2023年1月 Archives

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連作の繋がり方が上手いなあと。最後は「恢復する家族」の物語のように思えた。

IMG_20230531_145526.jpg  第167回「芥川賞」授賞式.jpg
夜に星を放つ』 第167回「直木賞」「芥川賞」受賞の窪美澄・高瀬隼子両氏

 2022(平成4)年上半期・第167回「直木賞」受賞作で、5つの短編か成ります。

【真夜中のアボカド】
 私(綾)は婚活アプリで恋人を探し始めて半年経った頃に、麻生さんという好印象の男性と出会った。麻生さんとならうまくいくかもしれない、そう思ってた矢先にコロナ禍で自粛期間に入った。「アボカドの種から芽が出るかな」と思ったのも、その頃だった。私には双子の妹の弓ちゃんがいたが、彼女は脳内出血で突然亡くなった。ある日、弓ちゃんの恋人だった村瀬くんから連絡が入り、久々に再会することに。そこで私は弓ちゃんもかつてアボカドの種を植えていたことを知る―。

 ストーリーが進むと、主人公(綾)の抱える事情が見えてきます。主人公が抱える過去も、恋の顛末も、(小説的には)さほど珍しいものではないですが、読んでいるうちに主人公に感情移入させられ、最後囚われていた過去から足を踏み出す姿を応援したくなるようにさせているのが上手いところ。それにしても○○はいい加減な男だったなあ(まあ、現実によくあるパターンだが)。

【銀紙色のアンタレス】
 16歳になったばかりの僕(真)は、田舎のばあちゃんの家でこの夏を過ごすことにした。僕は海が大好きで、ばあちゃん家の近くの海で毎日夕方まで遊ぶ。夕暮れの海を眺めていた時、小さな赤ちゃんを抱っこしていた女の人が気になり、声をかけた。僕が遊びに行っているばあちゃんの家に、一泊しに来ていいか?と幼馴染の朝日から連絡が入る。しかし僕は朝日よりも、浜辺で見た女の人が悲しげだったのが気になっている。そんな折、その女の人がばあちゃん家に来ていたのを知って―。

 海で泳ぐことを目的に祖母の家に行った高校生男子(真)が、小さな子供のいる女性を好きになる一方で、主人公を追いかけてやってきた幼馴染の少女(朝日)にも仄かな想いを抱かされる―。失恋二重奏という感じですが、ラストで主人公が海で感じた重力は、彼にとっての人生の重さでしょう

【真珠星スピカ】
 学校でいじめられ保健室登校をしている中学一年生も私(みちる)のもとへ、2カ月前に交通事故で亡くなった母が幽霊として現れる。父親には母親の姿は見えていないらしい。父には母の幽霊が見えているとは言わずに、私は無言の母と家の中で生活していく。私は学校で「狐女」と罵られるなど、いじめの標的にされている。ある日いじめグループの主犯格の女子が、私に対して「この子のそばになんかいる」と言ったことから、クラスメイトの私に接する態度が変わっていき―。

 出たあ、浅田次郎ばりの幽霊譚―という感じですが、直木賞選考委員の三浦しをん氏は「幽霊を、どこまで『(作中において)リアルなもの』と受け取っていいのか、少々判断に迷った」とコメントしていました。担任の船橋先生が「いい人」でありながら、結局みちるがいじめれれる原因みなっている皮肉。保健室の三輪先生が「良い人です、って言われる人って大概悪人だよ」とい冗談まじりで言っているのが真理をついていました。

【湿りの海】
 僕(沢渡)の別れた妻と娘は今、アリゾナに住んでいる。妻の浮気が原因で離婚して、今は日曜の深夜に娘とビデオ通話するだけの関係になっていた。遠くで生活する2人のことを僕は度々思い出し、未練がましい日々を送っている。そんなある日、隣の部屋にシングルマザーと女の子が引っ越してきた。女の子は僕の娘と歳が近く、名前も似ている。僕はやがて日曜に、その二人と公園で過ごすようになる。海に行きたいと嘆く女の子を、僕は車で連れて行く約束をした―。

 離婚した妻が娘を連れてアメリカに行ってから、前に進めないでいる主人公ですが、結局、最後、前に進むことが出来たのは、シングルマザーをはじめとする彼の周囲の女性たちで、主人公は一時いきなり"モテ男"になったけれど、結局、今までの場所に置き去りにされたという感じだったなあ。作者は大人の男性の主人公にはほろ苦い結末を持ってくる傾向がある?

