【3123】 ○ 吾妻 ひでお 『逃亡日記 (2007/01 日本文芸社) ★★★★

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著者の語り下ろしインタビュー。『失踪日記』から『アル中病棟』への繋がりが分かった。

逃亡日記.jpg吾妻 ひでお 『逃亡日記』b.jpg    失踪日記 吾妻 ひでお.jpg 失踪日記2 アル中病棟.jpg 
逃亡日記 (NICHIBUN BUNKO) 』['15年] 漫画『失踪日記』['05年]『失踪日記2 アル中病棟』['13年]
インタビュー集『逃亡日記』['07年]
『逃亡日記 公園.jpg 2019年に亡くなった吾妻ひでお(1950-2019/69歳没)が、日本文芸社の「週刊漫画ゴラク」の兄弟雑誌にあたる「別冊漫画ゴラク」('14年末をもって休刊)に連載していた語り下ろしのインタビューコラムをまとめたもの('07年刊行)。語り下ろしの内容は、著者の生い立ち、漫画家になるまで、失踪時代、アル中時代、「失踪日記」が賞を獲った以降のことなどです。

 冒頭に、著者が失踪していた時にいた公園を訪ねた際のメイド・モデルとの写真などがあったりし、さらに、「失踪日記」が日本漫画家協会大賞、文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞、手塚治虫文化賞マンガ大賞と三冠を達成した際の授賞式での顛末を描いたマンガもあり、巻末にはまた、冒頭の写真を撮りに行った際の内幕が収録されています。

漫画家の吾妻ひでお.jpg 盛りだくさんですが、やはり中心となる語り下ろしの部分がいちばんでしょうか。第1章「失踪時代」で、漫画『失踪日記』('05年)ではかなり実際のエピソードを抜いたりしていることを明かしています。まあ、漫画には書けない(笑えない)ようなことも多くあったということです(自身の自殺未遂とか)。

 第2章「アル中時代」はむしろ「失踪時代」より(「鬱」なども絡んで)もっと強烈で、ここで語られている内容が漫画『アル中病棟―失踪日記2』('13年)になっていくのだなあと。もう、構想は出来上がっていたけれど、漫画にするまでにやはり時間を要したのでしょう。

 第3章「生い立ちとデビュー」で、父親は4回結婚していて、怒ると銃を持ち出してくるような人だったというから、結構すごい家庭に育ったのだなあと。漫画家になろうと決めて、手塚治虫ではなく石ノ森章太郎を手本にしたそうで、「手塚先生の絵は動いている」ので模倣するのが難しかったと。SF志向で(多くSF作家の名前が出てくる)、「ロリコン」の方にいったのは少し後だったようです。

 第4章「週刊誌時代」では、時間軸に沿って作品リストを挙げながら、自作についてコメントし、第5章「「不条理」の時代」まで、初期作品、『不条理日記』や『ふたりと五人』の頃(70年代終わりから90年代、00年代にかけてか)について語り、第6章「『失踪日記』その後」で『失踪日記』('05年)が賞を獲った後のことを語っています。

 先に述べたように、時系列では漫画作品『失踪日記』('05年) → インタビュー中心の本書('07年) → 漫画作品『アル中病棟』('13年)となるわけであり、『失踪日記』と『アル中病棟』の間に本書があることになります(『アル中病棟』で描かれていることはすでに体験済だが、作品として昇華されてはいないということ)。個人的には『失踪日記』→『アル中病棟』→本書の順で読んだので、『アル中病棟』の下地がどのように作られたか、作者本人が語っているのが興味深かったです(『失踪日記』から『アル中病棟』にどう繋がっていったのかが分かった)。

 また、個々の自作品の創作の経緯や出来上がったものに対するコメントは、コアなファンには貴重な情報ではないでしょうか。個人的には著者のロリコン漫画の方は読んでいないので何とも言えませんが、インタビューの中でアシモフ、クラーク、ハインライン、ブラッドベリ、シェクリィ、ブラウンなど好きなSF作家を挙げていて(これだけでない、フィリップ・K・ディックなど、あと20人くらいの作家名が出てくる)、しっかり影響を受けている印象を持ちました。

 食道癌による69歳での死は早いと言えば早いですが(まあ、手塚治虫も石ノ森章太郎も60歳で亡くなっているというのはあるが)、こうしたインタビュー記録が本として遺ったということは、編集者のお手柄ではないでしょうか(著者自身は、本書の漫画の中で編集者に「てかこれ『失踪日記』の便乗本じゃないのか」と言ってはいるが)。

【2015年文庫化[NICHIBUN BUNKO]】

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