2010年11月 Archives

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「○ラテンアメリカ文学 【発表・刊行順】」の インデックッスへ

ノーベル賞作家の推理小説。日本の刑事ドラマと比較でエスニック感覚で興味深く読めた。

誰がパロミノ・モレーロを殺したか.jpg 誰がパロミノ・モレーノを殺したか.JPG 誰がパロミノ・モレーノを殺したか obi.JPG Mario Vargas Llosa.jpg Mario Vargas Llosa
誰がパロミノ・モレーロを殺したか (ラテンアメリカ文学選集 6)

誰がパロミノ・モレーロを殺したか  洋書.jpg ペルーの港町タラーラ付近で、串刺しにされ、睾丸を引き裂かれた惨殺死体が木に吊るされているのが発見され、町の警官リトゥーマは上司のシルバ警部補と犯人捜査にあたるが、殺されたのは、ペルー北端の都市ピウラ生まれで同地の空軍基地所属の志願兵パロミノ・モレーノという、歌が上手なロマンティック詩人風の青年であり、彼が「高嶺の花」と呼ぶ女性と最近、密会を繰り返していたことが分かる―。

 村上春樹をおさえて(?)と言うより、順当に2010年のノーベル文学賞受賞者となったペルーの作家マリオ・バルガス=リョサ(Mario Vargas Llosa、1936-)が1986年に発表した作品(原題:¿Quién mató a Palomino Molero?)。

緑の家 下.jpg緑の家 上.jpg かつて新潮文庫に入っていた中期の代表作『緑の家』(1966年発表)が、ちょうど岩波文庫で復刻気味に刊行された('10年8月)直後のノーベル賞受賞決定でしたが、複数の土地での物語が同時進行するという、壮大なスケールの作品『緑の家』は、ガルシア=マルケスにおける『百年の孤独』(1967年発表、'72年/新潮社)のような位置づけでしょうか(幾つもの挿話を繋いでいく手法は、最近読んだメキシコのフアン・ルルフォの『ペドロ・パラモ』(1955年発表、'92年/岩波文庫)とも手法的には似ている)。

 一方、この『誰がパロミノ・モレーロを殺したか』は、推理小説仕立ての中編であり、ガルシア=マルケスで言えば『予告された殺人の記録』(1981年発表、'83年/新潮社)のような位置づけにあるように思えました。
 尤も、訳者解説によれば、チリの文学作家の何人かが、70年代以降、大衆的なジャンルに手を染める傾向がみられたとのことで(例えば、エル・ブイグの『蜘蛛女のキス』など)、バルガス=リョサも、当初は、ガルシア=マルケス研究に見られるように純文学・研究者指向であったのが、こうした作品も書くようになったとのことです。

 チリの作家に限らず、あの高邁なボルヘスにだって「死とコンパス」のような推理小説仕立ての作品があり、同じアルゼンチンのコルタサルにも、アラン・ポー風のミステリ作品がありますが、但し、『予告された殺人の記録』同様に、推理小説としての完結はしておらず、この作品もどうなるのかなと思って読んでいたら、まともに推理小説として(まるでサスペンス映画かドラマのように)完結しているので、それが逆に意外だったりして...。

Who Killed Palomino Molero?.jpg チリの田舎町の「刑事もの」という感じであるため、日本の刑事ドラマと比較でエスニック感覚で興味深く読めたし、ストーリーはそれほど複雑ではないですが、シルバ警部補が空軍大佐への面会を申し込み、大佐の態度から彼が事件に関わっていることを知るとともに、モレーノが「高嶺の花」と呼んでいたのが実は大佐の娘であり、この娘に妄想癖があるところから、ちょっとややこしくなるかも(レイモンド・チャンドラーやロス・マクドナルドのハードボイルドにあるパターンだなあ)。

英語版ペーパーバック(1988)

 1人1人の登場人物の描き方が簡潔ながらも丁寧で、キャラクターがそれぞれに際立っており、大佐やその娘、更にはその恋人の中尉などのエキセントリックなのもさることながら、やはり最も"キャラ立ち"しているのは、シルバ警部補でしょうか。捜査において、若いリトゥーマを唸らせるような、経験による鋭い洞察力を働かせたかと思いきや、食堂の女主人に対して好色な態度を示し、今度はリトゥーマを呆れさせる、この両面性が何とも人間臭かっただけに、最後は女主人にふられたうえに、事件を解決したがために左遷されるというのは、ちょっと寂しい後日譚のような気がしました。

 バルガス=リョサはフジモリ元大統領と大統領選で戦った人物でもあり、文学だけなく政治にも強烈な関心を抱き続けているわけで、チリの政治・軍部批判や、人種差別・社会的偏見に対する問題提起が作品に織り込まれるのは、ある意味では当然なのかも知れません。
 この作品が、エンターテインメントの形をとりながらも、必ずしもスッキリとした終わり方にならないのも、そのためでしょう。

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論理的には精緻で凝っているが、犯行手口などに不自然な点も多いのでは。トータルではほぼ満足。

ハヤカワ・ポケッ「予告殺人」.jpg「予告殺人」ハヤカワ・ポケットミステリ, 1956, 1972(7th).jpg予告殺人 ハヤカワ・ミステリ文庫.jpg 予告殺人 クリスティー文庫.jpg 予告殺人 ハ―パーコリンズ版.jpg 予告殺人 2002.bmp
予告殺人 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』(田村隆一:訳)/『予告殺人 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』/ハ―パーコリンズ版(1998/2002)
ハヤカワ・ミステリ(田村隆一:訳)(1956/1972(7th))

予告殺人 1953.bmp予告殺人 1963.bmp予告殺人 英国フォンタナ版.jpg 英国の田舎町である朝、地元新聞の広告欄に「殺人お知らせします」という記事が掲載される。何か面白いゲームだと思った物見高い近所の人々が、予告時間に合わせ、殺人が起きる場所に指定された女主人レティシア・ブラックロックの住まうリトル・パドックスを訪ねる。そして、まさに時計の針が予告された時刻を指したとき、銃声が響きわたる―。

英国・Fontana版(1953/1963/1980)

 1950年に刊行されたアガサ・クリスティのミステリ長編(原題:A Murder Is Announced)で、60歳にしての50作目の作品とのことですが、「クリスティ自選のベストテン」にも「日本クリスティ・ファンクラブ員の投票によるクリスティ・ベストテン」にもランクインしている作品であり、また、江戸川乱歩は、クリスティ作品の中で「面白かったもの」のべスト8に挙げていて、それらの中でも『アクロイド殺し』と並んでこの作品を高く評価をしています。
 
 「予告殺人」が実際に起きてしまったということで、最初はぐぐっと惹き込まれたけれども、登場人物が多くて、それらの会話や描写が続き、一旦はやや冗長かなあという気持ちになりかけた...。ところが途中で、実はこうした描写の中に、事件の鍵を解く伏線が張られているらしいことに気づき、改めて遡って読み直してみたりして、それでも犯人は誰か最後の最後まで分からなかったわけですが、ミステリ通やクリスティのパターンに通暁している人の中には、逆に、早々に犯人が判ってしまって意外性の乏しかったという人もいるようです。自分はホント、全然見当もつきませんでした。

予告殺人 米国ポケットブックス版.jpg この小説の最初の事件トリックは、クリスティが隣家を使わせてもらって実地検証したそうで、作品全体を通しても、論理的に精緻な構成であり、江戸川乱歩もこの点を高く評価したのではないかと思います(作中で話題となるダシ―ル・ハメットの作品にも、類似したトリックがあるが)。

