【3128】 ◎ 濱口 竜介 (原作:村上春樹) 「ドライブ・マイ・カー (2021/08 ビターズ・エンド) ★★★★☆

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良かった。村上春樹作品がモチーフだが、もう一つの原作は「ワーニャ叔父さん」か。

「ドライブ・マイ・カー」2021.jpg「ドライブ・マイ・カー」01.jpg 「ドライブ・マイ・カー」02.jpg
「ドライブ・マイ・カー」(2021)西島秀俊/三浦透子
「ドライブ・マイ・カー」12.jpg 舞台俳優で演出家の家福(西島秀俊)は、妻・音(霧島れいか)と穏やかに暮らしていた。そんなある日、思いつめた様子の妻がくも膜下出血で倒れ、帰らぬ人となる。2年後、演劇祭に参加するため広島に向かっていた彼は、寡黙な専属ドライバーのみさき(三浦透子)と出会い、これまで目を向けることのなかったことに気づかされていく―。

 2021年公開の濱口竜介監督の商業映画3作目となる作品で、妻を若くして亡くした舞台演出家を主人公に、彼が演出する多言語演劇の様子や、そこに出演する俳優たち、彼の車を運転するドライバーの女性との関わりが描かれています。

『ドライブ・マイ・カー』文庫.jpg「ドライブ・マイ・カー」22.jpg 村上春樹の短編集『女のいない男たち』('14年/文藝春秋)所収の同名小説「ドライブ・マイ・カー」より主要な登場人物の名前と基本設定を踏襲していますが、家福の妻・音が語るヤツメウナギや女子高生の話は同短編集所収の「シェエラザード」から、家福が家に戻ったら妻・音が見知らぬ男と情事にふけっていたという設定は、同じく「木野」から引いています(家福の妻・音はクモ膜下出血で急死するのではなく、原作では、物語の冒頭ですでにガンで亡くなっている設定となっている)。

「ドライブ・マイ・カー」ws2021.jpg 映画は、原作では具体的内容が書かれていないワークショップ演劇に関する描写が多く、そこで演じられるアントン・チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」の台詞を織り交ぜた新しい物語として構成されていて、村上春樹作品がモチーフではあるけれど、もう一つの原作は「ワーニャ叔父さん」であると言っていいくらいかもしれません。

「ドライブ・マイ・カー」32.jpg テーマ的にも、喪失感を抱きながらも人は生きていかねばならないという意味で、「ワーニャ叔父さん」に重なるものがあります。原作は短編であるためか、家福が、妻・音の内面を知り得なかったことに対して、みさきが「女の人にはそういうところがあるのです」と解題的な(示唆的な)言葉を投げかけて終わりますが、映画ではこのセリフはなく、より突っ込んだ家福の心の探究の旅が続きます。

 それは、演劇祭での上演直前にしての主役の高槻の事件による降板から、上演中止か家福自身が主役を演じるか迫られたのを機に、どこか落ち着いて考えられるところを走らせようと提案するみさきに、家福が君の育った場所を見せてほしいと伝えたことから始まり、二人は広島から北海道へ長距離ドライブをすることに。このあたりはまったく原作にはない映画のオリジナルです。

「ドライブ・マイ・カー」6jpg.png 北海道へ向かう車中で、家福とみさきは、これまでお互いに語らなかった互いの秘密を明かしますが、何だか実はみさきの方が家福より大きな秘密を追っていたような気がしました。それを淡々と語るだけに、重かったです。母親の中にいた8歳の別人格って、「解離性同一性障害」(かつては「多重人格性障害」と呼ばれた)だったということか...。

 喪失感を抱えながらも生きていかねばならないという(それがテーマであるならば、村上春樹からもそれほど離れていないと言えるかも)、ちゃんと「起承転結」がある作りになっていて、商業映画としてのカタルシス効果を醸しているのも悪くないです(この点は村上春樹が短編ではとらな「ドライブ・マイ・カー」7.jpgいアプローチか)。言わば、ブレークスルー映画として分かりやすく、ラストのみさきが韓国で赤いSAABに乗って買い物にきているシーンなどは、彼女もブレークスルーしたのだなと思わせる一方で、映画を観終わった後、「あれはどういうこと?」と考えさせる謎解き的な余韻も残していて巧みです。

