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歴史的反証を多く含み、モンゴル帝国の新たな側面が見えてくる本。
『モンゴル帝国の興亡〈上〉軍事拡大の時代 モンゴル帝国の興亡〈下〉―世界経営の時代』講談社現代新書 〔96年〕
上巻「軍事拡大の時代」で、チンギスの台頭(1206年カン即位)から息子オゴタイらによる版図拡大、クビライの奪権(1260年即位)までを、下巻「世界経営の時代」で、クビライの築いた巨大帝国とその陸海にわたる諸システムの構築ぶりと、その後帝国が解体に至る(1388年クビライ王朝滅亡)までを、従来史観に対する反証的考察を多く提示しつつ辿る、密度の濃い新書です。
拡大期、(ドイツ会戦「ワールシュタットの戦い」は実際にあったか疑わしいとしているものの)遠くハンガリやポーランドに侵攻し、またバクダッド入りしてアッバース朝を滅ぼすなど、その勢いはまさに「世界征服」という感じですが、皇帝が急逝すると帝位争奪のために帰国撤退し、それで対峙していた国はたまたま救われるというのが、歴史に影響を及ぼす偶然性を示していて(そのために一国が滅んだり生き延びたりする...)何とも言えません。
クビライ
クビライの時代には帝国は、教科書によく出てくる「元国及び四汁(カン)国」という形になっていたわけですが、本書では一貫して「国」と呼ばず、遊牧民共同体から来た「ウルス」という表現を用いており、また、ウルス間の対立過程において、それらの興亡や版図が極めて流動的であったことを詳細に示しています。
チンギスの名を知らない人は少ないと思いますが、クビライ(Qubilai, 1215‐1294)がやはり帝国中興の祖として帝国の興隆に最も寄与した人物ということになるのでしょう。
人工都市「大都」(北京)を築き、運河を開削し海運を発達させ、経済大国を築いた―伝来の宗教的寛容のため多くの人種が混在する中、これら事業に貢献したのは、ムスリムや漢人だったり、イラン系やアラブ系の海商だったりするわけで、2度の元寇で日本が戦った相手も高麗人や南宋人だったのです。
"野蛮"なモンゴル人による単一民族支配という強権帝国のイメージに対し、拡大期においてすら無駄な殺戮を避ける宥和策をとり、ましてモンゴル人同士での殺戮など最も忌み嫌うところであったというのは、そうした既成の一般的イメージを覆すものではないでしょうか。
安定期には自由貿易の重商主義政策をとり、そのために能力主義・実力主義の人材戦略をとり、多くの外国人を登用したという事実など、帝国の新たな側面が見えてくる本です。