2021年5月 Archives

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復讐の相手を最後まで許さないところが作者の真骨頂。市川海老蔵のドラマは甘かった。

霧の旗 (1969).jpg霧の旗 新潮文庫.jpg 霧の旗 新潮文庫2.jpg 霧の旗 角川文庫.jpg 
『霧の旗』['61年]/『霧の旗 (新潮文庫)』『霧の旗 (1964年) (角川文庫)

「松本清張ドラマスペシャル『霧の旗』」('10年/日本テレビ)
相武紗季/市川海老蔵
霧の旗 海老蔵.jpg 昭和30年代半ば、九州の片田舎で金貸しの老女の強盗殺人事件が起き、柳田桐子の兄で教師の正夫が容疑者として逮捕されて裁判にかけられる。正夫が第一発見者で、正夫は被害者から生前金を借りており、しかも殺害現場から借用証書を窃取する等、状況は正夫にとって圧倒的に不利だったが、それでも殺人に関しては無罪を主張する。思いあまった桐子は上京し、同郷出身の高名な弁護士の大塚に弁護の依頼を申し出る。だが、高額な弁護費用を工面できないのと、大塚自身の多忙を理由に断られ、失意の内に帰郷する。その後、一審で出た判決は死刑。そして、控訴中に正夫は無実を訴えながら獄中で非業の死を遂げた。桐子はその旨を大塚に葉書に書いて送る。殺人犯の妹の汚名を着せられた桐子は地元にいられなくなり、上京してホステスになる。一方、葉書を読んだ大塚は後味の悪さを感じ、独自に事件資料を集めて丹念に読み込んでいくうちに、真犯人は桐子の兄以外にいることを突きとめる。その頃、大塚の愛人・河野径子に、ふとしたことから殺人容疑がかかる。だが、たまたま殺人現場の近くに桐子が居合わせており、逃走する犯人の姿を見ていておまけに犯人のものと思われるライターまで拾っていた。径子の無実を証明できるのは桐子ただ一人。径子は桐子に現場近くで見たことをありのままに証言してくれるよう懇願するが―。 

 雑誌「婦人公論」の1959(昭和34)年7月号から 1960(昭和35)年3月号に連載され、1961(昭和36)年3月に中央公論社より刊行された松本清張作品。作者得意の、女性の怨念がじわっと滲み出てくる復讐劇です。社会学者の作田啓一は、本作において大塚弁護士の側に罪があるとすればそれは「無関心の罪」であり、現代人の多くが密かに心当たりのある感覚であると分析しています。また、評論家の川本三郎は、本作が発表された時期には地方と東京の大きな格差が生まれていて、桐子の大塚弁護士に対する恨みの背景には、地方出身者の東京に対する恨み(と強い憧れ)があると指摘しています。

 この物語で特徴的であると思う点は、桐子の大塚弁護士に対する復讐が、愛人の河野径子に不利な証言をすることで彼女を殺人犯に仕立て上げることにとどまらず、大塚弁護士本人にも及ぶ点であり、しかも、純潔を投げ打って大塚弁護士を篭絡するという凄まじいものである点で、ここまでくると彼女のキャラクターは、ややエキセントリックにも思えてきます。でも、ある意味、これが、作者の真骨頂なのでしょう。作者の描く小説に出てくる怨念に満ちた女性には、作者自身の怨念が込められているとも言われていますから。ただし、この作品の主人公の女性は年齢がかなり若いことが1つ特徴でしょうか。

霧の旗 DVDブック.jpg霧の旗 1965.jpg霧の旗 1977.jpg この小説の映画化作品には、1965年の山田洋次監督・倍賞千恵子主演版と、1977年の西河克己監督・山口百恵主演版の2作がありますが、その外に、以下の通り数多くのテレビドラマ化作品があります。

山田 洋次 (原作:松本清張) 「霧の旗」(1965/05 松竹)