 演出が素晴らしいと思いました。もちろん脚本も。絶対に現実には話さないようなセリフを使わないということで、脚本を何度も書き直したそうですが、「演技」させない演技というのも効いていたように思います。演劇ワークショップ(原作にはワークショップの場面は無い)での家福の素人出演者に対する注文に、濱口監督の演出の秘密を探るヒントがあったようにも思いますが、濱口監督自身、これまで素人の出演者に対してやってきた巷で"濱口メソッド"といわれるやり方が、プロの俳優でも使えることを知ったと語っています。韓国人夫婦の存在も良くて、原作の膨らませ方に"余計な付け足し"感が無かったです。「手話」を多言語の1つと位置付けているのも新鮮でした。

「ドライブマイカー」カンヌ・アカデミー.jpg 第74回「カンヌ国際映画祭」で脚本賞などを受賞、第87回「ニューヨーク映画批評家協会賞」では日本映画として初めて作品賞を受賞、「全米映画批評家協会賞」「ロサンゼルス映画批評家協会賞」でも作品賞を受賞(これら3つ全てで作品賞を受賞した映画ととしては「グッドフェローズ」「L.A.コンフィデンシャル」「シンドラーのリスト」「ソーシャル・ネットワーク」「ハート・ロッカー」に次ぐ6作品目で、外国語映画では史上初。「全米映画批評家協会賞」は主演男優賞(西島秀俊)・監督賞・脚本賞も受賞、「ロサンゼルス映画批評家協会賞」は脚本賞も受賞)、第79回「ゴールデングローブ賞」では非英語映画賞(旧外国語映画賞)を日本作品としては市川崑監督の「」(1959)以来62年ぶりの受賞、第94回「アカデミー賞」では、日本映画で初となる作品賞にノミネートされたほか、監督賞(濱口)・脚色賞(濱口、大江)・国際長編映画賞の4部門にノミネートされ、国際長編映画賞を受賞しています。また、アジア圏でも第16回「アジア・フィルム・アワード」を受賞、国内でも「キネマ旬報ベスト・テン」第1位で、「毎日映画コンクール 日本映画大賞」や「日刊スポーツ映画大賞 作品賞」、「芸術選奨」(濱口監督)を受賞しました。

 まさに、一気に映画界のホープとなった感がありますが、この1作をだけでも相応の実力が窺える作品でした。原作者の村上春樹にとっては、やっと自分の作品を映画化するに相応しい監督に巡り合ったという感じではないでしょうか。
「ドライブ・マイ・カー」朝日2.jpg 
「朝日新聞」2022年3月28日夕刊

「ドライブ・マイ・カー」パンフレット.jpg「ドライブ・マイ・カー」●英題:DRIVE MY CAR●制作年:2021年●監督:濱口竜介●製作:山本晃久●脚本:濱口竜介/大江崇允●撮影:四宮秀俊●音楽:石橋英子●原作:村上春樹●時間:179分●出演:西島秀俊/三浦透子/霧島れいか/岡田将生/パク・ユリム/ジン・デヨン/ソニア・ユアン(袁子芸)/ペリー・ディゾン/アン・フィテ/安部聡子●公開:2021/08●配給:ビターズ・エンド●最初に観た場所:TOHOシネマズ上野(スクリーン7)(22-03-17)(評価:★★★★☆)

