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「●ピーター・ドラッカー」の インデックッスへ
ドラッカーの考えが身近に感じられるとともに、経営学者というよりも啓蒙家であることを再認識させられた。
『ドラッカーのリーダー思考 (青春新書インテリジェンス)』 ['10年]
ドラッカーが亡くなる前年に刊行された『ドラッカーが語るリーダーの心得』('04年/青春出版社)を加筆修正し改題したもので、ドラッカーの言葉を50抜き出して解説をしていますが、上田惇生氏の翻訳による『経営の哲学』『仕事の哲学』、『変革の哲学』、『歴史の哲学』から成る「ドラッカー名言集」('03年/ダイヤモンド社)よりも、1つ1つの言葉の解説が丁寧で、昨今のドラッカー・ブームによる"復活"ですが、最近出ているものよりも以前に刊行されたものの方が分かり易かったりもするので、これはこれでいいことではないかと。
著者は、ケネス・プランチャード&スペンサー・ジョンソンの『1分間マネジャー』('83年/ダイヤモンド社)の翻訳で知られる産業能率大学名誉教授・小林薫氏で、80年代は、この人が翻訳したプランチャードの『1分間リーダーシップ』やジョンソンの『1分間セールスマン』(共に'85年/ダイヤモンド社)、M・J・カリガンらの『ベイシック・マネジャー』('84年/ダイヤモンド社)などの150ページから200ページ程度のハードカバー本がよく読まれたのではないかと思います(個人的には、PHPからリーダー実践マニュアル」として刊行された、C・レイモルドの『最高の上司とは何か』とかG・ホーランドの『ビジネス会議の運営術』(共に'87年/PHP研究所)などにも手を伸ばしたけれど、こちらも150ページ前後のハードカバー本。この手の本、ハマる人はハマるんだろなあ)。
ドラッカー学会会長の上田惇生氏(1938年生まれ)より年上で、1931年生まれということは超ベテラン・ドラッカリアンですが、ドラッカー来日時に通訳を務めたことからドラッカーとの親交が始まり、ドラッカー邸を年に何回か訪問したりもしていたということで、本書にあるドラッカーの50の言葉の中には、著作や論文から引いたものだけでなく、ドラッカーが来日した際のセミナーでの発言や、ドラッカーと著者の会話の中での言葉なども盛り込まれています。
ドラッカーのリーダーシップ論の要諦は、とりわけ前の方に出てくる「リーダーのタイプは千差万別である―カリスマ・リーダーなどは滅多にいない」「有能さは習得できる」「"口動人"ではなくて真の"行動人"たれ」あたりに集約されているかと思われますが、本書では、マネジメント全般に渡って言及されており、また「発想法」ということなどにも触れられています。
とにかく一般向けに分かり易く書かれていて、ドラッカーのものの考え方が身近に感じられるとともに、彼が経営学者というよりも啓蒙家であることを改めて認識させられる本でもありました。
体系的に理解しようとして読む本ではなく、自らの内省に沿って読む本といった感じでしょうか(もともと、ドラッカーがリーダーシップをマネジメントと切り離して考えるようになったのは晩年のことであり、但し、リーダーシップに関しては、体系的な理論モデルを遺さなかった)。
敢えて疑問点を述べるとすれば、ドラッカー自身のリーダーシップ論は、時期により微妙に変化しており、例えば、初期には「マネジメントはリーダーシップである」(1947年「ハーバード・マガジン」と言いながらも、「リーダーシップは教えられることも、学ぶこともできないものだ」と言っていた時期があり、代表作『マネジメント-務め、責任、実践』(1973年)でも「マネジメントはリーダーを創り出せない」と書いています(この『マネジメント』という著作においても、リーダーシップは独立したテーマとして扱われていない。「リーダーシップは学んで身につけれられるもの」との結論に至ったのは晩年とされている)。
上田氏のドラッカーの要約本にもその傾向はありますが、あたかもドラッカーの考えが最初から確定して生涯を通じてブレが無かったかのような印象を与えるのは、ドラッカーがヒットラー体験を通じて嫌うようになったところの"カリスマ化"作用("カリスマ"に対する考え方も、晩年に変化しているのだが)ではないかと思ったりもしました。