あの頃映画 「霧の旗」 [DVD]」(山田洋次監督・倍賞千恵子)
霧の旗 [Blu-ray]」(西河克己監督・山口百恵主演)
松本清張傑作映画ベスト10 5 霧の旗 (DVD BOOK 松本清張傑作映画ベスト10)

•1967年 ナショナルゴールデン劇場「霧の旗」[全4回]広瀬みさ・芦田伸介・草笛光子(NET(現・テレビ朝日))
•1969年 おんなの劇場「霧の旗」[全6回]栗原小巻・三國連太郎・八千草薫(フジテレビ)
•1972年 銀河ドラマ「霧の旗」[全5回]植木まり子・森雅之・岡田茉莉子(NHK)
•1983年 火曜サスペンス劇場「松本清張の『霧の旗』」[全5回]大竹しのぶ・小林薫・小川真由美(日本テレビ)
•1991年 土曜ワイド劇場「松本清張作家活動40年記念『霧の旗』」安田成美・田村高廣・阿木燿子(テレビ朝日)
•1997年 金曜エンタテイメント「松本清張スペシャル『霧の旗』」若村麻由美・仲代達矢・萬田久子(フジテレビ)
•2003年「松本清張サスペンス特別企画『霧の旗』」星野真里・古谷一行・多岐川裕美(TBS)
•2010年「生誕100年記念 松本清張ドラマスペシャル『霧の旗』」相武紗季・市川海老蔵・戸田菜穂(日本テレビ)
•2014年 松本清張二夜連続ドラマスペシャル(第二夜)「松本清張 霧の旗」堀北真希・椎名桔平・木村佳乃(テレビ朝日)

霧の旗 海老蔵0.jpg このうち、日本テレビの相武紗季・市川海老蔵版を観ました。大塚弁護士は「新進気鋭の若手弁護士」ということになっていて、この市川海老蔵演じる大塚弁護士が最後は、雨の中、水溜りに額をつけて相武紗季演じる桐子に謝り倒すのですが、彼女は許さない...どころか、大塚弁護士を誘惑して、彼に犯されたとの告発状を検事局宛に送る―と、ここまでは一応はほぼ原作通りですが、最後の最後で、河野径子(戸田菜穂)の無実を証明する鍵となるライターを検事局の大塚の元上司(中井貴一)に送ってきて、結局、径子の無実は証明され、最後は妻と離婚した大塚と径子が二人仲睦まじくいるという終わり方になっていました(桐子側からすれば、自らの偽証も表明したことになるのだが、これでいいのか?)。

霧の旗 海老蔵 土下座.jpg 原作では、桐子の偽の告発状に大塚は抗弁することもなく、弁護士界のあらゆる役員を辞職したばかりでなく、弁護士という職業も辞しているので、それに比べるとドラマは甘いと言うか、テレビ的改変とでも言うべきものでしょう。霧の旗 相武.jpgそれにしても随分と大塚と径子に寄り添った作りになっているように思いました。市川海老蔵の演技は好悪が割れるところ。相武紗季が可愛すぎて、幼いころに両親を亡くし悲劇的環境を生きてきた女性には見えず、戸田菜穂が演技力でそれをフォローしているという印象だったでしょうか。西河克己監督の映画で三浦友和が演じた新聞記者役の東貴博(ドラマではフリーライター)や、海老蔵の部下役(事務所の大番頭?)の津川雅彦、大塚のキッチンドランカー気味の妻役の中澤裕子はまずまずといったところでした。
「霧の旗」s2.jpg

霧の旗 海老蔵 dvd.jpg「生誕100年記念 松本清張ドラマスペシャル 霧の旗」●監督:重光亨彦●製作:(チーフプロデューサー)前田伸一郎(日本テレビ)/(プロデューサー)金澤宏次/小越浩造(ユニオン映画)●脚本:中園健司●音楽:糸川玲子●原作:松本清張●出演:市川海老蔵/相武紗季/東貴博/戸田菜穂/津川雅彦/中澤裕子/カンニング竹山/井坂俊哉 /柳原可奈子/山西惇/青田典子/原知佐子/中井貴一/六平直政/本田博太郎/山下真司/温水洋一/森下哲夫/山上賢治/阿部祐二/井上公造/中村有志/山寺宏一(※声のみの出演)●放映:2010/03/16(全1回)●放送局:日本テレビ

