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タイトルは胡散臭いが、"トレーニングのための実践的な知識"を含んだ啓発本としてはまとも。

仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか ph.jpg仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか 紫.jpg
仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか (幻冬舎新書)

 刊行時、このジャンルの本としては珍しく10万部以上を売り上げベストセラーとなったもので、新書で購入しやすいというのもあったかと思いますが、タイトルも効いているのかなあ。自分のように却って胡散臭さを感じて手にするのが遅くなったり結局読むのを避けたりした人もいたのではないかと思いますが...。

 読んでみたら、第1章「筋肉はビジネススキル」とかあって、やっぱりなあという感じも。第2章は「目的は『続けること』」とあり、ずっとこのまま"自己啓発"調でいくのかと思ったら、第3章以降は意外と、「トレーニングの原理原則」「トレーニングの常識・非常識」「トレーニングがうまくいく人、いかない人」...と続いて結構"実践的"な解説になっていて、最終第9章で「筋トレで学ぶ成功法則」とまた"自己啓発"調に戻って締め括るものの、全体としては概ねオーソドックスでした。

 どちらかというと具体的なトレーニング方法よりもトレーニングそのものに対する考え方について述べられていて、トレーニングの手法にまで過度に踏み込まず、また、あるメッソドを強硬に押しつけているわけでもないので、自身のトレーニング環境や現状の身体的条件などに関わらず、幅広い読者にとって参考になるのではないでしょうか。

 その分、知識的にはそれほど高度なレベルでもないのですが、個人的には幾つか参考になる部分がありました。読んでいて、自分のやり方で良かった思われた点は、「時間帯によって効果が異なる」(129p)で、本当は寝る1時間前にトレーニングするのがいいのだが、夜6時から8時の間でもいいだろうと書かれていることで、自分の場合これにぴったり当て嵌ります(但し、寝る直前はダメで、むしろ夕方の方がベストだとする説があり(坂詰真二『やってはいけない筋トレ』(青春新書INTELLIGENCE)33p)、こちらの方が有力説なのではないか)。

 一方、ちょっとヤバいと思ったのは、「カロリーオフだったらどんなに飲んでも大丈夫?」(85p)で、スポーツ飲料などでも100ミリリットルあたり15キロカロリーなどと書いてあり、500ミリリットルで75キロカロリー、これを運動で消費するのはたいへんであり、20キロカロリー未満なら「カロリーオフ」の表示が認められているので気をつけようという話で、う~ん、ウェイトトレーニングもさることながら、走ったりした後は結構"アクエリアス"とか飲んでるなあ(因みに"アクエリアス"は100ミリリットルあたり15キロカロリー。但し、"アクエリアスゼロ"はゼロキロカロリー)。

 もうかなり前に出された本ですが、「ピラティスで腹筋は割れるか?」とか(今流行りの"ライザップ"ではないが)「パーソナルトレーナーの費用対効果」などといった項目もあり、結構先のトレンドを読んでいたなあ。

 "トレーニングのための実践的な知識"を含んだ啓発本としてはまともであり、これからトレーニングを始める人がこの著者の本の中で1冊読むとすれば本書ということになるのかも。

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「上司学」「仕事術」という域にも達していない、毒にも薬にもならない「処世術」本。

上司は部下の手柄を奪え、部下は上司にゴマをすれ.jpg上司は部下の手柄を奪え、部下は上司にゴマをすれ 会社にしがみついて勝つ47の仕事術 (幻冬舎新書)

 景気回復期こそ企業はリストラを進めるということで、ビジネスパーソンの"リストラ防錆策"を説いた本が結構出されていますが、これも、「上司学」や「仕事術」の本というより、どちらかと言うとその手の本だったかも。少なくとも、「上司学」「仕事術」という域に達しておらず、毒にも薬にもならない「処世術」本という感じでした。

 第1章「上司は何を思う」、第2章「部下は何を願う」、第3章「組織人としての誇りと果たすべき役割」の3部構成ですが、第1章も含め、どちらかと言うと部下から見た視点で書かかれていて、そこから無理矢理、インパクトがありそうな項目をアイキャッチ的にタイトルにもってきた感じ。それも、「手柄はどんどん上司に渡そう」と部下の立場から書いてあるのであって、「上司は部下の仕事を奪え」なんて書いてないんだよなあ。

 「会社が提供してくれる安定やメリットを最大限に享受すべく努めることこそが、幸福な人生の第一歩」との考えのもと、「絶対にクビにならず会社人生をまっとうするための、忘れ去られた美徳ともいうべきマナーや義務を説いた」本であるとのことで、何となく"昭和"的な上司-部下関係の再構築を説いているマニュアル本みたいな印象でした。

 著者は、山一証券勤務時代に「シャインズ」を結成して(相方は杉村太郎(1963-2011/享年47)、その後、森永製菓に転職し、「東京プリン」を結成して森永の方は辞めるなど、会社員とアーティスト(?)を兼業したり、フリーで活動したりを繰り返しているような人で、この人自身は何度か会社を辞めているわけでしょ。「会社にしがみついて生きろ」と言っているこの人自身のアイデンティティがどうなっているのかよく解りません(会社を辞めてからよっぽどシンドイ思いをしたのか)。

 '13年7月の参院選挙で比例区から自由民主党公認で立候補して(安倍晋三首相の妻・昭恵夫人が森永製菓創業家の娘として伊藤と旧知だったことで公認を得られたらしい)、結局落選していますが、こうしたマニュアル本のような本を書いている人が、何のために国会議員になりたいのか、国会議員になって何をしたいのかもよく解らないね。選挙の前の、知名度アップ作戦だったのかな。

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最古の生命は約40億年前に誕生。難解部分もあるが、ユーモラスな語り口で最後まで導いてくれる。

生命はなぜ生まれたのか.jpg  生命はなぜ生まれたのか2.jpg    高井研氏.jpg 高井 研 氏 (独立行政法人 海洋研究開発機構)
生命はなぜ生まれたのか―地球生物の起源の謎に迫る (幻冬舎新書)

  「生命はどのようにして誕生したか」、タイトルに沿って言い換えれば「生命はなぜ地球に生まれたか」―この命題を、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の研究者で、"地球生物学者"乃至"宇宙生物学者"を名乗ることが多いという著者が解説したもの。
 結構「ブルーバックス」並みに難しかったというのが正直な感想で、それでも、著者の軽妙でユーモア満載の語り口に導かれて、理解が及ばないところはそのままにしておきつつも、最後まで楽しく読めました。

 第1章で、「この地球で最初に繁栄したであろう、最古の生態系の面影を最も色濃く残した現存する微生物の共同体」を探るために南インド洋の海底にある深海熱水活動域の研究調査に赴くにあたって、地球深部探査船「ちきゅう」に乗り込むところの話などは、『ドクトルマンボウ航海記』みたいな感じで、シズル感を持って楽しく読めます。

ジャイアントチューブワーム.jpg これまでに深海で発見された奇妙な生物たち、例えばジャイアントチューブワームなどがどのような化学合成を行っているかを紹介していて、チューブワームは、鰓(えら)から取り込まれた硫化水素と二酸化炭素を、体内で共生菌を養っている栄養体に運搬し、細菌が硫化水素を酸素で硫黄や硫酸に酸化させることでエネルギーを獲得しつつ有機物を合成し、口が無くとも3mくらいに成長するという―ああ、確か通常我々がイメージする生物とは全く違った仕組みだったなあと思い出すとともに、ちょっと難しいかなとも思いましたが、これはまだ序の口。

ジャイアントチューブワーム

 第2章以降、第5章までの実質本編部分では、読み進むにつれて難易度が上がっていく感じで、特に第5章の「エネルギー代謝からみた持続生命」は、化学の基本知識がないとかなり難しかったです。
 先に第6章の、それまでに紹介された研究内容や考察から著者が提唱する仮説の部分を先に読んでから第2章に戻るのも、一つの読み方かもしれません。

