2020年6月 Archives

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作風の変遷を概観できる。これだけ網羅していれば立派。画集として堪能できる。

不熟 1970-201267.jpg不熟 1970-2012.jpg 不熟 1970-2012213.jpeg
不熟 1970〜2012 諸星大二郎・画集 Morohoshi Daijiro ARTWORK

不熟30-31.jpg 漫画家・諸星大二郎(1949年生まれ)がこれまでの創作活動で描いた絵の中から選びぬいた画集です。単行本として刊行された漫画の表紙や扉絵、挿画などとして描かれたものが殆どであるため、ここでのジャンル分けは「イラスト集」としましたが、一枚一枚の絵に感じられる尽きないイマジネーションの奔出から、芸術作品としての画集として鑑賞してもいいのではないでしょうか。

不熟38-39.jpg 本人あとがきによれば、カラー絵はどうしても単行本のカバー絵などに限られ、それ以外にカラー絵を描く機会があまりなかったようで、画集として構成するために集めるのがたいへんだったようです。「不熟」というタイトルは、40年描いてきても、昔の未熟さから抜け出ていない思いがあり、いっそ最後まで未熟でいようと、未熟ではなく不熟としたとのこと。巻末の漫画家・高橋葉介氏との対談でも、「カラー自信がない」と述べていて、随分と謙虚だなあ。

不熟64.jpg 125ページのうち96ページがカラーで、ほぼ時系列(単行本発行順)に並べられているので、作風の推移などもわかりやすいです。対談からも窺えますが、やはりゴヤやダリの影響を受けているようです。代表作『西遊妖猿伝』と他の作品で、人物の眼など描き方やタッチが違うなあと思っていましたが、これは同時期に作品によって使い分けていたのだなあ。一方で、独特のエロスが感じられるとも評される女性の肉体の描き方は、時期によって多少変遷しているようです。

 このように、作風の特徴、変遷を概観できるのがいいです。マニアックなファンからは、全ての単行本を網羅するには至っていないとの不満もあるようですが、個人的には、これだけ網羅していれば立派なものではないかと思いました(逸失しているものも多いのでは)。もちろん画集として堪能できますが、絵を眺めていると今度は、漫画作品の方を読みたくなります。

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「図鑑」ではなく「画集」として楽しむものだとしても図鑑として見てしまう。引き込まれる。

大恐竜画報.jpg
大恐竜画報 2.jpg 南村喬之(みなみむら・たかし、1919-1997).jpg
大恐竜画報 伝説の画家 南村喬之の世界』南村喬之(1919-1997)
   
IMG_5469ブロントサウルス.JPG 挿絵画家・南村喬之(1919-1997)が1970年代から80年代に描いた恐竜作品を「大恐竜画報」として1冊に纏めたもの。解説によれば、すべて当時子供向け図鑑用に描かれた作品であるものの、恐竜研究が進む中、現在では違った見解、異なった名称の恐竜も多く、そのことを踏まえた上で、本書は「図鑑」ではなく、「南村喬之の画集」として編集したとのことです。

 当時の雰囲気を再現するため、名称も1970年代当時のままで、説明文も、当時の少年誌の読み物を意識した文体にしたとのこのこと。したがって、恐竜に詳しい人の目から見れば、おかしところが多く見られる復元図ということなるかと思いますが、以上の趣旨のもとに編纂されているので、これはこれで、昔見た少年誌の挿絵のワクワク感を思い出させてくれるという意味でいいです。

IMG_5470アパトサウルス.JPG 個人的には、自分がずっと幼い頃は、最大恐竜と言えば「プロントザウルス」が定番でまさにそれ一本でしたが、この画報が想定している70年代から80年代の時点ですでに名称が「プロントザウルス」からブロントサウルス(108p、全長21~23m)となっており、一方、アパトサウルス(156p、全長21~26m)も出ていて、解説に「かつてはブロントサウルス、雷竜とも呼ばれていたんだ」とあります(プロントザウルス→ブロントサウルス→アパトサウルスか)。但し、2015年の研究で「アパトサウルス」と「ブロントサウルス」とは別属との発表もあります(ナショナルジオグラフィックWEBニュース「ブロントサウルス、本物の恐竜として復活へ」2015.4.10)

