【3053】 ○ 宮沢 賢治(作)/佐藤義美(案)/茂田井 武(絵)『セロひきのゴーシュ(「こどものとも」2号)』 (1956/05 福音館書店) ★★★★ (○ 宮沢 賢治(作)/佐藤 国男(画)『セロ弾きのゴーシュ (版画絵本 宮沢賢治)』 (2016/12 子どもの未来社) ★★★★)

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「セロ弾きのゴーシュ」の絵本化作品。至高の正統派・茂田井武と独特のタッチの木版画・佐藤国男。
1956年05月セロひきのゴーシュ.jpg IMセロひきのゴーシュ.jpg 版画絵本 宮沢賢治 セロ弾きのゴーシュ.jpg
『セロひきのゴーシュ(「こどものとも」2号)』['56年]/『版画絵本 宮沢賢治 セロ弾きのゴーシュ (版画絵本宮沢賢治)』['16年]
茂田井武 ゴーシェ.jpg 町の活動写真館でセロを弾く係のゴーシュは、練習してもセロをうまく弾けません。突然現れた動物たちの助けをかりて、ゴーシュはセロの練習び没頭します。たった10日間の毎日の練習によって、格段に腕をあげたゴーシュの成長はすさまじいものです―。

茂田井武.jpeg 福音館書店の1956(昭和31)年創刊の月刊誌「こどものとも」の同年5月号(第2号)として刊行された『セロひきのゴーシュ』は、宮澤賢治の原作に「賢治を描いては最高」と言われた茂田井武(1908-1956/48歳没)が絵をつけた、今日も版を重ねている絵本です。

セロひきのゴーシュ 茂田井.jpg 茂田井武の絵を見た赤羽末吉(1910-1990/80歳没)は、すでに50歳になっていたものの、絵本画家として生きる決意をし、福音館書店の松居直編集長を訪ねて絵本を描きたいと語り、瀬田貞二再話による『かさじぞう』(「こどものとも」58号)で挿絵を描き絵本画家としてデビューしたそうです。

 一方、その茂田井武の方は、当時、持病の気管支喘息が悪化して肺結核を患い、1952年から闘病生活をしており、その病床で描き上げたのがこの『セロひきのゴーシュ』で、この本が出版された年の11月に48歳で亡くなっています。

 賢治の作品の雰囲気に絵がよくマッチしていて、正統派で(ただし、ゴーシュを原作の中年男よりぐっと若い男として描いていて)、こうした至高の作品が早期に発表されると、後の作品はなかなかこれを超えにくいのではないでしょうか。実際、数多くの絵本化作品がありますが、この作品を超えていないように思います(悪くはなくとも、どれも似てしまうというのもある。ゴーシュが常に青年として描かれるのもその例)。
 
版画絵本 宮沢賢治 セロ弾きのゴーシュ2.jpg佐藤 国男(さとうくにお).jpg そんななか、函館の版画家・佐藤国男(1952年生まれ)の『版画絵本 宮沢賢治 セロ弾きのゴーシュ』('16年/子どもの未来社)は、木版画という独自性があり、独特のタッチでありながらも原作の雰囲気も損なっておらず、個人的にはかなりいいのではないかと思います。

版画絵本 宮沢賢治 セロ弾きのゴーシュ11.jpg 佐藤国男氏のプロフィールをみると、北海道の高校を卒業後、上京し、昼間は工場で製本や家具作りの仕事に携わり、夜間は東洋大学の仏教学科で学んで、その後、2年間東京や関東各地で大工仕事に従事。昭和55年に函館へ戻り大き「セロ弾きのゴーシュ」8.jpg工を生業にしながら、宮沢賢治を題材とした版画を作り続けてたとのことです。

 本人によれば、「絵描きか考古学者になりたかった私は、いろいろな職を転々とした後、大工になりました。建築現場のあまった木材をピューと鉋がけし、宮沢賢治の童話の世界を、墨で下絵を描き、彫刻し、版画にする楽しみを発見してから25年以上たちます。 大工の経験が絵描きの夢を進化させ、いまは本職になったというわけです」とのことです。

 1984年、絵本『銀河鉄道の夜』(北海道新聞社)を出版し、賢治作品の版画絵本を世に送りながら、今はやりの"兼業・副業"ではないですが、表札や木彫り時計の注文も受けているようで、ちょっと面白いなあと思いました。

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