 そうした意味では本格推理っぽい色合いもありますが、しいて言えば、犯人がこうしたややこしい方法をわざわざ選んだというのがやや不自然と言うか技巧的に思え、「ミステリのための手段」とでも言うか、非現実的に思えなくもない...。但し、そうは思いながらも結局のところ面白く読め、わけありの登場人物が多くいるなかで、真犯人の"意外性"にもインパクトがあったし(しかも、とってつけたような犯人ではなく、最初から物語の中心にいた人物!)、第1の殺人にもちゃんとした理由があったわけだなあと。。

米国・ポケットブックス版(1972) (Cover Illustration By Tom Adams)

 この難事件も、セント・メアリ・ミードから事件解決のために呼ばれたミス・マープルが見事に事件の背後にあるものを洞察し、「実はこうだったのよ」みたいな感じで最後にその全容を明かしてみせるのですが、人間観察に長けたミス・マープルらしい謎解きであることは認めるとして、こんなに"なりかわり(なりすまし)"がダブっていたのでは、普通の読者には見当もつかないのではないかと思いましたが、そこが面白いのでしょう。確かに凝っていると言えば凝っているし、ミス・マープル物の中でこの作品を最高傑作とする人も多いというのには頷けます。

 前半はやや冗長感があったものの(実は謎解きのヒントがいっぱいあった?)、英国の田舎町の人々の生活の様子がよく伝わってきました。物語で想定されている事件の起きた年は1949年で、こののんびりした田舎の雰囲気や暮らしぶりは、日本の昭和24年頃とは随分差がある感じ。

予告殺人 dvd.jpgマープル 予告殺人 レティシア・ブラックロック夫人.jpg こんな殺人予告記事が校閲に引っ掛かりもせず新聞に掲載されたり(ローカル紙と言うよりコミュニティ紙であり、そのあたりは鷹揚と言うか、いい加減?)、その記事によって村の人々がそこそこ興味本位で集まっても警察だけは来なかったりと(事件がまだ起きたわけではないからと言えばそれまでなのだが)、気になった点も幾つかありましたが、トータルで見れば、個人的にはほぼ満足のいく作品でした。

「ミス・マープル(第3話)/予告殺人」 (85年/英) ★★★★

予告殺人.jpgAgatha Christie's Marple - 'A Murder is Announced' (2005).jpg 「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第4話)/予告殺人」 (05年/英) ★★★☆
 

 
 
 

 【1955年ポケット版[ハヤカワ・ミステリ(田村隆一:訳)]/1976年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(田村隆一:訳)]/2003年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(田村隆一:訳)]】

予告殺人 テレビ朝日01.jpg●2018年ドラマ化 【感想】 2019年テレビ朝日でドラマ化(3年目のアガサ・クリスティシリーズで第4弾)。監督は「アガサ・クリスティ そして誰もいなくなった」('17年)、「パディントン発4時50分~寝台特急殺人事件~」('18年)と同じく和泉聖治、脚本は「そして誰もいなくなった」、'18年版の第2夜放送の「大女優殺人事件~鏡は横にひび割れて~」('18年)と同じく長坂秀佳。沢村一樹演じる相国寺竜也警部のメインでの登場は「そして誰もいなくなった」、「大女優殺人事件~鏡は横にひび割れて~」に続いて3回目(「パディントン発4時50分~寝台特急殺人事件~」では予告殺人 テレビ朝日02.jpg列車の乗客としてカメオ出演)。因みに、オリジナルは『パディントン発4時50分』『鏡は横にひび割れて」ともこの『予告殺人』と同様ミス・マープルものなので、沢村一樹がミス・マープルの役どころを演じるのはこれが2回目となる(『パディントン発4時50分』は天海祐希がミス・マープルに該当の役)。大地真央は「アガサ・クリ予告殺人 テレビ朝日03.jpgスティ そして誰もいなくなった」にも容疑者の一人として出演していたが、その時の主役級は渡瀬恒彦で、今回は彼女が主役級。「大女優殺人事件~鏡は横にひび割れて~」の容疑者の主役級が黒木瞳だったので、天海祐希(探偵役)、黒木瞳(容疑者役)、大地真央(同)と宝塚出身者が続いたことになる。沢村一樹の相国寺竜也警部役のコミカルな演技は板についた印象で、恋愛を絡ませた"お遊び"的要素も。但し、「そして誰もいなくなった」の時と同じく、本筋のストーリーは比較的原作に忠実であったのが良かった。難点は、複雑な登場人物相関を分かりやすくする狙いで容疑者全員にカタカナのにニックネームを付けたのだろうが、レーリィとかローリィとか観ていいる側までも混乱してしまいそうになったことか。

予告殺人 テレビ朝日.jpg予告殺人 テレビ朝日 00.jpg「アガサ・クリスティ 予告殺人」●監督:和泉聖治●脚本:長坂秀佳●音楽: 吉川清之●原作:アガサ・クリスティ●出演:沢村一樹/荒川良々/大地真央/室井滋月/村田雄浩/芦名星/北乃きい/ルビー・モレノ/山本涼介/吉川愛/国広富之/田島令子/村杉蝉之介/山口香緒里/和泉ちぬ/鈴木勝大/佐藤玲/大後寿々花/夏樹陽子/大浦龍宇一●放映:2019/04/14●放送局:テレビ朝日

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乱歩曰く、"メロドラマとトリックの驚異の組み合わせ"。犯人像の意外性もいい。

ゼロ時間へ ポケミス.jpg ゼロ時間へ ハヤカワ文庫.jpg  ゼロ時間へ クリスティー文庫.jpg    ゼロ時間へ ハ―パーコリンズ版.jpg ハ―パーコリンズ版
ゼロ時間へ (1958年) (世界探偵小説全集)』(田村隆一:訳) 『ゼロ時間へ (ハヤカワ・ミステリ文庫)』 『ゼロ時間へ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』(三川基好:訳)

Towards Zero.bmp 金持ちの老婦人の住む河口の避暑地ソルトクリークの別荘に夏休み滞在することになったのは、プロテニス選手の甥とその新妻及び前妻、更にその2人の女性にそれぞれ恋心を抱く2人の男たち―嫉妬や恨みが渦巻く一触即発の雰囲気の中で、老婦人が惨殺されるという事件が起きる―。

 アガサ・クリスティが1944年に発表した長編ミステリで、タイトル(原題:Towards Zero)は、物語のプロローグでミステリ好きの高名な弁護士が語る、ミステリは殺人が起きたところから始まるがそれは誤りであって、殺人は結果であり、物語はそのはるか以前から始まっている、との論に由来しています。つまり、すべてがある点に向かって集約して「その時」に至るのであって、そのクライマックスが「ゼロ時間」であると―。
"Towards Zero" (1944)

Towards Zero -Pan 54.jpgTowards Zero - Fontana.jpg 実際、この作品では殺人事件は物語の中盤過ぎに起こりますが(なかなか起きないので、最後に起きるかとも思ってしまった)、それまでに、主要登場人物の誰が犯人でああっても不思議ではないような状況が見事と言っていいまでに出来上がっていて、まず、かなり明白な状況証拠から、テニス選手の甥が第一容疑者として浮かび上がる―。

Pan Books (1948)/Fontana (1959)

 初読の際は、完全に裏をかかれました。最初、その高名な弁護士が探偵役を務めるのかと思いましたが、途中で舞台から去ってしまい...。但し、弁護士は、犯人は誰であるかを示唆していて、もう犯人は判ったつもりで読み進んでいたのですが...。

Christie TOWARDS ZERO .Fontana rpt.1981.jpg 事件の捜査にあたったのは、ポアロもので脇役登場していたバトル警視で、彼はこの作品でしか本領を発揮していないようですが、ポアロがいてくれればとか言ってボヤきながらも頑張っています。但し、本当に事件解明に繋がる鋭い閃きを見せたのは、冒頭と最後の方にしか登場しない、たまたま当地に滞在していた自殺未遂の心の傷を克服しつつある男ではなかったのかなあと。