 学校の「生物」の授業で最初の"生物"の誕生は約30億年前と習った記憶がありますが、太陽系が45億6700万年前に誕生して以降の「失われた6億年」「冥王代」と呼ばれる6億年(先カンブリア時代は「冥王代~太古代~原生代」から成る)、その冥王代後期から太古代初期にかけて、すでに「化学進化から"生命"が誕生し、最古の持続可能な生態系」が形成されていた可能性があることを、著者は示唆しています(ここで「生命」「生物」の定義についても一くさりある)。
 40億年前の地球には、オゾン層も無くて宇宙からの有害光線が直接降り注ぐ中、深海では、地殻を突き破ったマントルと海水が化学反応を起こしていて、400℃の熱水が噴き出すエネルギーの坩堝があり、その「深海熱水孔」で生まれたのが、地球最初の"生き続けることのできる"生命「メタン菌」であると。

 現在発見されている、世界最古の生命の痕跡が見つかった堆積岩は、38億年前の海洋底の堆積物を含んだもので(最古の地層もこれより少し前ぐらいとのことで、従って以降が「太古代」ということになる)、これは38億年前の深海熱水活動域に近い深海底で生成された可能性が高いとのこと。生命の誕生と持続的な最古の生態系の始まりは38億年以上前に起きたと考えられるとしています。
 そして、35億年前の地層からは、より鮮明な生命の痕跡が窺え、水素と二酸化炭素からメタンを生成する好熱メタン菌(酸素、要らないわけだ)など、微生物のエネルギー代謝の幾つかのパターンが成立していたと考えられると。

 いま流行の「地球生命は宇宙から飛来した生命に始まる」という「パンスペルミア説」についても言及されており、地球生命の起源はどこか遠い宇宙から飛来したという説は、飛来から伝播に至るまでの必要要素ごとの確率の掛け合わせからみてまず無理があるとし、「火星で先に生命が生まれた」とする火星生命誕生は、大いにあり得るが、地球独自の持続的生命の誕生・適応・進化があったと考える方がよく、無理に火星に起源を求める理由は見当たらないとしています。

 このように様々な仮説を紹介しながらも、著者はあくまでも40億年前の深海熱水活動に生命の起源を求めており、それを当時の大気の状況などの考察も踏まえ、論理的、或いは実証的に検証しています。生命の起源は「RNA分子のもやもやした集合体から始まった」という「RNAワールド」説に対しても、一時は自身もハマったことがあったが、今は懐疑的であるとしてその理由を挙げ、この部分は、現在の学術トレンドが「RNAワールド」説に批判的傾向にあることと符合し、ああ、わりかしオーソドックスなのかなあと。

 そして、第5章で、「地球生命は深海熱水活動から始まった」という考えにより明確な筋道をつけるべく、「どんな深海熱水活動からどのように始まり、どのように繁栄したか」を、エネルギー代謝とはそもそも何かというところから説き起こしていますが、う~ん、やっぱりこの部分は難しいなあと。

ハイパースライムが見つかったインド洋深海にある「かいれいフィールド」熱水活動域の写真(海洋研究開発機構 深海・地殻内生命圏探索研究(SUGER)プロジェクトHPより)
かいれいフィールド.jpgかいれいフィールド2.jpg 生命を生み出す深海熱水活動にも、生命誕生の条件となる性質に制約があるらしく、それが冒頭の、火山列島である日本の近海ではなく、わざわざ南インド洋まで出かけて調査をするという話に繋がっていきます(水素濃度が一定以上でないとダメなわけだ)。

 言わば、最古の持続的生命の生き残りを探しにいく旅ということになるわけですが、インド洋の「かいれいフィールド」において、そのお目当てである地球最古の生態系の名残り、太陽エネルギーとは無縁で地球を食べる超好熱生態系生態系「ハイパースライム」(HyperSLiME:Hyperthermophilic Subsurface Lithoautotrophic Microbial Ecosystem)の存在証明である超好熱メタン菌を採取することに成功、著者によって発見された「ハイパースハイパースライムの一次生産者である超好熱メタン菌.jpgライム仮説」は、現在、様々な検証を経て、補強と進化の過程にあるという―まさに、最先端研究の始終を、一般読者に対しても手を抜くことなく開示してみせた本でした。

 ユーモラスな言い回しも、時折専門度が高くなる内容に、読者が敬遠気味になるのを防ぐための配慮と思われ、また新たな研究者(それも最先端の)兼サイエンスライターが登場したとの印象を受けました。

 う~ん、40億年前に深海のチムニー付近で発生した超好熱メタン菌が、我々生物の"ご先祖様"なのか。

ハイパースライムの一次生産者である超好熱メタン菌(海洋研究開発機構 深海・地殻内生命圏探索研究(SUGER)プロジェクトHPより)

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「心理学的」立場、「病跡学的」アプローチから、多様な異常心理に通底するものを探る。

あなたの中の異常心理 (幻冬舎新書).jpgあなたの中の異常心理 (幻冬舎新書)』〔'12年〕異常の心理学.jpg相場均 『異常の心理学』〔'69年〕

 著者は、「異常心理についてこれまで書かれたものは、明白な異常性をもった状態にばかり注目していると思う」「中身は、そっくりそのまま精神医学の病名の羅列とその解説になっているということが多い」としていますが、確かに、ここ何年もそうした傾向が続いているように思われ、一方「心理学」を冠した一般書は、対人関係のテクニック、困った性格の人との接し方といった実用書的なものが多くを占めるようになってしまっている印象を受けます。

 本書では、「異常心理」は精神障害に限ったものではなく、誰の心にでも潜んでいるものであるとし、健康な顔と異常な顔は一つの連続体として繋がっているとしたうえで、異常心理の原因、それらの根底に通じるものについて書いています。

 こうした切り口の本は、かつては、『異常の心理学』('69年/講談社現代新書)を著した相場均(1924‐1976)や、多くの心理学の啓蒙書を著した宮城音弥(1908-2005)など、書き手が結構いたように思いますが、臨床重視の傾向にある最近では、このタイプの精神医学の素養を持った「心理学」者はあまりいないのではないかと...(著者は東大哲学科を中退し京大医学部で精神医学を学んでいるが、宮城音弥は、京大哲学科卒業後にフランス留学し精神医学を学んでいる)。

 著者の得意とする著名人や文学作品・映画の主人公の生き方を引く方法で、異常心理を7つの類型で分かり易く解説しており、精神科医兼作家が書いた、いわば「文系心理学」の本かと(著者は小笠原慧のペンネームで書いた小説「DZ」で横溝賞を受賞している)。

yukio mishima2.jpgマハトマ・ガンジー.jpg 「完璧主義」の病理を説いた第1章で出てくるのは、何事においても完璧を求め努力した三島由紀夫(その完璧主義が彼自身を追い詰めることになった)を筆頭に、映画「ブラック・スワン」の主人公、東電OL殺人事件の被害者、極端な潔癖主義だったマハトマ・ガンジー(父の最期の時に肉欲に溺れていたことへの罪の意識から過剰に禁欲的になったという) 、ピアニストのグレン・グールドなど。

 誰にでもある「悪の快感」が、いじめや虐待、過食症や万引き癖、更には異常性愛に繋がることを説いた第2章では、悪の哲学者ジョルジュ・バタイユと、倒錯と嗜虐性をテーマにした作品を多く残したマルキ・ド・サドの違いを、その生い立ちや生涯から考察するなどしています。

バートランド・ラッセル.jpgjung.jpg  「敵」を作り出す心のメカニズムについて説いた第3章では、ドストエフスキーや夏目漱石などの文豪のエピソードが取り上げられており、幻聴や神経衰弱に悩まされたカール・グスタフ・ユングや、生涯にわたって女癖がひどかったというバートランド・ラッセル(平和活動家としての名声が高まるとともに、活動を共にする取り巻き女性をハーレム化していったという)の話も紹介されています。

 人間が正反対の気持ちを同時に持ち得る「アンビバレント」を解説した第4章に登場するのはシェークスピアの「リア王」で、自分の中にもう一人の自分がいる気がする「解離」などについて説いた第5章では、精神分析、心理分析の歴史を追って主要な先人たちの業績を紹介し、またまたユング登場。

