【464】 ◎ フョードル・ ドストエフスキー (木村 浩:訳) 『貧しき人びと (1969/06 新潮文庫) 《 ドストイェフスキイ (原 久一郎:訳) 『貧しき人々 (1931/02 岩波文庫)》 ★★★★☆

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作家の処女作であり、読みやすいがいろいろな見方ができる問題作。

Белые ночи. Бедные люди.jpg『貧しき人びと』.JPG貧しき人びと.jpg  貧しき人々.jpg
貧しき人びと (新潮文庫)』['69年/木村浩:訳]『貧しき人々 (岩波文庫)』['31年/原久一郎:訳]
"Белые ночи. Бедные люди"

 1846年発表のドストエフスキー(1821‐1881)のデビュー作品。勤め先でも近所でも蔑まれている小心善良な小役人マカールと、出自はお嬢様だけれども今は薄幸の少女ワーレンカの往復書簡の体裁をとっています。ストエフスキーが兄に宛てた書簡によると、作者はこの小説を雑誌に発表する前に、すでに成功を確信していたそうです(実際に雑誌に連載が始まると、雑誌の価格が上がるほどの好評を博した)。

 ドストエフスキー独特の饒舌体であるものの、1組の男女のダイヤローグ・スタイルは読みやすく、貧しさゆえに役所にもボロボロの服で出勤し、将来展望も無く自尊心も地に落ちた中年男マカールが、若いワーレンカに恋焦がれて彼女のことだけが生きがいとなっていく様や、一方ワーレンカの方は、マカールを気遣いつつも自分が貧困から抜け出す現実的選択を模索する、そうした過程の両者の心理状態が手紙文を通して克明に描かれていて、マカールの不幸が、彼の性格という個人的問題と貧困という社会の問題の相互作用としてあることがわかります。

 作者は、時に本当の問題から目をそらし自己欺瞞的とも思えるマカールを、同時に、純粋な美しい人間としても描いていているようで(この辺りがゴーゴリの『外套』などと異なる点)、それではこうした困窮に虐げられ自分の不幸の原因すらわからなくなっている男がいるのは、社会に問題があるからなのかというと、その答えが明示されているわけでもありません。何れにせよ、この場合、マカールにとっての第一義的な不幸、主観的な不幸は、"貧しさ"ではなくワーレンカに去られることなのだろうなあ。マカールはある人の金銭的な施しで急場を救われ、ワーレンカもまた―。何れも"金"によってしか両者の問題は解決されないのですが、マカールにとってはむしろカタストロフィ的な結末と言えるのでは。

 当時の大御所批評家のベリンスキーがこの作品を絶賛したとされていますが、『作家の日記』によると、ベリンスキーはドストエフスキー本人に対しては、「君の書いた哀れな役人は、役所勤めで身も心も擦り切れ、過失を重ねて自分自身を卑しめ、自分は不幸な人間だと考える元気も失っている(中略)これは恐ろしいことだ。悲劇じゃないか」と言ったといいます。こうしたベリンスキイの読み方を小林秀雄などは批判していますが、そういう風にも読めてしまうのがこの作品の微妙な点ではないでしょうか。

貧しき人々 (光文社古典新訳文庫).jpg 【1931年文庫化・1960年改版版[岩波文庫(『貧しき人々』)(原久一郎:訳)]/1951年再文庫化[新潮文庫(『貧しき人々』)(中村白葉:訳)]/1951年再文庫化・1969年改版版[角川文庫(『貧しき人々』)(井上満:訳)]/1969年再文庫化・1993年改版版[新潮文庫(木村浩:訳)]/1970年再文庫化[旺文社文庫(『貧しき人々』)(北垣信行:訳)]//2010年再文庫化[光文社古典新訳文庫(『貧しき人々』)(安岡治子 :訳)]】

貧しき人々 (光文社古典新訳文庫)

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