TOWARDS ZERO .Fontana.1981

 この作品は、作者自身がマイベスト10に選んでいて、日本の「クリスティー・ファンクラブ」の会員アンケートでもベスト10に入っている作品です。因みに両方でベスト10入りしているのは「そして誰もいなくなった」「アクロイド殺し」「オリエント急行の殺人」「予告殺人」とこの作品の5つです。しかも、江戸川乱歩が選んだクリスティ作品のベスト8にも入っています。

 人間模様の描き方とミステリとしてのトリックの完成度もさることながら、もう1点個人的に感嘆したのは意外だった犯人像で、犯人は、ある種の異常者(サイコパス)だと思うのですが、こんな人物造形もあるのかと(これに比べたら、近年のサイコスリラーの犯人像は、あまりにパターンに嵌り過ぎではないか)。

ゼロ時間の謎.jpg 2007年にフランス映画としてパスカル・トマ監督により映画化されていますが(邦題「ゼロ時間の謎」)、舞台(ブルターニュ地方に改変)も登場人物も現代のフランスに置き換わっていて、90歳のダニエル・ダリューが老婦人役を、カトリーヌ・ドヌーヴとマルチェロ・マストロヤンニの娘キアラ・マストロヤンニが、テニス選手の前妻を演じています。

 映画では、事件の解決にあたるのはバトル警視ならぬバタイユ警視ですが、英国のグラナダ版では、原作には登場しないミス・マープルが事件を解決します。確かに、ポワロよりはミス・マープル向きの舞台ではあるかも知れませんが、ちょっとねえ。

ゼロ時間へ dvd.jpg第11話/ゼロ時間へ 00.png第11話/ゼロ時間へ 01.jpg
アガサ・クリスティー ミス・マープル(第11話)/ゼロ時間へ」 (07年/英) ★★★☆

 【1958年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(田村隆一:訳)/1976年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(田村隆一:訳)]/2004年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(三川基好:訳)]】

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ミス・マープルにして見れば難事件では無かった。ロマンス話もあって、雰囲気を楽しむ作品?

動く指 hpm.jpg       動く指 ハヤカワ文庫.png       動く指 クリスティ文庫.jpg
動く指 (1958年) (世界探偵小説全集)』ハヤカワ・ポケット・ミステリ『動く指 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』['77年] 『動く指 (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)』['04年] 

動く指 ハーパーコリンズ版.jpg動く指2002.bmp動く指2007.bmp 戦時中の飛行機事故で傷を負って傷痍軍人となったジェリー・バートは、療養のため妹ジョアナとともにリムストックの外れの村のリトル・ファーズ邸に住むことになり、弁護士のディック・シミントンの妻のモナ、医師オーエン・グリフィスの妹のエメ、カルスロップ牧師の妻のデインらと知り合うが、間もなく、悪意と中傷に満ちた匿名の手紙が住民に無差別に届けられるようになり、陰口、噂話、疑心暗鬼が村全体を覆うようになる。
"The Moving Finger" ハーパーコリンズ版(1995/2002/2007)

THE MOVING FINGER Dell (US) rpt.1975.jpgTHE MOVING FINGER .Fontana rpt.1986.jpg そうした中、シミントン弁護士の妻のモナが、手紙が原因の服毒自殺と思われる死を遂げる。シミントン家にはモナと前夫との娘のミーガン・ハンター、現在の夫ディックとの間の2人の子とその家庭教師のエリシー・ホーランド、お手伝いのアグネスとコックのローズが住んでいたが、事件当日はモナ以外全員が外出し、モナ一人の時に匿名の手紙が配達されて来たらしい。自殺現場には「生きていけなくなりました」とのメモがあった。そして今度は、お手伝いのアグネスの行方がわからなくなった。アグネスは行方不明になる少し前に、前の奉公先であるリトル・ファーズ邸のお手伝いパトリッジに相談があると電話していたが、約束の時間に現れず、翌朝シミントン家の階段下物置で死体となって発見される。解決を見ない事件の成り行きに、ミス・マープルに声が掛かる―。 
THE MOVING FINGER .Fontana 1986

THE MOVING FINGER Dell (US) 1975

動く指43.bmp動く指42.bmp 1943年に刊行された(米版は1942年に刊行)アガサ・クリスティのミステリ長編で(原題:The Moving Finger)、ミス・マープルものですが、ミス・マープルが登場するのはかなり後の方になったから。それも、挨拶がてら登場したかと思いきや、次に登場するのはラストで、その時には事件は解決しているけれども、その謎を解いたのはミス・マープルだったというような、「事後的説明」的な作りになっています。

Collins(1943)/Dodd Mead(1942)

 ミス・マープルのファンにすればやや物足りない展開ですが、イギリスの田舎町の人々の暮らしぶりはよく描かれているように思えました(戦時中にしては、結構のんびりしている?)。
 マープルものだからといって、事件が起きた途端に最初から彼女が登場するものばかりではなく、作品によってはこういうのもあります。こうしたバリエーションの豊かさも作者ならではで、これもまた、その力量の証なのでしょう。ミス・マープルの住むセント・メアリ・ミード村近辺でばかり事件が起きていても不自然だし、時々"出張"もしているわけです。

The Moving Finger - Pan 55.jpg動く指61.bmp動く指1971.bmp 田舎町でブラック・メールの飛び交うという、暗っぽい話のようでありながらそうでもないのは、主人公のジェリーとジョアナ兄妹の気の置けない遣り取りによってその暗さが中和されていて、その上更にそれぞれの恋愛が絡んでいたりするからでもあり、読み終えてみれば、結構ハートウォーミングな話だとも思えたりしました(この作品は、作者自身のマイベスト10に入っている)。

  Fontana(1961/1971)
Pan Books (1950)

 その分、ミステリとしてはそれほど凝ったものでもなく、村人や地元警察は暗中模索するも、ミス・マープルにしてみればお茶の子さいさいで事件を解決といった感じでしょうか。

 「動く指」というのは、まさにブラック・メールをタイプし、ポストに投函する「指」を意味していますが、この「動く」には、「何か不気味なことを引き起こす」という意味もあるとのこと。これが同時に、編み物をするミス・マープルが、こんがらがった編み物の糸口を見出すかのように事件を解決する、その「指」(手腕)にも懸っているのは、タイトルの妙と言えます。
 
動く指 2.jpg この「動く指」は、ジョーン・ヒクソンがミス・マープルを演じた〈BBC〉のTVシリーズの1作として'85年にドラマ化されていますが、最近では、「シャーロック・ホームズの冒険」や「名探偵ポワロ」で定評のある英国〈グラナダTV〉が「新ミス・マープル」シリーズの1作として'06年ドラマ化しており(マープル役はジェラルンディン・マッキーワン)、更に'09年フランスで、「ABC殺人事件」「無実はさいなむ」「エンドハウスの怪事件」と併せた4作が〈France2〉でドラマ化され、このフランス版は日本でも〈AXNミステリー〉で「クリスティのフレンチ・ミステリー」として今年('10年)9月に放映されました。

