもてあます"ことになり、お新さんの燃える情愛の中に入って」いくも、秋津の気配が醸す自然空間の巨大な時間の中で、情愛の虚しさ、自然から逃れられない人間の虚しさを覚える―。

 第4章「煩悩去来」では、8年後、小説家になった私が、子供を連れた直子さんと再会、一方。お新さんとの5年の歳月の間に揺れた情愛も、結局、妻子ある身では、そのどちらとも一緒に暮らすことは叶わぬ夢であり、それdふぇもまだ〈私〉は"煩悩の深み"から抜け出せず、愛欲の念を抑えることなく神を怖れぬ冒涜の上に生きようとするが、最後には愛欲苦からくる罪の深さを認識する―。

 第5章「密夜夢幻」では、お新さんが青洞寺の息子と結婚するのを祝福せねば秋津に向かうと。踊りの稽古をしていたお新さんは湯殿に案内してくれ、〈私〉の服を畳む。お新さんは「あなたが亡くなったからといって、あたしも死ねるかしら?」と、話の主の幻のように言い、その夜〈私〉はお新さんの純白の裸身を抱く―(原作あらすじは新潮文庫の小松伸六(1914-2006)の解説のに拠った)。

秋津温泉7.jpg 映画は、原作の第1章が丸々描かれていないので、主人公の河本が死に場所を求めて秋津温泉に行くというのがやや唐突な印象がありますが、その後のお新さんとの関係は、ほぼ原作に沿ったものになっているように思いました(河本が敗戦時に秋津にいて、その際のお新さんの涙を流す様子を見たというのは映画のオリジナルだが)。

秋津温泉 岡田茉莉子.jpg 映画は、岡田茉莉子演じるお新さんを美しく撮っていますが、原作の方はもう少し肉感的なところもあるような印象。それにしても、自分を裏切って妻子持ちになりながらも愛欲断ち切れず秋津にやってくる長門裕之演じる"ダメ男"の河本 (当初、配役を芥川比呂志でクランクイン、途中で芥川が病気で降板し、急きょ長門裕之を代役に立てて撮り直したとのことだが、長門裕之に向いている役だと思う)をなぜお新さんは諦め切れないのか。成瀬巳喜男監督(原作:林 芙美子)の「浮雲」(1955年/東宝)で森雅之演じる"ダメ男"を諦め切れない、高峰秀子演じる女性を想起しました(森雅之演じる"ダメ男"の虚無と、長門裕之演じる"ダメ男"の虚無は似ているが、前者の方が深かったか)。

秋津温泉 last.jpg 最も原作と違っているのはラストで、最後、河本と別れたあとに、思いつめた新子は手首を剃刀で切ります。それが、桜吹雪の中で抒情的に描かれていますが、原作では、寺の次男との結婚を控えた新子が「あたしはこれでいいのよ、これで倖せだわ」と話すところで終わっており、手首を切る場面はありません。脚本も吉田喜重なので、吉田喜重がこの作品のプロデュースした岡田茉莉子のために、ドラマチックな、悲劇的で美しい結末を用意したことは間違いないですが、映画としては、これはこれでよいとも思います。佳作であると思います。でも、やっぱり原作の方が上でしょうか。

藤原審爾の世界.jpg秋津温泉4.jpg「秋津温泉」●制作年:1962年●監督・脚本:吉田喜重●製作:白井昌夫●撮影:成島東一郎●音楽:林光●原作:藤原審爾●時間:112分●出演:岡田茉莉子/長門裕之/山村聡/宇野重吉/東野英治郎/小夜福子/日高澄子/吉田輝雄/芳村真理/桜むつ子/高橋とよ/清川虹子/殿山泰司/中村雅子/神山繁/小池朝雄/名古屋章/秋津温泉02.jpg下元勉/西村晃/草薙幸二郎/田口計/鶴丸睦彦/穂積隆信/辻伊万里/千之赫子/吉川満子/夏川かほる●公開:1962/06●配給:松竹●最初に観た場所(再見):神保町シアター(21-11-12)(評価:★★★★)
吉田輝雄(新聞記者)
「秋津温泉」吉田.jpg
宇野重吉(松宮謙吉)・山村聡(三上)・長門裕之(河本周作)・芳村真理(陽子)
秋津温泉10.jpg

「秋津温泉」ps.jpg

秋津温泉vhs.jpg

【1962年文庫化[角川文庫]/1978年再文庫化[集英社文庫]】

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後の怪物のイメージとかなり違う話。終盤、加速的に面白くなる。

フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)2010.jpg フランケンシュタイン (新潮文庫)2014.jpg フランケンシュタイン 角川.jpg  幻の城/バイロンとシェリー.jpg
フランケンシュタイン (光文社古典新訳文庫)』『フランケンシュタイン(新潮文庫)』『新訳 フランケンシュタイン (角川文庫)』「幻の城/バイロンとシェリー」ヒュー・グラント