⦅詳しいあらすじ⦆
「ドライブ・マイ・カー」t.jpg 俳優で舞台演出家の家福悠介(西島秀俊)は、元女優で今はドラマ脚本家の妻・音(霧島れいか)の新作の内容を聞いている。それはひとりの女子高生がヤマガという思いを寄せている男子の家に忍び込み、彼の部屋に自分の来た証(あかし)をひとつずつ置いていくというもの。家福の運転する赤いSAABの車内でもその話は続き、次第に女子高生の行動がエスカレートしていくと話して音は打合せに向かう。その夜、家福の舞台「ゴドーを待ちながら」を観に来た音は、自分のドラマに出演する俳優・高槻耕史(岡田将生)を紹介し、彼は斬新な多言語演劇に感動したと言う。ある日、家福はロシアでの仕事に向かうため朝早く家を出るが、天候不良でフライトがキャンセルになり、自宅に戻った家福は、音が浮気している現場に遭遇してしまう。気づかれないようにそっと家を出て再び車に乗り、その夜、空港近くのホテルで音とビデオ通話した家福は、ウラジオストクに着いたと話を合わせた。一週間後。帰国した家福は交差点で事故に遭い、精密検査の結果、左目が緑内障であることが判明、治療法はなく、進行を遅らせるために毎日2回の点眼が欠かせないと医師は言う。かつて家福夫妻には子どもがいたが、亡くなって20年近く、音はその後子どもをつくることを望まず、家福もそれに同意して今まで過ごしてた。法事の帰り道、音は「あなたでよかった」と家福の手を握り、帰宅後、ふたりはソファで愛し合う。そのあと、まどろみながら音は例の恋する空き巣の女子高生の話を続ける。彼女の前世はヤツメウナギで、静かな水底で石に口をつけてただゆらゆらしていたからこの部屋から離れられないのだと言い、唐突に自慰行為をすると、涙で枕がぬれます。すると突然誰かが玄関から入ってきて、彼?お母さん?お父さん?(終わった)と思いながら(これでようやくやめられる)とも考えてた―。翌日。女子高生の話はよく覚えていないと家福は嘘をつき、仕事に出掛ける家福に音は、「今晩帰ったら少し話せる?」と声を掛ける。その夜遅くに帰宅した家福は暗い室内で倒れている音を発見、音はくも膜下出血で亡くなっていた。家福は舞台でワーニャを演じるが、そのセリフがあまりにも自分に当て嵌まり過ぎてこらえきれず、途中で舞台を降りてしまう。

「ドライブ・マイ・カー」a1.jpg 二年後、家福は国際演劇祭に参加するため、愛車で広島へやって来る。車でのセリフ確認時間を大切にしている彼のため、運営側は車で一時間程度の瀬戸内海の島に彼の宿をとっていた。ただし家福本人は運転せず専属のドライバーに任せるのがルールで、家福は渋々キーを渡す。ドライ「ドライブ・マイ・カー」a2.jpgバーは渡利みさき(三浦透子)という若い女性で、寡黙で運転も丁寧だったので家福は彼女に運転を任せることにする。翌日のオーディションには高槻も参加していた。台湾の女優ジャニス・チャン(ソニア・ユアン)と組んだ彼の演技は荒々しく、思わず家福はストップをかける。次の演技者は組む相手がいないため独りで演技をするという。その韓国人女優イ・ユナ(パク・ユリム)は言葉ではなく、韓国の手話を使って訴えかけてきた。合格者が集められた配役発表の場で、誰もが家福が演じると思っていたワーニャ役が高槻に割り当てられる。高槻は戸惑うが、結局書類にサインする。その日の帰り、高槻は家福を飲みに誘う。ホテルのバーで彼は音の書く脚本が好きだったと言い、家福のことを検索するうち今回のオーディションにたどり着いたと興奮気味に語る。女性スキャンダルで事務所をやめ、いまはフリーで活動している高槻。よく知らない女性とそういう関係になることに抵抗感のある家福とは話が噛み合わないが、音を失った悲しみを抱えていることは共通していた。高槻は家福に嫉妬していると謝る。すると突然シャッター音が聞こえ、反射的に高槻は写真を撮った男に掴みかかる。家福はすぐ会計を済ませ二人は外に出る。高槻は音に導かれてここにいる、幸せだと家福に伝えた。しかし翌日の本読みで高槻は、家福の求める抑揚なしでセリフを読むということがうまくできず、他の役者も外国語のセリフばかりで眠くなるなどとこぼしていた。その日、めずらしく家福が運営のコン・ユンス(ジン・デヨン)を家まで送っていくことになり、数か国語を操り手話まで理解しているユンスを家福は褒め、どこで覚えたのか質問する。それには答えずユンスは夕食に誘い、自宅に着くと、妻として紹介されたのはユナだった。オーディションへの影響を避けるため黙っていたというユンス。家福とみさきはユナの手料理をご馳走になる。元々ダンサーだったユナはユンスとともに3年前に釜山から広島へやってきて、ユンスはユナに寂しい思いをさせないよう、たくさん彼女の話を聞こうと決意したそうだ。流産してしまったユナは復帰しようにも身体が動かなくなってしまった。彼女にとって言葉が伝わらないのは普通のことなので、多言語演劇である家福の芝居はチャンスであり、今は毎日とても楽しく、勇気を出してよかったとユナは微笑む。ユンスがみさきの運転についてたずねると、車に乗っていることを忘れるくらい素晴らしいと家福は答える。みさきは照れ隠しなのか、ペットの犬と戯れている。帰りの車内でみさきが稽古をみてみたいと呟く。毎日セリフのテープを聞いていて、ユナがどのようにソーニャを演じるのか興味が湧いたようだ。テープの声が好きというみさきに、それはぼくの妻だという家福。今度は家福がみさきにどこで運転を覚えたかたずねる。地元である北海道で、水商売の母を駅まで送り迎えするために中学生のころから運転していたというみさき。片道1時間の道のりを少しでも眠りたい母は、揺れると怒ってうしろから蹴ったという。それでも運転を教えてくれた母に感謝しているとみさきは淡々と話す。翌朝。広島市内で助手席にジャニスを乗せた高槻が追突事故を起こします。ふたりが遅れて稽古場にやってくると、本読みではなく立ち稽古が行われていた。メインのふたりがいなければ本読みができないからだ。試しにワーニャとエレーナのシーンを演じることになった高槻とジャニス。オーディションのときと同じシーンをやってみますがひどい出来で、家福は本読みを再開する。帰り際、家福を追いかけてきた高槻が謝罪すると、「分別を持ってくれ」と言って家福は去っていく。