動く指 1シーン.jpg 最近のものになればなるほど原作からの改変が著しく、「クリスティのフレンチ・ミステリー」ではポワロやマープルは登場せず、彼らに代わって事件を解決していくのは、ラロジエール警視(アントワーヌ・デュレリ)とランピオン刑事(マリ動く指 dvd.jpgウス・ コルッチ)のコンビ、その中でも「動く指」は、アル中の医者に、色情狂のその妹、偽男色家の自称美術品収集家に...といった具合に、キャラクター改変が著しいばかりでなくやや暗い方向に向かっていて、一方で、随所にエスプリやユーモアが効いたりもし(この「暗さ」と「軽妙さ」の取り合わせがフランス風なのか)、また、結構エロチックな場面もあったりして(こういうのを暗示で済まさず、実際に映像化するのがフランス風なのか)、少なくとも一家団欒で鑑賞するような内容にはなっていません(この辺りが、NHKで放映されない理由なのか)。

「クリスティのフレンチ・ミステリー/動く指」●原題:LES PETITS MEURTRES D'AGATHA CHRISTIE/ LA PLUME EMPOISONNEE●制作年:2009年●本国放映:2009年9月11日●制作国:フランス●監督:エリック・ウォレット●出演:アントワーヌ・デュレリ/マリウス・コルッチ/Christophe Alévêque/Laurence Côte/Anaïs Demoustier/Cyrille Thouvenin/Catherine Wilkening/Olivier Rabourdin●原作:アガサ・ クリスティ●日本放映:2010/09●放映局:AXNミステリー(評価:★★★)

動く指 dvd2.jpg動く指 1985 02.jpg動く指 1985 01.jpg 「ミス・マープル(第2話)/動く指」 (85年/英) ★★★★
                                                                                     
                                                                                                                                      
                                                                                                                                                                                                        

アガサ・クリスティー ミス・マープル/動く指 09.jpg動く指 02.png第6話/動く指.png「アガサ・クリスティー ミス・マープル(第6話)/動く指」 (06年/英) ★★★☆
 
 

【1958年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(高橋豊:訳)/1977年文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(高橋豊:訳)]/2004年再文庫化[ハヤカワ・クリスティー文庫(高橋豊:訳)]】 

「●か G・ガルシア=マルケス」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●か 河合 隼雄」 【571】 河合 隼雄 『こころの声を聴く
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満90歳の誕生日に...。しっとりしたユーモアと明るく旺盛な生命力が感じられた。

Memoria de mis putas tristes.jpgわが悲しき娼婦たちの思い出.jpg  Memories of My Melancholy.jpg    眠れる美女 川端.jpg
わが悲しき娼婦たちの思い出 (2004)』新潮社(2006)/英語版(2005) 川端康成『眠れる美女 (新潮文庫)
スペイン語ペーパーバック(2009)

 新聞の名物コラムニストである主人公の「私」は、独身で馬面、醜男の老人ではあるが、50代までに500人超の娼婦を相手したツワモノ、但し、最近は永らくご無沙汰していて、90歳を目前にして、「満90歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしよう」と考え、密かに営まれる娼館の14歳の生娘の娼婦のもとへと通う―。

ガブリエル・ガルシア=マルケス .jpg 1982年にノーベル文学賞を受賞したコロンビア出身の作家ガブリエル・ガルシア=マルケス(1928年生まれ)が2004年に発表した中編小説(原題: Memorias de mis putas tristes)で、2010年にノーベル文学賞を受賞したペルーの作家マリオ・バルガス=リョサ(1936年生まれ)の代表作『緑の家』も、並行する複数の物語の舞台の1つが娼館でしたが、南米の娼館って、ちょっとイメージしにくかったかなあ。
ガブリエル・ガルシア=マルケス

川端康成YO.jpg むしろ、この物語に出てくる娼館は、ガルシア=マルケス自身がこの作品を書く契機となった(冒頭にその一節が引用されている)川端康成の『眠れる美女』に出てくる、秘密裏に営まれる小さな娼家に近い感じでしょうか。主人公を手引きする女主人の存在も似ていますが、『眠れる美女』の女主人の方は何だか秘密めいた感じなのに対し、こちらはいかにも"ヤリ手婆(ババア)"という感じで、ユーモラスでさえあります。
川端康成

 同様に、この主人公自身にも、老人らしからぬ活気と、何とはなしにユーモラスな感じが漂い、娼家で少女を傍らに、ずっと昔に交流のあった女達のことを想うのは『眠れる美女』の江口老人と同じですが、江口老人が自らの女性遍歴を振り返りつつ、次第に自身の老醜と死を想ってペシミスティックな情緒に浸るのに対し、この物語の主人公は、老人特有の厭世的な気分に捉われているものの、娼家通いをする内に、だんだん元気になっていくような...。

 娼家に通い始めた最初の頃こそ、少女に指一本触れられないまま一夜を明かしたりしますが、『眠れる美女』の江口老人が最後まで少女を眺めるに留まっているのに対し(冒頭の引用にあるように、少女に触れてはいけないというのが『眠れる美女』の娼家のルールなのだが)、こちらはだんだんアクティブになっていき、当初の思いを遂げるとともに、"恋狂い"になってきます。

 江口老人の少女への接し方が、ネクロフィリア(屍体性愛)乃至アガルマトフィリア(人形愛)的であるのに比べると、こちらは、健全と言えば健全。でも90歳なんだよなあ。フィクションにしてもスゴイね。

 調べてみると、川端康成が『眠れる美女』を書き始めたのは60歳の頃で、江口老人は67歳という設定、一方、ガルシア=マルケスがこの作品を発表したのは76歳で、主人公は90歳、相手にする少女は何と14歳。ラテン系民族と日本人の気質の違い(肉食系 vs.草食系?)を感じます。

 この老人、少女との恋愛記を新聞の日曜版(!)に書いて好評を博したり、娼家で起きた有名人の殺人事件に巻き込まれ、行方をくらました少女のことを案じたりと、90歳にして、なかなか忙しそうです。

 そう言えば、『眠れる美女』の中にも、同じ娼家で有名人が亡くなり、女主人が事件を秘匿する手配をした挿話がありましたが、ここまで『眠れる美女』のモチーフをなぞっておきながらも、老人のタイプとしては、両作品の主人公はかなり異なり、この物語の主人公は、生へのエネルギーを充満させて91歳を迎え、更に100歳に向け明るく未来を見据えています(ラテン気質か)。

 少女娼婦相手ということで、フェニミズム的に見てどうかというのもあるかも知れませんが(メキシコの映画会社がこの作品を映画化しようとしたら、小児性愛や児童買春を美化することになるとして、市民団体が反対したそうだ)、個人的には、しっとりした(微笑ましい)ユーモアと明るく旺盛な生命力が感じられた作品でした。

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幻想短編集だが、前半部分は日本の純文学みたいで、後半は南米的。「六時に来た女」が面白い。

青い犬の目(単行本).jpg   青い犬の目(文庫).jpg        青い犬の目 1997.jpg
青い犬の目』['90年]/『青い犬の目―死をめぐる11の短篇 (福武文庫)』['94年]/スペイン語ペーパーバック(1997)

 しばらく前まで、自分が死んだものだと信じきっていたので、彼は幸せだった。死者という、動かしようのない状況に置かれているので、幸せなはずだった。ところが生者というものは、すべてを諦めて、生きたままで地中に埋められるわけにはいかないのだ。それなのに四肢は動かそうとしても、全く反応しない。彼は自分自身を表現できず、そのことが彼の恐怖を一層つのらせた。生と死の最大の恐怖だった―。(「三度目の諦め」)

 1962年に刊行されたガブリエル・ガルシア=マルケスの初期短編集(11編を所収)ですが、実際にこれらの作品が書かれたのは、1955年に刊行された短編集『落葉』とほぼ同じ頃のようです。

 冒頭の「三度目の諦め」は、7歳の少年の頃に死んでから、棺桶の中で生きる屍として成長し続けた男が、25歳となってこれ以上の成長しなくなると、それまで彼の面倒をみていた母親が面倒をみることをやめ、彼は自らの死をやっと受け容れるというミステリアスな話。