【星の随に】
 小学四年生の僕は、新しいお母さんのことをいまだに「お母さん」と呼べずに「渚さん」と呼んでいた。春に弟が生まれたけれど、僕は弟にも渚さんにもずっとぎこちなくてもどかしい気持ちを抱いている。ある日、僕は家の鍵が閉まっていて、帰れなくなっていた。渚さんが弟を寝かしつけたまま、家を閉め切っていたせいだった。そんな僕の姿を見て、同じマンションに住んでいるおばあさんが夕方まで僕の面倒を見てくれることになった―。

 こういうおばあさんって昔は結構いたような気がします。他のレビューを見ると、これが一番"号泣"させられた話だったとする人もいるようですが、悪くはないけれど、最初の3編ほどではないのでは。


 制約がある状況下(時節柄的には「コロナ禍」)での一筋の希望―という感じで、全体に「コロナ禍」小説といった印象。「山本周五郎賞」受賞作の『ふがいない僕は空を見た』('10年/新潮社)の頃のどろっとした感じは無くなって、ほんわかした作風になっているでしょうか。最初の3編は上手いなっといった感じ。「湿りの海」は結末からして、「星の随に」はモチーフからして、評価と言うより好みが別れるのではないでしょうか。

 直木賞選考は激戦だったようで、選考委員の内、宮部みゆき、林真理子の両氏が◎。普通、強く推す委員が複数いると受賞しやすいのですが、永井紗耶子『女人入眼』は、宮部みゆき、三浦しをん、伊集院静の3氏が強く推したのに落選しており、それは、それ以外の委員に反対意見が多かったためで(4人)、結局、強く反対する人が誰もいなかったこの作品が受賞しているわけです。

 選考委員の桐野夏生氏が「好感を持って読んだ。特に「星の随に」は、私好みだ。どれも上手く、文句のつけようがない」としながらも、「ただ、ギラリとしたものを求める人には、少しシンプルに過ぎるかもしれない」というのが、自分の印象に近かったです。

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ほとんど「直木賞作品」みたい。最も恐ろしいのは芦川さん(「猛禽」キャラ?)。

『おいしいごはんが食べられますように』1.jpg『おいしいごはんが食べられますように』P.jpg  『臨死!! 江古田ちゃん(1』 2.jpg
おいしいごはんが食べられますように』『臨死!! 江古田ちゃん(1) (アフタヌーンKC)
第167回「直木賞」「芥川賞」受賞の窪美澄・高瀬隼子両氏
第167回「芥川賞」授賞式.jpg 2022(平成4)年上半期・第167回「芥川賞」受賞作(「群像」2022年1月号掲載)。

 二谷は入社7年目。食べものに対する意識はかなり低い。「カップ麺でいいのだ、別に。腹を膨らませるのは。ただ、こればかりじゃ体に悪いと言われるから問題なのだ」と考えている。押尾は入社5年目。二谷と居酒屋へ行き、「わたし芦川さんのこと苦手なんですよね」と言った。その日は社外研修会があったが、入社6年目芦川は体調不良を理由に欠席していた。二谷「なんか言われたとかされたとか。そうじゃなくて、単にできないのがむかつく感じ?」。押尾「っていうか、できないことを周りが理解しているところが、ですかね」。 二谷「職場で、同じ給料もらってて、なのに、あの人は配慮されるのにこっちは配慮されないっていうかむしろその人の分までがんばれ、みたいなの、ちょっといらっとするよな。分かる」と同調。毎日定時で帰れて、それでも同じ額のボーナスはもらえて、出世はなくても、のらりくらり定年まで働ける......そんな「最強の働き方」をしている芦川が、むかつくような、うらやましいような。でも、ああはなりたくないから、「苦手」なのだった。そこで、押尾は二谷にある提案をもちかける。押尾「それじゃあ、二谷さん、わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」。二谷「いいね」―。

