【871】 ◎ 秀村 欣二 『ネロ―暴君誕生の条件』 (1967/10 中公新書) ★★★★☆

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ネロの生涯は「アグリッピナ・コンプレックス」との闘いだったという印象を持った。

ネロ暴君誕生の条件.jpgネロ―暴君誕生の条件 (中公新書 144)』['67年]Nero Claudius Drusus Germanicus.jpgNero (紀元37‐68/享年30)

 西洋史学者の秀村欣二(1912‐1997、東大名誉教授)が本書で描く"ネロ"像は、彼が"暴君"であったことを否定するものではありませんが、かなり彼に同情的な面もあるかも。

Agrippina with Nero.jpg 本書を読むと、母アグリッピナというのが(息子ネロに刺客を向けられ、「ここを突いて、さあ。ここからネロは生まれたのだから」と下腹を突き出したことで知られる)、これが美人だがかなりドロドロした女性で、叔父にあたる皇帝クラウディウスとの不倫関係を経て妃の座に就き、その夫を毒殺してネロを皇帝にしたわけで、それまでにも権謀術数の限りを尽くしてライバルを排除してきていて、結局そうした血はそのままネロに引き継がれたという感じです。
ネロ母子 (Agrippina with Nero)

 アグリッピナは息子ネロに対し愛人のように振舞うことで彼を操縦しようとしたから、これではネロもたまらない。母子相姦だったとの説もあるものの、最終的に母を拒絶すると、彼女はネロの義兄弟を帝位に就かせようと画策しますが、ネロはこれを謀殺、もうグチャグチャという感じで、妻をとっかえひっかえして、その度に前妻を駆逐したり謀殺したりする彼の行動には、エディプス・コンプレックスが強く滲んでいるように思え、結局、最後は母アグリッピナの殺害に至る―。

 ただ、ネロの統治の最初5年間ぐらいは評価されるべき部分もあると著者は言い、治世の面でも母親との確執はあったものの、政治家としての思い切りの良さなどはあったみたいです(補佐したセネカが、アレキサンダー大王を補佐したアリストテレスほどの大哲人ではなく、アグリッピナの顔色も窺いながらネロを助けていたようで、むしろこの中途半端さの方がイマイチだが)。

ルカ・ジョルダーノ「セネカの死」(1684-1685)/ピーテル・パウル・ルーベンス「セネカの死」(1612-1615)
ルーベンス - セネカの死.jpgジョルダーノ『セネカの死』.jpg ネロ自身は、母を亡き者にし、その呪縛から解かれたように見えたかのようでしたが、新たに迎えた妻の尻に敷かれたりしているうちに性的にもおかしくなって、美少年と結婚式を挙げたりし(周囲が「子宝」に恵まれるよう祝福の言葉を贈ったというのが、恐怖政治におけるブラック・ユーモアとでも言うべきか)、ローマ市民の歓心を得られると思ってやったキリスト教迫害においてその残忍性をむき出しにしたことで却って人心は離れ、母親殺しで兄弟殺しや妻殺しもやっていて、さらに師をも殺した者が帝位にいるのはおかしいと(セネカも自殺を命じられ、彼の非業の死はルネサンス期に多くの画家の作品モチーフとなった)周囲の反発から反乱が起き、遂にネロ自身が自死せざるを得ない状況に陥りますが、死を前にしてなかなか死にきれないでいるところなど、何だか人間味を感じてしまい、自業自得でありながらも妙に哀しかったです。

 著者に言わせれば、「英雄と暴君は紙一重」ということで(殺した人間の数ではアレキサンダーに比べればネロの方がずっと少ないという見方も)、暴君(タイラント)の語源が僭主(非合法に政権を奪取した者)に由来することからすれば多くの英雄がタイラントであり、ネロも"有能な独裁者"、ある種の英雄ではなかったかと(しかし、後世には、元首失格者・人間失格者として、ネガティブな意味での"暴君"像のみが浸透している)。

 個人的には、ネロの生涯はエディプス・コンプレックス(父親不在で母親の方が子離れ出来ないこのタイプを「アグリッピナ・コンプレックス」と呼ぶそうだが)との闘いだったという印象を強く抱き、何となく神話的人物に近いイメージを持ちましたが、本書に書かれていることは、タキトゥスの「年代記」や海外の研究などをもとに著者が概ね客観的立場から述べたものであり、神話や伝説の類ではなく史実であるということでしょう。

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