【3046】 ◎ スタンダール (小林 正:訳) 『赤と黒 (上・下)』 (1957/02・1958/05 新潮文庫) ★★★★☆

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ジュリアン・ソレルは、カミュ『異邦人』のムルソーのルーツか。

赤と黒 上 新潮文庫.jpg 赤と黒下 新潮文庫.jpg スタンダール.jpg     異邦人 1984.jpg
赤と黒(上) (新潮文庫)』『赤と黒(下)(新潮文庫)』スタンダール(1783-1842)カミュ『異邦人 (新潮文庫)

赤と黒 上下 新潮文庫.jpg 貧しい製材屋の末息子ジュリアン・ソレルは、才気と美しさを兼ね備えた、立身出世の野心を抱く青年。初めは崇拝するナポレオンのように軍人としての栄達を目指していたが、王政復古の世の中となったため、聖職者として出世せんと、家の仕事の合間に勉強している。そんなある日、ジュリアンはその頭脳の明晰さを買われ、町長・レーナル家の子供たちの家庭教師に雇われる。レーナル夫人に恋されたジュリアンは、最初は夫人との不倫関係を、世に出るための手習いくらいに思っていたが、やがて真剣に夫人を愛するようになる。しかし二人の関係は嫉妬者の密告などにより、町の誰もが知るところとなり、ジュリアンは神父の薦めにより、神学校に入ることとなる。そこでジュリアンは、校長のピラール神父に聖職者には向いてないと判断されるものの、類稀な才を買われ、パリの大貴族Le Rouge et Le Noir.jpgラ・モール侯爵の秘書に推薦される。ラ・モール侯爵家令嬢のマチルドに見下されたジュリアンは、マチルドを征服しようと心に誓う。マチルドもまた取り巻きたちの貴族たちにはないジュリアンの情熱と才能に惹かれるようになり、やがて二人は激しく愛し合うようになる。マチルドはジュリアンの子を妊娠し、二人の関係はラ・モール侯爵の知るところとなる。侯爵は二人の結婚に反対するが、マチルドが家出も辞さない覚悟をみせたため、やむなくジュリアンをある貴族のご落胤ということにし、陸軍騎兵中尉にとりたてた上で、レーナル夫人のところにジュリアンの身元照会を要求する手紙を送る。しかし、ジュリアンとの不倫の関係を反省し、贖罪の日々を送っていたレーナル夫人は、聴罪司祭に言われるまま「ジュリアン・ソレルは良家の妻や娘を誘惑しては出世の踏み台にしている」と書いて送り返してきたため、侯爵は激怒し、ジュリアンとマチルドの結婚を取り消す。レーナル夫人の裏切りに怒ったジュリアンは、彼女を射殺しようとするが―。
Le Rouge et Le Noir (Classiques Garnier) Paperback(表紙:レーナル家に家庭教師として訪れたジュリアン・ソレルはレーナル夫人と初めて対面する)


 スタンダール(本名マリ=アンリ・ベール、1783-1842/59歳没)の1830年11月刊行の作品で、実際に起きた事件などに題材をとった長編小説です。海外文学というと取っつきにくい印象がありますが、この『赤と黒』や、ヴィクトル・ユゴー(1802-1885)の『レ・ミゼラブル』などは、こんなに面白くていいのかなというくらい面白いです。ただ、この『赤と黒』を『レ・ミゼラブル』と比べると、ストーリー的にはヴィクトル・ユゴーの方にストーリーテラー的な分があるように思われ、『赤と黒』の方は、ストーリーはそれほど凝ってはなく、心理描写の優れた作品であるように思います。

篠沢秀夫.jpg スタンダールとユーゴーについては、学習院大学名誉教授だったフランス文学者の篠沢秀夫(1933-2017)がその違いを論じていました(篠沢秀夫というと「クイズダービーの豪快な笑いの印象が強いが、時折見せる陰のある表情も個人的には印象にある。彼は、最初の妻を自動車事故で、息子を水難事故で失っている。クイズダービー出演の話を引き受けた理由として、長男を亡くしたのがその2年前の1975年で、当時悶々とした日々を過ごしていたことで、気分転換したかったことがあったからという。晩年の篠沢 ALS.jpgALS(筋萎縮性側索硬化症)闘病は壮絶だった)。その篠沢教授によれば(クイズダービーでも"教授"って呼ばれていた)、「スタンダールの小説は筋ははっきりしています。筋を書くだけだったらそれは簡単なんです。ところが、スタンダールの小説はいずれも政治小説という面があるんですね。この面を我々が今日読むと読み飛ばしてしまうんです」(『篠沢フランス文学講義 (1)』('79年/大修館書店))とのこと。なるほど。この小説の中にも、ジュリアン・ソレルが書記を務めたあるサロンの討議で、文学にとって政治とは何かという議論があり、「政治なんて文学の首にくくりつけた石ころみたいなもので、半年もたたぬうちに文学を沈めてしまいますよ」とサロンのメンバーに言わせていますが、これ、わざとだったのかあ。