 小説は、イギリス人の北極探検隊の隊長ロバート・ウォルトンが姉マーガレットに向けて書いた手紙という形式になっている。ウォルトンはロシアのアルハンゲリスクから北極点に向かう途中、北極海で衰弱した男性を見つけ、彼を助ける。彼こそがヴィクター・フランケンシュタインであり、彼がウォルトンに自らの体験を語り始める枠物語である。
 スイスの名家出身でナポリ生まれの青年フランケンシュタインは、父母と弟ウィリアムとジュネーヴに住む。父母はイタリア旅行中に貧しい家で養女のエリザベスを見て自分たちの養女にし、ヴィクターたちと一緒に育てる。科学者を志し、故郷を離れてドイツ・バイエルンの名門のインゴルシュタット大学で自然科学を学んでいた。だが、ある時を境にフランケンシュタインは、生命の謎を解き明かし自在に操ろうという野心にとりつかれる。そして、狂気すらはらんだ研究の末、「理想の人間」の設計図を完成させ、それが神に背く行為であると自覚しながらも計画を実行に移す。自ら墓を暴き人間の死体を手に入れ、それをつなぎ合わせることで11月のわびしい夜に怪物の創造に成功した。
 誕生した怪物は、優れた体力と人間の心、そして知性を持ち合わせていたが、細部までには再生できておらずに、筆舌に尽くしがたいほど容貌が醜いものとなった。そのあまりのおぞましさにフランケンシュタインは絶望し、怪物を残したまま故郷のジュネーヴへと逃亡する。しかし、怪物は強靭な肉体のために生き延び、野山を越え、途中「神の業(Godlike science)」 である言語も習得して雄弁になる。やがて遠く離れたフランケンシュタインの元へたどり着くが、自分の醜さゆえ人間たちからは忌み嫌われ迫害されたので、ついに弟のウィリアムを怪物が殺し、その殺人犯として家政婦のジュスティーヌも絞首刑になる。
 孤独のなか自己の存在に悩む怪物は、フランケンシュタインに対して、自分の伴侶となり得る異性の怪物を一人造るように要求する。怪物はこの願いを叶えてくれれば二度と人前に現れないと約束する。フランケンシュタインはストラスブルクやマインツを経て、友人のクラ―ヴァルに付き添われてイギリスを旅行し、ロンドンを経てスコットランドのオークニー諸島の人里離れた小屋で、もうひとりの人造人間を作る機器を備えて作り出す作業に取りかかる。
 しかし、さらなる怪物の増加を恐れたフランケンシュタインはもう一人作るのを辞めて、怪物の要求を拒否し(フランケンシュタイン・コンプレックス)、機器を海へ投げ出す。怪物は同伴者の友人クラーヴァルを殺し、海からアイルランド人の村に漂着したフランケンシュタインはその殺人犯と間違われて、牢獄に入れられる。
 この殺人罪が晴れて、彼は故郷のジュネーヴに戻り、父の配慮で養女として一緒に育てられたエリザベスと結婚するが、その夜、怪物が現れて彼女は殺される。創造主たる人間に絶望した怪物は、復讐のためフランケンシュタインの友人や妻を次々と殺害したことになる。憎悪に駆られるフランケンシュタインは怪物を追跡し、北極海まで到達するが行く手を阻まれ、そこでウォルトンの船に拾われたのだった。
 全てを語り終えたフランケンシュタインは、怪物を殺すようにとウォルトンに頼み、船上で息を引き取る。また、ウォルトンは船員たちの安全を考慮し、北極点到達を諦め、帰路につく。そして、創造主から名も与えられなかった怪物は、創造主の遺体の前に現れ、フランケンシュタインの死を嘆く。そこに現れたウォルトンに自分の心情を語った後、北極点で自らを焼いて死ぬために北極海へと消える。怪物のその後は誰も知らない―。(Wikipediaより)

 イギリスの詩人パーシー・ビッシュ・シェリーの夫人メアリー・シェリー(1797-1851)原作の『フランケンシュタイン』(1816年頃に執筆開始、1818年3月に匿名で出版した)は、文学史上でも最もよく知られた作品でありながら、原作は殆ど読まれていないということでも有名な作品ですが、以上見てきたように、「フランケンシュタイン」は怪物(クリーチャー)の名前ではなく、怪物を生み出した人物の名前です(怪物には名がない)。

 『フランケンシュタイン』の文庫で主なものは以下の通り。
 森下 弓子:訳『フランケンシュタイン』 (1984 創元推理文庫)
 山本 政喜:訳『フランケンシュタイン』 (1994 角川文庫)
 小林 章夫:訳『フランケンシュタイン』 (2010 光文社古典新訳文庫)
 芹澤 恵:訳 『フランケンシュタイン』 (2014 新潮文庫)
 田内 志文:訳『新訳 フランケンシュタイン』(2015 角川文庫)
 このうち何冊か当たりましたが、光文社古典新訳文庫(小林章夫:訳)が読み易そうだったので、それで読みました。新潮文庫版なども同様ですが、作者メアリーと夫シェリーの序文があり、本書が書かれた経緯がわかります。

 1816年5月、メアリーは後に夫となるシェリーと駆け落ちし、バイロンやその専属医のジョン・ポリドリらと、スイス・ジュネーヴ近郊のレマン湖畔にあるディオダティ荘に滞在していて、長く降り続く雨のため屋内に閉じこめられていた折、バイロンが「皆でひとつずつ怪奇譚を書こうと提案したのが、この物語の誕生のきっかけであることは、後に取り上げる映画「幻の城/バイロンとシェリー」('88年/スペイン)でも描かれています。

 小説の枠組みは〈三重構造〉になっていて、ウォルトン隊長が姉に宛てた手紙が最も外側の円を成し、その中にフランケンシュタインの回想が組み込まれ、さらにその内側に怪物の告白があるというもので、冒頭はウォルトンの手紙が50ページほ続きます。その部分はプロローグ的位置づけで、本文に入ってからフランケンシュタインの回想になりますが、23章から成る本文の内、第11章から第16章までの6章は、怪物自身の語りになります。そして、フランケンシュタインの回想に戻って第23章でそれが終わり、その後またウォルトン隊長が姉に宛てた手紙になるという構成です。読み始めた時は、この構成がまどろっこしかったですが、怪物自身の語りに入ってから面白くなり、あとはエンタメ活劇(笑)みたいになっていくので引き込まれます。

 何よりも世間の怪物のイメージと異なるのは、怪物の語りに入ってから、怪物が『失楽園』『プルターク英雄伝』そして『若きウェルテルの悩み』を論評するなどしていることです。つまり、知識ゼロからスタートして人間の言葉を短時間で覚え、あっという間に高度の知性を身につけてしまった、いわばSF的天才のような存在となっています。

 また、自らの醜悪な容貌のため、生みの親であるビクター・フランケンシュタインからも見放され、彼のことを憎むようになりますが、それは、創造主としての彼への敬愛の気持ちのアンビバレントとともとれ、人間全体を憎みながら、人間からの愛情と理解を常に求めているというような、たいへん複雑な心性を有する存在でもあります。

 その醜いと言う容貌については、継ぎはぎ状であることが示唆されていますが、具体的な描写は無く、また、どうやって誕生したかについても、電気(雷?)が関与していることは示唆されていますが、ビクター・フランケンシュタインの研究室の様子や怪物誕生の具体的な描写はありません。

フランケンシュタイン 1931 01.jpgフランケンシュタイン 1931 ポスター.png やはり、今の怪物(こっちがフランケンシュタインと呼ばれるようになった)のイメージを作ったのは、ボリス図説ホラー・シネマ.jpg・カーロフが怪物を演じたジェイムズ・ホエール監督の「フランケンシュタイン」('31年/米)でしょう(石田一著『図説 ホラー・シネマ―銀幕の怪奇と幻想 (ふくろうの本)YOUNG FRANKENSTEIN.jpg('01年/河出書房新社)でも、一番最初に紹介されているフランケンシュタイン映画はコレ)。だから、墓地から盗み出した死体を接合し、恩師である教授の研究室から人間の脳を盗んだけれども、それが狂人の脳だったというのも、原作にはない、映画のオリジナルということになります。フランケンシュタインのパロディ映画で、メル・ブルックス監督の「ヤング・フランケンシュタイン」('74年/米)なども、通好みのコメディですが、この古典映画がベースになっています。