生誕100年記念 松本清張ドラマスペシャル 「霧の旗」 [DVD]

【1962年文庫化[中公文庫]/1964年再文庫化[角川文庫]/1972年再文庫化[新潮文庫]/1975年・1994年[中公文庫]】

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比較的原作に忠実に作られていた。久我美子が一番"キャラ立ち"している。
女であること dvd.jpg 女であること t.jpg 女であること 1.jpg 女であること (新潮文庫).jpg
女であること <東宝DVD名作セレクション>」美輪明宏 久我美子/原節子/香川京子『女であること (新潮文庫)

「女であること」3ni.jpg「女であること」9.21.jpeg 佐山家の主人・佐山貞次(森雅之)は弁護士、夫人・市子(原節子)は教養深い優雅な女性。結婚十年で未だ子供が無いが、佐山が担当する死刑囚の娘・妙子(香川京子)を引取って面倒をみている。ある日、市子の女学校時代の親友・音子(音羽久米子)の娘さかえ(久我美子)が、大阪から市子を頼って家出して来た。さかえは自由奔放で行動的。妙子は内向的な影のある娘で、父に面会に行くほかは、アルバイト学生・有田(石浜朗)との密かな恋に歓びを感じている。二人とも佐山夫妻に憧れているが、さかえは積極的、妙子は消極的。市子には結婚前、清野(三橋達也)という恋人があったが、ある時、佐山の親友の息子・光一(太刀川寛)から何年ぶりかの清野に紹介された。その後、佐山が過労で倒「女であること」kagawa1.jpegれた時、さかえは彼のために尽くし、急激に佐山を慕うようになる。全快した佐山と共に、さかえは彼の事務所に勤めることになり、市子の心は微妙にさやぐのだった。その頃、音子が上京し、清野のことも話題になったが、その彼女らの前に、佐山とさかえが清野の招きをうけ、彼に送られて帰宅するという一幕があった。一方、妙子は有田と同棲するために佐山家を出たが、妙子の心づくしにも拘らず、有田は彼女から去っていく。妙子の父の公判が開かれる前日、わがままを言って佐山に打(ぶ)たれたさかえは、その晩帰宅しなかった。市子は、佐山との生活での彼女の苦悩をはじめて夫に打明けたが、市子が思ったほど佐山はさかえに心を奪われてはいなかった。公判の日、妙子の父は佐山の努力で減刑になり、また、さかえは音子のいる宿で泊まったことが判り、市子は安堵する。が、それも束の間、佐山が交通事故で負傷する。幸いにも傷は軽くてほどなく退院した。退院祝いの日、多勢の見舞客のなかに、素直になったさかえを喜ぶ音子や、少年医療院への就職がきまった妙子もいた。だが何よりも佐山家にとっての喜びは、市子が身籠ったことだった。そこへ、京都の父の許へ行くというさかえが、別れを言いに来た。隣室の音子を呼ぼうとする市子をあとに、さかえは雨の中を逃げるように歩み去る―。

「女であること」ps.jpg 川島雄三の1958(昭和33)年監督作で、原作は川端康成が、朝日新聞の朝刊紙上に、1956(昭和31)年3月から同年11月まで251回にわたり連載した長編小説で、前半104回分が「女であること(一)」として1956(昭和31)年12月に新潮社から刊行され、後半は「女であること(二)」として翌年同社より刊行されています。

I『女であること』.jpg 田中澄江、井手俊郎、川島雄三の3人の共同脚色で、原作も会話が多く、名作ながら川端作品の中ではすらすら読めるタイプに属するものですが、ただし、文庫で680ぺージ近い長編、それをテンポ良く100分の映画に纏めたという感じです。ストーリー的にも、比較的原作に忠実に作られていたように思います(妙子の女友達が出てこなかったぐらいか)。