IMG_5471マメンチサウルス.JPG 竜脚類(首長竜)でマメンチサウルス(36p、全長22~25m)というのも大きいし、長さで言えばディプロドクス(66p、全長25~30m)が史上最も長い恐竜だとありますが、Wikipediaでは、マメンチサウルスが体長20~35m、ディプロドクスが全長約20~33mになっています。でも、体重では、30t(本書)と圧倒的にアパトサウルスが重く(同じくWikipediaによれば、ディプロドクスはアパトサウルスなどと同じ竜脚類ではあるが、体重は比較的軽く、10 ~20t程度とみられるとのこと)、やっぱり草食巨大恐竜と言えばアパトサウルスになるのかなあ。でも、「特大の竜」ことスーパーサウルス(72年発見)はここには出てこないなあ。さらには「存在可能な最大級の恐竜であろう」と考える学者もいるアルゼンチノサウルスというのもあるし(体重は約80~100tあったと見積もられている)、アパトサウルスの最大恐竜としての地位は安泰ではないかもしれません。

 一方、肉食恐竜の方は、昔も今もティラノサウルス(98p、全長15m)が最大最強とされていて...とやっていくとキリがないのでこの辺りにしておきます。「図鑑」ではなく、「南村喬之の画集」として楽しむものだとしても、結局「図鑑」として見てしまうのは、もともとそのために描かれたものだからでしょう。その後の発見や研究で、二足立ち恐竜が所謂ゴジラ立ちをすることは普段は無かったとか、雷竜が水中にいることも無かったとか、いろいろ新事実が明らかになっているというのはありますが、それでも絵に細やかさと奥行きがあって引き込まれます。結局(正確さのことは抜きにして)「図鑑」として見てしまうことは、同時に絵を楽しんでいるということなのでしょう。

「白馬童子」 少年画報昭和35年9月号付録
白馬童子 少年画報昭和35年9月号付録.jpg 南村喬之は日本通信美術学院で美術を勉強、戦時中シベリアでの拘留生活を体験した後、戦後は多様な作画仕事で生活費を稼ぎながら改めて美術を勉強し、「はやぶさ童子」で絵物語作家としてデビュー。昭和30年代には「少年ブック」「少年画報」などで活躍しますが、絵物語が漫画分野にとって変わられる中で仕事が減り、1959(昭和34)年の「週刊少年マガジン」創刊号の漫画「天平童子」(原作・吉川英治)を執筆(矢野ひろし名義)したりもしますが(そう言えば、同じ挿絵画家の小松崎茂も、1957(昭和32)年に雑誌「少年」に漫画形式の絵物語「宇宙少年隊」を連載したことがあるが、途中から絵物語形式にスタイル変更した)、結局、漫画は自分の資質に合わないとし、以降は、挿絵画家に本格的に転向。怪獣もの、戦記ものなどで多大な業績を残しています(1960年代の初期怪獣ブームの時は、東宝・大映などの映画怪獣、ウルトラシリーズの怪獣んお造形に大きな影響を与えたとされる)。このように、主な活動は児童を対象としたものですが、桐丘裕之(きりおか・ひろゆき)、桐丘裕詩(きりおか・ゆうじ)などの筆名でSM雑誌の小説挿絵やイラスト画も担当していたりし、その分野でも独特の世界を確立していたそうです。そうした二面性があるところも何となくいいです。

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水野忠邦の強硬策を骨抜きにする行政官(政治家)としての「金さん」の手腕。

遠山金四郎の時代 藤田覚 学術文庫.jpg    山金四郎 市川左団次.jpg  はやぶさ奉行 片岡.jpg 遠山の金さん.jpg
遠山金四郎の時代 (講談社学術文庫)』/「大山左衛門尉 市川左団次」豊原国周 画(幕府をはばかって役名は「大山左衛門尉」になっている)/「はやぶさ奉行」('57年)片岡千恵蔵/「遠山の金さん捕物帳」('70~'73年)中村梅之助

