【3177】 ○ マキノ 雅弘 「昭和残侠伝 死んで貰います (1970/09 東映) ★★★★

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シリーズでいちばん凝った「道行」。なぜシリーズ後半の作品に"一押し作品"が多いのか。

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昭和残侠伝 死んで貰います」[Prime Video]/「昭和残侠伝 死んで貰います [DVD]」高倉健/池部良/藤純子
    
「昭和残侠伝 死んで貰います」11.jpg 花田秀次郎(高倉健)は東京深川の老舗料亭「喜楽」に生まれたが、父・清吉(加藤嘉)が後妻を迎えたときに家を出て、そのまま裏街道を歩き始めた。賭場で袋だたきにあった秀次郎は、銀杏の木の下でうずくまっているところを、芸者になったばかりの幾江(藤純子)に救われた。3年後、いかさま師を怪我させた秀次郎は逮捕され、刑に服することに。だが服役中に父が死去、関東大震災が起こり義理の妹も死亡、継母のお秀(荒木道子)は盲目となってしまう。窮地に立たされた「喜楽」を救ったのは、板前の風間重吉(池部良)と小父の寺田(中村「昭和残侠伝 死んで貰います」2.jpg竹弥)だった。昭和2年、出所した秀次郎は偽名で板前として働くこととなり、その姿を寺田は涙の出る思いで見守っていた。一方幾江は売れっ妓芸者となって秀次郎の帰りを待っていて、重吉と寺田の計いで二人は7年ぶりに再会する。そんな頃、寺田一家のシマを横取りしようとことあるごとに目を光らせていた新興博徒の駒井(諸角啓二郎)が、「喜楽」を乗っとろうとしていた。秀次郎の義弟・武史(松原光二)は相場に手を染め、むざむざと「喜楽」の権利書を取り上げられてしまう。それを買い戻す交渉に出かけた寺田が、帰り道で襲撃され殺される―。

「昭和残侠伝 死んで貰います」3.jpg 1970(昭和45)年9月公開のマキノ雅弘監督の「昭和残侠伝」シリーズの第7作品主演は高倉健、共演は池部良、藤純子。高倉健が演じるのは唐獅子牡丹の刺青を背中に仁侠道に生きる昭和初期の渡世人・花田秀次郎で、1965(昭和40)年から1972(昭和47)年までのシリーズ9作のうち7作がこの役名であり、東映やくざ映画全盛時代の最大のヒーローといってもいいかと思います。

「昭和残侠伝 死んで貰います」4.jpg 義理と人情のしがらみに苦悩し、堪えに堪えた新興やくざへの怒りをついには爆発させる―というのがほぼすべてに共通のパターン。ここでも最後、それまで駒井の執拗な挑発に耐えてきた秀次郎でしたが、かけがえのない恩人の死に遂に怒りを爆発させ、重吉と共に駒井の元に殴りこみます(幾江は行かないでとは言わず、死なないでと言う)。

「昭和残侠伝 死んで貰います」m2.jpg ホントは、秀次郎は重吉に、堅気のあんたが行ってはいけない、俺一人で行くと言っていたのですが、結局、死地へ向かおうとする秀次郎の前に重吉が現れ、その流れで「道行」の図となります。この「道行き」を二人が共にするのもシリーズのパターンですが、シリーズ作でいちばん出会いのシチュエーションが凝っているのがこの第7作の「昭和残侠伝 死んで貰います」であるとも言われています。

 秀次郎が暗い夜道を長ドスを携えて歩いて行く途中、街角に重吉が待っており、秀次郎の前に立って懐から短刀を取り出して、「見ておくんなせえ! 恩返しの花道なんですよ」と言って、封印をされていた短刀の封を握った右手親指で切ります。短刀を見つめていた秀次郎は、目だけを上に上げて無言で重吉を見つめると、重吉は「ご一緒、願います」と。そして二人が並んで歩いて行くところに主題歌「唐獅子牡丹」が被さってきます。