 森雅之演じる弁護士の佐山を巡って、原節子、久我美子、香川京子が演じる3人の女性のそれぞれの思惑が行き来しますが、映画では、久我美子演じるさかえの、周囲に波風を立てるお騒がせなキャラクターと、香川京子演じる妙子の、殺人犯の娘という宿命のもと何かと思いを内に秘めるキャラクターの、その両者の対比がより印象的でした。

「女であること」511.jpg「女であること」kiss.jpg  二人とも原節子(当時38歳くらいか)演じる市子に憧れていますが、とりわけ久我美子演じるさかえは、市子に同性愛的な思慕を抱いている風で(市子に接吻するシーンは原作通り)、それでいて佐山にも急速に接近していく、やや小悪魔的な面もある女性です(市子と彼女の昔の恋人・清野の再会の場もしっかり盗み見したうえで、光一に接近しているし)。

 佐山がそんなさかえを打(ぶ)つシーンは、原作では帰りの坂道を二人で歩いていて、さかえの暴言に怒った佐山が平手打ちをして、すぐに謝って彼女を抱き上げる風になっていますが、映画では、帰りのクルマ内で(原作では佐山は運転をしないことになっているのだが)、佐山にかまってもらえないさかえが勝手にブレーキを踏んでクルマを止め、川原へ逃げていくのを、追いついた佐山が、さかえに暴言を吐かれて彼女を平手打ちに。その後、河原で彼女に覆い被さるようになって―河原だからこうなるのだろなあ。因みに、森雅之と久我美子は前年の五所平之助監督「挽歌」('57年/松竹)では不倫関係の男女を演じています(当然、キスシーン有り)。

 さかえは(わがまま娘にありがちだが)佐山に打(ぶ)たれたことで、彼への思いは逆に頂点に。でも、市子のことも好きなので、佐山に打たれた瞬間に、「小父さまも、小母さまも好き...二人とも好きな時の自分は嫌い...」というアンビバレントな心情を吐露するに至ったのでしょう(原作はここまで"解説的"ではないのだが)。

「女であること」21.jpg 終盤に市子が身籠ったというのは、「雨降って地固まる」といったところでしょうか。ただし、原作もそうですが、映画もプロセスにおいてそうなることを示唆する描写がないので、何かしっくりこない気もします。とは言え、夫婦も危機を乗り越え(もともと、三橋達也よりは森雅之の方が渋いと思うけれどね。作者が川端であることを思うと、森雅之と久我美子の方が危なかった?)、香川京子演じる妙子も将来が見えて落ち着いたのかと思うと、後は、その団欒の輪に入れないのは、久我美子演じるさかえのみです。「違ったところで、違った自分を探し出したい」と言って駆け出していく彼女は、最後まで自分探しを続ける予感がします(ただし、最後のこのセリフも映画のオリジナル。原作は、ただ父に会いに行くと言っているだけで、映画はやや親切過ぎるくらい説明過剰か)。

「女であること」久我美子   1.jpg「女であること」kugao1.jpg キャラクターとしては、久我美子演じるさかえが一番"キャラ立ち"していたでしょうか。溝口健二監督の「噂の女」('54年/大映)で「日本のオードリー・ヘプバーン」と言われた彼女ですが(「ローマの休日」が1954年4月に日本で公開されるや、一躍ショートカット、所謂ヘプバーンカットが大流行した)、その4年後のこの「女であること」でも、ヘプバーンを意識して模しているように思いました。そのヘプバーンが大阪弁を喋るので、否が応でも久我美子は印象に残ります。

IMG_morimasauki.jpg「女であること」yokop.jpg「女であること」●制作年:1958年●監督:川島雄三●製作:滝村和男/永島一朗●脚本:田中澄江/井手俊郎/川島雄三●撮影:飯村正●音楽:黛敏郎●原作:川端康成●時間:100分●出演:原節子/森雅之/久我美子/香川京子/三橋達也/石浜朗/太刀川洋一/中北千枝子/芦田伸介/菅井きん/丹阿弥谷津子/荒木道子/音羽久米子/南美江/山本学/美輪明宏●公開:1958/01●配給:東宝●最初に観た神保町シアター(「生誕110年 森雅之」特集)(21-04-22)(評価:★★★☆)