オスカー・ワイルド.jpgニーチェ2.jpgHemingway.bmp 人形(ドール)しか愛せないという異形愛が、幼児期に母親から捨てられたという思いか原因であるとする第6章では、ショーペンハウアーや、同性愛の方へ傾斜したオスカー・ワイルド、そして再び三島由紀夫のことが出てきて、罪悪感は強すぎて自己否定の奈落に陥ってしまうことを解説した最後第7章では、幼い頃の父親の死と厳格な母親の教育の重みによって施された心の纏足から自らを解き放とうとして「神を殺した」ニーチェ、スランプと飲酒の悪循環でうつ病になったヘミングウェイが―。

 こうなると歴史上の人物の生涯を精神医学及び心理学的観点を追った、所謂「病跡学」の本かとの印象も受けますが、一方で、普通人で各パターンに当て嵌まる患者の症例なども紹介されていて、異常心理の底にある共通した要因を探る際に、その多くは幼児期や若い頃の体験などにあるため、成育歴が一般に知られている著名人をケーススタディの素材としているのかと思われます(読者の関心を引き易いというのもあるし、著者自身がそうした「病跡学」的アプローチが好みなのかとも思うが)。

 多くの異常心理から読み取れる人間の根源的欲求は、自己保存の欲求、他者からの承認欲求であり、それが損なわれると、端的な自己目的化や自己絶対視に陥って出口無しの自己追求に入り込むか、解離など自己分裂を起こすかでしか自己を保てなくなり、こうした閉鎖的回路に陥らない、或いは陥ったとしても、他者を介することでそこから脱出することが大切であるとしています。

 心理学のクラシカルなスタイルに立ち戻り(「病跡学」などは流行らなくなってもう何年も経つが、かつてはうつ病の先駆的権威である笠原嘉氏などもやっていた)、パーソナリティ障害など現代精神医学で使われる用語の使用を極力避けて書かれていて(「リビドー」など精神分析用語は出てくる)、久しぶりに「心理学」的立場から異常心理について書かれた本に出会ったという印象です。

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分かりやすい。しかし、境界性パーソナリティ障害と一口に言っても多種多様。

境界性パーソナリティ障害 岡田尊司1.jpg 境界性パーソナリティ障害 岡田尊司 2.jpg          ヘルマン・ヘッセ.jpg    中森明菜.jpg  飯島愛.jpg
境界性パーソナリティ障害 (幻冬舎新書)』     ヘルマン・ヘッセ/中森明菜/飯島愛(1972-2008/享年36)

 『パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか』('04年/PHP新書)という分かり易い入門書がある著者ですが、本書は、パーソナリティ障害の中でも近年多くの人が悩む身近な問題となってきていると言われる「境界性パーソナリティ障害」にフォーカスした入門書で、こちらもたいへん分かり易く書かれています。

 なぜ現代人に増えているのか、心の中で何が起きていているのか、どのように接すればいいのか、どうすれば克服できるのかなど、それぞれについて、必要に応じて事例をあげ、新書にしては丁寧に解説されているように思いました。

 本書によれば、境界性パーソナリティ障害においては、元々はしっかり者で思いやりのある人が、心にもなく人を傷つけたり、急に不安定になったり、自分を損なうような行動に走ったりと不可解な言動を繰り返し、時には場当たり的なセックスや万引き、薬物乱用や自傷行為、自殺にまで至ることもあるとのこと、「わがままな性格」と誤解されることも多いが、幼い頃からの体験の積み重ねに最後の一撃が加わって、心がバランスを失ってしまった状態であるとのことです。

 解説内容は概ねオーソドックスかと思いますが、第5章の「ベースにある性格によってタイプが異なる」という部分が、境界性パーソナリティ障害の多種多様性を示しており、この部分は研究者によって分類方法が若干異なるかもしれません。

 著者は、①強迫性の強いタイプ、②依存性が強いタイプ、③失調症の傾向が強いタイプ、④回避性の強いタイプ、⑤自己愛性が強いタイプ、⑥演技性が強いタイプ、⑦反社会性が強いタイプ、⑧妄想性が強いタイプ、⑨未分化型パーソナリティのタイプ、⑩発達障害がベースにあるタイプ―の10タイプを挙げています(多いなあ)。

 DSM‐Ⅳ(米国精神医学会の診断基準)で定義された10個のパーソナリティ障害の類型の中に、境界性パーソナリティ障害と並列関係で、強迫性パーソナリティ障害、依存性パーソナリティ障害、回避性パーソナリティ障害、自己愛性パーソナリティ障害、演技性パーソナリティ障害、反社会性パーソナリティ障害、妄想性パーソナリティ障害などがあることは周知の通りで、そういうのも含めて全部「境界性パーソナリティ障害」として説明してしまっている印象もありますが、DSM‐Ⅳが精神疾患の原因ではなく症状(エピソード)を基準としているため、このあたりはスペクトラム(連続体)としてみるか、相対的強弱でみるべきなのだろなあ。例えば、前の方で、「境界性パーソナリティ障害を自己愛の視点から理解すると、境界性パーソナリティ障害は、自己愛障害の一つのタイプ、つまり自己愛が委縮したタイプの自己愛障害として理解される」とあります。

 それぞれのタイプの説明は分かり易く、実際の患者例と併せて、外国の作家や俳優、日本の有名人の例が出てきて(それまでにもランボーや太宰治のエピソードが出てくるが)、それが理解の助けになっており、例えば、「強迫性の強いタイプ」でヘルマン・ヘッセ、「失調症の傾向が強いタイプ」でヴァージニア・ウルフ、「反社会性が強いタイプ」でジェームズ・ディーンなどといった具合。ヘッセについては、パーソナリティ障害の人をどう支えるかを解説した章で、彼がそれをどう乗り越えたかが書かれていて、結構しっかりフォローされているなあと。

 一方、「依存性が強いタイプ」で歌手の中森明菜の場合が、「演技性が強いタイプ」で'08年のクリスマス・イブに自宅マンションで孤独死しているところを発見された飯島愛の場合が取り上げられていて、実際に著者が診察したの?と異論も唱えたくなるものの、読んでみると結構これもまた"腑に落ちる"かどうかはともかく、ナルホドこういう見方もあるのかと―このあたりの作家性も含めた柔軟な解説が、著者の著書に固定読者がいる理由かも(最近、ちょっと量産し過ぎのような気もするが)。

 著者によれば、飯島愛は男性に裏切られ自殺寸前まで追い詰められた結果、もっとしたたかに生きようと、今度は逆に自分の魅力で男性を振り返らせ、手玉にとって、自分の尊厳を取り戻そうとしたのではないかと。したたかな生き方の内側には、拭いきれない寂しさや空虚感があって、明るさと影の対比が多くの人の共感を呼ぶのではないかとしています。

山口美江0.jpg 確かに、飯島愛のブログは亡くなって4年も経つのにいまだにコメントが付され続けていますが、う~ん、何となく共感する人が男性にも女性にも結構いるのかも。
 孤独死と言えば、元タレントの山口美江が今年('12年)3月に自宅で孤独死しているのが発見されたニュースを思い出しますが、何年か前に臨床心理士の矢幡洋氏が、彼女のことを「サディスティック・パーソナリティ障害」が疑われるとしていたのが印象に残っています。

 「サディスティック・パーソナリティ障害」は元ハーバード大学精神医学教授でDSM-Ⅲにおける人格障害部門の原案作成者セオドア・ミロンがパーソナリティ障害の1タイプとして入れていたもので、自己愛性パーソナリティ障害の攻撃が外に向かうタイプと変わらないとしてDSM‐Ⅳで削除されたもの。
 ミロンは、「反社会性パーソナリティ障害」に近いものとしていますが、実際、本によっては、「自己愛性」とグループ化しているものもあり、、矢幡洋氏の場合はそれをパーソナリティ障害の主要類型として「復活」させているわけです。