フランケンシュタイン (1994年).jpgフランケンシュタイン (1994年) dvd.jpg その他にも多くのフランケンシュタイン映画が作られていますが、フランシス・フォード・コッポラが製作し、ケネス・ブラナー監督が撮った「フランケンシュタイン」('94年/英・日・米)などもあり、ロバート・デ・ニーロが演じたクリーチャー(被造物)は、見かけは醜怪だけれど心性的には子どものようであるという設定でした。

ケネス・ブラナー監督「フランケンシュタイン」('94年/英・日・米)ロバート・デ・ニーロ

 ケヴィン・コナー監督「フランケンシュタイン」('04年/米・スロバキア)は、スロバキアのテレビ・ミニシリーズ。後にテレビ映画として再編もので、個人的に未見ですが、ドナルド・サザーランドやウィリアム・ハートなど俳優陣が豪華。予告を観ると、怪物が自分で自分の"花嫁"を創ろうとする場面があったような。

ケヴィン・コナー監督「フランケンシュタイン」('04年/米・スロバキア)
   
 原作は、怪物の哀しみが伝わってくるものとなっているように思いますが、自らが怪物であったり人工物であったりしたために人間世界から物理的に迫害されたり、精神的に疎外されるというモチーフは、フランケンシュタイン映画に限らず、その後の多くのSF作品、SF映画に影響を与えたように思います。「ブレードランナー」('82年/米)が)そうであるし、「ターミネーター2」('91年/米)のラストもそうだと言う人もいます。この辺りは、小野俊太郎著『フランケンシュタインの精神史: シェリーから『屍者の帝国』へ (フィギュール彩)』に詳しいです。

 そう言えば、「フランケンシュタイン・コンプレックス」という言葉もあります。創造主に成り代わって人造人間やロボットといった被造物(=生命)を創造することへの憧れと、さらにはその被造物によって創造主である人間が滅ぼされるのではないかという恐れが入り混じった複雑な感情・心理のことで、SF作家アイザック・アシモフが名付けたものです。

「幻の城/バイロンとシェリー」0.jpg「幻の城/バイロンとシェリー」1.jpg「幻の城/バイロンとシェリー」3.jpg また、作者メアリーを軸に、シェリーとバイロンの関係を描いた「幻の城/バイロンとシェリー」('88年/スペイン・英)という映画もありました(メアリーをリジー・マキナニー、バイロンをヒュー・グラント、その恋人クレアをエリザベス・ハーレイが演じている。ヒュー・グラントとエリザベス・ハーレイはこの共演がロマンスのきっかけとなり13年間にわたって交際したが、結局別れた)。途中までは『フランケンシュタイン』誕生のエピソードが描かれていますが、途中から、彼女の想像が生み出した怪物が一人歩きし始め、彼女の周囲の人々が次々死ぬ度に姿を現すことになり、シェリーはヨットの遭難で水死し、時を経ずしてバイロンもギリシア独立戦争に身を投じようとして死んだ後、メアリーは、北極の海で怪物(怪人)と訣別する―という、メアリーがビクター・フランケンシュタインに置き換わったようなゴチック・ホラーっぽい作りになっていました(「伝記映画」と呼ぶには飛躍しすぎ)。

エリザベス・ハーレイ、元恋人.jpg エリザベス・ハーレイと元恋人のヒュー・グラント

ハイファ・アル=マンスール監督「メアリーの総て」(2018)作者の伝記映画
メアリーの総て1.jpg メアリーの伝記映画としては、サウジアラビア初の女性監督で「少女は自転車にのって」 ('12年/サウジアラビア・独)などの作品により「女性映画の旗手」とされるハイファ・アル=マンスールが監督した「メアリーの総て」('18年/アイルランド・ルクセンブルク・米)がありますが、個人的には未見です(主演は「バベル」('06念/米)でリチャードとジョーンズ(ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット)の娘デビーを演じたエル・ファニング)。


FRANKENSTEIN 1931 poster.jpg「フランケンシュタイン」●原題:FRANKENSTEIN●制作年:1931年●制作国:アメリカ●監督:ジェイムズ・ホエール●製作:カール・レームル・Jr●脚本:ギャレット・フォート/ロバート・フローリー/フランシス・エドワード・ファラゴー●撮影:アーサー・エジソン●音楽:バーンハルド・カウン●原作:メアリー・シェリーFRANKENSTEIN 1931.jpg●時間:71分●出演:コリン・クライヴ/ボリス・カーロフ/メイ・クラークメイ・クラーク.jpgエドワード・ヴァン・スローン/ドワイト・フライ/ジョン・ポールズ/フレデリック・カー/ライオネル・ベルモア●日本公開:1932/04●配給:ユニヴァーサル映画●最初に観た場所:渋谷ユーロ・スペース (84-07-21)(評価:★★★☆)●併映:「フランケンシュタインの花嫁」(ジェイムズ・ホエール)

「ヤング・フランケンシュタイン」2.jpgヤング・フランケンシュタイン.gif「ヤング・フランケンシュタイン」●原題:YOUNG FRANKENSTEN●制作年:1975年●制作国:アメリカ●監督:メル・ブルックス●製作:マイケル・グラスコフ●脚本:ジーン・ワイルダー/メル・ブルックス●撮影:ジェラルド・ハーシュフェルド●音楽:ジョン・モリス●原作:メアリー・シェリイ●時間:108分●出演:ジーン・ワイルダー/ピーター・ボイル/マーティ・フェルドマン/テリー・ガー/マデリーン・カーン/ジーン・ハックマン●日本公開:1975/10●配給:20世紀フォックス●最初に観た場所:飯田橋ギンレイホール (78-12-14) (評価:★★★★)●併映:「サイレントムービー」(メル・ブルックス)

FRANKENSTEIN 1994 2.jpgFRANKENSTEIN 1994.jpg「フランケンシュタイン」●原題:FRANKENSTEIN●制作年:1994年●制作国:イギリス・日本・アメリカ●監督:ケネス・ブラナー●製作:フランシス・フォード・コッポラ/ジェームズ・V・ハート/ジョン・ヴィーチ/ケネス・ブラナー/デビッド・パーフィット●脚本:ステフ・レイディ/フランク・ダラボン●撮影:ロジャー・プラット●音楽パトリック・ドイル●原作:メアリー・シェリー●時間:123分●出演:ロバート・デ・ニーロ/ケネス・ブラナー/トム・ハルス/ヘレナ・ボナム=カーター/エイダン・クイン/イアン・ホルム/ジョン・クリーズ/シェリー・ルンギ/リチャード・ブライアーズ/アレックス・ロー●日本公開:1995/01●配給:トライスター・ピクチャーズ(評価:★★★)