 死んでからも意識があるという設定は、吉村昭の初期作品「少女架刑」などを想起させられましたが、ガルシア=マルケスって最初の頃は、こうしたカフカ的な、乃至は、日本の純文学によく見られるような幻想的な、或いは意識過剰な作品を書いていたのだなあ(大江健三郎―村上龍―金原ひとみ・吉村萬壱 etc...といった流れに見られるような。吉村昭も初期は純文学系だったし)。

青い犬の目 ペーパーバック.jpg 文庫版の副題にあるように、以下、主に死をモチーフとした作品が続きますが、「青い犬の目」と言ってくれる男を捜している女と、そういう女を探していた「ぼく」との会話を描いた表題作「青い犬の目」を分岐点に、後半部分の作品は少し毛色が変わって、ホセのレストランに毎晩6時に来る女とホセとの会話を綴った「六時に来た女」などは、ヘミングウェイの「殺し屋」のみたいなハードボイルド・トーンで(これは"幻想短編"というこの短編集全体のトーンからも外れているが)、それでいてペーソスを含んだストーリーが面白かったです(結局、この話に出てくる女は男に何を頼んでいるかというと、○○○○作りなのだ)。

スペイン語ペーパーバック

 その他では、少年の時に馬に蹴られ頭がおかしくなって馬小屋に閉じ込められている黒人と、彼がいつも蓄音機をかけてあげていた精神異常の少女の繋がりを描いた「天使を待たせた黒人、ナボ」や、イシチドリに襲われて目が見えなくなった3人の男達の話「イシチドリの夜」などが、南米風の説話的な雰囲気の中にも切ないユーモアがあって、個人的には好みでした。

 最後の「マコンドに降る雨を見たイザベルの独白」などは、そのまま『百年の孤独』の中の一挿話としてあってもおかしくないトーン。
 それらの後半部の作品に比べると、前半部の作品は、いかにも「習作」という感じがしなくもないですが、ガルシア=マルケス研究者にとっては多分、前半の作品が「注目」なのだろうなあ。
 作品の性質的にも順番的にもその中間にある「青い犬の目」が、この短編集の表題になっているということなのか。

 【1994年文庫化[福武文庫(『青い犬の目―死をめぐる11の短篇』)]】 

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記者時代の小説っぽいルポルタージュ集。「杭につながれて四年」などはまさに奇譚。

幸福な無名時代.jpg 幸福な無名時代 文庫.jpg
幸福な無名時代 (NONFICTION VINTAGE)』['91年] 『幸福な無名時代 (ちくま文庫)』['95年]

 コロンビア出身の作家で、新聞記者出身でもあるガブリエル・ガルシア=マルケス(1928年生まれ)が、1958年当時、雑誌記者(特派員)として隣国ベネズエラの首都カラカスに滞在した際に遭遇した、ぺレス・ヒメネス独裁政権の崩壊と当時の民衆の生活に取材したルポルタージュ。

 作者の「ジャーナリズム作品全集」から13本の記事を抜粋して訳出されていますが、何れも、1958年の1月から8月までのほぼ半年間に書かれたものであり、この年のベネズエラは、1月の独裁政権崩壊後も、8月に今度は軍事クーデターの企てがあるなど、騒乱が続いていたようです。

 欧米の大手通信社の取材力や速報性に一雑誌記者としてはとても太刀打ちできないと考えたガルシア=マルケスは、客観報道は自らもそれら通信社のものを参照し、政変等で動きまわった政治家や司祭など、個々の人物に焦点を当て、人間ドラマとして記事を再構築することを意図していたようです。

 確かに、ポリティック・ダイナミクスで動く政変絡みの記事も、彼の手にかかると、1人1人の人物が関与した人間ドラマになる―しかも、この約半年の間でも、後になればなるほど小説っぽくなっていくのが窺えて興味深いです。

 但し、個人的により面白かったのは、政治事件を扱ったものよりも、社会的事件や市中の珍しい話を取り上げたものであり、「杭につながれて四年」などはまさにそう。
 妻と喧嘩して家を飛び出した若者が30年ぶりに家に戻った話で、家を出てから農園で出稼ぎ労働していたら、インディオに囚われ杭につながれて4年を過ごし、そこを逃れてからも各地を転々とし、戻ってみると、生まれたことも知らなかった子に孫ができていたという―何だか『百年の孤独』にありそうな話だなあ。

 「潜伏からの帰還」という、反政府革命のリーダーが、捕まった後、完璧な脱獄を遂げ、避暑地で悠々と日光浴をし、ホテルのダンス・ホールで踊り、豪華客船に乗り込んだと思いきや、今度は、映画館から出てきたりして、女性と民衆に助けられながら、逃げおうせてしまうという話もスゴイ。 
 何だか、こうした「事実は小説より奇なり」みたいな話が好きそうだなあ、この人。
 
 「1958年6月6日、干上がったカラカス」は、年初からの降水量の減少で貯水池の水量が減り続け、5月、6月に入っても雨は一滴も降らず、水不足により人々の生活が混乱する様を切実に描いていますが、この記事は実は4月に書かれていて、フェイクに近いある種「パニック小説」みたいなものであり、一方で、こうしたスタイルを通して、社会構造やインフラの問題点を浮き彫りにしているわけです。

 生活のために記事を書いているけれども、創作の方へ行きたくて仕方がない、むしろ、創作のトレーニングとして記事を書いている風が窺えるのが興味深いです。

 因みに、この頃は既に、彼の第1短編集『落葉』は発刊済みで、ベネズエラへの移住にはその印税の一部が充てられていたそうですが、後にノーベル文学書を受賞するこの作家の当時の暮らしぶりは、「時間はあるは金が無い」状態だったそうです(原題は「私が幸福で無名だった頃」)。

 【1995年文庫化[ちくま文庫]】 

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カットバック構成は見事。推理小説っぽさもあるが、謎が解けないところが「文学」的乃至「神話」的?
予告された殺人の記録00_.jpg予告された殺人の記録.jpg  予告された殺人の記録 新潮文庫.jpg   予告された殺人の記録 1998.png 予告された殺人の記録 2006.jpg
予告された殺人の記録 (新潮・現代世界の文学)』['83年] 『予告された殺人の記録 (新潮文庫)』['97年]スペイン語ペーパーバック(1998/2006)

 カリブ海沿岸ボリビアの閉鎖的な冠婚葬祭。町をあげての婚礼は、衆人環視のカーニバルである。嫁入り前の妹を傷モノにされていた事実を突き止めた双子の兄弟は、妹の相手サンティアゴ・ナサールの殺害を宣言していた―。

 1981年にコロンビア出身の作家ガブリエル・ガルシア=マルケス(1928年生まれ)が発表した中編小説で、『百年の孤独』のような幻想的な文学作品とは異なり、まさに「記録」文学のような文体であり、初期の『幸福な無名時代』に収められているルポルタージュ的作品の文体に似ていると思いました。もともと新聞記者から作家になった人ですが、『幸福な無名時代』に収められているものは1958年に発表された文章で、そこにまた回帰しているのが興味深いです。

 〈わたし〉がかつて住んでいた田舎町で30年前に起きたこの事件は、〈わたし〉の友人サンティアゴ・ナサールが、犯人も場所も時間も殺害方法も動機に至るまで、その町の住人のほとんどに予め知らされていた中で、本人だけがそのことを知らされずに、兄弟にめった斬りにされ惨殺されたというもので、この事件を〈わたし〉が、当時の関係者や記録を調べ、何があったのかを明らかにしようとするという体裁をとっています。

