【568】 ○ 海音寺 潮五郎 『西郷と大久保 (1967/01 新潮社) ★★★★

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生き生きと描かれるカリスマリーダー西郷。ただし大久保も肝っ玉人物。

西郷と大久保.jpg  『西郷と大久保』 新潮文庫 〔改版版〕 海音寺潮五郎.jpg 海音寺潮五郎 (1901‐1977/享年76)

『西郷と大久保』 (新潮文庫) 海音寺潮五郎.jpg 海音寺潮五郎(1901‐1977)による西郷隆盛の伝記では、小説『西郷隆盛―(上)天命の巻、(中)雲竜の巻、(下)王道の巻』(1969年-1977年/学習研究社、後に学研M文庫『敬天愛人 西郷隆盛』(全4巻))や史伝『西郷隆盛』(1964年-/朝日新聞社(全9巻)、後に朝日文庫(全14巻))がありますが、大部であるためになかなか読むのはたいへん(特に後者は専門研究者向けか。しかも作者の死により絶筆)。本書は、小説『西郷隆盛』から抜書きしてコンパクトにまとめたものとも言え(1967年の刊行は小説『西郷隆盛』の刊行に先立つようだが)、時間的経過でみて抜け落ちている部分もあるようですが、個人的には面白く読めました。海音寺潮五郎は、本書刊行の翌年1968(昭和43)年に第16回「菊池寛賞」を受賞しています。

 同じ薩摩藩出身の西郷隆盛と大久保利通は、片や茫洋とした風貌の内に熱情を秘めた押し出しの強いタイプ、片や沈着冷静にして智略に富んだ剃刀のような切れ者タイプと、まったく異なる性格でしたが、一般に人気の西郷に対し、大久保の方は影が薄いか、ヒゲの印象から権威主義者というイメージ、多少知る人には、冷徹なマキャベリストといったイメージがあるのではないでしょうか。

 鹿児島出身の海音寺潮五郎は、同郷の西郷を敬慕したことで知られ、本書では、国を憂い政策に奔走する西郷の姿が生き生きと描かれていて、また彼のリーダーとしてのカリスマ性がいかにスゴイものであったかが伝わってきますが、一方で、大久保も肝っ玉の据わった人物で、西郷に劣らず"無私"の人であったことがわかります。

 親友であり同志であったこの2人は征韓論で決裂しますが、それ以前から、公武合体に対する考え方の違いが溝となっていたことがわかり、西郷が元藩主の島津斉彬を尊敬するあまり、クーデター的に藩主になった島津久光とそりが合わなかったことも影響しているみたい。

 西郷が征韓論に敗れて野に下るところまでが詳しく書かれていますが、著者は、大久保は本質的に〈政治家〉、西郷は〈革命家〉であったと見ていて、西郷が征韓論にこだわったのも明治維新をやり直したかったのではないかと。
 対し大久保は、西郷に対する友情の念は抱きつつも、コツコツと新政府の組織固めをしていく...。

 個人的には、大久保は中央集権主義ではあったが、官僚主義と言うより政府内においてもバランス感覚に優れた改革のリーダーだったのではないかと思います(警察を司法権力から切り離したりしたのも彼)。

紀尾井坂.jpg大久保公記念碑.jpg ただし大久保は、改革半ばで皮肉なことに西郷崇拝者に紀尾井坂(今のホテルニューオータニの上手)で暗殺されてしまいます(享年49、西郷の享年51より2つ若かった。ニューオータニ向かいの「清水谷公園」に大久保の哀悼碑がある)。

 大久保亡き後の政治は理念喪失の権力抗争の場となり、大久保自身にも〈官僚主義の元祖〉的マイナスイメージだけがつきまとうようになってしまったのはちょっと気の毒だったかもしれません。

 【1973年文庫化・1989年改訂[新潮文庫]】

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This page contains a single entry by wada published on 2006年11月 3日 00:00.

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