【2185】 ○ 古田 足日(作)/久米 宏一(絵) 『宿題ひきうけ株式会社 (1966/02 理論社) 《 新版 宿題ひきうけ株式会社 (1996/09 理論社)》 ★★★★

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現在もこれからも続く問題を扱っている。アイヌ差別表現問題については文脈の中で検証すべき。

宿題ひきうけ株式会社 古田足日 旧版.jpg宿題ひきうけ株式会社 古田足日 新版.jpg 宿題ひきうけ株式会社 理論社名作の愛蔵版 旧版.jpg 宿題ひきうけ株式会社 理論社名作の愛蔵版 古田.jpg
『宿題ひきうけ株式会社』[旧版]/『新版 宿題ひきうけ株式会社』/『宿題ひきうけ株式会社』[フォア文庫旧版]/『新版 宿題ひきうけ株式会社 (フォア文庫)』[フォア文庫新版]

 サクラがおか団地の村山タケシ宅に集まった5年生のヨシヒロ、アキコ、ミツエ、サブローは、宿題を効率的に肩代わりして金を稼ぐ「宿題ひきうけ株式会社」を設立して数百円の収入を得るが、クラス内で起きた「地球儀事件」によって会社の存在を担任教師に知られ解散する―(第1章「宿題ひきうけ株式会社」)。6年生になったタケシたちは、新担任の三宮先生が語った「花忍者」という物語を契機に、宿題や入学試験の持つ「やばん」さ=「人間を大切にしない」ありように気づき、未来の試験と宿題がどうあるべきか考え始める―(第2章「むかしと今と未来」)。新聞部員として活動するタケシらは、「ひとりの成績がよくなればひとりの成績が悪くなる」構造を持ち子どもたちを競争させる学校教育のあり方が、人間を選抜し振り古田足日.jpg落としていくピラミッド型の会社組織につながっていることに気づく。子どもたちは日本国憲法の勉強会を始め、「試験・宿題なくそう組合」を立ち上げて活動し始める―(第3章「進め ぼくらの海賊旗」)。

 今年['14年]6月に亡くなった古田足日(ふるた・たるひ、1927-2014/享年86)の作品で、初出は雑誌「教育研究」。挿絵は連載時から久米宏一が担当し、連載終了後、理論社の小宮山量平に促され、一部手を加えて1966(昭和41)年2月単行本化され、'67(昭和42)年・第7回日本児童文学者協会賞を受賞し、作者の代表作となりました。

古田足日(ふるた・たるひ、1927-2014/享年86)

 この作品が愛蔵版や文庫版も出されて広く長く読まれた理由は、子どもたちが宿題代行会社を自分たちで作るという発想がユニークで面白く、また、そうした子供たちが活き活きと描かれているとともに、ストーリー展開が一定のリアリティを保っていることがあったのではないでしょうか。個人的には自分も、課題図書の中から本書を選んで読書感想文を書いた一人です。

 今読み直すと、高度動経済成長下で過熱化する受験競争の問題のみならず、同時代に起こった電電公社の人員削減問題を取り上げるなど、構造不況・リストラなど当時の社会・経済問題を色濃く反映していることが窺えます。子どもを中心とする事件とともに、アキコの兄が勤めるヤマト電機が行った強制的な人員の配置転換と、それに抵抗する労働組合の活動などが並行して描かれています(考えてみれば子どもたちも、第1章では「株式会社」を作ったのに、第3章では「労働組合」を作るという構図になっている)。第2章にある「やばん」さ=「人間を大切にしない」というテーマを通して、宿題・試験の持つ問題が、資本主義の競争社会といった社会構造が引き起こす問題とパラレルな関係にあることを伝えているように思います。子ども時代に読んだ時は、そこまでは意識しなかったように思いますが、時代を反映しながらも、ある意味、現在もこれからも続いていくのであろう問題を扱っているとも言えます。

 この物語は'96年には後半を大幅に改稿した新版が刊行されていて、これは旧版に引用された宇野浩二「春をつげる鳥」(1926年発表)と関連して、アイヌ民族差別に該当する記述があったことが原因となっていますが、その経緯は新版のあとがきに詳しく書かれています(旧版にあとがきは無く、一方で新版のあとがきは殆どこの問題のことで費やされている)。それによると、第2章で引用された宇野浩二の「春をつげる鳥」自体にアイヌ民族差別にあたる記述があったということで、新版では物語を差し替えるとともに、「やばん」ということについてもっと掘り下げて書いています。

 結果的に新版の方はややクドくなった印象もありますが、旧版に民族差別にあたる表現があったのだから仕方がないのかも(直接的に差別していると言うより、差別的イメージを助長する恐れがあるといった印象なのだが)。そもそも、30年以上も経ってどうしてその問題が指摘されたのかというのはありますが、作者が「春をつげる鳥」がアイヌ民族を差別した作品であることを全面的に認め、更に、自身の引用の仕方や独自の表現にまで率直に、且つ徹底的に自己批判しているので、やはり新版を「決定版」とすべきなのでしょう(北海道にいないはずのイノシシを持ち出したのは差別というより勉強不足だったという気もするが、こうしたこともアイヌ民族の自然観に対する自らの無知として総括している)。

 「春をつげる鳥」がアイヌ側からみて差別的作品であることへの気づきが遅れた原因としては、その指摘は作者自身が'95年に北海道ウタリ協会の人から電話を受けたことに端を発するのですが、その時点で作者が調べてみても、(作者自身が予想した通り)そうした観点での指摘はどの文学事典や解説にも無かったということによるかと思います。作者は、こうした見方は、宇野浩二研究を深めるためにも必要な観点であるとしていましたが、版元は、旧版の回収を書店や図書館に求めたそうです。但し、図書館などでは旧版・新版ともに置いているところが多いようです。旧版が無いと、どこが「差別」なのか分からないよね。そこだけ捉えるのではなく、文脈の中で検証することが大事なのではないでしょうか。

【1966年単行本[理論社(絵:久米宏一)]/1977年文庫化[講談社文庫]/1979年再文庫化[フォア文庫(画:久米宏一)]/1996年9月新版[理論社『新版 宿題ひきうけ株式会社』(絵:久米宏一)]/1996年11月文庫化[フォア文庫『新版 宿題ひきうけ株式会社』(画:久米宏一)]/2001年[理論社(新・名作の愛蔵版)『新版 宿題ひきうけ株式会社』(イラスト:長野ヒデ子)]/2004年再文庫化[フォア文庫愛蔵版『新版 宿題ひきうけ株式会社』(画:久米宏一)]】

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