【854】 ◎ 木村 伊兵衛 『木村伊兵衛のパリ (2006/07 朝日新聞社) ★★★★☆

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"スナップの天才"ぶりは異国の地でも萎えることがなかった。

木村 伊兵衛 『木村伊兵衛のパリ』.jpg木村伊兵衛のパリ.jpg 『木村伊兵衛のパリ』 ['06年] 僕とライカ 木村伊兵衛傑作選+エッセイ.jpg 『僕とライカ 木村伊兵衛傑作選+エッセイ
(31.8 x 23.4 x 3.8 cm)

 輸入したてのライカを使って1930年代の東京を撮ったことで知られる木村伊兵衛(1901‐1974)が、日本人写真家として戦後初めてヨーロッパ長期取材に出かけてパリの街を撮ったカラー作品群ですが、木村の没後も人目に触れることのなかったのが、撮影から半世紀を経た海外での写真展出品を機に再評価され、日本でも写真集(本書)として刊行されたものであるとのこと。

木村004.jpg 全170点の中には一幅の風景画のような作品もありますが、パリの下町や市井の人々を撮ったスナップショットのようなものが多く、50年代に出版された木村の「外遊写真集」に対し、木村の盟友・名取洋之助(1910‐1962)が、木村をガイドとした外国旅行として楽しめばよいのか、木村の写真集として見ればよいのか、と彼に迫ったところ、「人間を通しての甘っちょろい観光になっているかもしれない」が、「ヨーロッパの人間がわかってくれれば良い」と答えたとのこと―、随分控えめだが、彼らしい答かも。

木村005.jpg 当時の事情から、国産低感度フィルム(フジカラーASA10)での撮影となっていて、確かに露出が長めの分、ブレがあったり少し滲んだ感じの写真が多いのですが、これはこれで味があるというか、(多分計算された上での)効果を醸しています。
 同じ街の風景でも、昭和30年頃の日本とパリのそれとでは随分異なり、19世紀から変わらず21世紀の今もそのままではないかと思われるような町並みも多く、風景などを捉えた写真では、エトランゼとして驚嘆し、そこに佇む木村というものを感じさせます。

 しかし、撮影者の存在を忘れさせる作品が本来のこの人の持ち味、木村012.jpg下町の奥深くに潜入し(この点は、巨匠カルティエ=ブレッソンが紹介してくれた写真家ドアノーの導きによるところも大きいようだが)、街の片隅とそこに暮らす人々を撮った写真では、演出を排し、人々の生活感溢れる様子を活写していて、"スナップの天才"ぶりは異国の地でも萎えることがなかったということでしょうか、これがまた、フランス人の共感をも誘った―。

 撮影日記の抄が付されていますが、木村の文章は『僕とライカ』('03年/朝日新聞社)でもっといろいろ読め(カルティエを訪れたときのことなども詳しい)、この人がかなりの文章家でもあったことが窺えます。

木村0021.jpg 更に対談の名手でもあったということで、『僕とライカ』には、土門拳(1909‐1990)、徳川夢声(1894-1971)との対談が収録されていますが、土門拳との対談は大半が技術論で、写真同好会の会員が情報交換しているみたいな感じ(写真界の双璧、作風を異にする両巨匠なのだが、まったく隠しだてがない―篠山紀信と荒木経惟の不仲ぶりなどとは随分違う。但し、土門拳も名取洋之助とは不仲だったようだ)、一方、徳川無声との対談では、徳川夢声の訊くとも訊かぬとも知れない口調に導かれて、自らのカメラとの馴れ初めなどを積極的に語っています(徳川無声という人がとてつもなく聞き上手だということで、この2本の対談だけでは対談の名手だったかどうかまではわからない)。

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