 時代劇などで、八代将軍・徳川吉宗の時代の町奉行・大岡越前(大岡越前守忠相)と並んで名奉行とされるのが、庶民の味方として伝説的な存在の遠山の金さんです。時代は大岡越前からやや下って十二代将軍・徳川家慶(いえよし)の時代となりますが、その遠山金四郎(遠山左衛門尉景元)の実像を探りながら、当時の幕府が抱える問題と、行政の在り方を明らかにした本です。

 第1章で、遠山の金さんこと遠山金四郎の虚像面を追っていますが、後世に創作された逸話は多いものの、名奉行であったことは間違いないようです。第2章では、当時の江戸の政策論の対立点を浮き彫りにしています。天保の改革で幕府最後の改革に挑んだ老中・水野忠邦は、幕府は財政窮乏化のなか、風紀粛正と質素倹約を旨とし、風俗取り締まりのため庶民の娯楽である寄席(浄瑠璃・小唄・講談・手品・落語などをやる小屋)の撤廃や、芝居所替(歌舞伎三座の移転)、さらに廃止まで打ち出します。これでは江戸は繁栄するどころか寂れてしまうと、水野忠邦の政策に真っ向から対立したのが北町奉行の遠山金四郎であり、庶民生活の実情を重視し、厳しい改革に反対しながら水野忠邦の政策を骨抜きにしていったとのことです。

 第3章から第7章にかけて、両者の対立点となった水野の政策とそれに対する遠山金四郎のに抵抗ついて、寄席の撤廃(第3章)、芝居処替え=歌舞伎三座の移転(第4章)、株仲間(問屋などの座、一種のカルテル)の解散(第5章)、床見世(移動できる小さな仮設店舗、屋台店)の除去(第6章)、人返しの法(江戸に流入した人口を農村へ強制的に返す法)の施行(第7章)と1つずつみていきます。そして、遠山金四郎が改革強硬派の水野忠邦に抵抗し、妥協点を探りつつその政策を骨抜きできたのは、時の将軍・徳川家慶の厚い信任がバックにあったためであることが窺えます。

 第8章で、遠山金四郎以外の近世後期の名奉行たちを振り返り、最終第9章で「遠山の金さん」の実像を改めて総括しています。これらを通して見えてくるのは、遠山金四郎が単に庶民の味方の"いい人"だったということではなく、庶民が親しんでいる娯楽を無理に彼らから奪うことによって起きる反撥(具体的には一揆など)を警戒し、より庶民に受け容れられやすい対案を水野忠邦に進言することで、苛烈な施策を穏当な施策に変換することが多かったというのが実情のようです(もちろん、庶民の生活や心情に通じていたからこそ、そうした分析や判断ができたのだろうが)。

 こうなるとほぼ「行政官(政治家)」と言っていいように思います(役職上、水野忠邦は上司ということになる)。テレビで、金さんが遠山金四郎になるのは白州の場面が主なので、「司法官(裁判官)」のイメージが強いですが、そもそも三権分立じゃない時代のことで、町奉行は江戸市内の行政・司法全般を所管していたわけで、本書を読んで改めてそのことに思い当たりました。

 つまり、水野忠邦と遠山金四郎の間には政策の違いがあり、水野忠邦の改革はあまりに過激で庶民の怨みを買ったとされ(失脚した際には暴徒化した江戸市民に邸を襲撃されている。その後老中に再任されるが、かつての勢いは失われていた)、それをソフトランディングの方向へもっていったのが遠山金四郎であり(水野が失脚した際に、前述の施策は中止されたり実効性を持つことなく終わった)、ただし、上司・水野に対してそうしたことが出来たのは、将軍・徳川家慶の遠山金四郎に対する厚い信任があったが故ということになります。 

