【1734】 ○ 鹿島 圭介 『警察庁長官を撃った男 (2010/03 新潮社) ★★★★

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力作だが、「中村犯行説」に否定的に働く要素が恣意的にオミットされているような気も。

警察庁長官を撃った男.jpg警察庁長官を撃った男 874.JPG  鹿島 圭介 『警察庁長官を撃った男』.jpg 国松長官狙撃事件現場.jpg
警察庁長官を撃った男』['10年]『警察庁長官を撃った男 (新潮文庫)』['12年]

中村泰.jpg '95年年3月30日に荒川区南千住のマンション・アクロシティ敷地内で発生した国松孝次警察庁長官狙撃事件が、事件後15年を経た'10年3月に時効を迎えるのに合わせて刊行された本で、'03年以降、捜査の途中で何度かその名が浮かび上がった老スナイパー・中村泰(ひろし)の犯行であることを印象付けるものとしては力作です。

 警察、とりわけ南千住署において捜査を主導した公安は、この事件をオウム真理教信者らによるものと見込んで、特に、信者である元警視庁巡査長を最初の内は狙撃犯として捜査に当たりましたが、K(小杉)元巡査長の曖昧な供述に翻弄され、神田川に棄てたという拳銃をはじめ何ら物証らしきものも見つからなかったため、事件から9年後の'04年7月に、現場に残されていた10ウォン硬貨に付着していたDNAと小杉元巡査長のそれが一致した(?)として、彼を実行犯ではなく現場にいた支援者だったとし、彼を含むオウム信者4人を逮捕、内2人と共にK元巡査部長を起訴していますが、その後の取り調べでも事件につながる証拠は何も出て来ず、同年9月には不起訴処分となっています。

警察が狙撃された日 そして〈偽り〉の媒介者たちは.jpg 以前に、谷川葉 著『警察が狙撃された日―そして「偽り」の媒介者たちは』('98年/三一書房)を読みましたが、警察内の刑事部と公安部の確執にスポットを当てているのは本書と同じで、「小杉犯行説」が濃厚視されることをベースに、公安が小杉元巡査部長の供述を無きものにしたという趣旨だったように思いますが、本書においては、公安のメンツを保つためにオウム犯行説にこだわり続け、刑事部「中村捜査班」の取り調べ成果を、米村敏朗・警視総監(当時)が一顧だにしなかったとして、名指しで米村批判をしています。

 その、本書で著者が限りなく真犯人に近いとしている中村泰については、今回初めて詳しく知りましたが、昭和5年生まれで東大中退のちょっと天才肌の凄い人物(名古屋で起きた現金輸送車襲撃事件で現行犯逮捕され服役中)。犯行の経緯を著者に詳細に語る下りは、まさに彼こそ真犯人であると思わせるものがあります。

 小杉元巡査長の"犯行当時"の供述も具体的であることはあるのですが、そこまで具体的に語っておきながら、その後、「自分はやっていないような気がする」などと前言を翻したりしているのを見ると、取り調べに誘導があって、供述書が実質的に警察の"作文"になっている可能性もあるような...(証拠が見つからないと、彼は実行犯ではなく支援役だったという供述書が出てくるところなどは、更に"作文"の疑いを深める)。

 一方の中村泰の供述は、小杉供述に勝るとも劣らぬ具体性があり、例えば、事件当日に國松長官がアクロシティEポートの正面玄関からではなく、たまたまその日に限って通用口から出てきた時の、予想と異なった際の心理状態についても語られています(30メートル先に現れる予定だった"標的"がいきなり10メートルも手前に現れたから、驚くのは当然)。

 個人的には、地下鉄サリン事件の10日後に起きた事件であったことから、ずっとオウム犯行説なのですが、中村泰の犯行動機が、本書にあるように、オウムの犯行と見せかけて、警察を焚きつけてオウムを一気に壊滅に追い込むことであれば、この時期的な符合は不自然ではありません。

 但し、中村泰がもう一つの犯行動機としている警察機構への復讐と第一の犯行動機とは矛盾するものであり、また、現場に北朝鮮の硬貨を遺留してくることは、どちらの動機から見ても全く意味をなさず、更には、中村自身も自らの供述を何度も翻したりボカしたりしているところがあるため、彼の供述にも疑念の余地は大いにあるように思いました(長官狙撃を思い立ったという時点から実行までの期間があまりに短いのも気になる)。

国松長官狙撃事件現場.jpg そう思い始めると、やはり犯行目撃者の多くが証言している"身長170~180センチの男"と中村の160センチという身長の格差"や(本人が産経新聞の記者に、犯行当時シークレットブーツを履いていたと語ったという話はあるが)、犯行当時65歳の誕生日を目前に控えていたという"高い年齢"から、「中村犯行説」も怪しくなってくる...(本書では、「中村犯行説」にネガティブに働く要素が、恣意的にオミットされているような気も)。

 刑事部と公安部の確執は類書にもあるので、もう少し、犯行がどのように行われ、それに対する小杉・中村両者の供述がどれくらい符合しているかを検証して欲しかった気がします。
       
警察による現場検証の様子.jpg 例えば、狙撃犯が潜んでいたとされるアクロシティFポートの植え込みからでは、"標的"がEポート正面玄関から出てきた場合は、長官狙撃事件6.JPG射程距離が30メートルもあるばかりでなく、狙える角度というのが極めて鋭角的に限定され(上写真:警察による現場検証の様子。左手前の人物の位置から右先の人物の位置(=右写真女性の位置)に向けて狙撃がなされたと推定されている)、従って一瞬の内に標的に狙いを定め発砲しなければならない―そんな難しい位置取りで待機し、それがたまたま予定よりも10メートル手前から標的が現れたとしても、一巡査長や65歳の老人が、一瞬にして移動中の標的に照準を合わせ、連続して3発もの銃弾を標的に命中させることが果たして出来ただろうか、かなり疑問です。

長官狙撃事件 読売.jpg 但し、本書にある最初の「小杉供述」によると、Fポートの吹き抜け(通路)に潜んでいると、格子窓(左写真の右上)からEポートの通用口が見え、マンションから男が出てきたので植え込みの所へ移動して撃ったとなったおり、これがFポート東辺吹き抜け通路中程(左写真の「1」の札のある位置)から隅田川寄りの植え込み(左写真の左奥グリーン方向)へ移動して撃ったとなると標的への距離はぐっと縮まります(最初の供述では、その際に現場で小杉元巡査を誘導したのは、早川紀代秀・平田信・井上嘉浩とされている。井上は小杉のすぐ傍にいたことになっていて、では彼はどうやって現場から立ち去ったのかが不思議)。
狙撃現場を調べる捜査員[2012年3月30日 YOMIURI ONLINE(事件不起訴処分となった日に再掲)]

 隅田川寄りの植え込みから撃ったとなると、「中村供述」にある「30メートルが20メートルになった」という話どころか、標的までの距離は10メートル強となり、ある程度の射撃が出来れば標的を撃てそうな気もするのですが、但し、実際に長官がそんな至近距離から撃たれたという話は公表されている限りでは無いようだし、やはり移動したのが手前の植え込みだとすれば、結局、「小杉供述」も「中村供述」とほぼ同じことになってしまう...。長官は背後から撃たれているようだから、手前の植え込みから撃ったのかなあ。そうすると犯人は、上写真手前植え込みから女性の立ち位置辺りにいた標的に対し、3発連続で的を外さなかったわけで、驚異的な射撃の腕前を持った人物ということになるのですが...。

【2012年文庫化[新潮文庫]】

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