【1284】 ◎ 白石 典之 『チンギス・カン―"蒼き狼"の実像』 (2006/01 中公新書) ★★★★☆

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考古学的手法に加え、史料、他諸科学の現代技術も駆使して、チンギスの実像に迫る。

ジンギス・カン 白石典之.jpgチンギス・カン―"蒼き狼"の実像 (中公新書)』['06年] チンギス・カン.jpg チンギス・カン

 著者は考古学者で、チンギス・カンはこれまで考古学の対象になったことがないにも関わらず、自ら「チンギす・カン考古学」を看板にしている、"自称"異端の研究者であるとのことです(実際は、国際的評価を得ているホープ的存在なのだが)。本書では、チンギス・カンの本当の姿に迫るために、「元朝秘史」などの史料に拠りながらも、考古学の手法で物証により史実を検証していて、更には、人工衛星によるリモートセンシングなど地理学や地質学、土中の花粉から年代分析するなどその他諸科学の現代技術をも駆使し、"蒼き狼"を巡る多くの謎について実証または考察しています。

 そもそも「チンギス・カン(王)」と「チンギス・ハーン(皇帝)」では意味合いが異なり、「ハーン」と呼ばれるようになったのは後のことで、生前は「カン」と呼ばれていたというところから始まりますが、前半部分で特に興味を惹いたのは、鉄鉱石の産出が乏しいモンゴル高原で、彼がいかにしてそれを調達し、富国強兵を進めたのかという点で、中国北部にあった「金」への征服軍が、なぜ首都を素通りして、現在の山東省に向かったのかという疑問から答えを導き出しています(そこに鉄鉱山があったから)。ただ戦いに(戦術的に)強かっただけでなく、その根底には用意周到な(戦略的な)軍備拡張計画があったのだなあと。各王子に対する分封を交通路との関係で整理しているのも、チンギスの統治戦略を理解するうえで分かり易く、そもそも、モンゴル人のウルドの感覚は、我々の持つ国家や領土のイメージとはやや異なるもののようです。
チンギス・カンの霊廟 
チンギス・カンの霊廟.jpg 「元朝秘史」を手繰りながらの解説は、版図拡大の勢いを物語り、壮大な歴史ロマンを感じさせますが、一方で、製鉄所の場所が、長年謎とされてきた居所や霊廟のあった場所と重なってくるという展開は、ミステリー風でもあります。更には、どのような建物に住み、4人の后妃との生活はどのようなものであったか、実際にどのようなものを食していたのか、などの解説は、著者自身による発掘調査の進展や現地で得られた知見と併行してなされているため、説得力を感じました。後代のカーンに比べ、意外と王らしくない素朴な暮らしをしていたというのが興味深いです。晩年は、始皇帝よろしく不老長寿の秘薬を求めたものの、結局、養生するしか長生きの方法は無いと悟ったが、狩猟での落馬が死を早める原因となったとのこと。

中国・モンゴル・内蒙古.gif 本書には、前世紀から今世紀にかけての比較的最新の考古学的発見や研究成果が織り込まれていますが、チンギスに纏わる最大の謎は、その墓がどこにあるかということで、これだけはまだ謎のままのようです。調査が進まない要因の1つとして、政治的問題もあるようですが、本書の最後の方で語られている、内モンゴルと外モンゴルの国境線による分断(これには、中国、ソ連、そして満州国を建立した日本が深く関わっているのだが)などのモンゴル現代史は、内モンゴル自治区が、近年特に政治的に不安定な新疆ウイグル自治区と同じく、中国民族問題の火種を宿していることを示唆しているように思えました。

 著者によれば、本書は、考古資料を中心に、"実証的"スタンスで執筆を始めたが、途中でそれではあまりに無味乾燥な話になってしまうことに気づき、チンギスの個性のわかるエピソードや伝説の類を織り込んだとのこと、また考古学に関する部分でも、検証を先取りするようなかたちで書いた部分もあるとのことで、歴史学者はこうしたやり方を批判するかも知れませんが、一読者としては、お陰で楽しく読めました。

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