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最後の相場師を描く。面白い。ネット証券隆盛の今や隔世の感もあるが、普遍性も。

I小説兜町709.jpg小説兜町 kadokawa.jpg 兜町―小説 (1979年).jpg 小説 兜町(しま)徳間.jpg
小説兜町 (角川文庫 緑 463-25)』['83年]/『兜町―小説 (1979年) (集英社文庫)』/『小説 兜町(しま) (徳間文庫)』['06年] 旧東京証券取引所

旧東京証券取引所.jpg 戦前、興業証券に入社したが兵隊にとられて退社、戦後、魚のブローカーとして働いていた山鹿梯司に、興業証券兜町 (1966年) (三一新書).jpg創業者の大戸から誘いがかかる。最初は渋っていた山鹿だが、結局興業証券に復帰。一からやり直した山鹿は神武景気・岩戸景気の中、独自の発想と勘で大成功し「兜町最後の相場師」と呼ばれるのだが―。

 城山三郎、高杉良らと並ぶ経済小説の第一人者として知られる清水一行(1931-2010)の1966(昭和41)年のデビュー作。その出版のタイミングは、山一証券が1回目の破綻をした「昭和40年不況」の翌年にあたり、本書はベストセラーとなって、再起をかけていた山一証券は景気付けのために本書を一度に千冊購入し、社員に配ったと言われています。

兜町 (1966年) (三一新書)』['66年]

IMG小説 兜町(しま)1.jpg 主人公の興業証券営業部長・山鹿梯司のモデルは、日興証券営業部長・斎藤博司で、彼が株屋から証券会社への近代化の波の中で相場に生きた波乱万丈の半生がそのままに描かれているのではないでしょうか。

 株式は何のためにあるのか、どのような企業が成長するのか、米国のグロースストック(成長株)という考えを知った主人公が、当時中小企業だった本田技研、理研工学(現リコー)の大相場を先導していく様は、読んでいて痛快です。

 ただし、小説としては面白いのですが、現代では当時のイメージが沸きにくいかもしれません。公募増資のいくつかの弊害や、個人が議決権を持てない投資信託の問題をこの当時から指摘しているのはさすがに鋭く、そう言えば、三大経済小説家の中でもこの作家は。「株」の世界が得意分野だったなあと改めて思わされはしますが。

東京証券取引所1.jpg やや隔世の感があるのは、当時の株取引はまさに人を介したものだったのに、今や〈ネット証券〉隆盛で、インターネットで人を介さないで取引するのが普通になっているというのもあるかと思います。この業界、電子メールではなく電話で株売買するのが常だったので(今でも証券マンに聞けば、会社の指示でメールは使ってはいけないようだ)、電話からメールを飛び超えて一気にネットへいった印象を受けます(茅場町駅あたりで降りて、証券会社の窓口に足を運ぶ人もそれなりにいるとは思うが)。

 あと、大きな変化は、この小説の後半に初登場する〈投資信託〉の隆盛。こちらの方がむしろインターネット取引よりずっと前に、業界から相場師的な証券マンの活躍の場を奪う原因になったのではないかと思います。相場師の流れを組むと言えるものとして、有名ファンドマネージャーなどが挙げられるかもしれませんが、投資にすべてを賭けているような人ならともかく、フツーの庶民はあまり縁がないのではないでしょうか。やはり、投資信託の登場は大きかったように思います

東京証券取引所2.jpg でも、証券取引の本質的な仕組み自体は今も同じであるともとれ、本書が、株を巡っての財界から個人投資家まで様々な人々の思惑や欲望、それに関わる証券マンの仕事ぶりまを描いた経済小説の記念碑的作品であることの事実と、そこに一定の普遍性が認められことは変わらない思います。

