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町を浄化するには手順があった。「ハードボイルド小説=男のハーレクイン」と言われようとも。
『血の収穫 (創元推理文庫)』(田中西二郎:訳)[和田 誠 カバー絵版/白山宣之カバー絵版/新版]『赤い収穫 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』(小鷹信光:訳)
『赤い収穫 (1953年) Hayakawa Pocket Mystery 102』(砧一郎:訳)
コンティネンタル探偵社支局員の私は、小切手を同封した事件依頼の手紙を受けとってある鉱山町に出かけるが、入れちがいに依頼人が銃殺され、利権と汚職とギャングの縄張り抗争で殺人の修羅場と化した町を、1人奔走することになる―。
Red Harvest 1929 (hardback with dust jacket)/1943 (paperback)/1956 (paperback)/1963 (paperback)
1929年に完結したダシール・ハメット(Dashiell Hammett、1894‐1961)のデビュー作で(原題:Red Harvest)、ハードボイルドの原型となった作品の1つと言われるだけに、逆に古さを感じさせず、現在に至るまで、いかに多くのフォロアーを生みだした作品であるかということを窺わせるものでもあります。
Dashiell Hammett Omnibus: Red Harvest, The Dain Curse, The Maltese Falcon, The Glass Key.
前半の依頼人殺しの犯人を突き止めるところぐらいまでは本格推理的要素が幾分かありますが、やがて次々と人が殺されていく壮絶なバイオレンスドラマになっていき、知力より胆力勝負になっていくというか(現実世界の生身の人間なら、命がいくらあっても足りないという感じもするが)。
そのバイオレンスシーンを淡々と綴る簡潔な文体は、アンドレ・ジッドが絶賛したとのことですが、所々に、状況にそぐわないようなユーモアを入れるのも、近年の作家ではドン・ウィンズロウなどが踏襲しているし、洋モノハードボイルドの翻訳スタイルも、この辺りの作品の翻訳を通して、1つの類型が出来あがっていったのだろなあ。
ハヤカワ・ポケットミステリの砧一郎訳('53年)のタイトルが「赤い収穫」、創元推理文庫の田中西二郎訳('59年)が「血の収穫」でしたが(能島武文訳('60年/新潮文庫)、田中小実昌訳('78年/講談社文庫)も「血の収穫」)、ハヤカワ・ミステリ文庫の小鷹信光訳('89年)は「赤い収穫」と直訳に戻っているほか(と言うより、ハヤカワは一貫して「赤い収穫」ということか)、小鷹信光訳では「おれ」ではなく「私」という一人称になっていて(田中西二郎訳は「おれ」、能島武文訳は「わたし」、田中小実昌訳は「おれ」)、主人公は超人的と言っていいほどのタフガイには違いないですが、「おれ」よりは「わたし」の方がちょっと知的な印象でしょうか。
この主人公は、作中に名前が出てこないため「コンティネンタル・オプ」と一般に言われていますが、作中で誰も彼を名前や渾名で呼ばないことに不自然さが感じられないのも旨い点です。
ハードな雰囲気はずんずん伝わってくるものの、ストーリーは実はかなり混み入っていて、主人公が町の浄化を見事に果たす結末に酔いしれたのはいいけれど、その過程はすっかり忘れてしまっていた―それが、今回落ち着いて読んでみて、町の中の4つの対抗勢力を2対2に分断して抗争させ、さらに残った2つを1対1に分断して争わせるという、ただ引っ掻きまわしただけじゃなく、グループダイナミックス的な手順を踏んでいたことが、改めて認識できました。
この作品は映画化されていませんが、黒澤明が「用心棒」('61年/東宝)の中で、『赤い収穫』から多くのヒントを得たことを自ら認めています(黒澤本人が「用心棒は『血の収穫』(赤い収穫)ですよね?」という問いに「血の収穫だけじゃなくて、本当はクレジットにきちんと名前を出さないといけないぐらいハメット(のアイデア)を使っている」と述べている)。洋画では、強いて言えば、その「用心棒」を、禁酒法時代の西部の町に舞台を置き換えて忠実に翻案した「ラストマン・スタンディング」('96年/米)が、雰囲気的にはやや近いのかも知れません(主人公の桑畑三十郎に相当するジョン・スミスを演じているのは、ブルース・ウィリス)。
まあ、「用心棒」に限らずこの作品のプロットは多くの作品に使われていて、筒井康隆氏の『乱調文学大辞典』('72年/講談社)によれば、「その数、おそらく百をくだるまい」とのことです(この本の全体がパロディだが、この「ハメット」の項は真面目な記述)。
斎藤美奈子女史が『あほらし屋の鐘が鳴る』('99年/朝日新聞社)の中で、「ハードボイルド小説=男のハーレクイン」と言っていますが、ウマいこと言うなあと思いつつも、読みたいもの読ませておいてくれれば、それでいいではないかと思ったりもします。
創元推理文庫 1959年6月20日初版 1976年4月23日17版(田中西二郎:訳)カバー: 和田 誠
【1953年新書化[ハヤカワ・ポケットミステリ(砧一郎:訳『赤い収穫』)/1959年文庫化[創元推理文庫(田中西二郎:訳『血の収穫』)/1960年再文庫化[新潮文庫(能島武文:訳『血の収穫』)]/1977年再文庫化[中公文庫(河野一郎:訳『血の収穫』)]/1978年再文庫化[講談社文庫(田中小実昌:訳『血の収穫』)]/1989年再文庫化[ハヤカワ・ミステリ文庫(小鷹信光:訳『赤い収穫』)]/2005年再文庫化[嶋中文庫(河野一郎・田中西二郎:訳『血の収穫』)]】
小鷹信光(こだか・のぶみつ、本名・中島信也=なかじま・しんや)松田優作主演のテレビドラマ「探偵物語」の原案者で、海外ハードボイルド小説の翻訳の第一人者。2015年12月8日、すい臓がんのため埼玉県内の自宅で死去。79歳。