【2812】 ○ 頭木 弘樹 (編訳) 『絶望名人カフカの人生論 (2014/10 新潮文庫) ★★★★

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「絶望(名人)」という切り口からのカフカへのアプローチがユニーク。しっくりきた。

絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫).jpg絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫)2.jpg フランツ・カフカ 『変身』.JPG  カフカ.jpg Franz Kafka
絶望名人カフカの人生論 (新潮文庫)』『変身 (新潮文庫)

 ユダヤ系チェコ人作家、フランツ・カフカ(1883‐1924)は、20世紀以降の文学作家に最も大きな影響を与えた作家の一人とされています。日本の作家で言えば、安部公房、倉橋由美子から村上春樹まで―といったところでしょうか。また、その代表作『変身』などは、中学生が夏休みの読書感想文の宿題の題材に選ぶような広く知られた作品である一方、専門家や或いは文豪と呼ばれた作家の間でも様々な解釈がある作品です。

 そのカフカの日記やノート、手紙から、彼の本音の言葉を集めたものが本書です。編訳者の頭木弘樹氏もまた、中学生の夏休み、読書感想文を書くための本探しに書店に行き、びっくりするほど薄い本を見つけて、その本というのが『変身』であり、それがカフカとの出会いだったとのことです。頭木氏は二十歳で難病になり、13年間の闘病生活を送ったとのことですが、そのときにカフカを熱心に読むようになった経験から、「絶望しているときには、絶望の言葉が必要」との信念を抱くようになったとのことです。

 ネガティブな自虐や愚痴が満載であることから、タイトルも"絶望名人"となっていますが、頭木氏も言うように、心が消耗して、電池切れのような状態で、今まさに死を考えているような人にとっては、よく言われる「死ぬ気になれば、なんでもできる」といった励ましよりも必要なのは、こうした、その気持ちに寄り添ってくれる言葉なのかも。カフカのこうした言葉を知って、自分の辛い気持ちをよく理解してくれていると思う人は多いような気がします。

 第1章の「将来に絶望した!」から第14章の「不眠に絶望した!」まで絶望の対象ごとに、将来、世の中、自分の体、自分の弱さ、親、学校、仕事、夢...といった具合にテーマ分けされていますが、最後の第15章だけ「病気に絶望...していない!」とそれまでと逆の表現になっているのが興味深いです(「結核はひとつの武器です」と恋人への手紙に書いている)。

 第7章の「仕事に絶望した!」のところで、自身の後の代表作となる『変身』に対して、自らの日記でひどい嫌悪を示しており、理由は、当時、出張旅行に邪魔されて、 「とても読めたものじゃない結末」「ほとんど底の底まで不完全」になってしまったからとのことのようです。カフカは、死の2年前、結核で勤務が不可能になるまで労働者傷害保険協会に勤務しており、仕事が終わってからでないと小説を書けないため、仕事は自らが専念したいと思っている文学の敵だと思っていたようです。

 カフカほどの才能があれば、仕事などさっさと辞めて職業作家になればいいような気もしますが、多くの作品を書きながらも、生前に刊行された7冊の本の内6冊はいずれも短編または短編集で(残りの1冊の『変身』のみが中編)、生前はメジャーな作家ではなかったようです。そうしたこともあって、日記に「ぼくの務めは、ぼくにとって耐えがたいもだ。なぜなら、ぼくが唯一やりたいこと、唯一の使命と思えること、つまり文学の邪魔になるからだ」と書きながらも、なかなか役所を辞める踏ん切りがつかなかったのでしょうか。

 ただ、このことについては、第5章の「親に絶望した!」のところで紹介されている父親への手紙の中で、父親の前に出ると自信が失われるとし、父親は世界を支配しているとまで書いています。そのことを父親に書き送りながら、父親の支配から抜け出せないでいるカフカ―その強烈なファーザー・コンプレックスは彼の様々な作品に反映されていることは知られていますが、彼が役所を辞められないことの一因でもあったように思われます。

 カフカには生涯における主な恋人として、フェリーツェ、ミレナ、ユーリエ、ドーラという4人の女性がいたことが知られていますが、第9章の「結婚に絶望した!」のところに恋人フェリーツェへについての日記の記述があり、「ぼくは彼女なしで生きることはできない」としながら「彼女とともに生きることもできないだろう」としています。結局フェリーツェとは二度婚約して、二度婚約破棄、その後、ユーリエともいったん婚約してこれを破棄といった具合に、結局、結婚生活に憧れながら、それにも踏み切れなかったということになります。

 カフカの生前の未発表作品の草稿の多くは、友人のマックス・ブロートに預けられていましたが、死に際して、草稿やノート類をすべて焼き捨てるようにとの遺言を残したものの、ブロートは自分の信念に従ってこれらを順次世に出し(死の翌年に『審判』(1925年)、続いて『城』(1926年)...と)、今カフカの作品が読めるのはブロートのお陰と言ってもいいくらですが、恋人たちに宛てた手紙も同じく焼き捨てるようにとの遺言していたことを本書で知りました。

 ところが本書には、フェリーツェへにの手紙とミレナへの手紙からの抜粋が相当数にわたって所収されており、カフカの婚約者だったフェリーツェはカフカと同じユダヤ人でしたが、カフカの500通の手紙を持ってスイスに亡命し(その後アメリカに渡った)、恋人のミレナは、チェコ人ながらユダヤ人援護者として捕らえられ、強制収容所で亡くなったものの、その前に手紙を友人の評論家に渡しており、カフカが婚約者や恋人に宛てた手紙を読めるのも、これまた偶然かもしれません(カフカの死を看取った最後の恋人ドーラは、遺言通りカフカの原稿の一部を焼却して後に非難されたとのことだが、頭木氏が言うように、これもまた彼女なりの誠実な行為だったのかもしれない)。

 本書の著者は一応"カフカ"となっていますが、「絶望(名人)」という切り口からカフカの本質を浮かび上がらせ、一般の読者でも読める「人生論」としてまとめ上げた編訳者のアプローチはユニークであり、かつ、個人的にはしっくりきたように思えました。

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