【1774】 ◎ 林 洋子 『藤田嗣治 本のしごと (2011/06 集英社新書 ビジュアル版) ★★★★☆

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面白かった。20年代に藤田自らが手掛けた(一旦失われた)挿絵本が多く含まれている。

i林 洋子 『藤田嗣治 本のしごと』.jpg藤田嗣治 本のしごと1.jpg 『藤田嗣治 本のしごと (集英社新書<ヴィジュアル版>)』['11年]

  画家・藤田嗣治(1886-1968/享年81)の生涯での「本の仕事」を追った本で、書籍や雑誌を対象とした表紙絵や挿絵の仕事から90冊を紹介していて、やや地味なテーマにも思えましたが、読んでみたら面白く、一気に読み進めることとなりました。

「本のしごと」というやや漠たるタイトルになっているのは、それこそ「自著」を自ら装丁したものから、表紙絵や挿絵を寄せただけのもの、或いは、どこまで画家自身が関わったのか推測する外ないようなものまであるからのようです。

藤田嗣治の「本の仕事」を紹介することが、そのままフランスと日本で活動した彼の生き方を追うかたちにもなっていますが、因みに藤田嗣治は、1913年に渡仏し1933年に日本に帰国、1949年にまた日本を離れ、その後亡くなるまで18年間パリ・モンパルナスに定住、日本国籍を捨ててフランス国籍になっています。

 藤田嗣治が最初に渡仏した頃は、何百人という日本人の芸術家の卵がパリに行っていたようですが、その中で断トツに華々しい成功を収めたのが彼でしょう。第一次世界大戦の勃発で多くの在留邦人が母国に引き上げる中、フランスに留まり続け、1919年に32歳で開いた個展で脚光を浴び、「本の仕事」もそこからスタート、本書によれば50冊を超える挿絵本をフランスで手掛けていますが、20年代のパリでの仕事が全体の3分の2を占めるとのことです(装丁第1作が「インドの詩聖」タゴールの英語著書をアンドレ・ジッドが仏訳した本だというからスゴイ)。

特に初期の「本のしごと」は、当時フランスで流行ったジャポニズムに呼応するような異文化紹介的な雰囲気のものが多く、それが帰国してからは「フランスでの日本表象」だった彼が「日本でのフランス表象」となるわけですが、日本の婦人雑誌などの表紙イラストも結構描いているんだなあ。これがお洒落で、戦後の復興期の中で活力とモダンなセンスを得つつあった都会派女性に受けたのは分かる気がします。

藤田嗣治 本のしごと 菊地寛.bmp藤田嗣治 本のしごと 回想のパリ.bmp そうした日本での「本の仕事」も多く紹介されていますが、年代とともにどんどん洗練度を増して時代をリードする一方で、時にクラッシカルな雰囲気に回帰したりして自由自在という感じで、ほんと、スゴイね(日本での「本の仕事」は神奈川近代文学館に多く集まっているとのこと)。

 彼は画家であり版画家であったわけですが、「本のしごと」は彼にとって、自らのアートを一般の人に"携帯"してもらうという、絵画などとはまた違った大切な意味を持つものであったようです。

菊池寛『日本競馬読本』(1936)/柳澤健『回想の巴里』(1947)

 本書に紹介されている図版は200点以上で、これだけ豊富にあると、文章部分がそれぞれの図版のキャプションになっているような読み方もできますが、フジタのアトリエまでも寄贈した君代夫人(1911-2009/享年98)が、最後まで自らの手元に置いていた本が多数あり、彼女が亡くなる3年前にそれらをまとめて美術館に寄贈したことで、新たに明らかになった彼の「本のしごと」が、本書の中核になっているとのこと、その意味では実に貴重な新資料であり、また「新書」のテーマとして相応しいようにも思います。

藤田嗣治  ユキ.bmp 寄贈された本は彼がパリに永住した時期に現地や旅先で入手した本など500冊ほどですが、20年代を中心にパリで藤田自らが手掛けた挿絵本がかなり揃っていたとのこと、但し、それらの多くは、彼自身が世界恐慌の際に一旦手放したものを50年代に買い直したものが多く、彼が失われた青春を取り戻すかのように集めた若き日の労作を、君代夫人がずっと最後まで手元に置いていた気持ちは何となく分かる気がします。

ユキ・デスノス『ユキの回想』(フランス人妻・ユキの回想録/藤田の挿画(1925)を使用した特装版)

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