 芦川みたいな女性は社内にいるなあという感じで読めて面白かったです。でも、読んでいて、どこが「芥川賞」なんだろうという思いはありました。この芦川という特段取り柄のない(いや、むしろ危険な)女性が総取りするという結末が、単なるエンタメと一線を画しているということかとも。

 でも、そう言えば『コンビニ人間』('16年/文藝春秋)みたいな、女性の生き辛さをユーモラスに描いた作品が芥川賞を獲ったこともあったから、何年かごとのサイクルでこの手の作品が受賞作に選ばれることがあるのかなと思ったりもします。

 芥川賞の選評を見ると、選考委員で松浦寿輝、奥泉光両氏が強く推して、他に強く反対する人がいなかったために受賞した感じです。小川洋子氏が、「最も恐ろしいのは芦川さんだ。その恐ろしさが一つの壁を突き破り、狂気を帯びるところにまで至っていれば、と思う」とコメントしているのが、一番自分の印象に近かったでしょうか。松浦寿輝氏の「打算的な女と煮え切らない男を突き放して見ている作者の視線は冷酷だが、同時にその距離感によって二人を優しく赦している気配もある」との評は、ある意味、穿った見方なのかも。

 山田詠美氏が、「私を含む多くの女性が天敵と恐れる「猛禽」登場!彼女のそら恐ろしさが、これでもか、と描かれる。思わず上手い!と唸った。でも、少しだけエッセイ漫画的既視感があるのが残念」としていて、確かに上手いことは上手いので、自分も○にしておきます(主体性が無い?)。

 個人的には、この小説を読んで、手作りのお菓子を会社に持参してくるかどうかはともかく、何となく思い浮かぶ人がいないことはないです、でも、やはり、男性よりも女性の方が、読んでいて「恐ろしさ」を実感するのではないでしょうか。男は結構、二谷みたいに、芦川を尊敬するのを諦めて、その代わりに寝るといった、いい加減なところがあるのかもしれません。

 芦川みたいな存在はどの会社にも一定割合でいるわけで、それを淘汰するか居続けさせるかは、職場(組織)の問題ではないでしょうか、主人公が会社を辞めたのは正解だと思います(ほとんど「直木賞作品」に対する感想みたい。と言うか、この作品がほとんど「直木賞作品」みたい)。


『臨死!! 江古田ちゃん(1』 .jpg ところで、山田詠美氏の評に出てくる「猛禽」キャラとはどのようなキャラクタなのか? これは、瀧波ユカリ氏の漫画『臨死!! 江古田ちゃん』(講談社)にたびたび現れる「猛禽」というキャラクタラベルであり、主人公の江古田らによれば「走ればころび、ハリウッド映画で泣き、寝顔がかわゆく、乳がでかい」(第1巻5頁)という、世の男性にとって魅力的な諸特徴を備えた一種の「娘」キャラで、「狙った獲物(男性)は決して逃がさない」(第1巻5頁)というところから、鷲や鷹などの猛禽類に喩えられてこの名が付いているそうな。

 因みに、「ぶりっ子」と「猛禽」は別物であり、「ひと昔前に生息していた「ぶりっこ」は 時がたつにつれ 男共に ことごとく本性を見抜かれ絶滅した」が、「新たに誕生した「猛禽」は 我々の予想を はるかにこえる完成度をほこっている」「聞き上手で」「下ネタにも寛容」「ほっとかれてもふくれず」「ブサイクにもやさしい」(第1巻25頁)、「小鳥の声に耳をすまし」(第1巻74頁)、喧嘩を見れば「ショックで立てない」(第1巻117頁)という。

 つまり、「ぶりっ子」は「かわいい子」を演じようとする意図を周囲に感知させてしまっているため破綻キャラとしてしか認知されず、今日では絶滅したが、それに対して「猛禽」は、「かわいい子」を演じようとする意図がその言動に決して現れないということだそうです―漫画って、芥川賞作品を読み解く上で参考になる―と言うか、それ自体が勉強になる(笑)。

「月刊アフタヌーン」(講談社)にて2005年4月号より連載を開始。2014年9月号をもって連載終了。全8巻。
『臨死!! 江古田ちゃん(1)』2.jpg

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「やまゆり園事件」の予言的作品になったことがおぞましいが、事件とは別物でもある。
ロスト・ケア 単行本.jpg ロスト・ケア (光文社文庫).jpg 「ロストケア」長澤・松山.jpg
ロスト・ケア』『ロスト・ケア (光文社文庫)』 映画「ロスト・ケア」(2023)長澤まさみ/松山ケンイチ