幻の城/バイロンとシェリー1.jpg幻の城/バイロンとシェリー2.jpg「幻の城/バイロンとシェリー」●原題:ROWING WITH THE WIND(REMANDO AL VIENTO)●制作年:1988年●制作国:スペイン・イギリス●監督・脚本:ゴンザロ・スアレス●撮影:カルロス・スアレス●音楽:アレハンドロ・マッソ●時間:96分●幻の城/バイロンとシェリー.jpg出演:ヒュー・グラント(バイロン)/リジー・マキナニー/ヴァレンタイン・ペルカ/エリザベス・ハーレイ(バイロンの恋人・クレア)/ホセ・ルイス・ゴメス/ヴァージニア・マタイス//ホセ・カルロス・リヴァス●日本公開:1989/07●配給:俳優座シネマテン●最初に観た場所:六本木・俳優座シネマテン(89-09-14)(評価:★★★)
エリザベス・ハーレイ(2020年・55歳)
エリザベス・ハーレイ(55).jpgエリザベス・ハーレイ.jpg

《読書MEMO》
●舞台「フランケンシュタイン-cry for the moon-」
2022年1月7日(金)~1月16日(日) 東京・紀伊國屋サザンシアター TAKASHIMAYA
演出:錦織一清 脚本:岡本貴也
出演:七海ひろき 岐洲匠 彩凪翔/蒼木陣 佐藤信長 横山結衣(AKB48) 北村由海/永田耕一

光文社古典新訳文庫 フランケンシュタイン.jpg

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前半はやや悠長だが、後半一気に「感動」を畳みかけてくるのはさすが。

喜びも悲しみも幾歳月 1957.jpg喜びも悲しみも幾歳月01.jpg 喜びも悲しみも幾歳月02.jpg
有沢夫妻の初任地・観音埼灯台/新婚の雪野と進吾を乗せて進吾の任地のカイロに向う船のために、御前埼灯台で霧笛を鳴らし灯台の灯りをともす有沢夫妻
木下惠介生誕100年 喜びも悲しみも幾歳月 [DVD]」佐田啓二/高峰秀子

「喜びも悲しみも幾歳月」ps.png 1932年(昭和7年)、新婚早々の灯台守・有沢四郎(佐田啓二)と妻・有沢きよ子(高峰秀子)は、四郎の勤務先の観音埼灯台で暮らし始める。北海道の石狩灯台で雪野・光太郎の2人の子を授「喜びも悲しみも幾歳月」1.jpgかり、九州の五島列島の先の女島灯台では夫婦別居も経験する。その後、弾崎灯台で日米開戦を迎え、戦争で多くの同僚を失うなど苦しい時期もあったが、後輩の野津(田村高広)と野津の妻・真砂子(伊藤弘子)に励まされながら勤務を続ける。また、空襲を逃れて東京「喜びも悲しみも幾歳月」3.jpgから疎開してきた一家と親しくなるなど、新たな出会いもあった。戦後、男木島灯台勤務の時、息子の光太郎(中村賀津雄)が不良とのケンカで刺殺される。が、そうした悲しみを乗り越えた先には喜びも待っていた。御前埼灯台の台長として赴任する途中、戦時中に知り合った疎開一家の長男・進吾(仲谷昇)と娘の雪野(有沢正子)との結婚話がまとまったのだ。御前埼灯台から四郎ときよ子の2人は灯台の灯をともして、新婚の雪野と進吾がエジプトのカイロに向かうために乗り込んだ船を見守る。遠ざかる船を見ながら、四郎ときよ子は「娘を立派に育てあげて本当によかった。灯台職員を続けていて本当によかった」と、感慨深く涙ぐむのだった―。

「喜びも悲しみも幾歳月」huyu.jpg 木下惠介(1912-1998/享年86)監督の1957(昭和32)年公開作で、同年「キネマ旬報 ベスト・テン」で第3位。若山彰の歌唱による同名主題歌の「喜びも悲しみも幾歳月」も大ヒットし、後世でも過去の著名なヒット曲としてしばしば紹介されています(山藤章二の 『昭和よ、』('19年/ 岩波書店)を読んでいたら、森繁久彌が灯台守について語ったことの書き起こしがあったので思い出した)。

 物語は1932(昭和7)年から1957(昭和32)年25年間の夫婦の歩みを描いていて、前半はやや悠長ですが、後半一気に「感動」を畳みかけてくるのはさすがです。観音崎、御前崎、安乗崎、野寒布岬、三原山、五島列島、瀬戸内海の男木島、女木島など全国でロケーション撮影を敢行し、ロードムービーの一種としても楽しめる作品でもあります。因みに、こんも映画に出てくる灯台は次の通り。

 1. 観音埼灯台 ― 神奈川県・三浦半島/1932(昭和7)年/第一次上海事変勃発
 2. 石狩灯台 ― 北海道・石狩/1933(昭和8)年頃/雪野・光太郎の生誕
 3. 伊豆大島灯台 ― 東京都・伊豆大島/1937(昭和12)年/日中戦争勃発
 4. 水ノ子島(みずのこじま)灯台 ― 大分県・豊後水道水ノ子島
 5. 女島(めしま)灯台 ― 長崎県・五島列島
 6. 弾埼(はじきざき)灯台 ― 新潟県・佐渡島/1941(昭和16)年/太平洋戦争勃発
 7. 御前埼灯台 ― 静岡県・御前崎/1945(昭和20年)年/太平洋戦争敗戦で終結
 8. 安乗埼(あのりさき)灯台 ― 三重県・志摩/1950(昭和25)年   
 9. 男木島(おぎじま)灯台 ― 香川県・瀬戸内海/1954(昭和29)年
 10. 御前埼灯台(再赴任) ― 静岡県・御前崎/1955(昭和30)年/四郎、灯台長として着任
 11. 日和山(ひよりやま)灯台 ― 北海道・小樽市祝津/1957(昭和32)年

石狩灯台2.jpg 石狩灯台の映画記念碑
「喜びも悲しみも幾歳月」弾崎灯台.jpg 佐渡島・弾埼灯の映画記念像

観音崎灯台.jpg 日本最初の洋式灯台は1869(明治2年)年2月11日に点灯した神奈川県・三浦半島の観音埼灯台で、着工した1868(明治元)年11月1日が灯台記念日になっています(物語で夫婦が最初に赴任する灯台)。海の安全を守る重要な役割を果たす灯台ですが、戦争中は敵の攻撃目標となり、犠牲となった灯台守もいたことが、この映画の中でも語られています。