 DSMそのものも様々な変遷を経ており、その中の1タイプである境界性パーソナリティ障害だけで、著者の言うように10タイプあるとなると結構たいへんだなあと(尤も、パーソナリティ障害の中で境界性パーソナリティ障害がいちばん研究が進んでいるとのことだが)。

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「感情を揺さぶる証拠」が「衆愚」を招く危険性を、実証的に指摘。

量刑相場  法の番人たちの暗黙ルール1.jpg量刑相場  法の番人たちの暗黙ルール.jpg
量刑相場  法の番人たちの暗黙ルール (幻冬舎新書)』['11年] 

 個々の事件の刑は、刑法の定める範囲内で裁判官が様々な状況を考慮して決定するものであり、それを量刑というとのことですが、この量刑にも、基準と結果の関係を中心とした相場があるとのことで、元裁判官によって書かれた本書は、それを実際の判例に沿って分かり易く解き明かしたものです。

 例えば、道路で唾を吐いたとか、山で焚火をしたとか、往来でキャッチボールをしたとか、日常生活でありそうなことが、どういった刑罰に該当するかといった話から始まって、太った女性に「デブ」と言って侮辱罪で拘留された例や、ゴルフ場からロストボールを"大量"に持ち帰って窃盗罪で懲役10カ月の刑に処せられた例などが紹介されています。

 更に、重大事件では量刑相場はどのようになっているかを、殺人事件、傷害致死事件、現住建造物放火事件、強盗致傷・強盗致死事件、婦女暴行致傷・婦女暴行致死事件...といった犯罪の種別ごとにみていますが、同じ種別の事件でも、その内容の違いによって、それぞれに量刑相場があることが分かります。

 例えば、現住建造物放火事件であれば、衝動的な放火で焼死者なしの場合は懲役4年、衝動的な放火で1人焼死の場合は懲役10年、連続放火で焼死者なしの場合は懲役8~13年、連続放火で1人焼死の場合は懲役18~20年、連続放火で2人以上焼死の場合は無期懲役―といった具合に。

 こうなると裁判官は自身の考えに拠るというより、こうした基準をもとに刑の重さを決めていくことになるんじゃないかなあ。まあ「衝動的か計画的か」などの判断において何を証拠として重視するかといったところで、裁量の幅はそれなりにあると言えばあるし、執行猶予を付けるか付けないかなど、更に調整を効かせる部分もあることにはなりますが。

 平成10年以降から最近にかけての刑事事件の判例が殆どで、いろいろな凶悪事件が起きているものだとも改めて思いましたが、新聞記事で事件のことを覚えていても、判決がどうなったかということまでは、話題になった凶悪犯罪の判決を除いてはそう見るものではないから、たいへん興味深く読めました。

 但し、ちょっと以前であれば雑学ネタであるかのようなこうした内容も、裁判員制度が施行されている今日においては、我々一般人も大体の"相場感"を掴んでおいた方がいいのかも(勿論、万が一裁判員に選ばれた暁には、そのあたりは説明があるのだろうけれど)。

 あとがきで、「裁判員制度のもとで、これからは市民感覚を生かした新しい量刑判断が求められているわけですから、これまでの数字をそのまま基準にすることは意味がありません」とし、本書で示したかったのは量刑の全体像であって、これまでの数字をそのまま準用することは意味が無いと念押していますが、本職の裁判官だって、こうした相場に準拠して判決を下してきたのではないかなあ。

 読んでいて、こうした相場自体には概ね合理性があるように思われ、著者もその前提で解説をしているようであるし、むしろ、裁判員の方で、本書に解説されているような考慮すべき要素が、実際の裁判の場面で充分網羅されるか、均衡性が担保されるかということの方が個人的には気になりました。

 著者は、一点だけ、死刑か無期懲役かについては量刑相場で決める事柄ではなく、死刑の宣告はそれ以外の量刑と全く別次元の問題であるとしています(死刑は一瞬で命を奪うものであるから、自由を奪う期間の長さで刑を決める自由刑とは別物。無期懲役の一つ上に死刑があるわけではない―と)。

 この死刑に処するかどうかの判断問題については、著者の近著『死刑と正義』('12年/講談社現代新書)で、かなり深く突っ込んで扱っていますので、関心がある人にはお薦め
です。

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入門書として分かり易く書かれているが、ちょっと「天才」たちの名前(&エピソード)を挙げ過ぎなのでは?

アスペルガー症候群1.JPGアスペルガー症候群 幻冬舎新書.jpg 『アスペルガー症候群 (幻冬舎新書 お 6-2)』['09年]

 アスペルガー症候群の入門書として基本的な部分を網羅していて、記述内容も(一部、大脳生理学上の仮説にも踏み込んでいるが)概ねオーソドックス、既に何冊か関連の本を読んで一定の知識がある人には物足りないかもしれませんが、純粋に入門書として見るならば分かり易く書かれていると思いました。

 以前に著者の『パーソナリティ障害―いかに接し、どう克服するか』('04年/PHP新書)を読んで、例えば「演技性パーソナリティ障害」では、チャップリン、ココ・シャネル、マーロン・ブランドの例を挙げるなど各種人格障害に該当すると思われる有名人を引き合いにして解説していたのが分かりよかったのです。

 ただ、今回気になったのは、読者がよりイメージしやすいようにとの思いからであると思われるものの、ビル・ゲイツ、ダーウィン、キルケゴール、ジョージ・ルーカス、本居宣長、チャーチル、アンデルセン、ウィトゲンシュタイン、アインシュタイン、エジソン、西田幾多郎、ヒッチコック...etc.と、ちょっと「天才」たちの名前(&エピソード)を挙げ過ぎなのではないかと。

 これも以前に読んだ、正高信男氏の『天才はなぜ生まれるか』('04年/ちくま新書)などは、ハナから、「天才」と呼ばれた人には広義の意味での学習障害(LD)があり、それが彼らの業績と密接な関係があったという主張であって、その論旨のもと、エジソン(注意欠陥障害)、アインシュタイン(LD)、レオナルド・ダ・ヴィンチ(LD)、アンデルセン(LD)、グラハム・ベル(アスペルガー症候群)、ウォルト・ディズニー(多動症)といった偉人の事例が出てくるわけですが、本書は一応「入門書」という体裁を取りながらも、アスペルガー症候群に関して同種の論を唱えているようにも思われました。

 勿論、アスペルガー症候群の子どもの強み、弱み共々に掲げ、強みを伸ばしてあげる一方で、社会性の獲得訓練などを通して弱みを補うことで、大人になって自立できるように養育していく努力の大切さを説いてはいるのですが、これだけ「天才」の名が挙がると、(話としては面白いのだが)読んだ人の中にはそっちの方に引っ張られて、子どもに過剰な期待し、現実と期待の差にもどかしさを感じるようになる―といったことにならないかなあ(まあ、養育経験者はまずそんなことにはならないだろうけれど、一般の人にはやや偏ったイメージを与えるかも)。

 自閉症やアスペルガー症候群などの広汎性発達障害の専門家や臨床医が書いた入門書や、或いはこの分野の権威とされる人が監修したガイドブックなどにもエジソン、アインシュタインなどはよく登場するわけですが、本書の場合、冒頭から「本書を読めば、テレビでよく見かける、頭がもじゃもじゃのあの先生も、今をときめく巨匠のあの先生も、ノーベル賞をとったあの先生も、このタイプの人だということがおわかり頂けるだろう」といったトーンです。

益川敏英.jpg 結局、この3人の内の最後の人などは、本文中に物理学者・益川敏英氏として登場し、アスペルガー症候群特有のエピソードが紹介されたりもしているのですが、確かに、あの人のノーベル賞受賞会見などを見て、ぴんとくる人はぴんときたのではないかと思います(その意味では、分かりよいと言えば分かりよいのだが...)。
 ただ、一方で、著者自身が直接益川氏を診たわけではなく、従って、メディアを通しての著者個人の"見立て"に過ぎないとも言えます(前著『境界性パーソナリティ障害』('09年/幻冬舎新書)では、「依存性パーソナリティ」の例として某有名歌手を取り上げるなどしていた)。

