【930】 ○ 佐伯 啓思 『「欲望」と資本主義―終りなき拡張の論理』 (1993/06 講談社現代新書) ★★★☆

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資本主義における「欲望のフロンティア拡張運動」を説く。「欲望」発生の原理論が面白い。

「欲望」と資本主義1.jpg「欲望」と資本主義2.jpg 『「欲望」と資本主義―終りなき拡張の論理 (講談社現代新書)』 ['93年]

 著者は本書で、社会主義(計画経済)と資本主義の違いについて、新たな技術や製品を開発し、新たなマーケットを開発する精神こそ資本主義のドライビング・フォースであり、これが社会主義(計画経済)には欠けていたとしています。
 では、市場経済=資本主義なのかというと、従来の経済学ではそうであったが、著者はそこで、経済学の前提にある「稀少性」という概念を裏返し、生産とは常に「過剰」なものであり、人間は「過剰」な消費を繰り返してきたのであり、それがかつてはポトラッチに蕩尽(=浪費)されていたものが、資本主義のもとでは、「欲望の拡張」によって処理されるのであると。

 本書の白眉は、資本主義における「欲望の拡張」の、その「欲望」自体は(予め誰もが持っているものではないのに)どうやって生じるのかについての考察であり、欲望の対象となるものには「価値」があり、価値の対象となるものには「効用」があり、効用とは「満足」であるが、満足は「距離」や「障害」を克服したときに得られるものである、つまり、いつでも入手できるものに人は欲望を感じない(ジンメルの欲望論)、そうすると、みんなが欲しがるものは手に入りにくいため「距離」や「障害」が出来、そこで「欲望」が生まれる―、これをフランスの哲学者ルネ・ジラールは、欲望は他人のそれを「模倣」することで発生するという言い方をしているとのこと(一応、ジンメルやジラールを援用しているが、この両者の結びつけは、著者のオリジナルと思われる)。

個人主義の運命.jpg つまりジラールは、他人を模倣することから欲望が発生すると言っているのですが(作田啓一氏の『個人主義の運命-近代小説と社会学』('81年/岩波新書)のジラールによるドストエフスキーの「永遠の夫」の解題にもこのことはあった)、欲望の充足が個人的な満足を超えた社会的効果をもたらすという点では、ジンメルの「距離」の欲望論と同じであり、つまり欲望は本質的に社会性を持ったものであると。(ウ〜ん。半分以上は先達の理論からの援用だが、でもやはり面白い)

 但し、本書の主要な論点は、資本主義における「欲望のフロンティアの拡張運動」についてであり、それが過去に(例えば産業革命前では)どのように行われてきたか、歴史的に確認するとともに、実体の伴わないまま投機的に欲望が拡大し、「技術のフロンティアと欲望のフロンティア」が乖離してしまうことへの危惧を表しています。

 本書は、バブル経済が弾ける半年前に刊行されたものです。

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