 池部良もシリーズ全9作に出演していますが、9作で高倉健(花田秀次郎)・池部良(風間重吉)の二人ともが生還するのは1作のみ。ほとんどが池部良の役の方が命を落とし(風間重吉は何回死ぬのか(笑))、この作品も例外ではなく、必ずしもハッピーエンドとは言えないものとなっています。これは池部良が当時俳優協会の理事をしており、ヤクザ賛美には賛同しかねるゆえの最低ラインを守るための条件だったそうですが、ここでも池部良は志半ばで後を高倉健に託して斃れ伏し、それに気づいた高倉健の表情が何とも言えません。息を引き取る"兄弟"を抱きしめるというのが一つのパターンとして出来上がっています。

 9作作られているこのシリーズ、第1作・2作・3作・8作・9作の監督が佐伯清、第4作・5作、7作がマキノ雅弘、第6作が山下耕作で、このマキノ雅弘監督の第7作をベストとして推す人も多いほか、その他のシーリーズ後半の作品をベストとする人も多いようです。これは、同じ高倉健主演の「日本侠客伝」シリーズ('64年~'71年・全11作)や「網走番外地」シリーズ('65年~67年・全10作)には見られない傾向で、11作中9作がマキノ雅弘が監督した「日本侠客伝」シリーズや、全作が石井監督作品で短い期間に多く作られた「網走番外地」シリーズに対し、主に二人の監督により撮られたこのシリーズは、監督が入れ替わり立ち替わり撮ることで競争原理が働いて、シリーズの後半になってもダレることが無かったのではないかと思います。

 また、普通シリーズものが続けていくうちにダレてくるのは、マンネリ化やそれに伴う粗雑化のせいであったり、あるいはその逆の間違った方向転換のせいであったりするものですが、このシリーズも「日本侠客伝」シリーズと似ている点もあったりして、批評家からは早くからマンネリとの批判があったようです。ただ興行面では、観客が映画館に入り切らないといった盛況ぶりが毎回だったようです。そうした成功の要因を考えるに、マンネリ化を逆手に取って定型パターン化を武器にし、義理人情物語としての純粋性、様式美的な完成度を高めることにいずれの監督も注力したためではないかと思います。

 「日本侠客伝」シリーズが高倉健33歳の時の'64年に始まり、翌年には「網走番外地」シリーズと「昭和残侠伝」シリーズが始まり、各シリーズ年2本撮ったりすることもあって、高倉健はそこから5年間ぐらいは毎年10本以上映画出演していたことになります。しかもそのほとんどが主役。本人は、映画館に人が溢三島由紀夫  2.jpgれるのを見て、繰り返し量産されるワンパターンの作品でも観客が求めるならばと自らに言い聞かせて、同じような役どころを演じ続けたのだそうです(体力維持のため、ジムに通って筋力トレーニングに励み始めたのも各シリーズが始まったこの頃から)。因みに、あの三島由紀夫は、高倉や鶴田浩二主演の任侠映画を好み、特にこの「昭和残侠伝 死んで貰います」を高く評価していたとのことです。

1970(昭和45)年(三島由紀夫が亡くなる年)の雑誌「映画芸術」(「戦争映画とヤクザ映画」)での三島由紀夫と石堂淑朗の対談(一部抜粋)
編集部「「昭和残侠伝 死んで貰います」はどこがよかったのですか」
三島 「何よりも池部良が良かった。...他人のためにやっていることを、自分のこととしている...。なんと言うか、自分の中に消えていく小さな火をそっと大切にしているような、あの淋しさと暗さが何ともいえない。わかっているという感じだ。タンスにしまっておいた短刀出して、封印を指でブスリと切るところもすばらしかった」
「昭和残侠伝 死んで貰います」ぁ.jpg編集部「あそこは質屋から間に合わせにもってきたドスと対照的だったけれど、なんか健さんのほうが良かった」
三島 「あなたは武士じゃないんだ」
(中略)
三島 「うーん、ぼくはホモ的要素があるのかな、ホモじゃあないと思うけれど。最後に池部と高倉が目と目を見交わして、何の言葉もなく行くところなどをみると、胸がしめつけられてくる。キューッとなってくるんだ。日本文化の伝統を伝えるのは今ややくざ映画しかない」
石堂 「(略)礼儀作法をよく守る奴が結局人殺しをやる、これが泣かせるんですね」
(中略)
三島 「(略)あのラストの道行きだけあればいいんだよ。あとはいらない」
石堂 「(略)要するに同じパターンのくりかえしで、擬似神話の魅力ですね」

