【3114】 ○ 木下 惠介 (原作:伊藤左千夫) 「野菊の如き君なりき (1955/11 松竹) ★★★★ (○ 伊藤 左千夫 『野菊の墓 (1955/10 新潮文庫)《(1906/04 俳書堂)》 ★★★★)

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有田紀子の清楚で現代的なリリシズムが光る。原作の語り手の年齢はかなり若い?

野菊の如き君なりき 1955.jpg「野菊の如き君なりき」.jpg 野菊の墓 (新潮文庫).jpg
木下惠介生誕100年 「野菊の如き君なりき」 [DVD]」田中晋二/有田紀子『野菊の墓 (新潮文庫)
野菊の如き君なりき1.jpg 矢切の渡しの舟客・斎藤政夫翁(笠智衆)は老船頭(松本克平)に、遠い過去の想い出を語る...。この渡し場に程近い村の旧家の次男として育った政夫(田中晋二)が15歳の秋のこと、母(杉村春子)が病弱のため、近くの町家の娘で母の姪に当る民子(有田紀子)が政夫の家を手伝いに来ている。政夫は二つ年上の民子とは幼い頃から仲が良い。それが嫂のさだ(山本和子)や作女お増(小林トシ子)の口の端にのって、本人同志もいつか稚いながら恋といったものを意識するようになる。祭を明日に控えた日、母の吩咐で山の畑に綿を採りに出かけ二人は、このとき初めて相手の心に恋を感じ合ったが、同時にそれ以来、仲を裂かれなければならなかった。母の言葉で追われるように中学校の寮に入れられた政野菊の如き君なりき2.jpg夫が、冬の休みに帰省すると、渡し場に迎えてくれるはずの民子の姿はなかった。お増の口から、民子がさだの中傷で実家へ追い帰されたと聞かされ、政夫は早々に学校へ戻る。二人の仲を心配した母や民子の両親の勧めで、民子は政夫への心を抑えて他家へ嫁ぐ。ただ祖母(浦辺粂子)だけが民子を不愍に思った。やがて授業中に電報で呼び戻された政夫は、民子の死を知る。民子の最期を看取った母によると、民子は政夫の手紙を抱きしめながら息を引きとったという。政夫の名は一言もいわずに...。渡し船を降りた翁は民子が好きだった野菊の花を摘んで、墓前に供えるのであった―。

『野菊の墓』復刻.jpg 木下惠介(1912-1998/享年86)監督の1955(昭和30)年公開作で、同年「キネマ旬報 ベスト・テン」で第3位。原作「野菊の墓」は、歌人であった伊藤左千夫が43歳で初めて発表した小説で、1906(明治39)年1月、雑誌「ホトトギス」に掲載、その年の4月に俳書堂から単行本として刊行されています。15歳の少年・斎藤政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描き、夏目漱石が絶賛したというこの作品は、過去に3度映画化されており、その第1作は木下惠介が監督した本作です(2作目('66年)の主演は太田博之と安田道代(大楠道代)、3作目('81年)は澤井信一郎監督、の松田聖子主演のもの。TVドラマ版では西河克己監督、山口百恵主演のもの('77年)などがある)。

近代文学館〈〔38〕〉野菊の墓―名著複刻全集 (1968年)

「野菊の如き君なりき」ありた.jpg 物語の設定では民子の方が2歳年上ですが、主演の田中晋二と有田紀子は共に1940年生まれの当時15歳。有田紀子は女優に憧れ学習院女子中等科に在学中に木下惠介監督に手紙を書いたことが契機となり、民子役に抜擢されましたが、学習院は生徒の映画出演を認めておらず、転校して映画に出演しています。この映画は、旧弊な気風が根強い田舎を舞台にしている分、有田紀子の清楚で現代的なリリシズムが光っていたように思います。ただし、彼女が出演した木下作品は田中晋二と共演した3作品だけです。その後は学業に専念し、1958年早稲田の文学部演劇科に進みますが、それを知った多くがの若者が早稲田を受験したという逸話があります。伊藤左千夫は「野菊の墓」という作品があってこその作家という印象がありますが、有田紀子も、結婚で女優業を引退したということもあって、代表作はこの「野菊の如き君なりき」ということになるのでしょう。