 「どこでもいいから走らせてくれないか」という家福の希望で、みさきは彼を中工場(ごみ焼却施設)へと連れていく。風の抜ける造りのその建物は、平和記念公園と原爆ドームを結ぶ"平和の軸線"をふさがないよう設計されたと説明するみさき。5年前、18歳のときに地すべりで母を亡くし、運転免許を取っていたみさきは難を逃れた車を運転してこの地までやってきた。この清掃局でドライバーとして働き始めたといい、渡利という父の姓がこのあたりに多いらしいが、その父は生きているかわからないという。家福は結婚するとき、名前が宗教的すぎると妻が悩んでいたことを話す。そして2年前に亡くなったことも。この日の稽古は外で行なうことになり、家福たちは公園の一角に腰を下ろす。その端にはみさきの姿もあった。ジャニスとユナが、エレーナとソーニャふたりのシーンを演じる。やわらかな木漏れ日の中、明らかにそれまでとはちがう得体の知れない変化がふたりの間に起きている。それはそこにいる全員が感じていた。その夜、家福の車に高槻がやってきて話がしたいと申し出る。場所をバーに移し、高槻は今日のジャニスとユナの芝居について質問する。そしてなぜ家福がワーニャを演じないのか、自分は場違いではないのかと悩みを吐露する。家福がそれについて答えていると、近くでシャッター音がし「ドライブ・マイ・カー」a3.jpgた。家福は高槻を先に店から出す。高槻が外でみさきと言葉を交わしていると、ひとりの男が出てきてまた高槻の写真を撮って逃げていく。高槻は男を追っていき、ほどなくして戻ってくると、高槻は家福の車に乗り込む。自信を失っている高槻に家福は音の話をし始める。生きていれば23歳になる娘がいたこと、女優をやめ数年経ったころ突然物語を書き始めたこと、それは家福とのセックスの最中に語られ、改めて家福と話し合うことで完成していたこと等々。ふたりはすべてにおいて相性がよかったものの、音には別に複数の男がいたと言う家福。おそらくそのひとりだった高槻に向けて家福は、音の中にドス黒い渦のような場所があったが彼女を失うことがこわくて確認できなかったと話す。音さんは聞いてもらいたかったのではないかと言う高槻は、自分が音から聞いた空き巣の女子高生の話の続きを語り出す。―階段を上ってきたのはもうひとりの空き巣でした。半裸の彼女を見て空き巣は強姦しようとします。必死で抵抗する彼女はペンを男の左目に突き立て、ほかに何ヵ所も刺してとうとう殺してしまいます。死体を今日の証として残し、シャワーを浴びて彼女は帰りますが、翌日ヤマガに罪を告白しようとします。しかし彼の様子は全く普段と変わりません。彼の家もひっそりとしています。(死体はどうなったのか?)唯一の変化は、玄関に監視カメラがついたことでした。禍々しい何かを感じた彼女は真実を求め再び家に侵入しようとしますが、もう植木鉢の下に鍵はありませんでした。彼女は監視カメラに向かって何度もある言葉をくり返します。「わたしがころした わたしがころした わたしがころした」―これで終わりなのか、先があるのかはわからない、と高槻。ただ「大事なものを受け渡された気がして......」と言い、そしてこう続ける。「他人の心はわからない。本当に他人を見たいと望むなら、自分の心をまっすぐ見つめるしかない。ぼくはそう思います」。高槻を下ろした後、家福は助手席に座り車を出させる。みさきは家福に、高槻がウソを言っているようには聞こえなかったと言う。ウソばかりつく人の中で過ごしてきたからわかる、それを見抜けなければ生きていけなかったから、と。自らルールを破ってみさきにタバコをすすめる家福。ふたりはタバコに火をつけ、サンルーフを開けるとともに手を挙げて煙を逃がすのだった。

