【3234】 ◎ ウィリアム・サマセット・モーム (厨川圭子:訳) 『月と六ペンス (1958/11 角川文庫) 《(中野好夫:訳) 『月と六ペンス (1959/09 新潮文庫) 》 ★★★★☆

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モデルとされているゴーギャンとの相違点も多い。世界文学の名作でありながら、読み易く面白い。

『月と六ペンス』(文庫).jpg
厨川圭子:訳『月と六ペンス』(1958 角川文庫)/中野好夫:訳『月と六ペンス』(1959 新潮文庫)/龍口直太郎:訳『月と六ペンス』(1966 旺文社文庫)/阿部知二:訳『月と六ペンス』(1970 岩波文庫)/北川悌二:訳『月と六ペンス』(1972 講談社文庫)/土屋政雄:訳『月と六ペンス』(2008 光文社古典新訳文庫)/厨川圭子:訳『月と六ペンス』(2009 角川文庫)/行方昭夫:訳『月と六ペンス』(2010 岩波文庫)/金原瑞人:訳『月と六ペンス』(2014 新潮文庫)
The moon and sixpence (1919 edition) |
The Moon and Sixpence 1919.jpg 作家の私は、夫人のパーティーに招かれたことからストリックランドと知り合う。ストリックランドは証券会社で働いていたが、ある日突然家族を残して消える。私は夫人に頼まれ、パリのストリックランドのもとへ向かうと、駆け落ちしたという女性の姿はなく、一人で貧しい生活を送っていた。話を聴くと、絵を描くために生活を捨てたという。私は彼を批判するが、彼はものともしない。夫人は私からそのことを聞くと悲しんだが、やがてタイピストの仕事を始めて自立してく。その5年後、私はパリで暮らしていた。以前に知り合った三流画家のダーク・ストルーヴを訪れ、彼がストリックランドの才能に惚れ込んでいることを知る。ストルーヴに連れられストリックランドと再会するが、彼は相変らず貧しい暮らしをしていた。それから私は何度かストリックランドと会ったが、その後絶縁状態になっていた。クリスマス前のある日、ストルーヴとともにストリックランドのアトリエを訪れると、彼は重病を患っていた。ストルーヴが彼を自分の家に引き取ろうとすると、妻のブランチは強く反対する。夫に説得されてストリックランドの看病をするうちにブランチは彼に好意を寄せるようになり、ついには夫を棄ててストリックランドに付き添うが、愛情を受け入れてもらえず服毒自殺する。妻の死を知ったストルーヴは、ストリックランドへの敬意を失うことなく、故郷のオランダへと帰って行った。私はストリックランドに会って彼を再び批判したが、その後彼と再会することはなかった。ストリックランドの死後、私は別件でタヒチを訪れていた。そこで彼を知るニコルズ船長に出会い、彼が船乗りの仕事をしていた時のことを聞く。貿易商のコーエンはストリックランドを自分の農場で働かせていたことを話す。宿屋のティアレは彼にアタという妻を斡旋したことを話した。彼の家に泊まったことのあるブリュノ船長は、ストリックランドの家の様子を話した。医師のクートラはストリックランドがハンセン病に感染した晩年のことを語り、彼の遺作は遺言によって燃やされたとしている。私は医師の所有するストリックランドの絵画を見て恐ろしさを感じていた―。
New York: Pocket Books, 1967.
『The Moon and Sixpence 』.jpg 1919年に出版されたサマセット・モームの、言わずと知れた彼の代表作。画家のポール・ゴーギャンをモデルに、絵を描くために安定した生活を捨て、死後に名声を得た人物の生涯を描いています。この小説を書くに際し、モームは実際にタヒチへ赴き、ゴーギャンの絵が描かれたガラスパネルを手に入れたといいいます。「月」「六ペンス」はそれぞれ「聖」と「俗」の象徴であるとか、これまでも何度も言われていますが、そう言えば、両方とも"丸い"形は同じなのだなあと改めて気づいたりしました(気づくのが遅い?)。

 ゴーギャンがモデルであるのは確かですが、ストリックランドとゴーギャンでは相違点がかなり多いというのは以前から指摘されていることです。ストリックランドは英国人ですが、ゴーギャンはフランス人で、ストリックランドは印象派を全く評価しておらず、同世代の画家とも付き合いはないように描かれていますが、ゴーギャンは印象派展に作品を出展しており、ゴッホだけでなく、多数の印象派画家と交流がありました(ストリックランドがタヒチで亡くなっているのに対し、ゴーギャンはマルキーズ諸島で亡くなっているなど、ほかにも多くの相違点がある。 ただし、画家になる前は証券会社で働いているなど、共通点があるのも確か)。

