「●さ行の現代日本の作家」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【588】 真保 裕一 『ホワイトアウト』
日本の文化・芸術に対する深い洞察と惜愛。ズバッと言い切るところも気持ちいい。
『名人は危うきに遊ぶ』『西行』 白洲正子(1910-1998/享年88)
以前に著者の『西行』('88年/新潮社、96年/新潮文庫)を読みましたが、教養エッセイの形をとりながらも、内容的には学術レベルに達していたように思います。
〈西行〉と〈明恵〉という一見相反的な2人の人物に通じるものを看破していたのが興味深かったですが、全体として自分にはやや高尚すぎた感じも...。
この人の"教養"は"お勉強"だけで身につく類のものではなく、出自、育ちから来るもので、そのことは、本書のような、より読みやすいエッセイを読むとかえってよくわかります。
主に70歳代から80歳代にかけて書かれた小文を集めていますが、その多くから、日本の文化や芸術、自然に対する深い洞察と惜愛が窺えます。
骨董にも造詣の深かった著者ですが、美しくて人を寄せつけない唐三彩に対し、触れることでまた味わいの増す日本の陶磁器の深みについて述べたくだりは面白かったです。
魯山人の陶磁器の値段の高さに疑念を呈し、使用されるために造られたものを蔵にしまっておいては生殺しと同じであると。
生前の魯山人と面識があり、魯山人の茶碗で毎日ゴハンを食べているという、一方で自宅に李朝の壺なども所持しているわけで、そういう人に言われると納得してしまうし、そこに見栄や衒いは感じられません。
小林秀雄、青山二郎らスゴイ人たちと親交があり、彼らの究極の「男の友情」を目の当たりにしてきた著者にとって、日経の『交遊抄』などは「いい年した男性がオテテツナイデ仲よくしてるみたいで」、「幼稚園児なみ」の友情だそうで、こうズバッと言い切るところが気持ちいいです。
著者は本書出版の3年後に88歳で亡くなっていますが、夫・白洲次郎を看取ったときの記述などから、すでに達観した境地が見て取れます。
【1999年文庫化[新潮文庫]】