【922】 ○ 湯浅 誠 『反貧困―「すべり台社会」からの脱出』 (2008/04 岩波新書) ★★★★

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実践と学識に裏打ちされた、「自己責任論」の過剰に対する警鐘。

反貧困.jpg反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書 新赤版 1124)』['08年]湯浅 誠.jpg 湯浅 誠 氏 (NHK教育「福祉ネットワーク」(2007.12.19)「この人と福祉を語ろう 見えない『貧困』に立ち向かう」より)

 著者が立ち上げたNPO法人自立生活サポートセンター〈もやい〉には、「10代から80代まで、男性も女性も、単身者も家族持ちや親子も、路上の人からアパートや自宅に暮らしている人まで、失業者も就労中の人も、実に多様な人々が相談に訪れ」、〈もやい〉では、こうした貧困状態に追いやられてしまった人々のために、アパートを借りられるように連帯保証人を紹介したり、生活保護の申請に同行したりするなどの活動をしているとのことです。
 本書には、その活動が具体例を以って報告されているとともに、こうした活動を通して著者は、日本社会は今、ちょっと足をすべらせただけでどん底まですべり落ちていってしまう「すべり台社会」化しているのではないかとしています。
ルポ貧困大国アメリカ.jpg 冒頭にある、生活困窮に陥ってネットカフェや簡易宿泊所を転々とすることになった夫婦の例が、その深刻さをよく物語っていますが、ネットカフェ難民自体は、既にマスコミがとりあげるようになった何年か前から急増していたとのこと。「帯」にあるように、本書でも参照している堤未果氏の『ルポ 貧困大国アメリカ 』('08年/岩波新書)に近い社会に、日本もなりつつあるのかも、と思わせるものがります。

 国の社会保障制度(雇用・社会保険・公的扶助の「3層のセーフティネット」)が綻んでいるのが明らかであるにも関わらず、個人の自助努力が足りないためだとする「自己責任論」を著者は批判していますが、一方で、「貧困」の当事者自身が、こうした「自己責任論」に囚われて単独で頑張りすぎてしまい、更に貧困のスパイラルに嵌ってしまうこともあるようです(「もやい(舫い)」〉というネーミングには、そうした事態を未然に防ぐための「互助」の精神が込められている)。
 著者は、こうした横行する「自己責任論」に対する反論として、個々の人間が貧困状況に追い込まれるプロセスにおいて、親世代の貧困による子の「教育課程からの排除」、雇用ネットや社会保険から除かれる「企業福祉からの排除」、親が子を、子が親を頼れない「家族福祉からの排除」、福祉機関からはじき出される「公的福祉からの排除」、そして、何のために生き抜くのかが見えなくなる「自分自身からの排除」の「5重の排除構造」が存在すると指摘していて、とりわけ、最後の「自分自身からの排除」は、当事者の立場に立たないと見えにくい問題であるが、最も深刻な問題であるとしています。

グッドウィル・折口会長.jpg 個人的には、福祉事務所が生活保護の申請の受理を渋り、「仕事しなさい」の一言で相談者を追い返すようなことがままあるというのが腹立たしく、また、違法な人材派遣業などの所謂「貧困ビジネス」(グッドウィルがまさにそうだったが)が興隆しているというのにも、憤りを覚えました。
 折口雅博・グッドウィル・グループ(GWG)前会長

 著者自身、東大大学院在学中に日雇い派遣会社で働き、その凄まじいピンはねぶりを経験していますが、実体験に基づくルポや社会構造の変化に対する考察は、実践と学識の双方をベースにしているため、読む側に重みを持って迫るものがあります。

 結局、著者は博士課程単位取得後に大学院を辞め、〈もやい〉の活動に入っていくわけですが、今のところ学者でも評論家でもなく社会活動家であり、但し、今まではNPO活動の傍ら「生活保護申請マニュアル」のようなものを著していたのが、2007年10月には「反貧困ネットワーク」を発足させ、更に最近では本書のような(ルポルタージュの比重が高いものの)社会分析的な著作を上梓しており、今後、「反貧困」の活動家としても論客としても注目される存在になると予想されます。

(本書は2008(平成20)年度・第8回「大佛次郎論壇賞」受賞作。第14回「平和・協同ジャーナリスト賞」も併せて受賞)


《読書MEMO》
●「どんな理由があろうと、自殺はよくない」「生きていればそのうちいいことがある」と人は言う。しかし、「そのうちいいことがある」などとどうしても思えなくなったからこそ、人々は困難な自死を選択したのであり、そのことを考えなければ、たとえ何万回そのように唱えても無意味である。(65p)
●〈もやい〉の生活相談でもっとも頻繁に活用されるのは、生活保護制度となる。本人も望んでいるわけではないし、福祉事務所に歓迎されないこともわかっている。生活保護は、誰にとっても「望ましい」選択肢とは言えない。しかし、他に方法がない。目の前にいる人に「残念だけど、もう死ぬしかないね」とは言えない以上、残るは生活保護制度の活用しかない。それを「ケシカラン」という人に対しては、だったら生活保護を使わなくても人々が生きていける社会を一緒に作りましょう、と呼びかけたい。そのためには雇用のセーフティネット、社会保険のセーフティネットをもっと強化する必要がある。(132‐133p)

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