予告された殺人の記録 映画.jpg 事件の経過を、5つの視座・視点で再構成しているため、カットッバック的にそれらが重なり、手法的には丁度、娯楽映画であるスタンリー・キューブリックの「現金に体を張れ」('56年)や、クエンティン・タランティーノの「パルプ・フィクション」('94年)を想起しました。

 確かに文学の世界でこの種のカットッバック手法はあまり使われていないように思いますが、この作品はある意味、エンタテインメントなのかも(本国でもこの小説は、作者の他の作品よりも大きな活字で出版されているらしい)。

 因みに、この作品自体も1987年にフランチェスコ・ロージ監督によりイタリア・フランス合作映画化されています(出演:ルパート・エヴェレット/オルネラ・ムーティ/ジャン・マリア・ボロンテ)。

 構成はとにかく見事。最後の最後に被害者の死の場面が出てくるのが衝撃的で、「腸に泥がついたのを気にして、手で落としたほどだったよ」というのが生々しく、これが語り部を通して語られることで、時間を超えた神話のような雰囲気を醸しているのが、いかにもガルシア=マルケスといったところでしょうか。

 誰もがサンティアゴ・ナサールが殺されることを知っているにも関わらず、誰もそのことを彼に教えない、しかも兄弟達は、ホントは復讐殺人なんかしたくないのに誰も止めてくれないのでやらざるを得なくなってしまっている―というのは、まさに共同体の悲劇であり崩壊の予兆でもあるという、そうした点でも、作者の他の作品に繋がるテーマを孕んでいると言えるかも知れません。

 但し、個人的にはむしろ、推理小説的な面白さを強く感じ、もしもサンティアゴ・ナサールが加害者だとすれば、当然罪の意識はあろうかと思われ(元来いい人みたいだし)、全く疾しさも身の危険も感じること無く翌朝から町中へ出かけるとは考えにくく、一方、「傷モノにされた妹」は、当夜サンティアゴ・ナサールを加害者として名指ししつつも、何年もたってからの<わたし>の問いに対しては、何も語ろうとはしない―だから、この謎は解けないのですが、解けないところが「文学」乃至は「神話」なのかなあ(解けてしまえば「推理小説」そのものになってしまうのかも)。
 
 【1997年文庫化[新潮文庫]】 

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「男系/女系/非嫡子系」複合の家系小説? 構成力と無数の挿話が醸す不思議な力に圧倒された。

百年の孤独 新潮社.jpg百年の孤独 改訳版.jpg 百年の孤独 2006.jpg  Gabriel GarciaMarquez.jpg Gabriel Jose Garcia Marquez
百年の孤独 (新潮・現代世界の文学)』['72年]『百年の孤独』['99年]『百年の孤独』['06年]

百年の孤独 1976.jpg 1967年に発表されたコロンビア出身の作家ガブリエル・ガルシア=マルケス(1928年生まれ)の代表的長編小説で、ホセ・アルカディオ・ブエンディアとウルスラの夫婦を始祖とするブエンディア一族が蜃気楼の村マコンドを創設し、隆盛を迎えながらも、やがて滅亡するまでの100年間を描いています。

"Cien Años de Soledad"(1967)

 寺山修司(1935-1983)が「旅芸人の記録」('75年/ギリシャ)の監督テオ・アンゲロプロス(1935-)との対談で、この小説を話題にして2人で盛り上がっていた記憶があり、「旅芸人の記録」の日本公開が1979年ですから、多分その頃のことだと思います。

 松岡正剛氏は、寺山修司からこれを読まないかぎりは絶交しかねないという勢いで読むことを勧められていたものの手つかずでいたのが、後になって読んでみてもっと早く読むべきだったと思ったそうです。
 今回が初読であった自分も、同様の後悔をしました(圧倒されるような海外文学作品に新たに出会えたという点では、ある意味で僥倖とも言えるが)。

百年の孤独 png 「マコンド」は作者が創作した架空の村ですが(時折出てくる実在の地名からすると、コロンビアでもカリブ海よりの方か)、こうした設定は、作者が影響を受けた作家の1人であるというフォークナーが、『八月の光』などで「ジェファソン」という架空の町を舞台にストーリーを展開しているのと似ています。

スペイン語ペーパーバック(1999)

 様々な出来事が、しかもその一片で1つの小説になりそうな話がどのページにもぎっしり詰まっていて、その中には、ジプシーが村に持ち込んだ空飛ぶ絨毯とか、洗濯物のシーツと一緒に風で飛ばされて昇天してしまった美人娘とか、死者と会話する子とか、かなりシュールな挿話も多く含まれています。

 この作品は、マコンドの100年を描いたという以上に、7世代に渡るブエンディア一族の物語であるように思われ、新開地での村の創設を思い立ったホセ・アルカディオ・ブエンディア(個人的には、セルバンテスのドン・キ・ホーテと少し似ているところがあるような気がした。妄想癖だけでなく、実行力がある点がキ・ホーテと異なるが)を皮切りに、次々と個性的な人々が登場します。

百年の孤独 ペーパーバック.bmp そして、その息子兄弟であるホセ・アルカディオとアウレリャノ・ブエンディア大佐(「長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになった」と冒頭にあり、『予告された殺人の記録』と似たような書き出しなのだが...)に代表されるように、マッチョで粗暴な一面と革命家としてのヒロイック資質が、更には一部に学究者または職人的執着心が、同じくアルカディオ乃至アウレリャノと名付けられる子孫たちにそれぞれ引き継がれていきます。

スペイン語ペーパーバック(2006)

 となると、一見「男系小説」のようですが、一族の男たちは、放蕩の旅に出て、或いは革命の英雄となって村に戻ってくるものの、晩年は抜け殻のような余生を生きることになるというのが1つのパターンとしてあり、一方、ウルスラを初めとする女性たちは、その子アマランタにしても、更に2世代下った姻族に当たるフェルナンダしても、むしろこちらの方が一族を仕切る大黒柱であるかのように家族の中で存在感を示し、その資質もまた、ウルスラ乃至アマランタという名とともに引き継がれていきます。

百年の孤独 jpg ウルスラが120歳ぐらいまで生きて、一族の歴史に常に君臨しており、そうした意味ではむしろ「女系小説」言えるかも知れませんが、更に、ピラル・テルネラというホセ・アルカディオとアウレリャノ・ブエンディアの第2世代の兄弟両方と関係して一族の家系に絡む女性がいて、この女性もウルスラと同じくらい長生きします。

スペイン語ハードカバー(2007)

 同じように第4世代のセグンド兄弟と関係するペトラ・コテスという女性が出てきますが(兄弟の兄の名はホセ・アルカディオ、弟の名はアウレリャノということで、ややこしいったらありゃしないと言いたくなるが)、ここにも一定のフラクタル構造がみてとれます(「非嫡子系」とでも言うべきか)。

 村に文明の利器を持ち込んだジプシー、メルキアデスの「一族の最初の者は樹につながれ、最後の者は蟻のむさぼるところとなる」という予言が当たったことを第6世代のアウレリャノ・バビロニアが知ったとき―。

 いやあ、凄い構成力。作者は、本書出版後に、「42の矛盾」を見つけたが再販でも修正せず、「6つの重大な誤り」については、誰一人それを指摘する人がいなかったと言っていますが、この辺りの言い草は、作者のユーモアある茶目っ気ではないかなあと(それを探そうとするフリークがいるかも知れないが)。

One Hundred Years of Solitude.jpg 細部の構成力もさることながら、ちょうどエミール・ゾラの『居酒屋』、『ナナ』、『ジェルミナール』などの作品群がルーゴン家、マッカール家など3つの家系に纏わる5世代の話として位置づけられる「ルーゴン・マッカール双書」のようなものが、『百年の孤独』という一作品に集約されているような密度とスケールを感じます(運命論的なところもゾラと似ている。ゾラの場合、彼自身が信じていた遺伝子的決定論の色が濃いが)

