【2362】 ○ 清水 宏 (原作:井伏鱒二) 「簪(かんざし)」 (1941/08 松竹) ★★★★ (○ 井伏 鱒二 「四つの湯槽」―『おこまさん』 (1941/06 輝文館) 《「かんざし」―『かんざし』 (1949 近代出版社)》 ★★★★)

「●し 清水 宏 監督作品」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2141】 清水 宏 「小原庄助さん
「●笠 智衆 出演作品」の インデックッスへ 「●田中 絹代 出演作品」の インデックッスへ 「○日本映画 【制作年順】」の インデックッスへ 「●い 井伏 鱒二」の インデックッスへ ○あの頃映画 松竹DVDコレクション

「按摩と女」と似たような状況設定でありながら、ラストは好対照。

簪 (かんざし)7.jpg 清水 宏 「簪」dvd .jpg 清水宏監督 『簪』 1941 .jpg
簪 [VHS]」田中絹代/笠智衆「簪(かんざし) [DVD]「簪」の1シーン(田中絹代(32歳)、笠智衆(37歳))

清水 宏 「簪」i01.jpg 街道を練り歩くお寺参りの蓮華講一行の中に玄人然とした二人の女、恵美(田中絹代)とお菊(川崎弘子)がいた。この団体はやがて下部温泉のある宿に。その宿には先生(斎藤達雄)と呼ばれるこうるさいインテリと帰還兵の納村(なんむら)(笠智衆)他が泊まっていた。露天の朝風呂でひとしきり文句をたれていた先生。そんな時納村が風呂の中に落ちていた簪で足をケガする。再び文句たらたらの先生だったが、納村自身は「情緒的なことだ」とサラリと言う。その簪は恵美のものだった。落とした簪を取りに宿へ戻った恵美は、自分の簪で納村がケガをしたことを知って詫び、暫く宿に逗留して彼のリハビリを見守る―。

清水 宏 「簪」i02.jpg 清水宏監督作品の中では「按摩と女」('39年)と並んで評価の高い作品で、井伏鱒二原作「四つの湯槽」を基に清水宏自身が脚色したものですが、渓流に沿った温泉街といい、そこを仕事場とする按摩たちといい、そこに流れ着いた女といい、「按摩と女」と状況設定が似ています。従って、恵美(田中絹代)が何となく"ワケあり"なのが最初から見て取れ、彼女が実は東京で男の囲い者であったのを逃げるようにこの温泉街にやって来たというのが分かったところで、「按摩と女」と全く同じではないかと...。「按摩と女」では、女に関心を持った独身男(佐分利信)が連れ子をダシにして何となく延泊を続けていましたが。

簪(かんざし)タイトル.jpg清水 宏 「簪」i03.jpg ただ、ラストは好対照。「按摩と女」で按摩の徳市(徳大寺伸)の恋心も虚しく更に逃げ延びて行った女(高峰三枝子)に対し、恵美(田中絹代)は、納村のリハビリを見守ることが期せずして「お天道様の下で」健康な日々を送ることとなって、気持ちが吹っ切れて、迎えに来たお菊(川崎弘子)の誘いも断って納村が泊まる宿に逗留を続けます。

簪8.jpg ところが、宿への不満から先生(斎藤達雄)が宿を引き上げてしまい、更に納村も足が治って東京に帰ってしまって恵美一人になってしまう―そこへ、納村から東京での再会を期するハガキが―。納村のリハビリに付き添った川や寺を、一人思い出を簪12.jpg噛み締めるように散策する恵美。中盤部分で、納村のリハビリの様子が、夏休みで同宿していた別家族の子どもらとのやり取りも含めほのぼのと、或いは時にユーモラスに時にスリリングに描かれていたのが伏線として効いていて、しみじみとした情感を滲ませるとともに、恵美の決心を暗示するものとなっていますが、はっきり結末まで描かずに終わっているところがいいです。

簪   kanzashi.jpg 個人的には悲恋風の「按摩と女」の方がやや上か、いや、やっぱり観る時の気分によるか。ただ、同宿の逗留者同士でコミュニティのようなものが出来上がって、納村の簪負傷"事件"には皆が心配するし(心配がてら首を突っ込みたがるが)、逗留者同士で「常会」を定期的に開こうといった話にもなったりするなど、のんびりしているのは舞台が湯治場ということもあるのかもしれませんが、昔はいい時代だったのだなあと。恵美が納村個人に宛てた電報を、先生はじめ他の泊り客が先に見て、先生などは張り切ってしまうというのは困ったものですが、プライバシーとか個人情報といったことがとやかく言われなかったおおらかな時代が背景にあるのでしょう。