 本書によれば、将軍・徳川家慶が遠山金四郎を信頼したのは、彼の際立った裁きを実際に見たからであり、彼が「名奉行」であったからそうなったわけで、その部分では時代劇の「遠山の金さん」像がウソということでは全然ないので、ファンは心配しなくてもよい(笑)といったところでしょうか。学術文庫ですが読みやすく(意識してそうなっている)、江戸の庶民の暮らしぶりや娯楽などもわかって興味深かったです。

英雄たちの選択 2020 遠山.jpg遠山の金さん 天保の改革に異議あり!.jpg 本書のテーマは、今年['20年]2月にHHK-BSプレミアム「英雄たちの選択」で「遠山の金さん 天保の改革に異議あり!」として扱われ放映されていますが、この番組の司会の歴史学者・磯田道史氏は、学生時代に本書の著者・藤田覚(さとる)(現:東京大学名誉教授)の講義を聴いていたと言っていたように思います(磯田氏は慶應義塾大学文学部史学科だったはずだが)。
 
中村梅之助/市川段四郎/橋 幸夫/杉 良太郎/高橋英樹/松方弘樹/松平 健
1遠山の金さんシリーズ.png 余談ですが、遠山の金さんシリーズ(テレビ朝日版)では、一番最初の中村梅之助主演の「遠山の金さん捕物帳」(1970-1973、全169話)の印象が個人的には強いですが、ほかに、市川段四郎主演の「ご存知遠山の金さん」1973-1974 、全51話)、橋幸夫主演の「ご存じ遠山の金さん」(1974-1975 、全27話)、杉良太郎主演の「遠山の金さん」(1975-1979、全131話)、高橋英樹主演の「遠山の金さん」(1982-1986、全198話)、松方弘樹主演の「名奉行 遠山の金さん/金さんVS女ねずみ」(1988-1998、全219話)、松平健主演の「遠山の金さん」(2007 、全9話)があり、話数では中村梅之助版を上回っているものもあります。ただ、調べたところでは、水野忠邦が出てくるのは、杉良太郎版「遠山の金さん」の3話(第46話・第57話・第58話)ぐらいしか見当たらず、杉良太郎版ではなんと「遠山のよき理解者」として登場しているようです。

「●語学」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1224】 岩田 一男 『英単語記憶術

教養書と実用書の両方の要素を備えている『英語に強くなる本』。

英語に強くなる本5.JPG英語に強くなる本4.jpg 英単語クロスワード 岩田00_.jpg 岩田 一男.jpg
英語に強くなる本―教室では学べない秘法の公開 (カッパ・ブックス)』['61年](カバーデザイン:田中一光/表紙・本文イラスト:真鍋 博)/『英単語クロスワード―綴りと意味を、正確に覚える本 (カッパ・ブックス)』['68年](カバーデザイン:田中一光/推薦文:城山三郎)/岩田 一男(1910-1977)
英語に強くなる本68.JPG 『英語に強くなる本』は1961年刊行で、発売時わずか3カ月で100万部を突破し、最終的に147万部を売り上げ、その年のベストセラーで第1位となっています。個人的には本書に関しては"遅れてきた世代"であったため、改訂新版で読みましたが、手元にあるものは、昭和45年刊行時点で初版から数えて305版となっています。

 まず第1章で、日本人はなぜ英語ができないのかという問題提起をしており、日本人に共通の誤りとして、①基礎的英語の不足、②むずかしいことを言おうとする、③日本語で英語を考える、④やさしい英語を使いこなせない、⑤日英の発想法の違いがのみこめていない、の5つを挙げ、生きた英語を使えるようになるためのポンインを示しています。基本ルールは、英語で考えるようになるのが理想的で、やさしい英語をとにかく使ってみること、直訳を避けることであるとしています。

