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アメリカの絵本だが、フランスの絵本よりフランス的。作者の若き日の欧州への憧憬が滲む。
L. Bemelmans(1898- 1962)
『Madeline』『げんきなマドレーヌ』『マドレーヌといぬ』
先生と12人の女の子が暮らすパリの寄宿舎で、一番チビッ子ながらも物怖じしない子がマドレーヌ。ある晩マドレーヌは盲腸炎になり、痛くて大声で泣く。救急車で病院に運ばれ手術し、入院してしまうが、先生のミス・クラベルと11人の女の子達がマドレーヌのお見舞いに行くと、病室はお見舞いの品が一杯で、お腹の手術の傷をみんなに見せるマドレーヌは何だか誇らしげ―。
作者のルドウィッヒ・ベーメルマンス(Ludwig Bemelmans, 1898-1962)はオーストリア・チロルの生まれで、子供時代は問題児で様々な寄宿学校等で育ち14歳で学校を中退、ホテルで働き始めるも気性の激しさから騒動を起こして16歳で渡米、ニューヨークののリッツ・カールトンホテルで働き始め、1917年第一次世界大戦にアメリカ兵として入隊、戦争後はベルリンで本格的に絵の勉強をしようと渡欧計画を立てるも、夢果たせずにホテルの仕事を続け、やがて27歳でニューヨークのレストラン・オーナーとなり、自分のレストランの壁やアパートの日除けに絵を描いていたのが友人の編集者の目にとまって、その友人に絵本を描くことを勧められたとのが絵本作家となった契機であるとのこと。後の作品「マドレーヌ」も、最初はこのレストランのメニューの裏のいたずら書きだったそうです。
結局、彼の処女作が世に出たのは1934年36歳の頃で、彼の名を広く世に知らしめることになった「マドレーヌ」シリーズの第1作である「Madeline」(「げんきなマドレーヌ」)は、1939年にニューヨークの出版社Viking Pressから刊行され、中身はイラスト漫画のようなシンプルな筆致のページと綺麗に彩色されたページから成っています。
『Madeline』(げんきなマドレーヌ)より
その後、「マドレーヌといぬ」「マドレーヌといたずらっ子」「マドレーヌとジプシー」「ロンドンのマドレーヌ」「アメリカのマドレーヌ」といった、同じくマドレーヌを主人公とした作品を発表しています(遺作「アメリカのマドレーヌ」以降は没後の刊行)。
とりわけこの「Madeline」は、盲腸炎に罹ったマドレーヌの入院騒動を扱ったシリーズの中でも最もシンプルなストーリーのものですが、シンプルでありながらも愉快なオチがあり、それがまた子供心をよく衝いている佳作で、そうしたお話の背景に、エッフェル塔、コンコルド広場、オペラ座、バンドーム広場、ノートルダム寺院などパリの有名な建物や場所が描かれているのが美しく、作者の若き日のヨーロッパへの強い憧憬が反映されているように思いました。
マドレーヌのお見舞いを終えた残りの寄宿生が寄宿舎で食事をする場面で、マドレーヌは入院していて残りは11人のはずなのに、なぜか12人が食卓に座っているのは作者のミスであり、読者の指摘を受けて気付いたものの、敢えて改訂版でも訂正しなかったということです。
1951年発表のシリーズ第2作『マドレーヌといぬ』(原題:「Madeline's Rescue」)は、米国の児童文学賞「コールデコット賞」を受賞した作品ですが、これも比較的シンプルで楽しい話で、寄宿舎の皆での散歩の途中、誤って川に落ちたマドレーヌを救った賢い犬を、皆で寄宿舎内で飼うことにするが―。
この話にも愉快でほのぼのとしたオチがあり、犬に「ジュヌビエーブ」という名をつけたということは、なるほどメスだったのかと...。
『マドレーヌといぬ』より
手元にある『Madeline』は、Viking Pressの1967年1月1日刊行版で、勿論、発表当初から英語で書かれているわけですが、英語では、「マデライン」という発音になるそうです(中国人の名前を日本語読みするのと同じか)。
ある意味、フランスの絵本よりフランス的な作品で、やっぱり、これ「マドレーヌ」と読まないと雰囲気が出ないような気がします。
『マドレーヌといたずらっこ (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)』『マドレーヌとジプシー (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)』『ロンドンのマドレーヌ』『アメリカのマドレーヌ』