女島灯台.jpg たとえ平和時であっても、仕事は単調で、狭い空間で一家の生活は終始し、気晴らしの機会もない単調な毎日で、夏休みも休日もないというのは、今の刺激に慣れた現代人から見れば想像を絶することかも。因みに、長崎県・五島市の男女群島の女島にある女島灯台(物語で夫婦が5番目に赴任する灯台)が最後の有人灯台でしたが、2006(平成18)年12月5日に無人化され、国内の灯台守は消滅しています。

観音埼灯台.jpg 主人公らの半生を描いているため、四郎が静岡県・御前崎の御前埼灯台に再赴任した時には「灯台長」になっていて(要するに偉くなっていて)、早逝した佐田啓二のちょび髭を生やした中年の管理職の役が見られるのが珍しいかも。佐田啓二(1926-1964/37歳没)って、大滝秀治(1925-2012//享年87)が生まれた年の次の年に生まれているのですねえ。長生きしていたらどんな老人になっていただろうかと、想像を逞しくしました。因みに、小津安二郎の後期の監督作の常連であり、「彼岸花」('58年)で有馬稲子の恋人役、「お早よう」('59年)で久我美子の恋人役、「秋日和」('60年)で司葉子の結婚相手、 「秋刀魚の味」('62年)で岡田茉莉子の夫役を務めています。 
 

「喜びも悲しみも幾歳月」ps2.jpg「喜びも悲しみも幾歳月」佐田.jpg喜びも悲しみも幾歳月」takamine.jpg「喜びも悲しみも幾歳月」●制作年:1957年●監督・原作・脚本:木下惠介●撮影:楠田浩之●音楽:木下忠司●時間:160分●出演:佐田啓二/高峰秀子/有沢正子/中村賀津雄/田村高広/伊藤弘子/北竜二/仲谷昇/夏川静江/桂木洋子/小林十九二/坂本武/三井弘次/井川邦子/岡田和子/桜むつ子/明石潮/夏川大二郎/磯野秋雄●公開:1957/10●配給:松竹●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(19-07-27)(評価:★★★★)
喜びも悲しみも幾歳月 vhs.jpg

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こういう話ぶりに自分も感じ入る年齢になったのかも。「ブラック・アングル」連載終了かあ。
昭和よ, 山藤.jpg
山藤章二の四行大学.jpg  山藤章二.jpg
昭和よ,』『山藤章二の四行大学 (朝日新書)』山藤章二 氏[スポーツ報知](82歳時)
「ブラック・アングル」45年の歴史に幕 通算2260回に
 朝日デジタル(2021年11月8日)
「ブラック・アングル」終了へ.jpg 『昭和よ、』は、82歳になった著者が、今思うことを、一人語り調文体で綴ったエッセイ集で、これまでの著者のエッセイ集同様、世相・文化・芸術・社会ち幅広く論じています。

 普通なら「昭和よ、さらば」とか「昭和よ、ありがとう」というタイトルになるところを「昭和よ」としたのは、昭和を過ごした読者にはそれぞれの思いがあるだろうから、あえて外して、読者にバトンを託す形にしたとのことで、それほどに昭和は多彩えだったということのようです。

 ちょうど、1976年から「週刊朝日」で連載してきた「ブラック・アングル」と、1981年から続く「似顔絵塾」が、今月['21年11月]22日発売の12月3日号で終了しており(通算2260回、読者が投稿する「似顔絵塾」は1990回となっている)、「長年の孤軍奮闘の疲れもあり、連載終了を決めた」とのこと。そっかあ、本書が出てからまた2年が経っており、今84歳だから、ここまで連載を続けてきたこと自体がスゴイことだと思います。

 「ブラック・アングル」は以前に比べて(70年代、80年代に比べてといことにまるが)やや毒が弱まった気もしますが、こうしたエッセイは、自分が年齢が高くなったせいか、意外とすんなり入ってきます。

高輪ゲートウェイ駅.jpg 最後、2018年12月4日に駅名が発表された「高輪ゲートウェイ駅」のネーミングにケチをつけていますが、これって駅名撤回を求める署名運動にまで発展したのではなかったかなあ。別に年寄りが独りよがりで変なことを言っている(笑)のではないということの証しでしょう。

桂歌丸.jpg 2018 〈平成30年〉7月2日に81歳で亡くなった落語家の桂歌丸を取り上げ、落語家気質というもの考察し、2018〈平成30〉年8月15日に53歳で亡くなった漫画家のさくらももこを取り上げ、「サザエさん」の長谷川町子と対比させているなど、ただ、人が亡くなって哀悼や惜別の意を表するだけでなく、そこでまた一つ考察しており、こういう人ってボケないのだろなあ。

和田誠 2.jpg 同学年の和田誠を自分と対比させ、「和田と山藤」として一つ高い視点から論じた上で、最後に「和田さん百歳になったら一度対談しましょう」とエールを送っていますが、その和田誠も2019〈令和元〉年10月7日に83歳で亡くなっているのが寂しいです。

喜びも悲しみも幾歳月01.jpg 森繁久彌を取り上げたところで、森繁が語った「灯台守」の話を書き起こしていて、そこでは男の仕事とはどういうものかを説いており、仕事は単調で、狭い空間で一家の生活は終始し、気晴らしの機会もない単調な毎日で、夏休みも休日もないが、皆さんはこういう職場に耐えられるかと。毎日単純なことの繰り返しで責任は重い。男の仕事とはこういうものだと。

 戦後すぐに「俺(おい)ら岬の 灯台守は 妻と二人で 沖行く船の 無事を祈って 灯(ひ)をかざす」という歌が流行り、佐田啓二と高峰秀子主演で映画にもなったとし(「喜びも悲しみも幾歳月」('57年/松竹)のこと)、佐田啓二も高峰秀子も芸能界にはめずらしくストイックな感じの人で、ぴったりだったと(この辺り、森繁の言葉なのか著者の感想なのかよく分からないけれど、まあいいか)。著者はこういう人生に弱いと。

 著者のこういう話ぶりに自分も感じ入る年齢になったのでしょうか(苦笑)。

山藤章二の四行大学 (朝日新書)2.jpg もう一冊、『山藤章二の四行大学』の方は、同様に著者の感じること、思うこと、喜びや怒りが、全て4行のエッセイとして書かれているのものです。

 例えば「知らないけど老子は好きだ、と決めてかかる。何しろ孔子や孟子がたくさんの道を説いていた時代の人である。同業の賢人たちの隙間を主張しなければ世に出られない。よほど天邪鬼的な発想をした人だ」とあり、へんに知ったかぶりせず、老子を知らないとしながらも、一方で老子は好きだとして、自らの哲学を追求する意欲を見せています。