英語に強くなる本66.JPG 以下、第2章から第10章にかけて、日本人はなぜ発音に弱いのか、単語はどう覚えるのが科学的か、やさしい言葉で話すにはどうすればよいか、生きている英語・死んでいる英語とは何か、学校で教えてくれない英語のルール、英語を話すコツ、英語を読む秘訣、英語の底に流れるもの、そして最後に、外国に行く法と続きます。

 日本人が陥りがちな暗記や直訳など小手先のテクニックにとらわれることなく、英語という言語の本質に迫りながら多彩な例文を多数用いて分かりやすく解説しており、教養書と実用書の両方の要素を備えているように思いました。受験生というより、ある程度のレベルの英語の学習経験・習得があり、また、英語を使う必要に迫られているビジネスパーソン向けという感じでしょうか。

 高度経済成長期の、東京でのアジア初のオリンピック開催の3年前に刊行されて、日本人ビジネスマンもこれからは英語が話せ、海外で活躍できるようにならなければならないという気運の中での刊行であったことがベストセラーになった要因としてあるかもしれませんが(最終章が「外国に行く方法」となっていることに時代を感じる)、内容的には結構学術的な面もあって、それを著者の技量でかみ砕いて書いているわけで、当時のビジネスパーソンって勉強熱心だったのだろうとも思います。

 章の内容の流れから分かるようように、基本的に「会話」から入っていきます。サブタイトルに「教室では学べない」とありますが、学校教育でも応用可能と思われる部分はあります。但し、現実の学校の英語教育カリキュラムが「会話」ではなく「文法」重視でずっときているし、結局、その流れは、本書刊行後半世紀の間、部分的には変わっても(自分のいた高校は英語に強いのがウリで「LL教室」があったが)、全体としてはどれほど文法偏重から抜け出たか疑問です。ここに来て、大学入試センター試験が来年度[2021年1月]から大学入学共通テストに移行し、英語でリスニングの配点比率が現行の2.5倍になるとのことですが、(個人的には英語教育の改革を追っかけているわけではないが)グローバル化の流れの中で、今までの「文法」重視のツケである実用面での遅れを、慌てて取り戻そうとしている印象も受けます。

 そうした意味では、本書は今読んでも(ある意味皮肉なことかもしれないが)十分に示唆的であり、教養書と実用書の両方の要素を兼ね備えたその性質は、取り上げているトピック面でところどころ昭和の懐かしさを感じる部分はあるものの、読者に伝えるべく内容という面ではそれほど経年劣化していないように思います(実際、2014年にちくま文庫で文庫化されている)。

英単語クロスワード7.JPG読書術 加藤周一.jpg 本書では、「発音」の次に「単語」を取り上げていますが、外国語の習得において「単語」の知識が重要なのは、先に取り上げた加藤周一の『読書術』('62年/カッパ・ブックス)にもありました。その意味で、同じ著者による『英単語クロスワード』は、楽しみながら英単語を覚えられるスグレモノです。

 英単語クロスワードは、80年代終わり頃にブームがあり、近年また、"脳トレ"の流れで"ナンクロ"風のものなどが出てきてブームが復活するのかどうかといったところですが、最初のブームのさらに20年前に『英単語クロスワード』という本を出しているというのは、ある意味スゴイことかもしれません(しかも、今でも十分楽しみながら使える)。著者は一橋大学の教授であったため、同大学で著者の英語の授業を受けた作家の城山三郎が、裏表紙の推薦文を書いています。

英語に強くなる本 ちくま文庫.jpg岩田 一男 『英単語記憶術5.JPG

英語に強くなる本: 教室では学べない秘法の公開 (ちくま文庫)』['14年]


『英語に強くなる本』...【2014年文庫化[ちくま文庫]】

【読書MEMO】
●1961年(昭和36年)ベストセラー
1.英語に強くなる本』岩田一男(●光文社カッパ・ブックス)
2.『記憶術』南 博(●光文社カッパ・ブックス)
3.『性生活の知恵』謝 国権(池田書店)
4.『頭のよくなる本』林 髞(●光文社カッパ・ブックス)
5.『砂の器』松本清張(■光文社カッパ・ノベルズ)
6.『影の地帯』松本清張(●光文社カッパ・ノベルズ)
7.『何でも見てやろう』小田 実(河出書房新社)
8.『日本経済入門』長洲一二(●光文社カッパ・ブックス)
9.『日本の会社』坂本藤良(●光文社カッパ・ブックス)
10.『虚名の鎖』水上 勉(■光文社カッパ・ノベルズ)

