【307】 △ 本田 透 『萌える男 (2005/11 ちくま新書) ★★★

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「萌え男(オタク)」についての考察。興味深いが、牽強付会の論旨も。

萌える男.jpg 萌える男  .jpg  動物化するポストモダン .jpg
萌える男 (ちくま新書)』〔'05年〕 東 浩紀『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

 「萌え男(オタク)」について考察した本書は、東浩紀氏の『動物化するポストモダン-オタクから見た日本社会』('01年/講談社現代新書)の裏版みたいな感じもしましたが、東氏のような学者ではなく、「萌え男」を自認するライトノベル作家によって書かれていることのほかに、記号論的分析に止まるのではなく、「萌え」の目的論・機能論を目指していると点が本書の特徴でしょうか。

負け犬の遠吠え.jpg 著者は、オタクとは酒井順子氏の『負け犬の遠吠え』でも恋愛対象外とされていたように、「恋愛資本主義ピラミッド」の底辺で女性に相手にされずにいる存在であり、彼らが為す「脳内恋愛」が「萌え」の本質であるとしています。

新世紀エヴァンゲリオン.jpg 「新世紀エヴァンゲリオン」の終結以降、PCゲームで発展を遂げた「萌えキャラ」の分析(この辺りはかなりマニアック)を通して、「脳内恋愛」がオタクとして「底辺」に置かれていることへのルサンチマンを昇華し、「癒し」が精神の鬼畜化を回避しているという、一種の「萌え」の社会的効能論を展開していて(犯罪抑止効果ということか)、このことは、「ロリコン」とか言われ、幼児殺害事件などが起きるたびに差別視される世間一般のオタク観に対するアンチテーゼになっているようです。
 さらに、「萌え」は恋愛および家族を復権させようとする精神運動でもあると結論づけています。

 個人的には、「萌え」による「純愛」復興などと言ってもやはりバーチャルな世界の話ではないかという気がするのと、「家族萌え」という感覚が理解できず引っかかってしまいました。
 「電車男」の話を、オタクを「恋愛資本主義」に取り込むことで「萌えとは現実逃避である」というドグマの強化作用を果たしたと"否定的"に評価している点などはナルホドと思わせ、ニーチェの「永劫回帰」からユングの「アニマとアニムス」まで引いて現代社会論やジェンダー論を展開しているのは、読むうえでは興味を引きましたが、牽強付会と思える論旨や用語の誤用に近い用法(例えば「動物化」)なども見られるように思います。

 「萌え男(オタク)」というのが、「自分らしさ」を保つことで差別され続けるというのは理不尽ではないかという著者の思いはわからないでもないけれど、オタクというのは文化傾向や消費経済において無視できない存在であるにしても、今後、社会にどの程度積極的にコミットしていくかがまだ見えず、著者の〈オタク機能論〉もある種の幻想の域を出ないのではないかという気もしました。

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This page contains a single entry by wada published on 2006年8月26日 23:20.

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