【2391】 ◎ 佐木 隆三 『復讐するは我にあり (上・下)』 (1975/11 講談社) 《 『復讐するは我にあり[改訂新版]』(2007/04 弦書房)》 ★★★★☆

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面白い。素材自体がかなり興味深い。ノンフィクション・ノベルも「ノベル」の内。

復讐するは我にあり 上.jpg復讐するは我にあり下.jpg 復讐するは我にあり 上 (講談社文庫.jpg 復讐するは我にあり下 (講談社文庫).jpg 復讐するは我にあり 文春文庫5.jpg
復讐するは我にあり 上 (講談社文庫 さ 7-1)』『復讐するは我にあり〈下〉 (1978年) (講談社文庫)』/『復讐するは我にあり (文春文庫)』['09年(改訂新版文庫化)]
復讐するは我にあり (上・下) (1975年)

復讐するは我にあり (上・下)5.JPG 1975(昭和50)年下半期・第74回「直木賞」受賞作。

 昭和38年、当時の日本の人々はたった一人の男に恐怖していた。榎津巌(えのきづ いわお)。キリスト教カトリック信者で「俺は千一屋だ。千に一つしか本当のことは言わない」と豪語する詐欺師にして、女性や老人を含む5人の人間を殺した連続殺人犯。延べ12万人に及ぶ警察の捜査網をかいくぐり、大学教授・弁護士などに化けて78日間もの間逃亡したが、昭和39年に熊本で逮捕され、43歳で処刑された。稀代の犯罪者の犯行の軌跡を再現する―。

佐木隆三LG.jpg 昨年['15年]10月に78歳で亡くなった佐木隆三(1937-2015)の代表作ですが、作者がこの作品を書いた時には、本書の素材となった「西口彰事件」から既に12年が経っており、よく調べ上げたものだなあと思いました。でも、こんなスゴイ犯罪者が実際にいたとは驚きです。小説での犯人・榎津は、天才的な詐欺の能力を発揮する神出鬼没の詐欺師であり、それでも詐欺よりも殺人の方が効率が良いと考え、またそれを実行する凶悪犯でもあります。

西口彰.jpg 犯人が熊本では弁護士を装って教戒師の家に押し入ったものの、当時10歳(小学5年生)の娘が見抜き、通報することにより逮捕につながったというのは「西口事件」における事実であり、警察の要職を歴任した高松敬治は「全国の警察は、西口逮捕のために懸命な捜査を続けたが、結果的には全国12万人余の警察官の目は幼い一人の少女の目に及ばなかった」と語ったと言います(犯人が自分で自らの逮捕の経緯を「裸の王様」みたいな話だと言ったのも本当らしい)。

西口 彰(1925-1970)1964年1月3日逮捕、1966年8月15日死刑確定、1970年12月11日福岡拘置所で死刑執行(享年44)。

 こうした犯人の詐欺等の犯行で見せる天才性と逮捕のきっかけが小学生に正体を見抜かれたというそのギャップも興味深いし、捕まって死刑が確定してから、死刑囚仲間をカトリック教徒にしようと、本物の神父が教誨師として刑務所に行けない時は代わりを務め、自分の死刑執行の方が早かったために洗礼に立ち会えないことを残念に思いながら刑場の露と消えたというのも興味深いです。元々、敬虔なクリスチャンの父親の下、幼い頃から教会に関わっていたにしても、だったら何故、そのような連続殺人を犯したのか。死刑が確定してから、拘置所内では点字訳の奉仕作業でハイデッガーの『存在と時間』を訳していたそうで、ものすごく正確な点訳だったようです。

復讐するは我にありo.jpg復讐するは我にあり huroku.JPG 作者はトルーマン・カポーティの『冷血』(1965年)を意識して執筆したそうですが、『冷血』が2人の死刑囚への直接取材を通して彼らの内面に入り込むのに対し、作者はこの犯人に対しては「調べれば調べるほど内面が覗けなくなった」と秋山駿(1930-2013)との対談で述べており(単行本付録)、その分だけ、『冷血』と同じノンフィクション・ノベルであっても(改訂新版['07年/弦書房]の帯には"ノンフィクション・ノベルの金字塔"とある)、対象(犯人)と距離を置いている分、純粋ノンフィクションの色が濃くなっている印象は確かにあります。

復讐するは我にあり〈改訂新版〉』['07年/弦書房]

 読んでいていてともかく面白い。この面白さだったら直木賞の選考でも満票に近かったのではないかと思ったりもしますが、このノンフィクションの色が濃いという辺りが、9名の選考委員の内、過半数の5名(水上勉、源氏鶏太、石坂洋次郎、村上元三、川口松太郎)が◎と圧倒的に支持されながらも、柴田錬三郎が「ノンフィクション・ノベルという奇妙なジャンルがあるらしいが、私には、そんなジャンルを認めることのばかばかしさが先立つ」「丹念に、犯行のありさまと逃亡経過を辿ったところで、それは小説のリアリティとはならない」とするなどし、一部選考委員の票が割れる要因となったかも。同じく選考委員だった司馬遼太郎、松本清張の両大御所も積極的には推しておらず△でした(改訂新版の2年後に出た文庫版['09年/文春文庫]の帯では"ノンフィクション・ノベルの金字塔"ではなく"実録犯罪小説の金字塔"となっている)。

 個人的にも、読んでいてどこまで事実なのか気になった部分もあったし(その場にいないと分からないようなことも書かれている)、秋山駿も作者に、作中に出てくるバーのマダムが刑事に向かって自分が何を喋るにもすぐ"自白する"という言葉を使う場面について、創作なんだなあと(真偽を問われた作者の方は「黙秘します」と言って笑っている)。ルポルタージュという前提で書かれてはいないのですから、全てが事実ではないかもしれない。こうした場合、全てが事実であるように見せるのが上手さであって、やはりそこで作家としての力量が問われるという点で、普通の小説と変わらないのではないかと思いました。人によってこの作品を「新聞記事の世界」という人もいますが、自分としてはそうした見方には与しません。ノンフィクション・ノベルも「ノベル(小説)」の内でしょう。今村昌平監督による映画化作品もいいです(当然のことながら、映画の方がよりドラマタイズされている)。

復讐するは我にあり13.jpg復讐するは我にあり  04 .jpg復讐するは我にあり  C7.jpg「復讐するは我にあり」 (1979/04 松竹) ★★★★☆


【1978年文庫化[講談社文庫(上・下)]/2007年改訂新版[弦書房]/2009年改訂新版文庫化[文春文庫]】

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