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「●社会問題・記録・ルポ」の インデックッスへ 「●国際(海外)問題」の インデックッスへ ○ノーベル文学賞受賞者(スベトラーナ・アレクシエービッチ)

冒頭の消防士の妻の証言は、読むのが辛いくらい衝撃的で、哀しい愛の物語でもある。

チェルノブイリの祈り.jpgチェルノブイリの祈り――未来の物語.jpgスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ.jpg スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ
チェルノブイリの祈り-未来の物語 (岩波現代文庫)
チェルノブイリの祈り―未来の物語

スベトラーナ・アレクシエービッチ.jpg 戦争や社会問題の実態を、関係者への聞き書きという技法を通して描き、ジャーナリストとして初めてノーベル文学賞を受賞したベラルーシのスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチの著作で、第二次世界大戦に従軍した女性や関係者を取材した『戦争は女の顔をしていない』(1984)、第二次世界大戦のドイツ軍侵攻当時に子供だった人々の体験談を集めた『ボタン穴から見た戦争』(1985)、アフガニスタン侵攻に従軍した人々や家族の証言を集めた『アフガン帰還兵の証言』(1991)、ソ連崩壊からの急激な体制転換期に生きる支えを失って自殺を試みた人々を取材した『死に魅入られた人びと』(1994)に続く第5弾が、チェルノブイリ原子力発電所事故に遭遇した人々の証言を取り上げた本書『チェルノブイリの祈り』(1997)です。

 1986年の巨大原発事故に遭遇した人々を3年間以上かけて、子どもからお年寄りまで、職業もさまざまな人たち300人に取材して完成したドキュメントですが、1998年に邦訳が出された際は、日本ではそれほど注目されてなかったのではないかと思います。それが2015年のノーベル文学賞受賞で知られるようになり、そう言えば2011年の東日本大震災・福島原発事故の年に、岩波現代文庫で文庫化されていたのだなあと―自分もほぼそのパターンです。

 チェルノブイリ原発事故とその後の対応に自身や近しい人が関わった様々な立場や職業の人々の証言が綴られていますが、やはり最も衝撃的だったのは、事故発生時に消火活動にあたった消防士の妻の話でした(この消防隊は後から駆け付けた応援部隊も含め最終的にほぼ〈全滅〉したとされている)。

 病院に搬送された夫を追って、妊娠を隠し会いにでかける妻。妊娠中だと夫に会えず、またそうでなくとも、将来妊娠する可能性があれば夫に会わせてもらえないため、息子と娘がいると嘘を言い、医師に「二人いるならもう生まなくていいですね」と言われてやっと「中枢神経系が完全にやられ」「骨髄もすべておかされている」という夫のいる病室へ。夫の食事の用意をどうしようかと悩むと、「もうその必要はありません。彼らの胃は食べ物を受けつけなくなっています」と医師に告げられる―。

 それから彼女は、毎日"ちがう夫"と会うことになります。やけどが表面に出てきて、粘膜がゆっくり剥がれ落ち、顔や体の色は、青色、赤色、灰色がかかった褐色へと変化していく。それでも彼女は愛する夫を救おうと奔走し(凄い行動力!)、泣きじゃくる14歳の夫の妹の骨髄が適応したことを知ると、それを夫に告げるも、優しい夫は彼女からの移植を拒否し、代って看護婦だった姉が覚悟の上で提供を申し出、手術を行います(姉は今も病弱で身障者であると言う)。

