【948】 △ 伊藤 修 『日本の経済―歴史・現状・論点』 (2007/05 中公新書) ★★★

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良くまとまってはいるが、その分「教科書」の域を出ない。

日本の経済.jpg 『日本の経済―歴史・現状・論点 (中公新書 1896)』 ['07年]

 多分に「教科書」的な本であり、前半部分は経済史で、戦後復興期から高度経済成長期、更に70年代のニクソンショック・第一次オイルショックによる停滞期から80年代バブル期までを、データ等を駆使しながら要領良く纏めていて、中盤から後半にかけて、90年代のバブル期及びそれ以降の問題の検証に入り、国際経済関係を含む日本の経済の現状分析だけでなく、日本企業における組織風土の問題や雇用問題、財政・社会保障問題まで言及されています。

 バブル期の問題分析において、「投機は価格の安い時に買い、高い時に売るのだから価格安定機能がある」というフリードマンの命題に対し、これは、「価格の波が、投機家の行動とは別個に、事前に決まっている」という想定に基づくもので、「値が上がるから買い、買うから値が上がる」という"買い上がり"の投機行動が数年にわたる価格上昇をつくり、逆に下降局面では、「カラ売りして値を下げ、安くなったところで買い戻して差益を得る」という"売り叩き"の投機が値崩れを生むといったように、「価格の波」以外の過程では投機は波を促進・拡大するとして、フリードマン理論の論理的急所を突き、投機が社会に破壊的作用を及ぼす危険を帯びることを指摘している(129p)のが解り易く、では何故その時に政府や日銀は金融引き締めに入れなかったということについては、「資産価格は狂乱状態にある一方で、一般価格はまったく落ち着いていたこと」を第一の理由に挙げています(133p)。
 著者が言うように、バブルにおいては、さほど必要ないところに国・企業・個人のカネが投資され、結局、個人ベースで見た場合、バブルの乗り切り方(回収率)の違いで、所得格差は拡大したのだろうなあと。

 この辺りから、経済史の講義は終わり持論の展開が主となるのかなと思いましたが、その後の不況の二番底('97〜'02年)や小泉内閣による構造改革の分析などは、比較的オーソドックスであるように思え、後に来る日本的企業経営、雇用と職場、社会保障の問題なども、時折思いつきみたいな私論が挟まれることはあるが(事務職の給与を全額、手当にしてはどうかとか)、全体としてテキストとしての体裁を維持しようとしているのか、論点整理に止まっているものが多いような気がしました。

 例えば、少子化問題への対策を個人の問題ではなく政府の問題とするような論調も、年金などの社会保障の税負担化論も既出のものの域を出ておらず、やはりありきたり(因みに、国民年金は、保険料納付率が上がればそれだけ受給権者が増え、より赤字になる構造なのだけどなあ)。
 最後の「金融政策をめぐる論点」(岩田規久男氏 vs. 翁邦雄氏・吉田暁氏)も、これまでと同様よく纏まっていますが、ここに来てやっとこの著者の立場を知り(読み手である自分自身が鈍いのか、紙背への読み込みが足りないせいもあるが)、最初から旗幟鮮明にしてくれた方が有難かったかも(「教科書」だから、それはマズイのか?)。

《読書MEMO》
●貨幣供給の原理についての理解では、内生説(翁邦雄氏・吉田暁氏)が正しい。外生説(岩田規久男氏)は、マネーサプライはベースマネーの何倍かになる(結果的にはそうなる)という「信用乗数論」の初級教科書での説明用であって、それが現実だと思ったら大間違いである(287p)

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