野菊の如き君なりき 笠智衆.jpg ところで、映画は矢切の渡しの舟客・斎藤政夫老人(笠智衆)が60年前の自らが数え年で15(「月で数えると13歳と何月」と原作にある)の時のことを回想する(船頭に語る)形式で進み、政夫老人は現在73歳ということになりますが(演じる笠智衆は当時51歳)、原作では、「十余年も過去った昔のこと」とあり、語り手の年齢はもしかしたら30歳前後くらいかもしれず、この年齢の差は、「政夫の今」を映画が作られた1955年を現在に設定したためではないかと思われます(小説が発表された年とも約40年の開きがある)。世間一般にも原作の語り手がかなり年齢が高いように思われている気がしますが(コミック版などもそうなっている)、思えば、伊藤左千夫がこの小説を書いたときでさえまだ43歳だったわけで、作者はそこからさらに10歳以上若い"語り手"を設定しているように思います(物語は伊藤左千夫自身の幼い頃の淡い恋が基になっているというから、概算すると原作の時代設定の方が映画より少し古いということになるのかも)。

 そう言えば、川端康成原作、西河克己監督、高橋英樹・吉永小百合主演の「伊豆の踊子」('63年/日活)でも、語り手である現在の主人公として当時49歳の宇野重吉が初老の大学教授として登場しますが、川端康成が原作を発表したのが1926(大正15)年27歳の年で、1918(大正7)年に19歳で初めて伊豆に旅行し、旅芸人の一行と道連れになった経験が基になっているとされているので、こちらも原作の書き手は8年前の記憶を辿っているのに対し、映画は作られた1963年を現在に設定し、45年ぐらい前のことを思い出しているように描かれていることになります。まだその頃は、明治・大正の文学作品の語り手を、そのまま老いさせて「現在」にもってこれたのだなあと改めて思いました。

『名画座面白館』赤塚.jpgIMG_20220228_050114.jpg 因みにこの作品、作品の大部分を占める過去の回想部分は全体を楕円にしてまわりをボカした手法にをとっていますが、先に読んだ『赤塚不二夫の名画座面白館』('89年/講談社)で、登場人物としての赤塚不二夫、長谷邦夫、石森章太郎がこの映画について語り合っていて、石森章太郎がこのボカシを指摘すると、長谷邦夫が「昔の懐かしい写真アルバム集みたいな感じを出すためだね」と説明していました(分かりやすい説明)。一方、笠智衆が出ている"今"のシーンにはこの楕円のボカシはありません(代わりに伊藤左千夫の短歌が挿入される)。

野菊の如き君なりき 杉村.jpg 有田紀子、田中晋二の演技は「二十四の瞳」('54年/松竹)で6歳(小学校1年生)、10歳(小学校5年生)、18歳の少年少女を撮った木下惠介監督が、ここでもその演出力を発揮した成果だと思います(セリフはわざと棒読みで喋らせたのは「二十四の瞳」でも使った手?)。一方で、演技達者が作品を支えているのも確か。政夫の母役の杉村春子が民の死後に家に戻って一人泣き崩れるシーンと(結局この人も根はいい人だった)、民の祖母役の浦辺粂子が孫の不憫さを語るシーン(この人は最初から唯一の二人の理解者だった)の演技には圧倒されます。

杉村春子(政夫の母)

「野菊の如き君なりき」●制作年:1955年●監督・脚本:木下惠介●製作:久保光三●撮影:楠田浩之●音楽:木下忠司●原作:伊藤左千夫『野菊の墓』●時間:92分●出演:田中晋二/有田紀子/杉村春子/田村高廣/笠智衆/松本克平/山本和子/小林トシ子/浦辺粂子/高木信夫/本橋和子/雪代敬子/渡辺鉄弥/谷よしの/松島恭子/小林十九二●公開:1955/11●配給:松竹●最初に観た場所:シネマブルースタジオ(19-07-16)(評価:★★★★)

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This page contains a single entry by wada published on 2022年2月26日 13:09.

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