 夫のそばのテーブルに置かれたオレンジは、夫から出る放射能でピンク色に変わり、それでも、妻は時間の許すかぎり夫の傍に付き添って世話をし続けます。致死量の4000レントゲンをはるかに超える16000レントゲンを浴びた夫の身体は、まさに原子炉そのものであるのに、その夫のそばに居続ける妻の狂気。肺や肝臓の切れ端が口から出て窒息しそうになる夫。事故からたった14日で死を向かえた夫は、亜鉛の棺に納められ、ハンダ付けをし、上にはコンクリート板をのせられ埋葬され、一方、その後、生まれた娘は肝硬変で先天性心臓欠陥があり、4時間で死亡します。

 あまりに衝撃的で、読むのが辛いくらいであり、同時に、極限下で互いの気持ちを通い合わせる若い夫婦のあまりに哀しい愛の物語でもあります。

TVドラマ「チェルノブイリ」(2019)
ドラマ チェルノブイリ1.jpgドラマ チェルノブイリ2.jpgドラマ チェルノブイリ3.jpg  昨年[2019年]アメリカ・HBOで制作・放送され、日本でもスターチャンネルで放映されたテレビドラマ「チェルノブイリ」(全5回のミニシリーズ)にも、このエピソードが反映されたシーンがあったように思いましたが、虚構化された映像よりも、この生々しい現実を伝える「聞き書き」の方が強烈であり、ジャーナリスト初のノーベル文学賞受賞というのも頷けます。

東海村JOCの臨界事故
東海村JCO臨界事故.bmp 思えば、日本国内で初めて事故被曝による死亡者を出した1999年の東海村JCO臨界事故でも、犠牲となった2名の作業員は同じような亡くなり方をしたわけで、うちの1人である大内久さん(当時35歳)の83日間にわたる闘病・延命の記録は、海外では大きく取り上げられたものの、日本では、日本だけが報じない写真などがあるらしく、国の原子力政策上不都合なものには蓋をするという動きが働いたのではないでしょうか。マスコミ内にも、あの問題に触れることをタブー視する、或いは触れないよう"忖度"する気配があるように思います。

 東海村の事故は、2011年の福島原発事故より10年以上前のことですが、本書著者のノーベル文学賞受賞は2015年で、福島原発事故から4年しか経っておらず、その割にはマスコミもあまり彼女の受賞を報道しなかったように思います。本書のベラルーシでの出版は独裁政権による言論統制のために取り消されているとのことですが、目に見えない"報道規制"は日本でもあり得るのではないかと思った次第です。

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「●「朝日賞」受賞者作」の インデックッスへ(加藤周一)

半世紀を経ても古さを感じさせない。スマホ時代の今だからこそ読むべきかも。

読書術 加藤周一.jpg 頭の回転をよくする読書術 86.jpg 読書術 (同時代ライブラリー).jpg 読書術 加藤周一 岩波現代文庫2000.jpg
読書術―頭の回転をよくする (カッパ・ブックス)』['62年](カバーデザイン:田中一光)『頭の回転をよくする読書術 (光文社文庫)』['86年]『読書術 (同時代ライブラリー)』['93年]『読書術 (岩波現代文庫)』['00年]

I読書術―頭の回転をよくする (カッパ・ブックス).JPG『読書術―.jpg 評論家で医学博士でもあった加藤周一(1919-2008/89歳没)による主に若者(高校生くらいか)に向けの読書術の本で、第Ⅰ部で、本をどこで読むかというテーマを取り上げ、第Ⅱ部で、どう読むか、その技術について述べており、第Ⅱ部は、遅く読む「精読術」、速く読む「速読術」、本を読まない「読書術」、外国の本を読む「解読術」、新聞・雑誌を読む「看破術」、難しい本を読む「読書術」の6章から成っています。

 「本をどこで読むか」ということについては、基本的にどこでも読めるのが映画やテレビにはない本の良さだとしながらも、読書の能率がグンと上がる場所は「外洋航路の貨物船」であると言っているのが面白いです。でも、より現実的な"乗り物"を考えるならば「通勤電車」がいいとし、混雑する通勤電車の中では、ページをめくらなくてもいい本を選び、電車に乗る時には1冊だけ持つようにし、受験生なら英単語集、社会人なら外国語テキストがいいと述べています。