 「しみじみとそういうことに気がつくのは、老境に入ってからである。若いうちは競争するのが当たり前という頭になっていた。若者じゃなくてバカ者だ。柿の実に学ぶがいい。ポトリと落ちる寸前が味わい深い」なんて、これぞ"老境"という感じのものもあります。

 さっと読めてしまうのでちょっと物足りない印象もありますが、本当はもっと噛みしめて読まなきゃならんのだろなあ。

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秀でた脚本家がどうやって原作を脚色するのか、原作と読み比べてみると興味深い。
駅路/最後の自画像1.jpg駅路/最後の自画像2.jpg 駅路1.jpg 
駅路 最後の自画像』/『駅路 (1961年) 』(駅路・誤差・部分・偶数・小さな旅館・失踪)
駅路2.jpg駅路―傑作短編集(六)―(新潮文庫)』(白い闇・捜査圏外の条件・ある小官僚の抹殺・巻頭句の女・駅路・誤差・薄化粧の男・偶数・陸行水行)
[2009年テレビドラマ(出演:役所広司/深津絵里)タイアップ帯]

 銀行の営業部長を定年で退職した小塚貞一は、その年の秋の末、簡単な旅行用具を持って家を出たまま、行方不明となった。家出人捜索願を受けて、呼野刑事と北尾刑事は捜査を始める。家庭は平和と見えたし、子供も成長し、一人は結婚もした。人生の行路を大方歩いて、やれやれという境涯に身を置いていたように思える。自殺する原因もない。自分から失踪したとすれば、何のためにそのような行動を取ったのか―。

 松本清張(1909-1992/82歳没)の短編小説で、「サンデー毎日」1960(昭和35)年8月7日号に掲載され、1961年11月に短編集『駅路』収録の表題作として、文藝春秋新社から刊行されています。

 高卒ながら実直に精励恪勤し、銀行の支店長まで上り詰め、家の外に女など作りそうもないと周囲の誰もが思った真面目な勤め人・小塚貞一だったが、実は...。ちゃんと妻に残すものは残して出奔するところが、銀行員らしい? と言うより、それが主人公の気質なのでしょう。

 でも、男って、この主人公と同じことを考えていたとしても、その殆どがそれを実行に移せないないだろうから、その意味では主人公は大胆と言うか、行動力があると言えるかもしれません。なかなか、そう思わせる女性に出会うということもないというのもあるかもしれませんが、主人公はまさに、そうした女性に巡り逢ったということなのでしょう。

 過去4回テレビドラマ化されていて、それらは以下の通り。
・1962年 松本清張シリーズ・黒の組曲「旅路」(NHK)」 藤原釜足・内田稔・内藤武敏
・1977年「松本清張シリーズ・最後の自画像」(NHK)いしだあゆみ・小加藤治子
・1982年「松本清張の駅路」(テレビ朝日)田村高廣・古手川祐子・河内桃子
・2009年「松本清張生誕100年記念作品・駅路」(フジテレビ)役所広司・深津絵里・木村多江
 この内、1977(昭和42)年版の「最後の自画像」が、本書に併録されている向田邦子(1929-1981/51歳没)の脚本による作品で、2009年版「駅路」がそのリメイクになります。

「松本清張生誕100年記念作品・駅路」(2009年・フジテレビ)役所広司・深津絵里・木村多江
駅路/9.jpg 本書解説の編集者・烏兎沼佳代氏によれば、向田邦子はもともと原作がある作品の脚色を嫌った脚本家で、実際に脚色した作品も少なく、原作となるこの「駅路」を手にした時は、すでに「だいこんの花」「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」で人気脚本家になっていて、それがなぜ敢えてこの作品を脚色したのか、推論できる理由はあるとのことです。

 烏兎沼氏によれば、その一つは、この仕事が巡ってきたタイミングが、向田邦子が2年目に乳がん、1年前に肝炎を患った時期だったこと(つまり彼女い自身が人生に"駅路"に立たされたということ)、二つ目は、登場人物の中に向田邦子に近しい人を連想させる人物像があり、その典型が小塚貞一で、これが高学歴ではないのに出世した彼女の父親と重なるたのではないかということ(小塚貞一は向田の叶わぬ恋の相手を想起させるとも)、三つめは、「男の物語」に女を加えることで、放送時間70分のドラマとして効果を倍加できるのではないかと考えたからではないかとのことです。

 実際、「最後の自画像」では、小塚貞一の相手の女性・福村慶子が生きているという設定になっていて、小塚貞一よりもむしろ福村慶子の方が主人公になっているような印象を受けました。その他、原作には無い刑事と部下や聞き込み相手とのコミカルな会話もあり、秀でた脚本家がどうやって原作を脚色するのか、こうして原作と読み比べてみると、よく分かって興味深いです。

 福村慶子をいしだあゆみが演じたNHK版は観ていませんが、それを更に脚色した役所広司・深津絵里版は観ました。向田邦子の脚本をほぼ忠実に活かしていますが(ゴーギャンの絵のモチーフが前面に出ているのも向田脚本と同じ)、時代設定が、昭和の終わり昭和63年の暮れになっていて、昭和天皇崩御の1月7日に事件が解決するという風になっています(小塚貞一の生き様、或いはより広く"仕事人間"の時代というものを「昭和」に重ねたか)。

旅路101.jpg駅路/十朱.jpg 小塚夫妻役は石坂浩二と十朱幸代で、この辺りは改変がありませんが、役所広司演じる刑事が、彼も写真が趣味(所謂SLの"撮り鉄")という風になっていて、役所広司は向田邦子が脚本に仕掛けたコミカルな件(くだり)も卒なく演じており、上手いなあと。

駅路/深津.jpg駅路/役所 深津.jpg ただ、やはり圧巻は女優で、福村慶子を演じた深津絵里は、さすがに情感たっぷりで上駅路/木村.jpg手かったです。加えて、福村よし子を演じているのが木村多江で、彼女が演じることで同じ福村慶子の従姉であっても、福村よし子の位置づけが、観る者にシンパシーを引き起こすよう改変されているように思いました。

「最後の自画像」('77年)松本清張/「駅路」('09年)唐十郎
最後の自画像 清張.jpg駅路 唐.jpg 1977年のNHK版では、刑事の聞き込み先である福村慶子の下宿先の「小松便利堂」の主人で、隠居した恍惚老人の役で原作者・松本清張自身が出演しているのですが(この老人、ボケているけれども福村慶子に"男"(=貞一)がいたことだけは見抜いている)、この2009年のフジテレビ版では、松本清張が演じたこの役を唐十郎が演じており、今思うと、2009年版も結構豪勢な配役だったと言えるかもしれません。