簪    .jpg 舞台となっているのは高級旅館というわけでもなく、お寺参りの団体客など質より量で成り立っている鄙びた温泉宿といった感じでしょうか。但し、広々とした 露天風呂は野趣満点。この映画の主たる登場人物を構成する二階の客たちは、皆値切った末の長逗留らしくて、団体客が押し寄せると無理矢理に相部屋簪 00.jpgにさせられてしまうも、唯々諾々それに従っています。インテリ先生(斎藤達雄)も根は堅物ではないことが窺え、女が簪を取りに宿へ戻ってくると知って、その女は「美人でなければならぬ」と勝手に決めつけたのはともかく、女のための部屋を用意しますが、それは二間使っていた自分の部屋を障子で仕切っただけ。今は殆ど見かけない風ですが、昔の旅館ではこんな風にして部屋割りするのは珍しいことではなかったのかも。

簪kanzashi 1941 .jpg 笠智衆(1904-1993)、田中絹代(1909-1977)が共に30代で(37歳と32歳)、笠智衆は先生役の斎藤達雄(1902-1968)と比べてかなり若く見えるほか(実年齢で2歳しか違わ簪 齋藤.jpgない)、宿の亭主を演じた坂本武(1989-1974)、奥さんにも先生にも頭が上がらない泊り簪 日守.jpg客を演じた日守新一(1907-1959)などと比べても若く見えて(吉村公三郎監督「象を喰った連中」('47年/松竹大船)では日守新一が主演、笠智衆が助演という感じだった)、 但し、若いことは若いけれど喋りはやはりあの笠智衆、という感じでした。

おこまさん 井伏.jpg 井伏鱒二の原作は、1938(昭和13)年(作者40歳、前年発表の『ジヨン万次郎漂流記』で直木賞を受賞した年)11月に「四つの湯槽」という題で「週刊朝日」に4回にわって連載したもので、『おこまさん』('41年/輝文館)に収録され、そのかんざし』近代出版社.jpg後「かんざし」と改題されて、『かんざし』('49年/輝文館)などに収録されています(改題は映画化タイトルに合わせたのだろう)。原作は映画とほぼ同じようなストーリーですが、映画で斎藤達雄が演じた「先生」は、宿主が先生に言われて払った納村への見舞い金を自分の懐に入れてしまうなど、映画以上に困った存在として描かれていて、「週刊朝日」連載時の触れ込みが「連載ユーモア小説」であったことが窺えるものであると同時に、知識人への皮肉が映画より前面にきています。笠智衆が演じた納村(なんむら)と田中絹代が演じた恵美の接触はありますが、恵美が納村のリハビリに付き合うといったことまではなくてそのまま別れ、再会を示唆するようなこともなく、あっさりとした終わり方の中編になっています(これはこれで面白かった)。映画だと、納村と恵美の関係に目がいきますが、田中絹代が笠智衆を負んぶするという邦画史上"記念碑"的とも言えるシーンは原作には無いものであり、脚本も手掛けた清水宏監督の創意だったということになります。

『かんざし』近代出版社 昭和24年 初版 装幀:硲(はざま)伊之助

下部温泉.jpg下部温泉(山梨県)
下部温泉街 .jpg
古湯坊源泉館.jpg 古湯坊源泉館8.jpg
井伏鱒二の定宿だった下部温泉郷「古湯坊源泉館」(「元CAの混浴露天風呂体験記」)
                                   
簪 (かんざし)m.jpg簪 kanzashi 1941.jpg「簪(かんざし)」●制作年:1941年●監督・脚本:清水宏●製作:新井康之●撮影:猪飼助太郎●音楽:浅井挙曄●原作:井伏鱒二「かんざし(四つの湯槽)」●時間:75分●出演:田中絹代/笠智衆/斎藤達雄/川崎弘子/日守新一/坂本武/三村秀子/河原侃二/爆弾小僧/大塚正義/油井宗信/大杉恒夫/松本行司/寺田佳世子●公開:1941/08●配給:松竹(評価:★★★★)
田中絹代/川崎弘子     

    
《読書MEMO》
山梨県立文学館特設展「生誕120年 井伏鱒二展」(2018年)
下部温泉 井伏鱒二.jpg     

Categories

Pages

Powered by Movable Type 6.1.1