 最初に読んだ時は思いつかなかったのですが、ストルーヴ(この興味深いキャラクターの三流画家は、絵は下手だが、ストリックランドの才能を見抜く眼力はあったということになる)が、そのゴッホをモデルにしているという見方もあるようです(ストルーヴはゴッホ同様にオランダ人)。ただし、ストルーヴは、自らが見出した超絶した才能の前に、その彼に妻を奪われてまでも崇拝の念を抱き続ける、ある種、ドストエフスキーの小説に出てくるような特異な人物として描かれれています。

ゴーギャン「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」
「我々はどこから来たのか.jpg 最後に語り手である「私」がタヒチで遭遇したストリックランドの遺作は、ゴーギャンの「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」がモデルになっているのではないでしょうか(高間大介『人間はどこから来たのか、どこへ行くのか』)('10年/角川文庫)、エマニュエル・トッド『我々はどこから来て、今どこにいるのか?(上・下)』('22年/文藝春秋)が共にこの絵からタイトルを取り、表紙カバーにこの絵を用いている)。

 世界文学に名を残す作品でありながら、読み易く、特に後半の「私」がタヒチを訪れて聞くストリックランドの話は、いきいきしていて(時制を後日譚(過去形)からリアル(現在進行形)に戻している箇所がある)面白いといっていいくらい。その面白さの中には、現地の人たちでさえ何の価値も無いと思っていたストリックランドの絵に、後にとんでもない高値が付いたというエピソードも含まれますが、ある意味、芸術的価値でさえ金銭的数字に置き換えられるという、資本主義社会を腐肉っぽく象徴しているようにもとれます。

 ただし、最後にタヒチでのストリックランドのことを夫人に話し終えた「私」の頭には、「彼がアタとの間に儲けた息子が、大海原で船を操っている姿が浮かんでいた」とあり、ロマンチックな終わり方になっています。こうした南洋への憧れは西欧人に根強くあって、たとえば映画の世界ならば、ミュージカル映画「南太平洋」('58年/米)からディズニー映画「モアナと伝説の海」('16年/米)まで連綿と続いているのではないでしょうか。

「月と6ペンス」映画.jpg この作品自体も1942年に、「月と6ペンス」('42年/米)としてジョージ・サンダース主演(ストリックランド役)によって映画化されていますが、ストリックランドが「女というものは犬と同じで、ぶてばぶつほど、罰を受けていい子になる」というようなことを言っていて(原作に実際そのようなストリックランドの言葉がある)、そのセリフが当時の女性たちの反発を猛烈にくらい、ジョージ・サンダースはフェミニストから敵視されたとか。彼は自分は女性を蔑視しておらず、愛犬家でもあることをアピールしたようですが(この人を主人公にした『ジョージ・サンダース殺人事件』という推理小説があるぐらいの当時の人気俳優でもあり、人気があるからこそ叩かれたのかも)。

「月と6ペンス」1942.jpg 映画の方はリアルタイムでストリックランドを追っているので、彼とアタの出会いなども描かれていて、ラブロマンスっぽい印象です(前半はコメディっぽい箇所も多い)。英語版しか観ていないので、評価は保留します。アタを演じているのはエレナ・ヴェルダゴという米国の白人女優で、その後の出演作をみると「南の島でラブハント」('44年)とか「ジャングルの宝庫」('49年)とかそれ風のタイトルの作品が続くので、よほどこの映画の印象が強かったのでしょうか(フランケンシュタイン映画など怪奇映画にも出ている)。
  
House of Frankenstein (1944.jpgElena_Verdugo_1955.jpg Elena Verdugo

House of Frankenstein(1944)
  
『月と六ペンス』(角川文庫)2.jpg【1958年文庫化[角川文庫(厨川圭子:訳)]/1959年再文庫化[新潮文庫(中野好夫:訳)]/1966年再文庫化[旺文社文庫(龍口直太郎:訳)]/1970年再文庫化[岩波文庫(阿部知二:訳)]/1972年再文庫化[講談社文庫(北川悌二:訳)]/2008年再文庫化[光文社古典新訳文庫(土屋政雄:訳)]/2009年再文庫化[角川文庫(厨川圭子:訳)]/2009年再文庫化[岩波文庫(行方昭夫:訳)]/2014年再文庫化[新潮文庫(金原瑞人:訳)]】
『月と六ペンス』(新潮 文庫).jpg

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