【583】 ○ 篠田 節子 『讃歌 (2006/01 朝日新聞社) ★★★★

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フジ子・ヘミングを想起せざるを...。優れた芸術とは何かという課題を提示している。

讃歌.jpg 『讃歌』 (2006/01 朝日新聞社)

 テレビ番組制作会社の小野は、クラシック専門のレコード会社社長の熊谷からの情報で、柳原園子という50歳近いヴィオラ奏者の演奏を聴き、クラシックに造詣がないにも関わらず、その演奏に感動する。
 園子は、かつて天才少女ヴァイオリニストと謳われながら、留学先で自殺未遂に至り、その後遺症で寝たきりの生活を送ったあと、大物指揮・佐藤の助言を得てヴィオラに転向、20数年ぶりに復活し、ただし佐藤門下らが占める楽団に加わることなく、教会や公民館のミニ・コンサートで、口コミでファンを増やしていた―、こうした彼女の軌跡を、小野はドキュメンタリー番組にしようと考える。

NHK ビデオ フジコ ~あるピアニストの軌跡~.jpg 番組は実現して大好評を博し、園子は一躍ブームに乗るが...、とここまで来て思い当たるのが、NHKの『フジコ〜あるピアニストの軌跡〜』('99年)でブレイクした「フジ子・ヘミング」で、フジ子はかつて、左耳の聴力を喪失しましたが、その後部分的に回復し帰国、カムバックしたというというところなども似ています。

 しかし何よりも似ているのは、多くの人を感動させる園子の演奏が、音楽評論家や一定水準の英才音楽教育の経験者にとっては、技術的に優れているとは認め難いものであるという点で、フジ子・ヘミングについても、「天才」ではなく「タレント」に過ぎないという評価を聞いたことがあります。

涙の河をふり返れ.jpg 著者は自らの著作のジャンルを特に規定することはしないようで、この作品でも、前半、メディアを通してスターがどのように作られるかが、かつての五木寛之涙の河をふり返れ」('70年/文藝春秋)みたく現場の雰囲気とともに伝わってきて、音楽は作者の得意分野とは言え、よく取材しているなあと(五木寛之は業界出身だけど、篠田節子は元公務員)、ある種、五木が自身の作品を指して言うところの"通俗小説"かと思いきや、後半はメディアに抹殺されるような運命を辿る彼女を、熊谷との絡みでミステリとして描いていました(筋立てはまあまあといったところ)。

 作中の園子の演奏技術にはどこか"演歌"っぽいところがあるようですが、フジ子・ヘミングの演奏についても西洋の奏者にはない微妙な震えのようなものがあるとか。
 何よりも、その人物のバックグランド(人生)が先入観となって、より感動してしまうという点でも、フジ子・ヘミングの人気にも共通するものがあるような気がします。
 解かれたミステリとは別に、優れた芸術とは何かという未解決の課題を提示している小説であると思いました。

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