駅路/タイトル横.jpg「松本清張生誕100年記念作品・駅路」●演出・脚色:杉田成道●脚本:向田邦子●脚色:矢島正雄●プロデュース:喜多麗子●音楽:佐藤準●原作:松本清張●出演:役所広司/深津絵里/木村多江/高岡蒼甫/北川弘美/大口兼悟/石坂浩二/十朱幸代/佐戸井けん太/根岸季衣/田山涼成/大林丈史/ふせえり/佐々木勝彦/石井愃一/中島ひろ子/唐十郎/田根楽子●放映:2009/04/11(全1回)●放送局:フジテレビ

【1965年文庫化[新潮文庫(『駅路―傑作短編集6』)]】

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「●日本のTVドラマ (90年代~)」の インデックッスへ(「松本清張 強き蟻」)

ピカレスクロマン転じて「家政婦は見た」ならぬ...。

強き蟻 松本清張 文春文庫 旧.jpg強き蟻 松本清張 文春文庫 新.jpg  ドラマ強き蟻3.jpg
強き蟻 (文春文庫)』/『新装版 強き蟻 (文春文庫)』「松本清張 強き蟻」['14年/テレビ東京]橋爪功/米倉涼子
強き蟻 (1971年)
強き蟻.jpg 東銀座の「みの笠」で水商売をしていた伊佐子は、現在はS光学取締役の肩書きを持つ沢田信弘に嫁ぎ、渋谷の松濤で生活している。夫は30前後も年齢が離れているが、伊佐子の今後の人生計画からすれば、夫にあと3年くらいで死んでもらうのが理想的であった。身体の若さを保ちたい伊佐子は、20代の男たちと遊びの交際をしていたが、ある時、伊佐子の遊び相手の石井寛二が殺人容疑で捕まる。石井の仲間から弁護料を負担するよう求められた伊佐子は、食品会社副社長の塩月芳彦に援助を交渉する。塩月とは「みの笠」の時から続く関係だが、威光の利く保守党の実力者を叔父に持っていた。石井の件の始末をはかろうとする矢先、信弘が心筋梗塞を発症する。財産の確保のためには、最適な時期に最適な条件で夫に死んでもらうことが必要であり、伊佐子は状況を有利にするため奔走を続けるが......。

 松本清張が「文藝春秋」の1970(昭和45)年1月号から 1971(昭和46)年3月号にかけて連載し、1971年4月に文藝春秋から刊行されたものです。「夫の遺産を根こそぎ確保しようと企む女性の、周到な殺害計画を描くピカレスク長編」とのことで。タイトルは西東三鬼の句「墓の前強き蟻ゐて奔走す」に由来するそうです。

 面白かったですが、ピカレスクロマンにしては、最後、悪(ワル)が勝つという風にはなっていなかったなあ。全体のストーリーがそう複雑ではないので、最後だけ少し捻ったのかもしれないし、この頃はもう作者は、ストレートに悪が勝つようなスタイルはあまり用いなくなっていたのでしょうか。この結末からすると、タイトルの「強き蟻」とは必ずしも伊佐子のことだけを指すのではなく、沢田信弘も「強き蟻」なのかもしれません。

 最後は、「家政婦は見た」ならぬ「速記者は見た」といったところでしょうか。これはこれで意外性がありましたが、よくある、謎解きとして供述書を持ってくることで済ませてしまうパターンともとれなくもないです(このパターンを安易と思う読者もいるかも。Amazonのレビューは星5つが最も多いが、中にはこの結末を指して「締め切りに追われたせいかと邪推したくなる」というものもあった)。

 今まで3度ドラマ化されていて、それらは以下の通り。
 •1981年「松本清張の強き蟻」(日本テレビ)浜木綿子・加藤嘉・川津祐介
 •2006年「松本清張特別企画・強き蟻」(テレビ東京)若村麻由美・沢田信弘・津川雅彦
 •2014年「松本清張 強き蟻」(テレビ東京)米倉涼子・橋爪功・高嶋政伸・比嘉愛未

ドラマ強き蟻1.jpg この内、「テレビ東京開局50周年特別企画」として制作された2014年の米倉涼子版を観まドラマ強き蟻2.jpgした(「水曜ミステリー9」の時間帯での放送だが、本作は「水曜ミステリー9」枠外で放送された)。米倉涼子が演じるヒロイン・伊佐子が「4人の男性を翻弄する」とのことで、そっか、4人とは沢田信弘(橋爪功)、弁護士・佐伯義雄(高嶋政伸)、食品会社副社長・塩月芳彦(宅麻伸)、伊佐子の不倫相手(石井寛二)のことかと改めて確認した次第です。

ドラマ 強き蟻.jpg 米倉涼子といえば、松本清張原作のドラマ3部作「黒革の手帖」「松本清張 けものみち」「松本清張 わるいやつら」(いずれもテレビ朝日系)で悪女役を演じ、女優として大きな飛躍を遂げたわけで、原作にある「ぽっちゃりとした小肥りで、色が白い」という伊佐子の描写とは少し異なりますが、悪女役はスンナリは嵌っているように思いました。沢田信弘を橋爪功が演じることで、観る側は何かありそうな気がするのではないでしょうか。

ドラマ強き蟻4.jpg ただ、ドラマの途中で橋爪功演じる沢田信弘が、比嘉愛未演じる速記者・宮原素子に、妻が自分を殺そうとしていると言ってしまっている場面があるため、原作のラストの〈どんでん返し〉効果が薄れてしまいました。沢田信弘が宮原素子に遺書を預けたのは原作通りですが、伊佐子が素子に半分あげるから書き直された遺言書はもとから無かった事にして欲しいと頼むのはドラマのオリジナル。原作では、「伊佐子は一言も発しないでぶるぶる震えていた」とあります。ただ、これが、素子の供述書の中で語られているところが、(これはこれでダメとは言わないが)原作のやや弱いところかもしれません。かたせ梨乃演じる沢田家の家政婦の信弘に対する激情もドラマのオリジナル。元のお話が比較的単純なので、脚本家はいろいろやりたくなるのかなあ。