 解説部分がオーソッドクスなテキストである分、こうした事例の紹介部分は本書に"シズル感"をもたらしていますが、そこが著者の一番書きたかったことなのではないかな(この著者には、ある意味、"作家性"を感じる。同じようなことを感じる精神科医は前述の正高信男氏をはじめ、他にも多くいるが)。

 著者自身にもその自覚があるからこそ「アスペルガー症候群入門」とか「アスペルガー症候群とは何か」といったタイトルを使わず、本書を単に「アスペルガー症候群」というタイトルにしているのではないでしょうか。

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「超新星爆発」の本。爆発メカニズムや「加速膨張」宇宙発見の契機になったことが分かる。

野本 陽代 ベテルギウスの超新星爆発.jpg                            宇宙は何でできているのか3.jpg
ベテルギウスの超新星爆発 加速膨張する宇宙の発見 (幻冬舎新書)』/村山斉『宇宙は何でできているのか (幻冬舎新書)

ベテルギウスの超新星爆発 加速膨張する宇宙の発見2.jpg この著者の本は分かり易くて何冊か読んでいるのですが、本書に関してはネットのブックレヴューで、標題の「ベテルギウスの超新星爆発」について述べているのは冒頭だけで、後は一般的な宇宙論の入門書である、といったコメントがあり、ああ、編集部の方でつけたアイキャッチ的なタイトルなのかなあと思いましたが、読んでみたら必ずしもそうでもなかったように思います。

 本書刊行と同時期にNHK-Eテレの「サイエンスZERO」でベテルギウスの超新星爆発に特化した番組(「爆発が迫る!?赤色超巨星・ベテルギウス」(2011年11月26日 放送))をやっていたから、そうしたものが期待されたというのもあるのかも知れません。

 「冬の大三角形」の一角を成し、オリオン座の左上部に位置するベテルギウスは、大きさは太陽の1000倍、地球から距離は640光年。「ベテルギウスが2012年に超新星爆発を起こすかもしれない」という噂が天文ファンの間で囁かれた「2012年」という言葉が出てきたのは2011年1月のことで、オーストラリアの物理学者が、「もし超新星爆発が起きたら、少なくとも二週間は二つの太陽が見られることになり、その間は夜はなくなるだろう」「場合によってはもっと先かもしれないが、2012年に見られる可能性がある」と言ったことに起因しているそうです。

ベテルギウスの超新星爆発 加速膨張する宇宙の発見3.jpg サイエンスライターである著者によれば、超新星爆発を起こした星は太陽の何億倍、何十億倍の明るさで輝くけれども、ベテルギウスとの640光年という距離からすると、一番明るくなったときでも満月より明るくなることはないと。また、ベテルギウスが超新星爆発の兆候を示していることは確かだが、それは明日かもしれないし、10万年後かもしれないとのこと。また、近年、過去15年間でベテルギウスの大きさは15%縮小したという海外の研究発表があり、これを聞くと「いよいよか」と思ってしまうけれど、日本の研究者によれば、ベテルギウスの表面のガス状の部分の変動は近年大きいものの、核の部分の大きさの変化は見られないとのこと。

 赤色巨星であるベテルギウスが爆発すると、色は青くなって、1時間後にはリゲル、2時間後にはシリウスより明るくなり、3時間後には半月ぐらいの明るさになって、明るさのピークに達するのは7日目、その後、ほぼ同じ明るさが3ヵ月続くということなので、見てみたいことは見てみたいけれどね(向こう10万年以内ということは、あと10年内に起きる可能性は1万分の1?)。

 「サイエンスZERO」では爆発3時間後に満月の100倍のまぶしさになると言っていたけれど(この番組にはサイエンスライターで自身が物理学者でもある竹内薫氏が出演していた)、結局、取材先(学者)によって諸説あるということなのかな。

 第2章で星の誕生と進化について、第3章で星の終末について解説していますが、随所にベテルギウスにテーマを絡め、超新星爆発が起こる際のメカニズムを素粒子物理学の観点から詳しく解説しているのもタイトルに沿っていると言えるのでは(サブタイトル「素粒子物理学で解く宇宙の謎」との対応も含め)。

 第4章で、人間は宇宙の謎をどのように解き明かしてきたかを、第5章で、その結果、今現在において宇宙はどこまで分かっているかを解説し、この辺りの分かり易い解説は著者の得意と言えば得意とするところ、定番と言えば定番。

 但し、第6章で「加速膨張する宇宙の発見」にフォーカスしていて、これはベストセラーとなった村山斉氏の『宇宙は何でできているのか-素粒子物理学で解く宇宙の謎』('10年/幻冬舎新書)でも注目すべき近年の発見とされていましたが(それまでは減速膨張論が宇宙物理学の一般的解釈だった)、超新星がその発見の鍵となったことを、村山氏の著書以上に詳しく書いています。

 超新星爆発には、Ⅰ型(小質量星の核爆発)とⅡ型(大質量星の重力崩壊)があるとされてきましたが、その後更に細かく分類されるようになり、連星系の白色矮星の爆発をⅠa型と呼ぶそうですが、このⅠa型の超新星の明るさが予測データより暗かったことから、何だかわからないものが宇宙をどんどん拡げているらしいという結論に達したとのこと(発見者3名は2011年のノーベル物理学書を受賞した)。

 宇宙論を解説しながら、最後、ちゃんと「超新星爆発」オチになっている...。

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分かれば分かるほど、分からないことが増える。「宇宙論」って奥が深い。

宇宙は何でできているのか1.jpg宇宙は何でできているのか2.jpg 宇宙は何でできているのか3.jpg  野本 陽代 ベテルギウスの超新星爆発.jpg  宇宙論入門 佐藤勝彦.jpg
宇宙は何でできているのか (幻冬舎新書)』 野本 陽代 『ベテルギウスの超新星爆発 加速膨張する宇宙の発見 (幻冬舎新書)』 佐藤 勝彦 『宇宙論入門―誕生から未来へ (岩波新書)

 村山斉氏の『宇宙は何でできているのか―素粒子物理学で解く宇宙の謎』は、「宇宙はどう始まったのか」「私たちはなぜ存在するのか」「宇宙はこれからどうなるのか」という誰もが抱く素朴な疑問を、素粒子物理学者が現代宇宙物理学の世界で解明出来ている範囲で分かり易く解説したもので、本も売れたし、2011年の第4回「新書大賞」の第1位(大賞)にも輝きました。

 分かり易さの素は「朝日カルチャーセンター」での講義が下敷きになっているというのがあるのでしょう。但し、最初は「岩波ジュニア新書」みたいなトーンで、それが章が進むにつれて、「ラザフォード実験」とか「クォークの3世代」とかの説明に入ったくらいから素粒子物理学の中核に入っていき(小林・益川理論の基本を理解するにはいい本)、結構突っ込んだ解説がされています。

 その辺りの踏み込み具合も、読者の知的好奇心に十分応えるものとして、高い評価に繋がったのではないかと思われますが、一般には聞きなれない言葉が出てくると、「やけに難しそうな専門用語が出てきましたが」と前フリして、「喩えて言えば次のようなことなのです」みたいな解説の仕方をしているところが、読者を難解さにめげさせることなく、最後まで引っ張るのだろうなあと。

 本書によれば、原子以外のものが宇宙の96%を占めているというのが分かったのが2003年。「暗黒物質」が23%で「暗黒エネルギー」が73%というところまで分かっているが、暗黒物質はまだ謎が多いし、暗黒エネルギーについては全く「正体不明」で、「ある」ことだけが分かっていると―。

 分からないのはそれらだけでなく、物質の質量を生み出すと考えられている「ヒグス粒子」というものがあると予言されていて、予想される量は宇宙全体のエネルギーの10%の62乗―著者は「意味がさっぱり分かりませんね」と読者に寄り添い、今のところ、それが何であるか全て謎だとしています。

 しかしながらつい最近、報道で「ヒッグス粒子」(表記が撥音になっている)の存在が確認されたとあり、早くも今世紀最大の発見と言われていて、この世界、日進月歩なのだなあと。