●「昭和残侠伝」シリーズ(全9作)一覧
第1作『昭和残侠伝』(1965年10月1日公開 東映東京撮影所製作)
 監督:佐伯清、脚本:村尾昭、山本英明、松本功
 出演:高倉健、池部良、三田佳子、江原真二郎、松方弘樹、梅宮辰夫、他
第2作『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』(1966年1月13日公開 東映東京撮影所製作)
 監督:佐伯清、脚本:山本英明、松本功
 出演:高倉健、池部良、三田佳子、津川雅彦、三島ゆり子、芦田伸介、他
第3作『昭和残侠伝 一匹狼』(1966年7月9日公開 東映東京撮影所製作)
 監督:佐伯清、脚本:松本功、山本英明
 出演:高倉健、池部良、藤純子、島田正吾、扇千景、他
第4作『昭和残侠伝 血染の唐獅子』(1967年7月8日公開 東映東京撮影所製作)
 監督:マキノ雅弘、脚本:鈴木則文、鳥居元宏
 出演:高倉健、池部良、藤純子、津川雅彦、金子信雄、加藤嘉、他
第5作『昭和残侠伝 唐獅子仁義』(1969年3月6日公開 東映東京撮影所製作)
 監督:マキノ雅弘、脚本:山本英明、松本功
 出演:高倉健、池部良、藤純子、待田京介、志村喬、他
第6作『昭和残侠伝 人斬り唐獅子』(1969年11月28日公開 東映東京撮影所製作)
 監督:山下耕作、脚本:神波史男、長田紀生
 出演:高倉健、池部良、片岡千恵蔵、大木実、小山明子、他
第7作『昭和残侠伝 死んで貰います』(1970年9月22日公開 東映東京撮影所製作)
 監督:マキノ雅弘、脚本:大和久守正
 出演:高倉健、池部良、藤純子、加藤嘉、中村竹弥、長門裕之、他
第8作『昭和残侠伝 吼えろ唐獅子』(1971年10月27日公開 東映東京撮影所製作)
 監督:佐伯清、脚本:村尾昭
 出演:高倉健、池部良、鶴田浩二、松方弘樹、松原智恵子、他
第9作『昭和残侠伝 破れ傘』(1972年12月30日公開 東映東京撮影所製作)
 監督:佐伯清、脚本:村尾昭
 出演:高倉健、池部良、鶴田浩二、星由里子、北島三郎、安藤昇、他

長門裕之(坂井(ひょっとこの松))/津川雅彦(書生節を歌う男)
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加藤嘉(秀次郎の父・花田清吉)
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下沢広之(真田広之[当時9歳])(秀次郎の甥・花田康男)
「昭和残侠伝 死んで貰います」さなだ.jpg 「昭和残侠伝 死んで貰います」さなだ2.jpg 0真田広之.jpg 真田広之

「昭和残侠伝 死んで貰います」m1.gif「昭和残侠伝 死んで貰います」m2.jpg「昭和残侠伝 死んで貰います」●制作年:1970年●監督:マキノ雅弘●脚本:大和久守正●撮影:林七郎●音楽:菊池俊輔●時間:92 分●出演:高倉健/藤純子/加藤嘉/池部良/永原和子/荒木道子/山本麟一/津川雅彦/三島ゆり子/松原光二/永原和子/八代万智子/石井富子/高野真二/諸角啓二郎/赤木春恵/小倉康子/日尾孝司/下沢広之(真田広之)/永山一夫/南風夕子/「昭和残侠伝 死んで貰います」13.jpg小林稔侍/久地明/久保一/伊達弘/田甲一/土山登士幸/花田達/木川哲也/佐川二郎/山浦栄/畑中猛重/青木卓司/五野上力/高月忠/長門裕之●公開:1970/09●配給:東映●最初に観た場所:新宿昭和館(01-03-22)(評価:★★★★)●併映:「日本女侠伝 血斗乱れ花」(山下耕作)/「博徒対テキ屋」(小沢茂弘)
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和田泰明

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