【1763】 ◎ 藤田 嗣治 『藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色 (2002/10 講談社) ★★★★★

「●美学・美術」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【781】 小宮 正安 『愉悦の蒐集 ヴンダーカンマーの謎
「●「朝日賞」受賞者作」の インデックッスへ(藤田嗣治)

幅広い画風。見ていて飽きがくることがない。

藤田嗣治画集78.JPG藤田嗣治画集79.JPG 藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色.jpg
(39.2 x 27.2 x 4.2 cm) 『藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色』(2002/10 講談社)

藤田嗣治画集81.JPG『藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色』1.jpg 藤田嗣治(1886-1968/享年81)の大型画集で、輸送用ケースには「没後35年、初めての愛蔵決定版」とのキャッチがあり、代表作160点を発表順に収めています。

 藤田嗣治と言えば日本よりもフランスで先に有名になった画家で、本書解説にも、その生涯が詳しく書かれていますが、東京美術学校(芸大の前身)で黒田清輝の下、19世紀後半のリアリズムの時代の画家の手法を学んだ後、1913年にパリに渡ってピカソと知り合い、彼のアトリエでアンリ・ルソーの絵を見て衝撃を受け、師・黒田清輝の教えから解放されます。

『藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色』2.jpg パリに渡った時にはセザンヌすら知らなかった彼が、既にフランスでは印象派でさえ様々な形で乗り越えられ過去のものとなっていることを知った、その衝撃は大きかったと思います。

 アンリ・ルソーに衝撃を受けた後も、ピカソのキュビズムにも影響を受けたりもし、但し、ピカソの後塵を拝することなく、様々な研鑽を重ね、生活スタイルも含めいろいろな試みを行い、独自の画風を生み出し、早くも1917年には個展を開くまでになります(すぐに画壇の寵児となり、1925年にはフランスからレジオン・ドヌール勲章を贈られた)。

『藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色』3.png 但し、渡仏してから有名になるまでの数年間の生活は、第1次大戦の勃発もあったりして大変だったらしく、自分の絵を燃やして暖をとったという、無名時代のピカソと同じような逸話もあります。それでも、当時、日本からパリに渡った若き芸術家は相当数いたわけで、そうした中、彼は、"エコール・ド・パリ"時代のモンパルナスから輩出された、最も成功した日本人芸術家と言えるでしょう。今でもフランスで一番よく知られている日本人芸術家とも言われているのは、その後も今日まで多くの芸術家が海外進出してはいるものの、彼がフランスで受けた絶大な評価の水準までは達していないということなのかもしれません。

 個人的には、彼の作品ではパリの風景、街角や古ホテルなどを描いたものは以前から好きなのですが(よく美術の教科書に出ていた)、昔から絵葉書やカレンダーなどにもなっているし、一般的に広く日本人受けするのかなあ(無難と言えば無難な好み?)。

『藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色』4.jpg 実際には女性(裸婦)を描いた作品がかなり多く、その他にも静物、動物(猫が多い)や宗教画っぽいものなどと多種多様で、モチーフや描かれた時期によっても画風が変わります。

 この画集を見ると、少女を描いたものも相当多いことがわかり、最近は彼の少女画は結構ブームになっているみたいですが、少女画は、ややロンパリ気味の目に特徴があります。細い線の特徴もよく出ていて、この画集を買ってから個人的にも少女画もいいなあと思うようになりました。

 そのほかにも、"いかにも油絵"と言う感じのものから、"浮世絵"のようなものまで(油彩画家の間での"浮世絵"探求ブームは藤田のデビュー当時のフランスにあったわけだが)その画風の幅は広く、見ていて飽きがくることがないのと当時に、常にチャレンジ精神をもって新境地を開拓していた画家であったことが分かります。

「アッツ島玉砕」1943
「アッツ島玉砕」1943.jpg 本書のサブタイトルにもある「素晴らしき乳白色」は、特に女性や少女の肌を描く際に使われ、彼のフランスでの評価を高める大きな要素となりましたが、やはりそこには、日本人独特の「肌色」へのこだわりと、それを描いてきた日本画の伝統があり、それがフランス人に新鮮な驚きと神秘的な魅力感を喚起したのではないかと考えます(フランス人などの肌は日本人の肌と、色が違うというより透明度からして異なるわけだが)。

 どうやってそうした色合いを出したのかについては、近年も新事実が明らかになったりしているようで、没後40年を経ても話題は尽きないようです(顔料に和光堂の「シッカロール」(ベビーパウダー)を使っていたらしいことが昨年['11年])明らかになった)。

『藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色』5.jpg 第二次大戦中に戦争画を描いて(1942年度朝日賞を受賞している)、戦後は軍部協力者、戦犯容疑者として冷や飯を食わされることになりますが(陸軍美術協会理事長という立場であったことから、一時はGHQからも聴取を受けるべく身を追われることともあった)、アッツ島やサイパン島の玉砕を描いた彼の絵は、ピカソの「ゲルニカ」などと同じく「反戦」絵画として描かれたものではないかと思わせるものがあります。

 戦後の公職追放の裏には、日本画壇に一部で、海外で名声を得た彼の才能に対する妬みがあったとも言われており、彼自身は1949年に渡仏し、二度と日本に戻ってくることはありませんでした(羽田空港から日本を去る前に、「国際人となれ」と言い残したという)。

『藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色』6.jpg 1955年にはフランス国籍を取得し(日本国籍でなくなった)、1955年にはカトリックに改宗し(レオナール・フジタとなった)、彼の改宗はフランスの新聞で大きく報じられたとのことです。

 何事にも好奇心旺盛で、南米ほか各地を旅行し、生涯で日本人妻、フランス人妻と4度離婚し、愛人も多くいましたが、50歳で結婚した最後の妻、25歳年下の君代夫人(1911-2009/享年98)とは最後まで連れ添ったように、そして晩年の絵には宗教画が多いように、晩年は自らの心の平穏を何よりの創作の拠り所としていたのかもしれません(でも、晩年の少女画も多く、川端康成的ロリコンも感じられるのが興味深い)。

『藤田嗣治画集 素晴らしき乳白色』7.jpg

小栗 康平 「FOUJITA」 (15年/日・仏) (2015/11 KADOKAWA) ★★☆
映画『FOUJITA』.jpg映画『FOUJITA』s.jpg
「FOUJITA」●制作年:2015年●製作国;日本/フランス●監督・脚本:小栗康平●製作:井上和子/小栗康平/クローディー・オサール●撮影:町田博●音楽:佐藤聰明●時間:126分●出演:オダギリジョー/藤谷美紀/アナ・ジラルド/アンジェル・ユモー/マリー・クレメール/加瀬亮/りりィ/岸部一徳/青木崇高/福士誠治/井川比佐志/風間杜夫●公開:2015/11●配給:KADOKAWA●最初に観た場所:渋谷・ユーロスペース(15-11-10)(評価:★★☆)

Categories

Pages

Powered by Movable Type 6.1.1