英語版ハードカバー

 よくもまあ、こんなにどんどこどんどこ奇妙な話が出てくるものだと感嘆させられますが、それらの1つ1つに執着せず、どんどん先に進んでいく―そのことによって、壮大な小宇宙を形成しているような作品とでも言うべきか。

ガルシア・マルケス.jpg 神話的または伝承説話的な雰囲気を醸しつつも、それでいて読みやすく、人の生き死にとはどういったものか、一族とは何か(大家族を扱っている点では、近代日本文学とダブる面もある?)といったことを身近に感じさせ考えさせてくれる、不思議な力を持った作品でもあるように思いました。

ガルシア・マルケス

 【1972年単行本・1999年改訳版・2006年改装版[新潮社]】 

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「死者の町」に来た若者。「おれ」自身の事実が明らかになるところが衝撃的且つ面白い。

ペドロ・パラモ 単行本.png ペドロ・パラモ iwanami.jpg  pedroparamo2007.jpg  Juan Rulfo.jpg Juan Rulfo(1917-1986)
ペドロ・パラモ (1979年) (岩波現代選書)』『ペドロ・パラモ (岩波文庫)』['92年]pedroparamo[2007]
"PEDRO PARAMO"(1966)
Pedro Paramo.jpg 「おれ」(フアン・プレシアド)は、母親が亡くなる際に言い遺した、自分たちを見捨てた父親に会って償いをさせろという言葉に従い、顔も知らない父親ペドロ・パラモを捜しに、コマラの町に辿りつくが、町には生きている者はなく、ただ、死者ばかりが過去を懐かしんで、蠢いているだけだった―。

 1955年にメキシコの作家フアン・ルルフォ(Juan Rulfo、1917-1986)が発表した作品で、ルルフォは、この『ペドロ・パラモ(Pedro Páramo)』(1955年)と、短編集『燃える平原(El llano en llamas)』(1953年)の2冊だけしか世に出しておらず、それでいて高い評価を得ているという希有な作家です。

 最初、「おれ」がコマラの町に入ったばかりのころは、何となく死者たちの"ささめき"が聞こえる程度だったのが、そのうち、死んで今はいないはずの人が出てきたりして、生きている人と死んでいる人が「お前さん、まだ、さまよっているのかい」みたいな感じで会話したり交わっているような町であるらしいと...それが次第に、町で暮らす人は全て死者であるらしいということが明らかになってきます。

 作品を構成する70の断片の中にある死者同士の会話などを通して、町のドンであったペドロ・パラモの狡猾で粗暴な一面と、スサナという女性を愛し続けた純な一面が浮き彫りになります。
 また、ペドロ・パラモには、「おれ」のほかに、ミゲル・パラモとアブンディオという息子がいて、ミゲル・パラモを事故で亡くしていて、「おれ」を最初に町に案内してくれたアブンディオも実は死者であった...。

 何だか、時代劇を観ていて、ある程度感情移入したところで、ふと、この人たちは、今は皆死んでいるんだなあという思い捉われる、そうした感覚に近いものを感じました。
 そして、この物語は、主人公である「おれ」自身が今どうなのかということが明らかになるところがかなり衝撃的で(面白いとも言える)、その辺りから、この「おれ」は誰に対して物語っているのか(それまでは当然、読者に対してであると思って読んでいたわけだが)、物語の読み方そのものが変わってきます。

 更に、物語の主体は、ペドロ・パラモであったりスサナであったりと移ろい、詰まる所、コマラという町自体が、物語の主体であることを印象づけるとともに、アブンディオが終盤に再登場することで、この話は時間的な円環構造になっていることを示唆しています(「死者」は直線的な時間には拘束されていないが、この円環からは抜け出せないということか)。

 訳者の杉山晃氏(1950年生まれ、スペイン文学者。氏の「ラテンアメリカ文学雑記帳」というWEBサイト(ブログに移行中?)は、色々な作家の作品を紹介していて面白い)の文庫版解説によると、1980年に行われたスペイン語圏の作家や批評家によるラテンアメリカ文学の最良の作品を選ぶアンケートで、この『ペドロ・パラモ』は、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』(1967年発表)とトップの座を分かち合ったとのことですが、長さ的には『百年の孤独』よりずっと短いけれど(『ペドロ・パラモ』は文庫で200ページほど)、印象に残る作品であることには違いありません。

ペドロ・パラモ 家系図.jpg 個人的には、片や「死者の町」コマラが舞台で、片や「蜃気楼の町」マコンドが舞台というのが似ている気がし(『ペドロ・パラモ』の方が発表は12年早く、その意味ではより先駆的かも)、また、片やペドロ・パラモという町のドンが登場し、片やホセ・アルカディオ・ブエンディアという族長的リーダーが登場するという、更には、そこに端を発する極めて複雑な家系図を成すといった、そうした類似点が興味深かったです(『ペドロ・パラモ』の方の家系図は、もう、何が何だかよくわからないくらい錯綜していて研究対象になっているようだ)。

 この作品は、メキシコの映画製作配給会社が、2007年にマテオ・ヒル監督により、メキシコのイケメン俳優ガエル・ガルシア・ベルナル主演で映画化すると発表しましたが、その後どうなったのか。『ペドロ・パラモ』はこれまでにメキシコ人監督によって3度映PEDRO PARAMO 1966 1.jpgPEDRO PARAMO 1966 2.jpg画化されていて、カルロス・ベロ(Carlos Velo)監督(1966年)、ホセ・ボラーニョス監督(1976年)、サルバドール・サンチェス監督(1981年)の何れの作品も日本未公開(主にメキシコとスペインで公開)ですが、1966年のカルロス・ベロ版はインターネットで観ることが可能です(オープニング・シーンに味わいがある)。

"PEDRO PARAMO" de Carlos Velo (1966)(英字幕入り・部分)
 Pedro Paramo video.jpg

 【1992年文庫化[岩波文庫]】

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「バベルの図書館」「円環の廃墟」など、カフカ的な作品が目白押しの短編集。やや難解?

ボルヘス 伝奇集  単行本.pngボルヘス「伝奇集」』['90年]ボルヘス 伝奇集 iawa.jpg 『伝奇集 (岩波文庫)』['93年]

 1960年代のラテンアメリカ文学ブームの先鞭となった、アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘス(Jorge Luis Borges、1899-1986)の代表的短編集(原題:Ficciones)で、1941年刊行の『八岐(やまた)の園』と1944年刊行の『工匠集』を併せたものですが、全17篇の中では、「バベルの図書館」と「円環の廃墟」が有名です。

バベルの図書館.jpg 「バベルの図書館」(原題: La biblioteca de Babel )は、その中央に巨大な換気孔をもつ六角形の閲覧室の積み重ねで成っている巨大な図書館で(図書館職員だった作者自身が勤めていた図書館がモデルとされている)、閲覧室は上下に際限なく同じ部屋が続いており、閲覧室の構成は全て同じであるという不思議な構造をしています。

 蔵書は全て同じ大きさで、どの本も1冊410ページ、1ページに40行、1行に80文字という構成であり、本の大半は意味のない文字の羅列であって、全て22文字のアルファベットと文字区切り(空白)、コンマ、ピリオドの25文字しか使われておらず、同じ本は2冊とないということです。

 司書官たちは外に対する意識は無く(この図書館には出口がない)、生涯をここで暮らし、死ぬと中心の六角形の通気孔に投げ入れられ、そこで無限に落下しながら風化し、塵すらも無くなるといいます。