【1979年文庫化[集英社文庫]/1983年再文庫化[角川文庫]/2006年再文庫化[徳間文庫]】

「●成瀬 巳喜男 監督作品」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒【3085】 成瀬 巳喜男 「放浪記
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原作も傑作。主人公はなぜクズ男を追い続けるのか。水木洋子の答えは...。

映画 浮雲.jpg映画 浮雲  e.jpg浮雲dvd.jpg  浮雲 新潮文庫.jpg
浮雲 [DVD]」『浮雲 (新潮文庫)
高峰秀子/森雅之

映画 浮雲 仏印.jpg 戦時中の1943年、農林省のタイピストとして仏印(ベトナム)へ渡ったゆき子(高峰秀子)は、同地で農林省技師の富岡(森雅之)に会う。当初は富岡に否定的な感情を抱いていたゆき子だが、やがて富岡に妻が居ることを知りつつ2人は関係を結ぶ。終戦を迎え、妻・邦子(中北千枝子)との離婚を宣言して富岡は先に帰国する。後を追って東京の富岡の家を訪れるゆき子だが、富岡は妻とは別れていなかった。失意のゆき子は富岡と別れ、米兵ジョー(ロイ・ジェームス)の情婦になる。そんなゆき子と再会した富岡はゆき子を詰り、ゆき子も富岡を責映画 浮雲 加東.jpgめるが結局2人はよりを戻す。終戦後の混乱した経済状況で富岡は仕事が上手くいかず、米兵と別れたゆき子を連映画 浮雲 岡田 加東.jpgれて伊香保温泉へ旅行に行く。当地の「ボルネオ」という飲み屋の主人・清吉(加東大介)と富岡は意気投合し、2人は店に泊めてもらう。清吉には年下の女房おせい(岡田茉莉子)がおり、彼女に魅せられた富岡はおせいとも関係を結ぶ。ゆき子はその関係に気づき、2人は伊香保を去る。妊娠が判明したゆき子は再び富岡を映画 浮雲es.jpg訪ねるが、彼はおせいと同棲していた。ゆき子はかつて貞操を犯された義兄の伊庭杉夫(山形勲)に借金をして中絶する。術後の入院中、ゆき子は新聞報道で清吉がおせいを絞殺した事件を知る。ゆき子は新興宗教の教祖になって金回りが良くなった伊庭を訪れ、養われることになる。そんなゆき子の元へ落魄の富岡が現れ、邦子が病死したことを告げる。富岡は新任地の屋久島へ行くことになり、身体の不調を感じていたゆき子も同行するが―。

映画 浮雲 p.jpg浮雲4.jpg 成瀬巳喜男監督の1955年作品で、同年のキネマ旬報ベストテン第1位、監督賞、主演女優賞(高峰秀子)、主演男優賞受賞作品(森雅之)。「毎日映画コンクール」日本映画大賞、「ブルーリボン賞」作品賞も受賞。『大アンケートによる日本映画ベスト150』('89年/文春文庫)で第5位、キネ旬発表の1999年の「映画人が選ぶオールタイムベスト100・日本映画編(キネ旬創刊80周年記念)」で第2位、2009年版(キネ旬創刊90周年記念)」でも第3位に入っています。

 原作は、林芙美子(1903-1951/47歳没)の'51(昭和26)年刊行の『浮雲』(六興出版)で、49(昭和24)年秋から足かけ3年、月刊誌に書きついで完成したもの(「風雪」'49(昭和24)年11月~'50(昭和25)年8月、「文学界」'50(昭和25)年9月~'51(昭和26)年4月)。作者はこの年の6月に心臓麻痺で急逝しており、'49年から'51年にかけては9本の中長編を並行して新聞・雑誌に連載していたことから、過労が原因だったとも言われています。

 映画の方は、小津安二郎が、「俺にできないシャシンは溝口の『祇園の姉妹』と成瀬の『浮雲』だ」と言ったことが有名です。また、笠智衆の思い出話で、「浮雲」を小津安二郎に誘われて小田原で二人で観た時、映画館を出た後に口数が少なく黙りがちだった小津が、ポツリ、「今年のベストワン、これで決まりだな」と言ったというエピソードがあります(笠智衆『俳優になろうか―私の履歴書』)。