 2011年12月、戦後犯罪史に残る凶悪犯に死刑判決が下された。その時、認知症の母を〈彼〉に殺されたシングルマザーの羽田洋子の心によぎった自分は「救われた」のではという思いは何だったか。老人ホーム「フォレスト・ガーデン」の訪問入浴サービスの仕事に携わっていた介護士・斯波宗典はどう思ったか。事件に関わった正義を信じる検察官・大友秀樹の耳の奥に響く「悔い改めろ!」という叫びは何か。話は2006年11月に遡る―。

 2012(平成24)年度・第16回「日本ミステリー文学大賞新人賞」(光文文化財団が主催)受賞作。選考委員の綾辻行人氏は「掛け値なしの傑作」、今野敏氏は「文句なしの傑作」と評し、満場一致での受賞となった作品です(2013年2月刊行)。来月['23年2月]には、前田哲監督による映画化作品「ロストケア」(タイトルに中黒なし)も公開されます。

 介護を廻る様々な問題をえぐりながら、ちゃんとミステリにもなっていました。ある種"叙述トリック"気味ですが、これはこれでありなのでは。ただ、学者肌の刑事の推理によらずとも、これだけ犯行が繰り返されたら早いうちに怪しまれ、犯人は誰だかすぐに判ってしまうのでは?

コムスン問題.jpgコムスン折口2.jpg 2007年の、人材派遣業から多角化したグッドウィル・グループ傘下の介護事業会社で、全国最大手だったコムスンが、訪問介護事業所開設の際、実態のないヘルパーの名前を届け出るなど虚偽申請をし、最終的に事業譲渡・グループ解散に至った「コムソン事件」をモデルにした事件が小説に織り込まれていました(施設介護事業は小説にそれと思しき名が出てくるニチイ学館に譲渡、ワタミも候補に挙がったが選に漏れた。そう言えば、これも、小説にそれと思しき名が出てくるベネッセも、当時から既に介護事業会社を運営していた)。
コムスンの「光と影」日本経済新聞(2007.6.19朝刊)

「やまゆり園事件」.jpg「やまゆり園事件.jpg ただ、この小説が今注目されるのは、2016年7月26日の「津久井やまゆり園」の元職員であった植松聖(事件当時26歳)が入所者45人を殺傷した「相模原障害者施設殺傷事件(やまゆり園事件)」の、予言的作品になっている点ではないかと思います。そのことについて諸々見方はあるかと思いますが、先ずもって、現実にそうした事件が起きたのはおぞましい限りです。

「「津久井やまゆり園」殺害事件から6年」NHK「おはよう日本」(2022.7.26)

 あまり小説と現実をごっちゃにするのも良くないし、問題を投げかけた作者自身も、まさかそうした事件が起きるとは予想はしていなかったと思いますが、現実の事件である「やまゆり園事件」と小説には、①福祉サービスを舞台にした大量殺人事件であること、②加害者が福祉サービスに従事する人間であること、③犯人が確信犯であること、といった共通点があります。

 一方で、小説と現実をごっちゃにするのも良くないというのは、現実の植松死刑囚は実に浅はかな人間で、「障害者なんて生きている価値がない。いなくなれば税金もかからない」と接見に来た記者に嘯いていたそうで、浮いた税金で報奨金をもらい、いずれ釈放してもらう、なんてことも考えていたようです。「真面目な人ほど危うい場合がある」とはよく言われますが、それは、この小説の犯人には当て嵌まっても、植松死刑囚には当て嵌まらないでしょう。

 ただ、そうであったとしても、やはり今回映画化されることになったのは、この現実の事件があったことが大きく影響しているかと思います。

「ロストケア」4.jpg (●2023年2月20日に映画化作品が東京テアトル=日活配給で公開された。前田哲監督と松山ケンイチの構想10年を経ての映画化とのこと(松山ケンイチが先に原作を読んで前田監督に紹介した)。松山ケンイチと長澤まさみは本作が初共演。長澤まさみは、原作の男性検察官・大友秀樹を女性検察官・大友秀美に置き換えた役。