 主人公(ボルヘス?)は、この図書館を「宇宙」と呼び、図書館が無限で周期的であることが、唯一の希望であるとしていますが、個人的には、この図書館は何を意味しているのかを考えると際限が無くなり(「システム」とか「機構」といったものにも置き換えられるし、「都市」や「生命組織体」、更には「インターネット」にも擬えることは可能かも)、イメージとしては面白いけれど、やや茫漠とした印象も残りました。

円環の廃墟Ⅱ.jpg 作者に言わせると「カフカ的作品」とのことですが、それを言うなら、「円環の廃墟」(原題:Las ruinas circulares)もそれに近いように思われ、ここでは詳しい内容は省きますが(要約不可能?)、「城」とか「流刑地にて」に似ていて、夢の中で彷徨しているような作品です。

「円環の廃墟Ⅱ」星野美智子(リトグラフ)

 他にも、こうした不条理な作品が目白押しで、これらを1回読んだだけで理解できる人は、相当な読解力・抽象具現力の持ち主ではないでしょうか(自分はその域には達していないため、評価は"?"とした)。

borgesbabel.jpg 一方で、「死とコンパス」のような推理小説仕立ての作品もあって、これは、連続殺人事件を追う辣腕刑事が、事件現場であるA、B、Cの3地点と事件の起きた日時から、第4の殺人がいつどこで起きるかを推理し、現場にかけつける―という、何となく親しみやすいプロットで(アガサ・クリスティの『ABC殺人事件』みたいだなあ)、意外性もあります(この作品は1997年にアレックス・コックス監督・脚本、ピーター・ボイル主演のミステリとして映画化されている)。でも、形而上学的なモチーフ(味付け?)と一定のアルゴリズムへの執着という点では、この作品も「バベルの図書館」に通じるものがあるかな。

 因みに、国書刊行会の文学全集で、「バベルの図書館」シリーズと名付けられているものがあります。

 【1993年文庫化[岩波文庫]】 

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とことん追い詰められ、屈辱にまみれたルパンを奮い立たせたものは...。新訳で読めるのがいい。

水晶の栓.jpg 『水晶の栓 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』['07年] Arsène Lupin le bouchon de cristal.jpg "Arsène Lupin le bouchon de cristal" リーブル・ド・ポッシュ版 1974

Arsene lupin ; le bouchon de cristal. Maurice Leblanc.jpg 政界の黒幕ドーブレック代議士の別荘に押し入ったルパン一味だが、計画を立てた部下のジルベールとヴォシュレーはなぜか「水晶の栓」を探し回り、ヴォシュレーは殺人まで犯してしまって部下2人は逮捕され、共に死刑を宣告されてしまう。ルパンは、ドーブレックが疑獄事件に関与した人物のリストを握って政界に恐喝を繰り返し、そのリストを「水晶の栓」の中に隠していることを知り、自らが可愛がっていた青年ジルベールを奪還すべく、ジルベールの母クラリスと共に「栓」を探し求めるが、ドーブレックに手玉にとられるかの如く翻弄され続け、一方、ジルベールらの死刑執行の日は刻々と迫りくる―。

 Arsene lupin ; le bouchon de cristal. (リーブル・ド・ポッシュ版(原書表紙復刻版))

 「アルセーヌ・ルパン・シリーズ」の1909年の『奇岩城』、1910年の『813』に続いて1912年に刊行された長編で(原題:Le Bouchon de cristal)、どれも作品内容が充実していて、しかもこの間にルパンを主人公とした短篇も書いているから、モーリス・ルブラン(1864-1941)は、長いルパン・シリーズの著作活動の中でも、この頃まさに絶頂期にあったと言えるのではないでしょうか。

 ドーブレックは(この作品にしか登場しないが)シリーズ中でもルパンにとって最強の敵とされていて、彼はとにかく常にルパンの先を行き、残り4分の1ぐらいからルパンが反攻に転じるかと思いきや、すぐにまたルパンは窮地に追いやられ、死刑執行予定日の2日前ぐらいから、今度こそアドバンテージを握ったかと思いきやこれもまた頓挫、さらに執行の数時間前に逆転のチャンスを握ったかと思ったらこれもダメで、遂には死刑がまさに執行されようとするところまでいってしまいます。

 最後に追い詰められたルパンは、「もうあきらめよう!完敗じゃないか」「負けたのは、おれのほうさ。ジルベールを助けられないのだから」と悔し涙を流し、死刑執行の前夜には睡眠薬を飲んで寝てしまいます。
後日ルパンは、この事件を「水晶の栓、あるいは、決してあきらめてはならないわけ」と呼ぶのですが、6ヵ月続いた「不運と失敗、暗中模索と敗北」を、最後の12時間でよく取り戻したなあと(よく起きたね。部下に起こされたみたいだけど)。

 他の作品にも見られますが、ルパンが巨悪に翻弄される姿を描いてまず読者をルパン側に引き付けるのが旨く、とりわけこの作品のルパンはしょっちゅう血が頭にのぼっていて、敵役の方が、タイプこそ違いますが、まるでルパンのように傲岸かつ超人的であり、ルパン本人を繰り返し屈辱のどん底に陥れます。
 しかも、終盤に入ってもどんでん返しの連続で始終ハラハラドキドキさせるのは、この作品が新聞連載小説であったことにもよるようですが、読者へのサービス精神が極めて旺盛であるように思いました。

 ルパンは殆どの作品で部下を使い、その数は数十人に及ぶようですが、この作品では、不良部下や造反を起こす部下が現れるのが興味深く、また、その不良部下が殺人を犯したときに、自分は血を見るのは嫌いだと言って怒り心頭に発する一方で、まさにその不良部下ヴォシュレーを撃ち殺すという行動に出るのは、シリーズの中でも特異かも(但しそれは、ジルベールを助けるための最後の手段であり、ヴォシュレーも断頭台によって殺されずに済んだことを感謝して死んでいくので、整合性はとれているともとれるが)。

 ルパンのジルベールに対する愛情はわが子に対するように深く、また、その母親であるクラリスに対しては、無意識に恋心を抱いていたことを事件後に自覚するわけですが(『カリオストロ伯爵夫人』のクラリスとは別人で、この作品で30代前半のルパンより年上)、絶望的な状況下でジルベール奪還に向けてルパンを奮い立たせている最大の要因は、それら以上に、自分が「アルセーヌ・ルパン」であることに尽きるのではないでしょうか。

 この作品でルパンは何度も己の無力を痛感して打ちひしがれますが、最後は、この「アルセーヌ・ルパン」であるという誇りによって這い上がってくる―ルパンの感情の起伏がよく描かれているだけに、それはまるで、アルセーヌ・ルパンという「名前」にとことん献身する、生身の男を描いているようにも思えました。

 スエズ運河建設で知られるレセップスの、パナマ運河建設の際の疑獄事件に材を得た作品ですが、少年(青年?)探偵が活躍する『奇岩城』よりは大人向けかも。
 「大人向け」の翻訳を目指したという平岡敦氏の新訳は読み易く、シリーズの翻訳がこの作品で止まっていて、『813』の新訳刊行に至っていない現在においては、最もお薦め出来る1冊ではないかと思います。

 【1960年再文庫化[新潮文庫(堀口大學:訳『水晶栓』)]/1965年再文庫化[創元推理文庫(石川湧:訳)/2005年再文庫化[ポプラ社文庫(南洋一郎:訳『古塔の地下牢』)]/2007年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(平岡敦訳)/2009年再文庫化[ポプラ社怪盗ルパン文庫版(南洋一郎:訳『古塔の地下牢』)]】

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