 小林・益川理論は粒子と反粒子のPC対称性の破れを理論的に明らかにしたもので、それがどうしたと思いたくもなりますが、物質が宇宙に存在するのは、宇宙生成の最初の段階で反物質よりも物質の方が10億分の2だけ多かったためで、このことが無ければ宇宙には「物質」そのものが存在しなかったわけです(但し、それがなせ「10億分の2」なのかは、小林・益川理論でも説明できていないという)。

 本書はどちらかというと「宇宙」よりも「素粒子」の方にウェイトが置かれていますが(著者の次著『宇宙は本当にひとつなのか―最新宇宙論入門 (ブルーバックス)』('11年)の方が全体としてはより"宇宙論"的)、最後はまた宇宙の話に戻って、宇宙はこれからどうなるかを述べています。

 それによると、10年ばかり前までは、減速しながらも膨張し続けているという考えが主流だったのが(その中でも、膨張がストップすると収縮が始まる、減速しながらも永遠に膨張が続く、「永遠のちょっと手前」で膨張が止まり収縮もしない、という3通りの考えがあった)、宇宙膨張は減速せず、加速し続けていることが10年前に明らかになり、そのことが分かったのは超新星の観測からだといいます(この辺りの経緯は、野本陽代氏の『ベテルギウスの超新星爆発-加速膨張する宇宙の発見』('11年/幻冬舎新書)にも書かれている)。

 加速膨張しているということは、膨張しているのにエネルギーが薄まっていないということで、この不思議なエネルギー(宇宙の膨張を後押ししているエネルギー)が「暗黒エネルギー」であり、その正体は何も分かっていないので、宇宙の将来を巡る仮説は、今は「何でもアリ」の状況だそうです。

 分かれば分かるほど、分からないことが増える―それも、細部においてと言うより、全体が―。「宇宙論」って奥が深いね(当然と言えば当然なのかもしれないけれど)。

 そこで、更に、著者が言うところのこの「何でもアリ」の宇宙論が今どうなっているかについて書かれたものはと言うと、本書の2年前に刊行された、佐藤勝彦氏の『宇宙論入門―誕生から未来へ (岩波新書)』('08年)があります。

佐藤 勝彦.jpg この本では、素粒子論にも触れていますが(『宇宙は何でできているのか』の冒頭に出てくる、自分の尻尾を飲み込もうとしている蛇の図「ウロボロスのたとえ」は、『宇宙論入門』第2章「素粒子と宇宙」の冒頭にも同じ図がある)、どちらかというとタイトル通り、宇宙論そのものに比重がかかっており、その中で、著者自身が提唱した宇宙の始まりにおける「インフレーション理論」などもより詳しく紹介されており、個人的にも、本書により、インフレーション理論が幾つかのパターンに改変されものが近年提唱されていることを知りました(著者は「加速的宇宙膨張理論の研究」で、2010年に第100回日本学士院賞を受賞)。
佐藤 勝彦

  第4章「宇宙の未来」では、星の一生をたどる中で「超新星爆発」についても解説されており、最後の第5章「マルチバースと生命」では、多元宇宙論と宇宙における生命の存在を扱っており、このテーマは、村山斉氏の『宇宙は本当にひとつなのか―最新宇宙論入門』とも重なるものとなっています(佐藤氏自身、『宇宙はわれわれの宇宙だけではなかった (PHP文庫)』('01年)という著者もある)。

 『宇宙論入門』は、『宇宙は何でできているのか』よりやや難解な部分もありますが、宇宙論の歴史から始まって幅広く宇宙論の現況を開設しており、現時点でのオーソドックスな宇宙論入門書と言えるのではないかと思います。

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タイトルに呼応した内容である前半部分は面白く読めたが...。

芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか.jpg 『芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか―擬態するニッポンの小説 (幻冬舎新書)

 「王様のブランチ」のブック・コーナーなどで分かり易いコメントをしている著者による本で、新書にしては300ページ超とやや厚めですが、すらすら読めてしまう読み易さでした。但し、タイトルの「芥川賞はなぜ村上春樹に与えられなかったか」という問いかけに呼応した内容は前半3分の1ぐらいで、この部分は面白く読めましたが、後は、「ニッポンの小説」全般についての著者独自の批評になっているため、やや「テーマが拡散している」ような印象も。

 村上春樹の『風の歌を聴け』('79年)と『1973年のピンボール』('80年)が、共に芥川賞の候補になりながらも最終的に受賞しなかったのは、それらの作品がアメリカ文学の影響を受け過ぎていたため、選考委員にはそれらの模倣のように受け止められたというのが通説ですが、その前に候補になり受賞もしている村上龍の『限りなく透明に近いブルー』('76年)も、佐世保を舞台にしたアメリカ文化の影響の色濃い作品であり、一体どこが異なるのかと―。

 著者は、加藤典洋の、戦後の日本文壇は「アメリカなしにはやっていけないという思いを、アメリカなしでもやっていけるという身ぶりで隠蔽している」という言葉を引いて、『限りなく透明に近いブルー』には、主人公の放埒な生活の背後に、アメリカに対する屈辱が秘められており、また、例えば、同時期に芥川賞の候補になった田中康夫の『なんとなく、クリスタル』('80年)も、主人公たちの享楽的な生活は、アメリカ的なものへの依存無しには生きられないという点で、その裏返しであると。

 つまり、自分たち自身は本質的には「アメリカ的ではない」という自己規定が前提になっていて、それに対して、村上春樹の作品は、主人公をそのままアメリカ人に置き換えても成り立つように、もはや日本人かアメリカ人かの区別は無くなっており、アメリカを対象化するのではなく、アメリカそのものである、そのことが選考委員の反発を買ったと―。

 つまり、戦後の日本人にとって、アメリカは「強い父」として登場してきたと言え、そのアメリカ=「強い父」の存在の下での屈辱や、その「強い父」の喪失を描くというのが、戦後の日本文学の底流にあり、村上春樹の作品は、その底流から外れていたために、受賞に至らなかったのだとしています。

 以降、そうした近代日本文学の特殊性を、太宰治の『走れメロス』や夏目漱石の『坊っちゃん』にまで遡って中盤から後半にかけて分析していて、そうした意味では必ずしも「テーマが拡散している」とも言えないものの、やはり、後半は、前半の村上春樹論ほどのインパクトは無かったように思いました。

 芥川賞のことは、近作『1Q84』にもモチーフとして出てきますが、自身が候補になった時の話は、『村上朝日堂の逆襲』('86年/朝日新聞社、'89年/新潮文庫)に書いていて、「あれはけっこう面倒なものである。僕は二度候補になって二度ともとらなかったから(とれなかったというんだろうなあ、正確には)とった人のことはよくわからないけれど、候補になっただけでも結構面倒だったぐらいだから、とった人はやはりすごく面倒なのではないだろうかと推察する」とし、受賞連絡待ちの時の周囲の落ち着かない様子に(自らが経営する店に、多くのマスコミ関係者が詰めた)自分まで落ち着かない気持ちに置かれたことなどが、ユーモラスに描かれています。

 前2作の落選後、長編小説(『羊をまぐる冒険』)に行っちゃったから候補にもならなかったけれども(芥川賞の候補になるには紙数制限がある)、中編小説を書き続けていれば、賞を獲ったようにも思います。

 吉行淳之介(1924-1994)なんか、群像新人賞に推して以来、ずっと好意的な評価をしていたみたいだし...(そう言えば、村上春樹もアメリカの大学で日本文学を教えていた時に、吉行作品をテキストに使っていたりしたなあ。相通じるものを感じたのかな)。

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低線量の放射線の危険性についての説明がしっくりきた。反原発ではないが、マトモであり気骨がある。

内部被爆の真実.jpg 『内部被曝の真実 (幻冬舎新書)』  児玉 龍彦 国会.jpg 児玉 龍彦 氏

 東大アイソトープセンター長である著者(医学・生物学者)が、'11年7月27日の衆議院厚生労働委員会「放射線の健康への影響」において、参考人としての意見説明し、質疑応答したものの採録がメインとなっている本。

