「●や 山崎 豊子」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【1344】 山崎 豊子 『沈まぬ太陽―会長室篇』
小説全体の中では独立したドキュメント、或いは必要欠くべからざる"繋ぎ"。
『沈まぬ太陽 (3)』 ['99年] 『沈まぬ太陽〈3〉御巣鷹山篇 (新潮文庫)』 ['01年]
映画 「沈まぬ太陽」('09年)
10年の"懲罰人事"に耐えて日本に帰国した恩地元であったが、国民航空は恩地を排除しようとするその手を緩めず、更に10年の間、東京本社での閑職に追いやる。そんな中、御巣鷹山で「国航ジャンボ機墜落事故」が発生、救援隊・遺族係へ回される―。
小説自体は、関係者への取材と実在の登場人物、各機関・組織などをベースに「小説的に再構築したもの」とされていますが、この「御巣鷹山篇」では、'85年8月に起きた日航ジャンボ機墜落事故の遺族・関係者へ取材内容を一部実名で取り上げるなどしていて、ドキュメント色の濃いものになっています。
自分自身は事故当時、墜落現場と同じ群馬県の、県北西部のテレビも新聞も無いロッジに居て、そのような大事故が起きたと知ったのは、翌日東京に戻るクルマの中ででした。ロッジは墜落現場からは30〜40km離れていたのですが、静かな山間で、夜中に上空を飛ぶヘリコプターの音が随分と聞こえてくるのを訝しく思った前夜の記憶が甦ったのを憶えています。
この「御巣鷹山篇」は、事故の記憶が無い人には勿論のこと、事故を知っている人にとっても新たに記憶を喚起し、小説全体の中でも大きな反響を呼んだパートですが、ドキュメント色が濃い分、作者の"作家性"は後退しているようにも思え、確かに、後世に伝えなければならない事故ではあったものの、小説全体の中では、単独のドキュメント作品(或いは、「アフリカ篇」と「会長室篇」の必要欠くべからざる"繋ぎ")としての位置づけになっているように思いました。
恩地がさほど前面に出てこないのは、モデルの原型となった人物が実際には事故当時、現場に出向いていないということもあるかと思われますが、それを以って事実を歪曲しているという批判があるのは、小説自体がフィクションであることを予め作者が断っていることからすれば筋違いであり、その他にも、日航が「週刊新潮」のライバル誌を介して行ったこの作品に対する"世論誘導"的な批判には、理不尽なものが多い気がします(遺族の取材に偏向があるといった類の批判もそう。520人の遺族の声を"公平"に取材し、その全てを作品で取り上げるといったことは不可能)。
悲しみに打ちひしがれる遺族の様は、事実またはほぼ事実として受け止めていいのではないかと。遺族の力になろうと奔走する社員も、実際にそうした社員が多くいたのでしょう。そうしたものを取材したドキュメントは既に何冊か本になっていますが、本書では、事故遺体の具体的な状況を詳説するとともに、現場にまだ多くの遺骨の断片が残っている可能性を示唆するなど、より突っ込んだ"新情報"(当時としては)も織り込まれているようです。
本篇に関しては、読んでいて、当事者の心の奥に分け入って書かれていると感じ入る部分もある一方で、新聞の特集連載を読んでいるような印象を受けた部分も正直ありました(保身に走る会社上層部の様を描いた部分が、最も小説的なのだが)。
本篇は、毎日新聞社出身の著者(上司に井上靖がいた)が、その"チーム"取材力を見せたパートであるとも言え(資料集めは"秘書"が行っているということらしいが)、新聞記者っぽいトーンを感じる一方、小説として膨らますには、あまりに"素材"が重く、虚構を交えにくいパートだったのかなと(「アフリカ篇」「会長室篇」が2分冊であるのに対し、「御巣鷹山篇」だけ1冊で完結している)。
とは言え、520名もの人名を奪った大事故が"人災"であったことを、改めて明確に指弾した意味は大きいと思います。
【2001年文庫化[新潮文庫]】
《読書MEMO》
WOWOW開局25周年記念・連続ドラマW「沈まぬ太陽」第2部(全12話)2016.07-09