 そのジュリアン・ソレルですが、レーナル夫人殺害計画は相手に傷を負わせただけで失敗し、捕らえられて裁判で死刑を宣告され、マチルドはジュリアンを救うため奔走するものの、彼は死刑を受け容れます。裁判では、ジュリアン・ソレル自身が、自分は犯罪によってではなく,支配階級への挑戦的態度によって裁かれているという裁判の欺瞞を主張しながら、しかも、レーナル夫人が実はいまだ自分を愛していることを知って生への執着も時に抱きながら、それでも彼女らの上告の勧めを断り続け、断頭台に向かうジュリアン・ソレル。どこかにこんな主人公がいたなあと思ったら、アルベール・カミュの『異邦人』の主人公ムルソーがそうでした。

異邦人 (新潮文庫)』Albert Camus
異邦人 新潮文庫 1.jpgAlbert Camus.jpg 『異邦人』を最初に読んだ時、これまでのどの小説にも無かった人物造形であることが『異邦人』という小説が注目されることになった最大の要因ではないかと思ったのですが、いま改めて『赤と黒』を読み返してみると、『異邦人』のムルソーのルーツは『赤と黒』のジュリアン・ソレルでないかと思った次第です。そこで、そうした両者が類似していることを論じた人はいないかと調べたところ、海外ではごろごろいるみたい(笑)。日本の研究者にもいて、フランス文学者でカミュ研究者の松本陽正・広島大学教授の「カミュとスタンダール―『異邦人』と『赤と黒』をめぐって」というストレートな論文があり、松本教授はそうした海外の研究者の研究を総括し、自身の見解も述べておられました(松本氏によればカミュが生涯にわたってスタンダールを愛読していたのは間違いないようである)。

クロード・オータン=ララ監督「赤と黒」('54年/仏)のジュリアン・ソレル(ジェラール・フィリップ)/ルキノ・ヴィスコンティ監督「異邦人」('67年/伊・仏・アルジェリア)のムルソー(マルチェロ・マストロヤンニ)
「赤と黒」ジェラール・フィリップ.jpgThe Stranger 1967  0.jpg 『赤と黒』も『異邦人』も物語の終盤は裁判になりますが(スタンダールの父はグルノーブル高等法院の弁護士だった)、ジュリアン・ソレルもムルソーは共に死刑を宣告されます。以下、松本教授の指摘を参照しながらそこに至るまでを振り返ると、犯行においては二人ともある種の錯乱状態に陥ってピストルを発射するという点が共通し、ジュリアン・ソレルの場合、殺意はあったにせよ、レナール夫人が軽症ですんだことや彼自身の悔恨、また、レナール夫人の奔走やマチルドの画策、世間の同情を考えあわせれば、死刑にはなりえなかったはずで、一方、ムルソーの場合も、植民地下のアルジエリアで武装したアラブ人を殺したからといって、死刑にはなりえなかったはずで、光に対する過敏な感覚を訴え、正当防衛を主張すれば、無罪とまではいかないまでも死刑は免れえたはずであり、そうした両者の置かれた微妙な状況がひどく似たものであると言えるかと思います。

 なぜ二人とも自らが死刑になることを受け容れるのかということについては様々な解釈や議論があり、安易に一緒くたに出来ないのかもしれませんが、ジュリアン・ソレルもムルソーも、自身の裁判から"疎外"されているというのは共通するのではないでしょうか(松岡正剛氏はルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「異邦人」を観て、ヴィスコンティはムルソーを「ゲームに参加しない男」として描ききったなという感想を持ったそうだ)。また、裁判を通してある種の高みに至るのも同じであり、ムルソーにしても最初から、サルトルが言うところの「実存主義的人間」を絵に描いたようなキャラクターではなかったように思います(サルトル自身がそれゆえの『異邦人』の文学性を自身の作品『嘔吐』と比べて高く評価している)。ジュリアン・ソレルも、死刑判決が出された後でレーナル夫人の真意(愛)を知って煩悶します。この両者の置かれている状況が似ているという事実と、両者とも変容を経て俗人の及びのつかない高みに達したように見える点は、やはりその類似に注目していいかと思いました。

クロード・オータン=ララ監督「赤と黒」('54年/仏)出演:ジェラール・フィリップ/ダニエル・ダリュー(192分)
赤と黒 4mai.jpg

ジャン=ダニエル・ヴェラーグ監督「赤と黒(TV-M)」('97年/仏・伊・独)出演:キャロル・ブーケ/キム・ロッシ・スチュアート(200分)
Le Rouge et Le Noir 1997.jpg 赤と黒Y445_.jpg 

【1957年文庫化[新潮文庫(上・下)(小林正:訳)]/1958年再文庫化[岩波文庫(上・下)(桑原武夫他:訳)]/2007年再文庫化[光文社古典新訳文庫(上・下)(野崎歓:訳)]】

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