 そう言えば、それ以前の5月23日の参議院行政監視委員会「原子力発電所事故と行政監視システムの在り方」では、小出裕章(原子力工学者)、後藤政志(元原子炉格納容器設計者)、石橋克彦(地震学者)、孫正義(ソフトバンク社長)の4氏が参考人として意見を述べていますが、こういうのってテレビ中継されないんだなあ(参議院の4氏のものは、ユーストリームのライブで中継され、著者のものは審議中継サイト「衆議院TV」で流されたようだが)。

 若干、お手軽な本づくりという気もしないではないですが、本来公開されてしかるべき内容のものが、限られた範囲でしか公開されていないような状況においては、これもありかなあと(現在はネット動画で見ることができる)。

 著者が委員会でメインに訴えたのは、現行の法律は、高いレベルの放射性物質を少量だけ扱う場合のみを想定しているのに対し、今回の福島第一原発の事故では、広島原爆の20発分から30発分相当の大量の放射性物質が放出され、現行法律が全く対応できていないので、現状に対処できる法律が必要であるということです。

 更に、低レベル放射能の影響は多様な形で現れ、特に子供、乳幼児、胎児を守る必要があり、チェルノブイリ原発事故で、小児甲状線がん以外に、被曝を直接原因とする病気の発症は無かったという説明は誤りであると。また、質疑の中では、今は全力で、除線に取り組むべきことが急務だとも述べています。

 専門用語は多く含まれますが、話し言葉で書かれていて、しかも、基本的には専門家でも何でもない国会議員にも分かるように噛み砕いて説明しているため分かり良かったし、個人的には、内部被曝についてもさることながら、低線量の放射線の危険性についての説明がしっくりきました。

 つまり、大量の放射線がDNAをズタズタにしてしまえば細胞は死ぬだけだけれど、低線量放射線は細胞に異変を与え、DNAを修復する遺伝子が異変をきたすと、最初の1回は大丈夫だが、10年から30年経って、第2段階の異変が起きるとガン細胞になるということなんだなあ。

 修復遺伝子の機能に異変が生じる問題と、その機能の発効のタイミングの問題とを分けて考えれば分かる話だけど、国会議員の先生は分かったかなあ。

 因みに、著者が主張する、①国策として食品、土壌、水を測定してゆく、②.緊急に子供の被曝を減少させるために新しい法律を制定する、③国策として汚染土壌を除染する技術に民間の力を結集する、④除染には何十兆円という国費がかかるため、負担を国策として負うことを確認し、除染の準備を即刻開始する―の4点の内、経済学者(経済評論家?)の池田信夫氏は自らのブログで、「③まではわかるが、問題は④だ。朝日新聞のいうように年間1mSvの放射線も除去しようとすれば、80兆円ぐらいかかるだろうが、国の一般会計は92兆円。そんな巨額の負担を「国策として負う」ことはできない」としています。

 だからって、国が何も負担をしなくてもいいということにはならないでしょう。廃炉にも金はかかるが、とりあえず金食い虫である原発の増設を止めたらどうかと思うんだけど(池田氏は、以前から原発に対しては御用的なスタンス)。

 因みに著者は、老化の遺伝子の研究で世界の最先端を行く成人病研究者でもあり、'11年12月、英科学誌ネイチャーが発表した「科学に影響を与えた今年の10人」の一人に選ばれています。

 原発に関しては、推進派でも反原発でもないようだけれど、師匠が、今回の震災でも、国から現地に派遣され、安全神話を説いて回った長瀧重信・長崎大名誉教授であり(「スリーマイルではこれまでに健康被害は報告されていない」と発言して、小出裕章・京大原子力研助教らを呆れさせた)、一方こちらは、政府の放射線の許容基準値の決め方その他諸々の対応について厳しく批判したことになります(本書からはそれほど感じられないが、動画を見ると、まさに満身の怒りをぶつけているという感じ)。

 文中で、長瀧氏の功績に敬意を表していますが、立場はかなり違うというか、この人の方がマトモであり気骨がありそう。

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内容は尤もだが、タイトルずれしている。総花的、且つ啓蒙的な、コンサル誘引のための本。

「即戦力」に頼る会社は必ずダメになる.bmp 『「即戦力」に頼る会社は必ずダメになる (幻冬舎新書)

 タイトルから、採用のあり方に関する本かと思いましたが、その部分について触れられているのは僅かで、むしろ社員の処遇のあり方、人材育成のあり方について主に書かれており、企業の組織風土改革にまで話は及んでいます。

 第1章で、巨人軍など野球選手の年俸の決定の仕組みを、大企業のサラリーマンの賃金決定のそれになぞらえ、給料と売上げの"カラクリ"を解説していますが、もともと労働者性の希薄なプロ野球選手の話を持ち出すこと自体にやや無理があるように感じました。

 第2章では、歩合給の会社がダメな理由を説いていますが、ここでも損益計算書などを持ち出してやや回りくどく、第3章では「ノルマ」「競争」「残業」の害悪を説いていて、ああ、「成果主義」批判が論旨なのだなあとようやく判ってきたのですが、その間に転職回数の多い人は生涯賃金が必ずしも高くないとか、一般サラリーマン向けの話も挿入されていて、この部分が「即戦力」に関する話なのかと思われましたが、読者ターゲットが見えにくい面も。

 後半、第4章は、企業内で「教えあう」風土を作ることの大切さを説き、最後の第5章は、組織内で「稼ぐ力」をつけるにはどうすればいいかという、一般サラリーマンに向けた啓蒙的な話になっています。

 非常に分かり易く書かれているし、書かれていることはどれも尤もなのですが、啓蒙レベルに止まっている感じで、テクニカルな面での新味はあまり感じられませんでした。

 著者の前著『上司はなぜ部下が辞めるまで気づかないのか?』('08年/ナナ・コーポレート・コミュニケーション)も、リテンション(人材引き止め)について書かれたものと言うより、部下のモチベーションをどうやって維持するかという話であり、こう"タイトルずれ"が続くと、編集者ばかりでなく、著者の側にも責任があるように思えてきます。

 Eメールがもたらしたコミュニケーションの弊害など、部分的には共感できる箇所もありましたが、全体として、管理職や人事部のヒトが読むには物足りない内容ではないかと思います。

 総花的、且つ(具体性に欠けるという意味で)啓蒙的で、細かい施策については「弊社にご相談を」みたいな、コンサル誘引のための著者の講演会を聴いているような、そんな本でした。

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オーソドックスだが、やや印象度が弱い。「技術書」と言うより「啓蒙書」?

威厳の技術.jpg威厳の技術 上司編 (幻冬舎新書)』 ['09年]  「人望」とはスキルである.jpg 伊東 明 『「人望」とはスキルである』 カッパ・ブックス 〔'03年〕

 以前に『「人望」とはスキルである』('03年/カッパブックス)という本を読み、結局「人望」は「スキル」で磨くことができるということを言っており、部下マネジメント、コーチングについて述べた本であったことが読んでから分かったのですが、「人望」という言葉の使い方に違和感というか、いやらしさのようのものを感じてしまいました。

 本書では冒頭で、マネジメントはセンスや才能ではなく、技術(スキル)であると言っており、本書での「威厳」というのは、前掲書と同じように部下マネジメント力、コーチング力を指していると思われますが、端的に言えば「部下になめられないこと」といった感じでしょうか。
 「威厳」という言葉にもやや違和感を覚えなくもないですが、こちらの言葉の使い方の方が、「人望」というより言葉的にはまだしっくりくるような...(最初にタイトルの言葉の使い方がわかる書き方をしているということもあるが...。それに、「人望」というと、コーチングよりメンタリング的なニュアンスに近いのではないか)。

 本文は「怖れを身に付ける」「部下を丸ごと知る」「本音でぶつかる」「リスクを背負う」「期待し、任せる」「叱り、ほめる」「守り、育てる」の8章からなり、例えば第1章の「怖れを身に付ける」ためにどうしたらよいかとして、①朝一番で出社する、②部下の名前をフルネームで書く、③自分の時間はすべて部下のための時間と考える、④ブレない判断の4つを挙げていますが、頷ける面はある一方、これって「技術」なの?という気も。
 序章の最後では、「最後の最後に、上司を上司たらしめるのは、腹のくくり方である」とも言っており、啓蒙書的要素を多分に含んだ本という印象を受けました(啓蒙書的な本でも読んでそれなり得るところはあると思うが)。