本文イラスト:金森馨
『読書術―2.jpg 遅く読む「精読術」については、古典はゆっくり読むべきだとし、日本人のものの考え方を知るために論語、仏教の経典、古事記、万葉集などを読み、西洋を知るためには聖書とギリシャ哲学を学ばなければならず、それらは一度だけ読むのではなく、繰り返しゆっくりと読むことが大切だとしています。

 速く読む「速読術」は、これはこれで、専門化された知識の集積がおそろしく速い現代においては必要であるとし、眼球をどう動かすかといったことから、とばし読みの秘訣まで、わかりやすく指南しています。飛ばし読みは単語に注目することがポイントで、日本語はこの技法に向いているようです。また、一冊ではなく同時に数冊読む方法についても説いています。現代文学は速読すべしとも。

 外国の本を読む「解読術」については、大学、高校で使う教科書の内容はつまらないものが多く、それよりも自分が興味のある分野の本をたくさん読んだほうがいいとしています(エロ本でもよいと)。

 新聞・雑誌を読む「看破術」では、新聞を一紙だけでなく二紙以上読むことを勧め(新聞によって立場が異なる)、また、見出しだけを読んではならないとしています(新聞の見出しは当てにならず事実とは少し違うものになっている)。一時期、新聞を二紙以上購読していた時期があり、新聞によって書いてあることというより記事の扱いが随分異なることを痛切に思ったことがありますが、結局、自分に合った1紙しか読まなくなってしまったなあ。

 難しい本を読む「読書術」では、難解な本が難しい理由は、一つは、作者の問題で、文章が悪く、作者自身も専門用語などを理解しておらず、何を書いているか分かっていない場合があり、もう一つは、読者自身の問題で、文章に使われている用語が分かっていない場合があるとしています。だから、単語の意味を知っておくことは重要だと。

 何十年ぶりかの再読ですが、高校生の時に読んで最も印象に残ったのは、最後の、「難解な本が難しい理由」は、「作者の問題で、文章が悪く、作者自身も専門用語などを理解しておらず、何を書いているか分かっていない場合」があるということで、この言説に何だかすごく励まされように思います。

 でも、今思えば、この著者って「超頭いいー」人でした。東大医学部出身の作家・評論家と言えば、明治は森鴎外が代表格ですが、昭和は、安部公房、加賀乙彦、そして加藤周一ということになるのではないでしょうか(意外と少ない)。「通勤電車」読書のところに出てくる、「電車通勤1年間でラテン語をマスターした男」の話って著者自身のことだし、「速読術」のところで、小学校5年生の時に5年生用と6年生用の授業の内容を覚えて、飛び級で中学に入ったというのも、東京府立一中(現在の日比谷高校)から一高理科(現在の東大教養学部)という"秀才"コースを歩んだ著者のことでした。

 まあ、自分とは頭の出来に雲泥の差があるのでしょうが、それでも、「本が難しい」のは著者の責任であるという言説には、やっぱり励まされた(笑)。この本は、学生時代に限らず、社会人になってからも、もっと何度か読み返してみればよかったかも。小説やビジネス書の読み方で参考になる部分は多くあったように思います。

 1962(昭和37)年刊行、と半世紀以上も前の本ですが、それほど古臭さは感じさせません。当時としては高校生向きなのかもしれませんが、若い世代があまり本を読まなくなったと言われる昨今、いや、今や世代に関係なく、電車に乗れば本を読んでいる人よりスマホをいじっている人の方がずっと多い昨今だからこそ、ビジネスパーソンにお薦めできる一冊ではないかと思います。

【1986年文庫化[光文社文庫(『頭の回転をよくする読書術』)]/1993年[岩波同時代ライブラリー(『読書術』)]/2000年再文庫化[岩波現代文庫(『読書術』)]】

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