 成瀬巳喜男作品の中でも傑作だと思います。男の小ずるさを完璧に体現した森雅之の至芸、そんな男をずるずると追い続ける女の哀れを現し切った高峰秀子の秀逸な演技。戦時下の仏印、焼け跡のうらぶれたホテル、盛り場裏の汚い小屋住まい、長岡温泉、そしてラストの屋久島と、舞台を変えながら繰り返される二人の会話の哀しさや愚かさには、背景や二人が置かれている状況にマッチした絶妙の呼吸があり、リアリティに溢れていました。

 原作を読むと、セリフも含め原作にほぼ忠実に作られているのが分かり、そもそも原作が傑作なのだなあと改めて思わされます。それを見事に映像化した成瀬巳喜男監督もさることながら、原作に中から映像化すべきところを的確に抜き取った脚本の水木洋子(1910-2003/92歳没)もなかなかではないかと思います。

映画 浮雲 2.jpg しかし、なぜ主人公のゆき子は、富岡みたいな優柔不断なくせに女には手が早いクズ男をいつまでも追いかけまわすのか、これが映画を観ていても原作を読んでいても常について回る疑問でした。だだ、この点について訊かれた水木洋子は、彼女が別れられないのは「身体の相性が良かったからに決まっているじゃない」といった類の発言をしている水木洋子.jpgそうです。そう思って映画を観ると、あるいは原作を読むと、映画にも原作にもそうしたことは全く描かれていないのですが、にもかかわらず何となく腑に落ちて、これって所謂"女の性(さが)"っていうやつなのかなあと。

水木洋子(1910-2003)

高峰秀子
浮雲ード.jpg 当初主演を依頼された高峰秀子は「こんな大恋愛映画は自分には出来ない」と考え、自分の拙さを伝えるために台本を全て読み上げたテープを成瀬らに送ったが、それが気合いの表れと受け取られ、ますます強く依頼される羽目になったとのことです(潜在的には演じてみたい気持ちがあったのでは)。

 一方、'80年代に吉永小百合と松田優作のダブル主演でリメイクが計画されたものの、本作のファンであり、高峰秀子を尊敬していた吉永小百合が「私には演じられない」と断ったため実現しなかったという逸話もあります(吉永小百合には"女の性(さが)"を演じることは重すぎたということか)。

「映画ファン」昭和30年1月号 新作映画紹介「浮雲」
新作映画紹介『浮雲』2.jpg

新作映画紹介『浮雲』1.jpg 

森雅之/岡田茉莉子
映画 浮雲 岡田茉莉子11.jpg映画 浮雲 岡田茉莉子0.jpg「浮雲」●制作年:1955年●監督:成瀬巳喜男●製作:藤本真澄●脚本:水木洋子●撮影:玉井正夫●音楽:斎藤一郎●原作:林芙美子●時間:124分●出演:高峰秀子/森雅之(大映)/岡田茉莉子/山形勲/中北千枝神保町シアター(21-04-13).jpg子/加東大介/木匠マユリ/千石規子(東映)/村上冬樹/大川平八郎/金子信雄/ロイ・ジェームス/林幹/谷晃/恩田清二郎/森啓子/馬野都留子/音羽久米子/出雲八重子/瀬良明/堤康久/神保町シアター.jpg木村貞子/桜井巨郎/佐田豊●公開:1955/01●Floating Clouds yamagata1.jpg配給:東宝●最初に観た場所(再見):神田・神保町シアター(21-04-13)(評価:★★★★☆)

山形勲(ゆき子がかつて貞操を犯された義兄・伊庭杉夫)
  