 ある早朝、民家で老人と訪問介護センター所長の死体が発見された。死んだ所長が勤める介護センターの介護士・斯波宗典(松山ケンイチ)が犯人として浮上するが、彼は介護家族からも慕われる心優しい青年だった。検事の大友秀美(長澤まさみ)は、斯波が働く介護センターで老人の死亡率が異様に高いことを突き止める。取調室で斯波は多くの老人の命を奪ったことを認めるが、自分がした行為は「殺人」ではなく「救い」であると主張。大友は事件の真相に迫る中で、心を激しく揺さぶられる―。

「ロストケア」1.jpg 映画では、犯人は誰かというミステリの部分はほとんど前半3分の1くらいで片付けてしまい、松山ケンイチ演じる介護士・斯波宗典と長澤まさみ演じる検察官・大友秀美を全面的に対峙させ、自分が行ったのは「救い」で「殺人」ではないと主張する斯波の信念を前にして大友がたじろぐという、この両者の取調室でのやり取りを通して、介護の現場が抱える問題や、社会システムの歪み、善悪の意味などを浮き彫りにしている。

「ロストケア」2.jpg ただし、話を盛り込みすぎた印象もあり、大友が過去に自分の父親を孤独死させた経験があるというのも映画のオリジナル(ある意味、冒頭シーンを伏線とする映画オリジナルのミステリになっている)。また、説明的になりすぎた印象もあり、松山ケンイチ演じる介護士・斯波宗典も長澤まさみ演じる検察官・大友秀美も滔々と持論を述べるが、こうした演劇的場面は原作にはない。

「ロストケア」3.jpg 斯波宗典が父親に対して絶望的な介護生活の末に嘱託殺人に至ったのは原作通りだが、映画では柄本明が演じる父親・正作の息子に介助されながらの凄惨な暮らしぶりが「ロストケア」/.jpg生々しく描かれていて、演技達者の柄本明がここでも主役を喰ってしまった感じ。長澤まさみがどれだけ頑張って演技しても型通りの演技にしか見えないのは、柄本明のせいと言っていいかも。

柄本明(斯波正作)

 ミステリの部分を犠牲しても社会問題の部分を前面に押し出した、真面目な作品だと思う。本当は△だけど、△をつけ難く○とした。)

「ロストケア」●制作年:2023年●監督:前田哲●製作:有重陽一●脚本:龍居由佳里/前田哲●撮影:板倉陽●音楽:原摩利彦(主題歌:森山直太朗「さもありなん」)●原IMG_20230518_155354.jpg作:葉真中顕●時間:114分●出演:松山ケンイチ/長澤テアトル新宿(シアター1).jpgまさみ/鈴鹿央士/坂井真紀/戸田菜穂/峯村リエ/加藤菜津/やす(ずん)/岩谷健司/井上肇/綾戸智恵/梶原善/藤田弓子/柄本明●公開:2023/02●配給:東京テアトル=日活●最初に観た場所:テアトル新宿(シアター1)(23-05-18)(評価:★★★☆)

テアトル新宿 1957年12月5日靖国通り沿いに名画座としてオープン、1968年10月15日に新宿テアトルビルに建替え再オープン、1989年12月に封切り館としてニューアル・オープン(新宿伊勢丹メンズ館の隣、新宿テアトルビルの地下一階)2017年座席リニューアル

【2015年文庫化[光文社文庫]】
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『シャイロックの子供たち 単行本.jpg 『シャイロックの子供たち』.jpg     「シャイロックの子供たち」2023.jpg 出演:阿部サダヲ
シャイロックの子供たち』『シャイロックの子供たち (文春文庫)映画「シャイロックの子供たち」(2023)

ミステリとしては「完結」はしていなくとも、経済小説として面白かった。

 中小企業や町工場がひしめく地域にある東京第一銀行・羽田支店。出世を諦めないシャイロックたちは、ぎすぎすした空気の中、融資の成績あげるため奮闘してた。その中でも副支店長の古川一夫は、自分の出世のため部下たちにも厳しいあたりを続けていた。そんな中、支店内で100万円の現金が紛失する事件が起き、女子行員の北川愛理に疑いがっかかる。三枚目だが部下からの信頼が厚い営業課の課長代理・西木雅博は、愛理の無実を信じ、真犯人の究明に執念を燃やす。しかし、その西木が、ある日突然失踪してしまう―。