強き蟻 d.jpgドラマ強き蟻5.jpg「松本清張 強き蟻」●演出:松田秀知●脚本:森下直●チーフプロデューサー:岡部紳二(テレビ東京)●音楽:佐藤準●原作:松本清張●出演:米倉涼子(沢田伊佐子〈36〉美貌の女性で沢田信弘の後妻)/高嶋政伸(佐伯義雄〈37〉佐伯法律事務所の弁護士)/比嘉愛未(宮原素子〈25〉速記者)/笛木優子(沢田妙子〈29〉信弘の前妻との娘)/かたせ梨乃(椿サキ〈58〉沢田家の家政婦)/矢島健一(川瀬卓郎〈51〉大日本工学の新社長)/要潤(石井寛二〈30〉Jリーグ選手)/宅麻伸(塩月芳彦〈57〉帝国食品の副社長)/橋爪功(沢田信弘〈67〉伊佐子の夫で大日本光学の役員)●放映:2014/07/02(全1回)●放送局:テレビ東京

【1974年文庫化・2013年新装版[文春文庫]】

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筒井康隆という作家とショートショートという作品形態の相性が良かった時期。

あるいは酒でいっぱいの海.jpgあるいは酒でいっぱいの海 河出.jpg にぎやかな未来 (1968年)2.jpg
あるいは酒でいっぱいの海 (河出文庫)』/『にぎやかな未来(1968年)』(カバー絵:長尾みのる)
あるいは酒でいっぱいの海―筒井康隆初期ショートショート (1977年)』(カバー絵:柳原良平

あるいは酒でいっぱいの海 syueisyabunko.jpg 作者の処女作とも言える'60年発表の「タイム・マシン」「脱ぐ」などの作品から、'76年に発表された「逆流」「善猫メダル」「前世」といったショートショートまで、約15年間に発表された30篇の短編を集めた作品集。1977年11月に『あるいは酒でいっぱいの海―筒井康隆初期ショートショート』として集英社より刊行されていますが、通常の単行本にするには紙数不足だったようで、余白を大きくとった変形本のスタイルで刊行されています。その後、1979年に集英社文庫化され、今年['21年]8月に河出文庫で再文庫化されました

収録作品:「あるいは酒でいっぱいの海」「消失」「鏡よ鏡」「いいえ」「法外な税金」「女の年齢」「ケンタウルスの殺人」「トンネル現象」「九十年安保の全学連」「代用女房始末」「スパイ」「妄想因子」「怪段」「陸族館」「給水塔の幽霊」「フォーク・シンガー」「アル中の嘆き」「電話魔」「みすていく・ざ・あどれす」「タイム・カメラ」「体臭」「善猫メダル」「逆流」「前世」「タイム・マシン」「脱ぐ」「二元論の家」「無限効果」「底流」「睡魔のいる夏」
あるいは酒でいっぱいの海 (1979年) (集英社文庫)

にぎやかな未来 kadokawabunko.jpg笑うな  新潮文庫 筒井.jpg 河出文庫解説のSF・ミステリ評論でフリー編集者でもある日下三蔵氏によると、昭和のうちに出た作者のショートショートは『にぎやかな未来』('68年/三一書房(48篇)、'72年/角川文庫(41篇)、'76年/徳間書店、'16年/角川文庫(改版))、『笑うな』('75年/徳間書店(34篇)、'80年/新潮文庫、02年/新潮文庫(改版))、『あるいは酒でいっぱいの海』('77年集英社(30篇)、'79年/集英社川文庫)、『くたばれPTA』('86年/新潮文庫(24篇)、'15年/新潮文庫(改版))の4冊で、以上のように、『あるいは酒でいっぱいの海』だけが今世紀に入って改版されたり新装版が出たりしていないため、この度再文庫化されることのなったようです。
にぎやかな未来 (角川文庫)』/『笑うな (新潮文庫)』(カバー絵:ともに山藤章二

東海道戦争.jpgベトナム観光公社.jpgAfrica.jpgalfalfa.jpgホンキイ・トンク.jpgわが良き狼(ウルフ).jpg 上記には、例えば『にぎやかな未来』から『笑うな』の間に刊行された『東海道戦争』('65年/早川書房(ハヤカワ・SF・シリーズ)(13篇))や『ベトナム観光公社』('67年/早川書房(ハヤカワ・SF・シリーズ)(18篇))、『アフリカの爆弾』('68年/文藝春秋)、『アルファルファ作戦』('68年/早川書房(ハヤカワ・SF・シリーズ)(14篇))、『ホンキイ・トンク』('69年/講談社(9篇))、『わが良き狼(ウルフ)』('69年/三一書房(8篇))などは含まれていませんが、これらは収録作品数からわかる通り、短篇集でありショートショート集ではないためでしょう。

 ショートショート集4冊の中では、個人的にはやはり、角川文庫で読んだ『にぎやかな未来』の印象が強いです。今読むと、時代を感じる部分があるのは致し方ないですが、一方で、インターネットの普及やインターネット広告の氾濫を予言したようなところもあり、今読んでも興味深く読めます。日下三蔵氏によると、実は、上記4冊の中で、新作をまとめた通常のショート・ショート集はこの『にぎやかな未来』だけであり、自らが主宰し発行していた「NULL」を始めSF同人誌に発表されたものが主ですが、充実した初期創作期であったことが窺えます。

 一方、この『あるいは酒でいっぱいの海』は、当時それほど注目されなかったような気もするし、編集の経緯で「寄せ集め」的になり、レベル的にもやや玉石混交気味であるように思いました(作者がそれほど積極的に作品集に入れたがらなかった作品も含まれているようだ)。

 それでも、作者自身が自信作と言う「給水塔の幽霊」('63年「団地ジャーナル」発表)(タイトルがオチになっている!)、「鏡よ鏡」('71年「朝日新聞」発表)(星新一風か)などはなかなか良かったです。遅刻ばかりする男の自室の押入れと会社のロッカーが繋がってしまったという奇想譚「トンネル現象」('65年「科学朝日」発表)も面白い。表題作の「あるいは酒でいっぱいの海」は、解説によると「高2コース」の'67年5月号の発表されたそうですが、エイヴラム・デイヴィッドスンのヒューゴー賞(短編小説部門)受賞作「あるいは牡蛎でいっぱいの海」をもじったタイトルなのに、それが分からない学研の編集者に「海水が酒に...」という身も蓋もないタイトルに変えれれて掲載されたそうです。

 『笑うな』('75年)の作者あとがきに『にぎやかな未来』('68年)に収録した以外のショートショートを収めたとし、最近はショートショートを書かなくなり、今後もおそらく書くことはないだろうから、これが最後のショートショート集になりそうだとしていますが、筒井康隆という作家とショートショートという作品形態の相性が良かった時期があったことに改めて思い当たりました。

『あるいは酒でいっぱいの海』...【1979年文庫化[集英社文庫]/2021年再文庫化[河出文庫]】
『にぎやかな未来』...【1972年文庫化・2016年改版[角川文庫]/1976年単行本[徳間書店]】

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