 著者は、大学卒業後リクルートに入社して人事課長を経験後、「週刊ビーイング」などの編集長を歴任、その後キネマ旬報社代表取締役を経て、現在プラネットファイブという会社の代表取締役をしている人。
 リクルートという会社でそれなりの経験もあり(年齢も50歳)、組織やチームを活性化させるための条件やモチベーション向上についての記述は極めてオーソドックスであり、また、ケースを挙げての部下の叱り方、ほめ方などについては、実際の自分の経験の裏打ちも感じ取れ、そうした意味では好感が持て、それなりの説得力もありました。

 ただ、あまりにオーソドックスで、やや印象度が弱いかなあ、目新しさに乏しいと言うか...。
 最近のコーチング理論では、従来の「上司-部下」という脇組みそのものを排除しようという傾向がありますが、本書は、完全に旧来の「上司-部下」関係というものを前提にし、その延長線上で、雇用の流動化によって弱くなっている「上司の威厳」をいかにして"回復"させるかということがテーゼとなっているようです。

 △評価はあくまで個人的なもので、部下マネジメントの基本を押さえる(整理する)、或いは、上司たる人が自分を振り返るという意味では、そんなに悪い本ではなかったかも知れません。

《読書MEMO》
●活性化したチームに必要な6つの条件(90p)
 ① メンバーの存在
 ② 目指すべき目標
 ③ コミュニケーション
 ④ リーダーシップ
 ⑤ マネジメント
 ⑥ モチベーション
●部下のモチベーションを上げる3原則 (204p)
 ① 目標の共有
 ② 情報の共有
 ③ 権限委譲

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少子化の真因は「人口容量」の飽和化にあるというマクロ理論。「未来社会学」本。

日本人はどこまで減るか.jpg 『日本人はどこまで減るか―人口減少社会のパラダイム・シフト (幻冬舎新書 ふ 2-1)』 ['08年]

少子高齢化・人口減少.jpg '04年12月の1億2780万人をもって日本の人口はピークを迎え、'05年から減少に転じているわけですが、著者は「少子・高齢化で人口が減る」「子供が減り、老人が増える」「出生率が上がればベビーの数は増加する」といった、国内人口の減少に対する"通説"に論駁を加えるとともに、人口減少の理由として、生物学において動物の個体数減少の理由として提唱されている「キャリング・キャパシティー」(環境許容量が一杯になれば個体数は抑制される)という考え方を人類に敷衍し、但し、人間の「キャリング・キャパシティー」は動物と異なり人為的な文化的・文明的な容量であるため、そうした要素を勘案した「人口容量」として再定義したうえで、少子化の真因はこの「人口容量」の飽和化にあるとしています。

 著者によれば、人間の歴史において人口容量はそれぞれの経済発展や文明の段階ごと拡大しており、その結果として人類はこれまで5つの「人口波動」(増加と安定・減少のサイクル)を経てきたとしており、このことは日本だけの人口増加の歴史を見ても当て嵌まるとのこと、それぞれ減少・安定から増加に転ずる契機となったものを考察するとともに、現在は第5波の「工業現波」の時期であり、日本は人口容量が満杯になった「濃縮社会」であるとしています。

 総生息容量(P)=自然環境(N)×文明(C)
 人口容量(Ⅴ)=総生息容量(P)÷人間1人当たりの生息水準(L)
 著者の「人口容量」の公式はこのように表され、Pが伸びている時はLが伸びてもVにゆとりがあるが、Pが伸びなくなってLが伸び続けると、Ⅴが落ちるために人口は減少に転じるとのこと、Pが伸びない以上、Ⅴを上げるにはLを下げるしかなく、換言すれば、親世代は自らの生活水準を下げて子どもを増やすしかないが、それをしたくないために、生息水準(L)を維持して、子どもの方を諦める、それが晩婚・非婚という結婚抑制や避妊・中絶という出産抑制に繋がることになるらしいです。

 理屈としては面白いし、「格差社会」では人間1人当たりの生息水準(L)が低下するため人口容量(Ⅴ)は増えず、少なくとも人口容量を維持するためには、人口減少によって生じたゆとりが1人1人に適正配分されることが望ましいといった論は尤もであるという気がする一方、経済学でもそうですが、こうしたマクロレベルの理論は結局のところ全て"仮説"に過ぎないのではという気もして、その"仮説"に過ぎないものに基づいて、"近視眼的な"少子化対策などを批判しているのはどうかなあという気も。

 総生息容量(P)増大に繋がる新たな基盤文明(未来文明)へのブレークスルーとして、「新エネルギーの育成・創造法の確立・拡大」を掲げており、アルビン・トフラーの向こうを張ったような文明論は、著者の専門の1つが「未来社会学」であることと呼応しているわけだと読後に改めて気づいた次第。

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茶化し気味のタイトルだが、読んでみて「量刑相場」の問題などいろいろ考えさせられた。

裁判官の爆笑お言葉集.jpg 『裁判官の爆笑お言葉集 (幻冬舎新書 な 3-1)』 ['07年3月] 狂った裁判官.jpg 井上薫 『狂った裁判官 (幻冬舎新書 い 2-1)』 ['07年3月]

 裁判官は、建前は「法の声のみを語るべき」とされていますが、法廷ではしばしば「説諭」や「付言」という形でその肉声が聞かれることがあり、本書では、私情を抑えきれず思わずこぼれたその本音などを(勿論、事前にじっくり練られたものもあるが)拾っていて、茶化し気味のタイトルに反して、読んでみて考えさせられるものがありました。

 その中には、心情的には重い刑を言い渡したいのに、「量刑相場」がそれを許さないという板ばさみ状態での判決に伴ったものが結構あって、裁判官がその「説諭」等に、反省の足りない被告人に対する痛烈な批判のメッセージを込めるといったことは、それなりに司法の役割の一端でもあるように思いますが、その良心に従い独立してその職権を行使すべきである裁判官が、自らの内部で量刑の軽さとのバランスをとろうとしているようにもとれるところに、「量刑相場」問題の複雑さがあるように思いました(一方、被告人を更生させるための思いやりのある発言も、本書には多く収録されている)。

裁判官はなぜ誤るのか.jpg そもそも、日本の裁判では、裁判官が法廷以外で被告人と話すことはなく、元判事の秋山賢三・弁護士が著した『裁判官はなぜ誤るのか』('02年/岩波新書)にも、「エリート意識は強いが世間のことはよく知らず、ましてや公判まで直接面談することも無い被告人の犯罪に至る心情等には理解を寄せがたい」こと、「受動的な姿勢と形式マニュアル主義から、検察の調書を鵜呑みにしがち」なことなどが指摘されていましたが、本書を読むと、真っ当な人も多いのだなあと(真っ当であってもらわないと困るが)。

 著者は、司法試験受験を7度失敗したのに懲りて、司法ライターに転じたとのことで、本書が初めての新書らしいですが、その視点に斜に構えた感じは無く、冷静かつ概ね客観的であるように思え、また、緩急の効いた文章も旨いです(これ、要点をかいつまんで纏めるのは結構、訓練が要るのではないか)。

 同時期に幻冬舎新書で刊行された、元判事・井上薫氏の『狂った裁判官』の方は、現在の司法制度の実情を解説するとともに、その問題点を挙げて批判したものですが、本当に著者の言う"ひどい"事態がしばしばあることなのかやや疑問で、著者が再任拒否された恨み辛みが先行しているような感じもし、斜に構えているのはむしろこちらの方かも。
 どちらか1冊と言えば、この『お言葉集』の方がお薦め、と言うより、司法制度を考える上で(興味本位から入っても構わないので)、多くの人に手にして欲しい本です(そのつもりでつけたのであろうタイトルには、内容との違和感を感じるが)。

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