 2006年刊行のかつて銀行員だった作者得意の銀行小説で、銀行という組織を通して、普通に働き、普通に暮すことの幸福と困難さに迫った群像劇です。2006年と言えば、2002年初めから始まった景気回復の途上で、緩やかな景気拡大がだらだら続いていたものの、失業率もまだ4%台で(2年後にはリーマン・ショックを迎えることになる)、小説の中の東京第一銀行・羽田支店も、取引先は疲弊した下請け工場などが多く占める状況です。

 物語は、そうした銀行の支店内で起こる様々な出来事を、最初は連作短編風に描いていきます。そんな中では、支店のエース滝野真と同世代の遠藤拓治が、新規の顧客が獲得できたとして上司の鹿島を会わせたいと連れて行ったのが神社で、狛犬に向かって「上司の鹿島でございます」と深々と頭を下げたというエピソードが印象的でした(要するに心を病んでしまっていたわけで、結局遠藤は入院していまう)。そして、エースと思われていた滝野にも架空融資の疑いが...。

 西木が失踪したあたりから、1つ1つのエピソードがまったく別々の話ではなく、少しずつ繋がっていることが窺えるようになり、このあたりは上手いなあと思いました。全体としては、西木はどこへ行ったのかという推理サスペンス風の展開になっています。そして、滝野が架空融資を行い、その補填として100万円の現金に手をつけたと知った西木は、滝野に不正融資を持ち掛けた不動産会社社長の石本(半分ヤクザ)の手で殺され、どこかに埋められているらしいと―。

 しかし、気乗りしないまま社命で失踪した西木の家族がいる社宅を訪ねたパート社員の河野晴子は、彼女自身が銀行という組織に夫を殺された一人でしたが、何か西木の生活に訝しい点を感じ、さらに、滝野が現在逃亡中の石本と繋がっていた資料を赤坂支店に引き取りに行った際に、その中で西木と石本が繋がっていた資料をみつけてしまいます、

 どうやら西木は石本に対する兄の負債の連帯保証人になっていて、何億円という借金を背負っていたらしい―このことによって、事件に関する新たな考察が繰り広げられます。しかし、作者は最後まで完全に謎解きをすることはしていないのは、これは推理小説ではなく企業小説だという前提があるためでしょう(謎解きが主題ではないということ)。このもやっとした終わり方で評価は分かれるかもしれません。実際、「半沢直樹シリーズのようなスッキリ解決感がなかった」という読者も多かったようですが、読者に考えさせるという意味で、個人的には悪くなかったと思います。

 2022年10月9日から11月6日まで、WOWOWプライムの「連続ドラマW」枠にて井ノ原快彦(西木雅博役)主演でドラマ化されていますが、観ていないので、結末をどう扱ったのか知りません。今年['23年]、池井戸作品初の映画化となった「空飛ぶタイヤ」の本木克英監督により、阿部サダヲで(西木雅博役)主演で映画化されたものが公開予定なので、そちらの方を観てみたいと思います。

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「シャイロックの子供たち」1.png(●2023年2月20日に映画化作品が公開された。同じく池井戸原作の映画「空飛ぶタイヤ」(2018年)で監督を務めた本木克英をはじめとしたメインスタッフが再集結し、小説ともドラマとも異なる展開で、柄本明が演じる長原支店の客で"謎の男"沢崎など映画独自のキ「シャイロックの子供たち」2.jpgャラクターが登場するオリジナルストーリーだった。まず、阿部サダヲが演じる西木は、原作のように行方をくらましたりせず、事件の黒幕は別にいて、西木がそれを突き止めた上で、沢「シャイロックの子供たち」3.jpg崎と組んで彼らに"倍返し"するという(何となく予想はしていたが)「半沢直樹」的な勧善懲悪ストーリーになっている。映画的カタルシスを重視したということだろう。西木も最後は沢崎から"成功報酬"を受け取りそれで借金を返すが、その代わり銀行員は辞めるという―まあ、自分で「このお金を受け取ったら銀行員を辞めなければならない」と自分で言っていたから、これは仕方がないことか。上戸彩が演じる西木のかつての部下・北川愛理が、後日エレベータでちらっと見かけた西木が、今何をやっているのか気になるところだが、何なくさっぱりした表情だった。阿部サダヲは演技のテンポが良かった。)

