【1882】 ◎ コリン・パウエル/トニー・コルツ (井口耕二:訳) 『リーダーを目指す人の心得 (2012/09 飛鳥新社) ★★★★☆

「●上司学・リーダーシップ」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【2272】 近藤 圭伸 『上司の「人事労務管理力」

リーダーシップについて極めて謙虚に述べているが、体験に基づいているだけに説得力がある。

リーダーを目指す人の心得 2.gifリーダーを目指す人の心得』 リーダーを目指す人の心得 コリン・パウエル 英.jpg "It Worked for Me: In Life and Leadership"

 ジャマイカ移民の子で、ニューヨークのサウス・ブロンクスのストリートキッド、ペプシの工場の清掃夫から、陸軍入りしてから昇進に昇進を重ねて上りつめ、4つの政権でアメリカ軍制服組トップである統合参謀本部議長(1989-1993)などの要職を歴任し、最後はジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官(2001-2005)を務めたコリン・パウエル(Colin Luther Powell、1937-)が、多くの逸話や自らの体験をもとにリーダーシップについて語った本です。

 纏めたのは、専ら軍人の回顧録を書いているライターのトニー・コルツ、訳者は『スティーブ・ジョブズ―偶像復活』('05年/東洋経済新報社)、『スティーブ・ジョブズ(上・下)』('11年/講談社)等、ジョブズの伝記なども訳している井口耕二氏。

 第1章に、私の「13ヵ条ルール」というのが紹介されていて、事例に沿った分かりやすいリーダー訓にまず引き込まれます。第2章では、自分を本当に知ることの重要性と、いつも自分らしくある方法を、第3章では、自分の部下を中心に、ほかの人を知ることに焦点をあて、第4章では、近年のデジタル世界における自らの経験を語り、第5章では、偉大な管理者、偉大なリーダーになる方法を説いています。

ドラッカー先生のリーダーシップ論 帯.jpg ピーター・ドラッカーは、「最も多くのリーダーが訓練を受け、育成されているのは軍隊である」と弟子たちに述べていたそうですが(ウィリアム・A・コーン『ドラッカー先生のリーダーシップ論』('10年/武田ランダムハウスジャパン))、米国史上最年少で(しかも黒人で)アメリカの四軍(陸、海、空、海兵隊)のトップである統合参謀本部議長となった彼は、まさにその最たるものと言えるでしょう。

 『リーダーを目指す人の心得』って、どこにでもありそうな凡庸なタイトルになってしまっているけれど、原題の"It Worked for Me"は「私はこれでうまくいった」ということであり、「For Me(私にとっては)」とついているところが実に謙虚です(あまりに謙虚なので、ストレートなタイトルに置き換えた?)。

 「For Me(私にとっては)」と言っているのは、リーダーシップに正解というものはなく、「誰もがこれでうまくいく」とはいうわけではないということを示唆しているわけですが、そうでありながらも、書かれていることの普遍性と説得力には、巷に出回っている「これを読めばあなたも有能なリーダーになれる」的な薄っぺらな自己啓発本を凌駕して大いに余りあるものでした。

Colin Powell.gif『司令~1.JPG 冒頭の「13ヵ条ルール」の内の1つ「まず怒れ。その上で怒りを乗り越えろ」に関して、かつてボブ・ウッドワードが著した『司令官たち―湾岸戦争突入にいたる"決断"のプロセス』('91年/文藝春秋)の中で、「砂漠の嵐」作戦の指揮官だったノーマン・シュワルツコフ(1934-2012)が、部下が悪い話を持ってきただけでその部下に怒鳴り散らすタイプだったのに対し、彼の部下だったパウエルは、自分の部下のどんな話もじっくり聞くタイプだったとあったのを思い出しました。湾岸戦争後、二人の地位の上下は逆転しています。

 さらに湾岸戦争後、パウエルには、"初の黒人大統領"を待望する世論の声が強まりますが、これも「13ヵ条ルール」の1つ、「他人の道を選ぶことはできない。他人に自分の道を選ばせてはいけない」の項で、自らの"直感"に沿って大統領選への不出馬を決断したことが書かれています。

 国務長官を辞した際も、金融関係など多くの企業から超高額処遇での役員オファーがあったものの、同じような考え方からそれらを断り、結果としてその時に彼に役員オファーした金融企業はリーマンショックで破綻したり苦境に立たされており、断ったのは正しかったと。

 『司令官たち』では、ジョージ・H・W・ブッシュ(パパ・ブッシュ)が、慎重派のパウエルよりも、好戦的なスコウクロフトの主戦論になびいて湾岸戦争に突入していく様が描かれていましたが、イラク戦争でもパウエルは、息子ジョージ・W・ブッシュの強硬姿勢にブレーキをかける立場に回っています。

 しかし、米国は戦争に突入し、パウエルは国連で「イラクに大量破壊兵器あり」との確証に基づかない演説をさせられることになりますが、本書ではそのことを自らの経歴上の"汚点"として素直に認め、どうしてそうしたことになったのかを冷静に分析しています。

Colin Powell's endorsement:less a vote for Obama than a vote against Romney.jpg パウエルは政治的には元々共和党穏健派であり、本書からは共和党のレーガン大統領への尊敬の念が窺えますが、前々回(2008年)の大統領選から民主党のオバマ支持に回っているのは、こうしたこともあって共和党のリーダーへの愛想が尽きたのか...?

 最終章は楽しいエッセイ風の回想録(あるレセプションで、ダイアナ妃を巡って主賓のヘンリー・キッシンジャーをさし置いて王妃と近しく接したことを嬉々として語っている)、及び、子どもたちの未来に希望を託すものとなっており、全体を通しても、リーダーシップの啓蒙書としてばかりでなく、読みものとしても興味深く、楽しく読めるものとなっています。

【2017年文庫化[飛鳥新社]】

《読者MEMO》
●コリン・パウエルの「13ヵ条ルール」
1.何事も思うほどは悪くない。翌朝には状況は改善しているはずだ。
2.まず怒れ。その上で怒りを乗り越えろ。
3.自分の人格と意見を混同してはならない。さもないと、意見が却下されたとき自分も地に落ちてしまう。
4.やればできる。
5.選択には細心の注意を払え。思わぬ結果になることもあるので注意すべし。
6.優れた決断を問題で曇らせてはならない。
7.他人の道を選ぶことはできない。他人に自分の道を選ばせてもいけない。
8.小さいことをチェックすべし。
9.功績は分けあう。
10.冷静であれ。親切であれ。
11.ビジョンを持て。一歩先を要求しろ。
12.恐怖にかられるな。悲観論に耳を傾けるな。
13.楽観的でありつづければ力が倍増する。

1 Comment

コリン・パウエル
20121年10月18日、新型コロナウイルスの合併症のため死去。84歳。

ニューヨーク生まれ。両親はジャマイカ移民。ニューヨーク市立大を卒業後、1958年に陸軍に入隊。レーガン政権末期に大統領補佐官(国家安全保障担当)を務め、89年、黒人として初めて制服組トップの統合参謀本部議長に就任した。2001~05年にブッシュ(子)政権で国務長官。

Categories

Pages

Powered by Movable Type 6.1.1