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「殺人」より「結婚詐欺」にウェイトが置かれた裁判のような印象を受ける傍聴記。
『毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記』['12年/朝日新聞出版] 『佐藤優対談収録完全版 木嶋佳苗100日裁判傍聴記 (講談社文庫)』['17年(『毒婦。― 木嶋佳苗100日裁判傍聴記』を改題)]
肉体と結婚をちらつかせて男たちから1億円以上もだまし取り、3人の男を練炭で殺害したとして死刑判決を受けた木嶋佳苗被告の100日に及んだ裁判では、彼女のファッションまでもが話題となり、自身のセックスについて赤裸々に語ったことで、日本中が騒然となった―。
「週刊朝日」に連載された'12年1月から始まった木嶋佳苗被告の35回に及んだ審理の公判傍聴記で、著者はコラムニストであり、本書のトーンも一般的に堅いイメージのある「傍聴記」とは異なり、「傍聴コラム」といった感じ。
巷で「劇場型裁判」と言われた、そのどの面が「劇場型」だったかが雰囲気的に分かる内容でしたが、タイトルが「毒婦」となっているように、その「劇場」の「出演者」や「観客」を観察しながらも、著者自らも「観客」と一体化している部分もあり、その辺りの著者のスタンスがよく分かりませんでした。
著者自身は「女性の目線」を意識して書いたわけではないとしながらも「男性に目線」にならないように注意したとあり、結局、決して美人とはいえない容姿で、何人もの男を手玉に取ることが出来た理由を探ることに終始しているようにも思いました(これでは「女性週刊誌」の視点と変わらない)。
終りの方には、木嶋佳苗の故郷・北海道別海町や事件関係者などへの取材内容もあって、彼女が小倉千加子氏の本の愛読者であったとか、そこそこ丁寧に取材はされていいますが、末尾には上野千鶴子氏の「援交世代から思想が生まれると思っていた。生んだのは木嶋佳苗だったのね」という言葉が紹介されたりもして、こんな方向性の落とし込みでいいのかなあ。
木嶋被告とはどんな人物なのかを知ろうという熱意は伝わってきますが、被害者の男性達の姿(もうプライバシーも何もあったものじゃない)から「男性の求める理想の女性像とは何か」みたいな方向に行ったリもして、結局最後はややモヤっとした感じ。
まあ、彼女がどのような人物なのかを、そう簡単に決めつけることもできないし、決めつけてもあまり意味が無いような気もしますが。
「稀代の婚活詐欺師」と言っても、結婚詐欺師は男女にわたって世に沢山いるだろうし、やはり何と言っても彼女の特異な点は、その行為の落とし込み所が全て、男性に睡眠薬を飲ませて練炭を用いて殺害するという「殺人」行為であるということに尽きるでしょう。
彼女の周辺で不審死を遂げている男性は6人(この裁判の対象になっていない3人の事件は民事的にはどうなるのだろうか)。まるで超過密スケジュールで「仕事」をこなしていくように、男性を取り込んでは殺人を繰り返していますが、どこか、その"手際の良さ"に感服してしまっているところが、本書の根柢にあるように思われました。
こうした裁判においては、「動機」よりも成した「行為」そのものの方を重視すべきではないかな。「事故」ではなく「故殺」であることが客観的に立証されることが最優先であると思うのですが、裁判自体が「動機」の方に関心が行き過ぎて、"心理戦"の様相を呈しているようにも思いました(その"心理戦"において"堂々としている" 木嶋被告に、更に感服してしまっているキライも本書にはある)。
裁判員制度下では、こうした事件は、「動機」から容疑者の"非人間性"を炙り出す(併せて、同時に被害者の"無念"を露わにする)という、こうした法廷戦略になりがちなのか。一審判決は死刑だったけれども、印象的には検察側の戦略はあまり上手くいっていないように思えました。
結局「殺人」事件の裁判ではなく、「結婚詐欺」事件の裁判みたいになっている印象を受けるのは、あくまでも著者の傍聴内容からのピックアップの仕方が偏っているからであり、実際の審理は"文脈的"にはもっとマトモで、必ずしも著者がピックアップしているようなことばかりではなかったこのではないかという気もしたのですが、法廷で自身の名器自慢などを堂々と語られると、注目・関心がそちらの方へどっと流れてしまうというのはあるのかも。
【2017年文庫化[講談社文庫(『佐藤優対談収録完全版 木嶋佳苗100日裁判傍聴記』)]】