「シャイロックの子供たち」8.jpg「シャイロックの子供たち」6.jpg「シャイロックの子供たち」●制作年:2023年●監督:本木克英●脚本:ツバキミチオ●撮影:藤澤順一●音楽:安川午朗●原作:池井戸潤●時間:122分●出演:阿部サダヲ/上戸彩/玉森裕太/柳葉敏郎/杉本哲太/佐藤隆太/渡辺いっけい/忍成修吾/近藤公園/木南晴夏/酒井若菜/西村直人/中井千聖/森口瑤子/前川泰之/安井順平/徳井優/斎藤汰鷹/吉見一豊/吉田久美/柄本明/橋爪功/佐々木蔵之介●公開:2023/02●配給:松竹●最初に観た場所:TOHOシネマズ西新井(23-03-15)(評価:★★★☆)

【2008年文庫化[文春文庫]】
『シャイロック』文庫.jpg

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「殺し屋」シリーズ第3作は、友情物語であり、夫婦・家族の愛情物語でもあった。
AX アックスt (tankobon).jpgAX アックスAX アックス (角川文庫).jpgAX アックス (角川文庫)

 「兜」は普段、文房具メーカーの営業として働くサラリーマンだが、実は超一流の殺し屋、ただし、家では妻に頭が上がらず、人息子の克巳も呆れるほどだ。兜がこの仕事を辞めたい、と考えはじめたのは、克巳が生まれた頃だった。引退に必要な金を稼ぐために仕方なく仕事を続けていたある日、爆弾職人を軽々と始末した兜は、意外な人物から襲撃を受ける。こんな物騒な仕事をしていることは、家族はもちろん、知らない―。

「殺し屋」シリーズ.jpg 作者の『グラスホッパー』『マリアビートル』に続く「殺し屋」シリーズ第3作であり、AX、BEE、Crayon、EXIT、FINEの全5編からなる連作です(目次でDの頭文字がないのが気になる)。

 過去の作品の殺し屋も回想風に出てきますが、本編と直接的には話は繋がってはいません。前2作は、3人(3組)乃至4人(4組)の殺し屋のサバイバルを賭けたゲームのような感覚の作品で、語り手がその都度交代し、章の冒頭にその章の語り手の印鑑が押されていました。

 今回は、表向きは恐妻家のしがないサラリーマンだが、実は凄腕の殺し屋であるという(これに似たパターンは『グラスホッパー』のキャラクターの中にもあった)「兜」を中心に、前半部分は彼一人の視点から話が進む点がこれまでと違っています(したがって、途中までは章の冒頭の印鑑は「兜」が続く)。

 その「兜」が中盤で、仕事の依頼を受けたものの、ターゲットである相手は友達であったため、家族と友達を守るためにある決断をします(意外とあっさり?)。後半は「兜」の息子「克己」が語り手となりますが、かつて「兜」に助けられた友達が、今度は「克己」を助けることになります。そっか、恩返しの話だったのだなあ。殺し屋同士の友情物語でした。

 そして、一見して唐突な最後の章は、これ、「兜」と妻の最初の出会いを描いたものだったのだなあ(プロローグ的位置にエピローグ的内容を持ってきている)。つまり、息子にも揶揄されるほどの恐妻家の「兜」でしたが、実は妻をすごく愛していたのだという、夫婦、家族の愛情物語でもありました。

 5つの短編の集合体で、その物語同士が少しずつ繋がっている連作短編集のスタイルを取ることで、スリリングな殺し屋の物語としては、やや前2作に比べインパクトが弱かったでしょうか。

 それでも個人的には、『マリアビートル』の「檸檬」とか「蜜柑」とか、前作の登場人物が「兜」の回想の中に出てきたりして、結構"思い出し笑い"的に楽しめました(「檸檬」も「蜜柑」も前作で死んでしまったが)。

