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著名人との2ショットにおける都会人・横尾忠則と、郷里の西脇市における地方人・横尾忠則。
『横尾忠則記憶の遠近術』['92年](30.2 x 22.8 x 3 cm)/『記憶の遠近術〜篠山紀信、横尾忠則を撮る』['14年](30 x 22.8 x 2.4 cm)
写真家・篠山紀信氏が横尾忠則氏を1968年から70年代半ばにかけて撮り続けた写真を主とした写真集です。横尾忠則の出身地・兵庫県西脇市にある「横尾忠則現代美術館」が、2012年11月の開館以来8つの目の企画展として2014年10月から2015年1月までこの一連の写真を特集し(横尾忠則はこの場合"被写体"であり、篠山紀信は初めて横尾忠則以外の作家として当館企画展の主役になったことになる)、その開催に合わせて、オリジナルの写真集から厳選するとともに、横尾忠則のその後に撮影された写真などを加えて再構成して2014年10月に芸術新聞社より再刊行されました。
当初は、横尾忠則と彼に影響を与えた人物、彼にとっての往年のアイドルや畏敬する人物との2ショットがメインで、谷内六郎、横山隆一、鶴田浩二、嵐寛寿郎、川上哲治、山川惣治、手塚治虫、石原裕次郎、田中一光、亀倉雄策など、今はもう亡くなってしまった人が多いなあと('14年に亡くなった高倉健もそのうちの一人。和田誠氏も今年['19年]10月に亡くなったなあ)。そんな中、美輪明宏や浅丘ルリ子などとのツーショットもあり、共に撮影されたのは'68年。永い付き合いなのでしょう。'76年に撮られた瀬戸内寂聴と一緒にいる写真もあります。そう言えば、今この二人、朝日系(週刊朝日、朝日新聞等)で往復書簡を公開していますが、瀬戸内寂聴さん97歳、横尾氏83歳かあ。道理で何となくあの世の話が多くなる?(横尾氏ももともスピリチュアル系)
この写真集の特徴として、1970年に横尾氏が兵庫県西脇市に帰郷した際に、友人、知人、恩師、身内らとフレームに収まったことから作風が変化し、著名人たちが写った写真は時代の息吹きを生々しく留める一方、若い横井氏はどこか突っ張った感じもあるのに対し(それは70年代に入っても続く)、同じ70年代に西脇市で撮られた写真は、ほのぼのとした、帰省してくつろいでいる東京人(元は地方人)といった感じで、この合わせが、もしかしたら、この写真集の最大の妙ではないかという気がします。
因みに、本書によると、三島由紀夫は生前に横尾氏と篠山氏に、篠山氏のカメラで三島と横尾氏が様々な死に様を演じるという『男の死』という企画を持ちかけたことがあったそうです。この企画は、三島のパートは順調に撮影が進んだものの、横尾氏のパートの方が西脇への旅行後に横尾氏が病気入院することになって停滞し、同年11月の三島の自決によって完成を見ず、それまで撮影されていた部分も一部のカットを除いて封印されてしまったそうです。篠山紀信の撮った三島のパートをもっと見てみたい気もします(公開されているもので有名なものとしては、三島をモデルに彼をベラスケスを模した「聖セバスチャンの殉教」があり、横尾忠則も後にこれを絵画化している)。
《読書MEMO》
●横尾忠則『高倉健賛江』('69年/天声出版)「自己批判的とがき」
「私は(中略)私の幼少時代の最も嫌悪した地域社会を捨て、都会、つまりモダニズムを希求いたいばかりに当時最もモダニズムの洗礼を受けていたグラフィックデザイン界に足を投じたのである。
ところが現在、私はモダニズムデザインの危機から逃れようとしている。あれほどまでそして今も尚権をしている土着の世界からの再出発を強制されているのだ。これは決して土着という前近代への回帰ではない・近代の超克を前近代に目を向けることで可能であると考えたのである。私はややもすると日本的なるものの郷愁の沈潜へのまちょくにひっかかることもよくわかっている。」