「●子ども社会・いじめ問題」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 「●教育」 【329】 岸本 裕史 『見える学力、見えない学力』
「死なないで」の有名人メッセージはむしろ有害であると。学級制度廃止は「短期的」解決策?
『いじめ加害者を厳罰にせよ (ベスト新書)』
『いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか (講談社現代新書)』 ['09年]
前著『いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか』('09年/講談社現代新書)が、いじめの社会学的分析として評価が高かった著者が、'11年10月に起きた大津市のいじめ自殺事件が今年('12年)7月になって大きくマスコミで取り上げられるようになったのを受けて著したものです。
大津の事件は特別のものではないとし、いじめ事件の発生メカニズムを、「市民社会モード」から隔離された「学校モード」の中で、仲間外れにされまいと大勢の「ノリ」や「勢い」に同調するところから起きると解明している点は、前著の流れを引くもので、前著より噛み砕いて書かれています。
更に、いじめ隠蔽の構造とマスコミ報道について言及していますが、いじめの隠蔽構造は、東日本大震災に伴う福島第一原発事故で責任を回避しようとした原子力ムラと相似形であると述べているのは分かり易く、人の命よりも「教育ムラ」の安泰の方が優先されてしまっているということかと。ナルホド(「大津いじめ自殺事件」のその後の経緯は、まさにそのことを如実に物語っている)。
本書で特に目を引いたのは、「大津いじめ自殺事件」に際してマスコミが、多くの有名人のコメントを報じ、「報道祭り」の様を呈したことを批判的に捉えていることで、そうした有名人を起用してコメントさせることは殆どの場合が有害であり、諸悪の根源が学校制度にあることから目を逸らし、いじめ問題を「心」の問題にすり替えることになっているとしています(あれ、当の子ども達は読んだのかなあ。大人のカタルシスになっているだけの気もするけれど)。
著者は、とりわけ「死なないで」といったメッセージは、「警察に行く」など正義のため何をなすべきかという選択肢を超えて、いじめ被害者を逆に一気に「生か死か」という問題に追い詰めることになっており、そのようないじめ被害者に本来与えるべきなのは、「加害者は敵だ」というメッセージであるとしています。
また、マスコミ報道も、「心の問題」にフォーカスするのではなく、「加害者はいかに処罰されるべきか」という社会正義をこそ報道すべきだと。但し、加害者に対し「あいつら、ムカつく」などと「特定」「晒し」を行うことは、これもまた、いじめを生み出す「群れ」と同じ「ノリ」で盛り上がっているに過ぎず、そうした「ネット愚民」になってはならないとも。
いじめの解決策については、中長期的な解決策としては1つの学校に生徒を所属させる制度を廃止することを、短期的には学級制度の廃止と、「暴力系のいじめ」には学校への法の導入(法に基づいた加害者の処罰)をすべきだとしています。
学級制度の廃止は前著でも提言されていたように思いますが、前著がいじめの社会学的分析が主だったのに対し、こちらは主張が前面にきていて、より明確で分かり易いように思いました。
本書における著者の考え方には概ね賛同しますが、シカトする、悪口を言う、嘲笑するなどの「コミュニケーション操作系のいじめ」については司法の介入は難しいとなると、果たして学級制度の廃止が「短期的」解決策として実現可能なものなのかどうか、実際にそうした試みがなされているのか、却って孤立する子も出てくる可能性があり、そうした子どもを見つけてサポートすることも必要になるのではないか等々、やや考えさせられる点もありました。
そうした試みや運動や行われれば、ある時期一気に拡がるかもしれないけれど、今のところあまり聞かない...。

'12年7月、前年10月に滋賀県大津市で発生した中学生自殺事件が連日マスメディアで取り上げられるようになり(しかしながらこの事件、学校からも教育員会からも出てくるのは責任逃れ的な発言ばかりだなあ)、そのことを受けて刊行された一連の本のうちの1冊です。書いているのは「教育方法学」の専門家(この著者には、
森田洋司 氏(略歴下記)
昨年('11年)10月、滋賀県大津市で市立中学2年の少年が自殺した事件が、今年になって事件の概要が明るみに出て日本中が心を痛めていますが、加害者側の少年たちやその保護者らの無反省な態度や、責任逃れの発言を続ける学校側や教育委員会の対応に、国民感情は悲しみかが怒りに変化しつつあるといった様相でしょうか。確かに、大津市教育長の一連の記者会見、学校長もそうですが、この市教育長の自らの責任の回避ぶりは目に余ってひどいあなと。これで責任をとって辞めるでもなく、任期満了まで教育長の座に居座り続けるつもりのようですが。
本書によれば、日本でいじめ問題が最初に社会問題化したのは80年代半ばで、特に'85年は14名がいじめによって自殺したとされ、翌年'86年には、この時期の代表的ないじめ事例として知られる「葬式ごっこ」による鹿川裕史君自殺事件が発生しています。
日本では1994年に、愛知県の大河内清輝君自殺事件を契機に、いじめによる深刻な被害が再びクローズアップされ、社会問題化するという「第二の波」が訪れ、更に、2005年、2006年にいじめ自殺が相次いで「第三の波」が発生したとのこと。本書では、そうした「波」ごとの国や社会の対応を社会学的見地も交え分析していますが、そこからは、理想と現実のギャップが窺えるように個人的には思いました(現実が理想通りに運べば、第二、第三の波、或いは今回の(第四の波を起こしている?)大津市の事件のようなことは起きないはず)。

2011年10月に大津市の市立中2年の男子生徒=当時(13)=が自殺したのはいじめが原因だとして、遺族が加害者側の元同級生3人と保護者に慰謝料など計約3,850万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、大津地裁(西岡繁靖裁判長)は19日「いじめが自殺の原因になった」と判断し、元同級生2人に請求のほぼ全額となる計約3,750万円の支払いを命じた。


内藤朝雄 氏




1987(昭和62)年に刊行された絵本で、児童文学者である作者のもとへ届いたある手紙がもとになっており、その手紙には、小学4年の妹が転校した学校でいじめに遭い、その後に心を病んで亡くなったということが姉の立場から綴られていたとのことで、事実だったのかと思うとかなり重いです。

今は小学生ぐらいから "ケータイ・デビュー"することがごく普通になってきていますが、親が日常で使っているのを見れば、子どもも自然とそうなるのでしょう。中学生などは、自宅からでも置き電話を使わず、メールで友だちと連絡を取り合うことが普通みたいだし...。つまり彼らは、電話としてよりも、メールやゲームでケータイを使用しているわけですが、本書を読んで、小中学生にとってケータイの世界が、かなりウェイトが大きいものになっているということがわかりました。本書で「人気ベスト3」として紹介されている、「モバゲータウン」や「プロフ」、多くの"ケータイ小説"を生んでいる「魔法のiらんど」など、それぞれに凄い数の利用者がいるわけです。