 ただ、この作品を単独で読んだ人にはイマイチだったのではないかという気もします。前作を読んでいることを前提とした評価は○で、読んでいないことを前提とした評価は△といったところでしょうか。まあ、前作を読んでいない人も読みたくなると思われ、そこが作者の上手いところかもしれません。

【2020年文庫化[角川文庫]】

「●お 奥田 英朗」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●お 大佛 次郎」 【2511】 大佛 次郎 『赤穂浪士

「テーマパーク」ではなく「自然の森」を描いた作品。リアリティがある意外性。

『リバー』  .jpgリバー 単行本.jpgリバー

 群馬県桐生市と栃木県足利市を流れる渡良瀬川の河川敷で若い女性の遺体が相次いで発見された。首を絞められて殺害されたとみられるふたりの遺体は全裸で、両手を縛られているという共通点があった。刑事たちは胸騒ぎをおぼえる。両県ではちょうど十年前にも同じ河川敷で若い女性の全裸遺体が発見されていたからだ。十年前の未解決連続殺人事件と酷似した手口が、街を凍らせていく。かつて容疑をかけられた男、取り調べを担当した元刑事、執念深く犯人捜しを続ける十年前殺された娘の父親、若手女性新聞記者。一風変わった犯罪心理学者。新たな容疑者たち。犯人は十年前と同一犯か? 十年分の苦悩と悔恨は真実を暴き出せるのか―。

 前著『罪の轍』('19年/新潮社)は「吉展ちゃん事件」がモデルになっていましたが、今回は特にモデルはないようです。ただし、作者がインタビューで「テーマパーク」ではなく「自然の森」を書きたいと述べていましたが、実際、架空の事件を描いた小説でありながら、強烈なリアリティが感じられました。

 群像劇的あり、主要登場人物だけで6人いて、群馬県警の若手刑事の斎藤一馬、栃木県警の野島昌弘、元栃木県警の滝本誠司、中央新聞の千野今日子、十年前の事件の被害者遺族の松岡芳邦、スナック「リオ」の吉田明菜の6人です。彼らはいわば「視点人物」であり、それぞれの視点で描かれる時は「一馬」というように下の名で表されます。犯罪心理学者の篠田なども極めて興味深い人物ですが、篠田の視点で書かれた箇所はないため、下の名前も表されていません。でも、群像劇でありながら、「視点人物」が6人って多くない?

 容疑者は3人で、それは、元刑事・滝本誠司が十年前の殺人事件から追い続けている、元暴力団員で警察を挑発し続けるサイコパス男・池田清(45歳)、県会議員の息子の引きこもり男で、今は昼間は自宅に引きこもり、夜は車で走り回っている、且つ解離性人格障害(多重人格)でもある平塚健太郎(31歳)、工場寮に居住する期間工で、配送トラックの運転手だが、死体遺棄現場の河川敷で犯行前に下見をするような行動をしていた姿が複数回目撃されて容疑者に浮上した刈谷文彦(32歳)の3人です。

 登場人たちはそれぞれの考えで犯人を推理しますが、読者の立場としては、読んでいくうちに物語の中盤あたりで8割方、犯人は3人のうちの1人に絞られてきます。しかし、この8割の確証つまり80%程度のものを、99%乃至100%まで持っていくまでの道程がたいへんであり、実際の事件の捜査もこのような感じなのだろうなあと、その辺りにリアリティを感じました。

『罪の轍』の時のは、容疑者がそのまま単独犯の真犯人でしたが、本作では、すっかり読者に真犯人への筋道を見せておきながら、最後の最後に、予想外の事実も明らかになるという流れであり、「あり得ないどんでん返し」とはまた違った展開で、これはこれで意外性も十分でした。リアリティのある意外性とでも呼べるでしょうか。

 犯人の内面への踏み込みが浅いとの指摘もあるかもしれませんが、敢えてその部分はよく分からないまま終わらせたのではないでしょうか。実際の重大犯罪事件もそうしたことが多いのではないかと思います(本心が明かされないまま刑場の露と消えた元死刑囚は多い)。描かれていないことによって、その点でもリアリティを感じました。

 作者の作品では、(『沈黙の町で』('13年/朝日新聞出版)が個人的には一番ですが、本作も『罪の轍』に勝るとも劣らない骨太の犯罪小説でした

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