 今日は舞台のゲネプロ。迫真の演技のあと、家福は客席からマイクで「高槻、良かった」と声を掛ける。すると数人の男たちが劇場内に入ってきた。彼らは高槻を連れにきた警察だった。家福とバーで飲んだ日、黙って写真を撮った男を追いかけていった高槻はその男を殴り、後日男は入院先の病院で亡くなってしまったそうだ。「ぼくがやりました」高槻はきっぱりと言い、家福に深々とおじぎをすると連行されていく。家福が警察の外で待っていると演劇祭運営の柚原(安部聡子)とユンスが出てきた。柚原は家福に答え、公演をどうするか選択を迫る。中止するか、家福がワーニャを演じるか。家福は固辞するが中止の決断も下せない。二日の猶予が与えられた家福は落ち着いて考えるため、車でみさきの故郷・北海道の上十二滝に行くと言う。みさきはひたすら高速道路を走り、北をめざす。道中みさきは、地すべりで半壊した家からはい出したとき、母を助けなかったと告白する。その後再度土砂が押し寄せ家は全壊、母親は亡くなってしまったのだ。家福もまた、音が亡くなった日にもっと自分が早く帰っていれば違う結果になったかもしれないが、決定的な話(例えば別れ話)をされるのを恐れて帰れなかったと打ち明ける。「君は何も悪くない、とは言えない。君は母を殺し、ぼくは妻を殺した」。フェリーで仮眠するみさき。家福はみさきにコートをかけ、自分も壁にもたれかかる。テレビでは高槻逮捕のニュースが流れていた。ようやく上十二滝の町に着いたふたり。道端の直売場で花を買い、みさきの家のあった場所を訪れる。そこでみさきは、母にはサチという8歳の別人格があったと話し始める。それはたったひとりの友だちだったと。みさきは雪の上に花を一本一本投げ、火をつけたタバコを線香のように地面にさして、それは地獄みたいな現実を生き抜く「ドライブ・マイ・カー」a4.jpg知恵だったのだろうと言う。家福は、自分は音について都合の悪いことは見ないフリをしていたといい、「いまわかった」と続ける。会いたい、怒鳴りつけたい、問い詰めたい、あやまりたい、帰ってきてほしい。会いたい、会いたい、会いたい...。みさきは包み込むように家福の身体に手を回し、家福もみさきを抱きしめまる。舞台でワーニャを演じている家福と客席からそれを見つめるみさきの姿。舞台の上では、ユナ演じるソーニャがやさしくワーニャを抱きしめていた。

 韓国のスーパーで買物をしているのはみさきである。彼女は赤いSAABに乗り込むと、後部座席にはユンスの家にいたようなゴールデンレトリバーが乗っている。以前より明るい表情のみさきの車は快調に走っていくのだった。


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This page contains a single entry by wada published on 2022年3月29日 00:09.

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