【761】 ○ 小林 英夫 『日中戦争―殲滅戦から消耗戦へ』 (2007/07 講談社現代新書) ★★★★

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「決戦」型戦争しか知らず、中国のソフトパワーの前に破れた日本のハードパワー。

日中戦争.jpg 『日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ (講談社現代新書)』 〔'07年〕 小林英夫.jpg 小林英夫・早稲田大学アジア太平洋研究センター教授 (略歴下記)

 1937年7月の盧溝橋事件に端を発した日中戦争における日中の戦略的スタンスの違いを、短期決戦(殲滅戦)で臨んだ日本に対し、消耗戦に持ち込もうと最初から考えていた中国という捉え方で分析しています。

蒋介石.jpg  本書によると、日本軍は開戦後まもなく上海に上陸し、さらに南京に侵攻、国民政府・蒋介石は首都・南京を捨て、重慶にまで後退して戦力補充を図ったために戦局は消耗戦へと移行する―、こうした流れはもともと蒋介石により仕組まれたものであり、過去に消耗戦の経験を持たず「決戦」的な戦争観しか持たない日本(このことは太平洋戦争における真珠湾攻などで繰り返される)に対し、蒋介石は、日本側の長所・短所、自国の長所・短所を的確に把握していて、消耗戦に持ち込めば日本には負けないと考えていたようです。
蒋介石 (1887‐1975)

 日本に留学した経験もある蒋介石は、日本軍が規律を守ることに優れ、研究心旺盛で命令完遂能力が高い一方、視野が狭い、国際情勢に疎い、長期戦に弱い、などの欠点を有することを見抜いており、また、下士官クラスは優秀だが、将校レベルは視野が狭いために稚拙な作戦しか立てられないと見ていましたが、著者がこれを、現代の日本の企業社会にも当て嵌まる(従業員は優秀だが、社長や取締役は必ずしもそうではない)としているのが、興味深い指摘でした。

 著者はさらに、武器勢力などのハードパワーに対し、外交やジャーナリズムに訴えるやり方をソフトパワーと呼んでいて、外国勢力との結びつきの強い上海を戦場化し、さらに南京において大量虐殺を行うなどして、自らの国際的立場を悪くし、一方で、戦局が劣勢になっても本土国民に対し、あたかも優勢に戦っているかのような情報しか流さなかった日本のやり方は、戦局が長期化するにつれ綻びを生じざるを得なかったとしています。

 本書後半50ページは、日本の軍部が検閲・押収した兵士やジャーナリストの手紙・文書記録からの抜粋となっており、これを読むと、戦線に遣られた兵士の絶望的な状況が伝わってきますが、中国で捕虜などに残虐行為を働いた兵士が、そのことで自らも厭世的気分に陥り戦意阻喪しているのが印象的でした。

 1945年8月、日中戦争は日本の敗北で終わりますが、それは、優位性を誇る自らのハードパーワーに頼った日本が、外交・国際ジャーナリズムなどソフトパワーを活かす戦略をとった中国に破れた戦いだったいうのが本書の視点であり、現在の国際経済競争などにおいて、はたしてこの教訓が活かされているだろうかという疑問を、著者は投げかけています。
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小林英夫 (コバヤシ・ヒデオ)
1943(昭和18)年東京生まれ。早稲田大学アジア太平洋研究センター教授。専攻は、日本近現代経済史、アジア経済論。著書に『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』『「日本株式会社」を創った男――宮崎正義の生涯』『満鉄――「知の集団」の誕生と死』『戦後アジアと日本企業』など。

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This page contains a single entry by wada published on 2007年10月25日 23:05.

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