【447】 ○ 太宰 治 『ヴィヨンの妻 (1950/12 新潮文庫) 《(1947/08 筑摩書房)》 ★★★★

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意外とユーモラスに自己対象化、虚構化している「ヴィヨンの妻」「親友交歓」。

ヴィヨンの妻 新潮文庫.jpg viyon.jpg 『ヴィヨンの妻』 新潮文庫

ヴィヨンの妻 初版.jpg 1946(昭和21)年に青森の疎開先から東京・三鷹に戻った太宰治(1909‐1948)が、その自死までの間に発表した短篇作品の中から、「親友交歓」「トカトントン」「父」「母」「ヴィヨンの妻」「おさん」「家屋の幸福」「桜桃」の8編を所収。
『ヴィヨンの妻』初版本(筑摩書房)昭和22年8月5日

 表題作「ヴィヨンの妻」(放浪の詩人バイロンに引っ掛けたタイトル)の、家庭に寄り付かず、女連れで飲み歩いてばかりいる〈詩人〉の描き方は、この作品の直後に書かれた「斜陽」の作中の〈作家〉の描き方と、作者(太宰)と作中人物との関係において似ている感じがしました。

 詩人の妻がこの女性が作品の語り手になっていて、「斜陽」も女性が語り手の作品ですが、「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」というこの妻の"逞しさ"―、女性に希望を託し、男に絶望を反映させている面でも「斜陽」に通じるところがあるなあと思いました。
 また、この妻の言葉は、太宰が常に女性の自分に対する精神的な赦しのようなものにすがっていたことの表れともとれます。

 「親友交歓」は、主人公の〈作家〉が、疎開先で、まったく付き合いがあった覚えの無い地元の"親友"の来訪を受け、さんざんたかられて最後に捨てゼリフまで吐かれる話ですが、「軽薄なる社交家」を演じる〈作家〉の描き方にもまた、太宰独特の自己対象化を見てとれ、「私ってこんな目に遭っているんですよ」みたいなことを読者に哀訴しているような感じもします。

 太宰を読む前までは、彼の作品は暗いというイメージがありましたが、この短篇集を読んで、「なんだ、面白いじゃないか」と思った記憶があります。
 文庫裏表紙の紹介では、「いずれも死の予感に彩られた作品」とあり、改めて読むと確かに厭世感や虚無感は感じられるものの、ユーモラスに自己対象化、虚構化していて、特にこの2作はユーモアが効いていると思いました(「親友交歓」は哲学者の木田元が編集した『太宰治 滑稽小説集』('03年/みすず書房)にも収められている)。

 「読者への語りかけ感」もこの作家独特ですが、ほとんど随筆みたいな小品「家屋の幸福」の最後の「家庭の幸福は諸悪の本(もと)」という言い方にも、何かまだ余裕を感じる―この作品は太宰の死後発表されており、「桜桃」と並んで絶筆短篇のはずだが...。

 【1950年文庫化・1985年改版[新潮文庫]/1957年再文庫化・1987年改版[岩波文庫(『ヴィヨンの妻・桜桃・他八篇』)]/1989年再文庫化[ちくま文庫(『太宰治全集〈8〉』)]/2009再文庫化版[文春文庫(『ヴィヨンの妻・人間失格ほか』)]/2009年再文庫化[ぶんか社文庫]】

《読書MEMO》
●「親友交歓」...1946(昭和21)年発表
●「ヴィヨンの妻」...1947(昭和22)年発表
●「家庭の幸福」...1948(昭和23)年発表

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