  
《読書MEMO》
是枝裕和監督の選んだオールタイムベスト10["Sight & Sound"誌・映画監督による選出トップ10 (Director's Top 10 Films)(2012年版)]
 ●ラルジャン(ロベール・ブレッソン)
 ●恋恋風塵(ホウ・シャオシェン)
 ●浮雲(成瀬巳喜男)
 ●フランケンシュタイン(ジェームズ・ホエール)
 ●ケス(ケン・ローチ)
 ●旅芸人の記録(テオ・アンゲロプロス)
 ●カビリアの夜(フェデリコ・フェリーニ)
 ●シークレット・サンシャイン(イ・チャンドン)
 ●シェルブールの雨傘(ジャック・ドゥミ)
 ●こわれゆく女(ジョン・カサヴェテス)

    

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象を撃った時の描写が強烈。象を撃つに至る心理や撃った後の心情もよく描けていて秀逸。

象を撃つ―オーウェル評論集〈1〉.jpgオーウェル評論集 1 象を撃つ.jpg  オーウェル評論集3 象を撃つ.jpg Modern Classics Shooting an Elephant.jpg
象を撃つ―オーウェル評論集〈1〉 (平凡社ライブラリー)』['95年]/『オーウェル評論集 1 象を撃つ』['09年]/『オーウェル評論集3: 象を撃つ』[Kindle版]/"Modern Classics Shooting an Elephant (Penguin Modern Classics)"
Burma Provincial Police Training School, Mandalay, 1923
Eric Blair is the third standing tram the left
Burma Provincial Police Training School, Mandalay, 1923 Eric Blair is the third standing tram the left.jpg ビルマの警官として働く主人公の「私」。当時ビルマはイギリスの権力下に置かれており、現地の人からは良く思われていなかった。「私」はある日、市場(バザール)で象が暴れているとの連絡を受け、ライフルを持って現場に向かう。象は労役用で、さかりがついて鎖を切って暴れ、一人のインド人苦力を踏み殺してしまっていた。「私」が現場に着いた時にはすでに象は大人しくなっていたため、「私」は貴重な労役用の象を射殺する必要はないと判断する。ところが後ろを振り返ると、2千人を超える現地の人たちが野次馬のように集まっていて、「私」が象を射殺するのを期待しているのが強く分かる。「私」は象を撃ちたくないと思いながらも、支配者としてのイギリス人の対面を保つために、象を撃つはめになる―。

Eric Blair (pen name, George Orwell)
Eric Blair (pen name, George Orwell).jpg 1936年秋に発表されたジョージ・オーウェル(本名:エリック・アーサー・ブレア、1903-1950/46歳没)の短編で、オーウェルは19歳から5年間、当時イギリスの支配下にあったビルマ(現在のミャンマー)で警官として過ごしており、この「象を撃つ」はビルマ赴任を終えて約10年近く経て書かれたものですが、ビルマ時代を描いた作品の中でも代表的なものの一つに数えられているとともに、作者の短編の中でも代表作とされているものです。ただし、1945年に出版された『動物農場』で作家として一気にその名を高める、その9年前の作品ということになるので、注目されるようになったのは『動物農場』がベストセラーになった以降かと思われます。

 町で飼われていた象が暴れだして、警官である主人公は対処しなければならなくなり、職務として銃を持ち出しますが、この主人公、実は気弱な性格で、一方で、白人でありながら帝国主義的なイギリスも良く思っていない、だからと言って行動をする訳でもない、所謂「事なかれ主義」な人物として描かれており、その主人公が、象を目の前にして究極の判断を迫られるというもの。

 象を撃った時の描写が強烈です。弾丸が当たったという感触が無かったのに、象に「奇妙で恐ろしい変化」が起き、立ったまま倒れずにいるのに、「体の線がことごとく変わって」しまい、弾丸の衝撃で「麻痺したかの、突然打ちひしがれ、しなび、ひどく老いてしまったように」見え...。

 とどめを刺そうと至近距離から何発も弾を撃ち込みますが象は死にきれず、「私」は耐え切れずにその場を去って、後で象が絶命するまで30分かかったということを聞きます。

 最後の主人公の心情の吐露が屈折しています。「あとになってみると、苦力が殺されて本当によかったと思った。それは法的に私を正当化してくれ、象を撃ったことに対する十分な言い訳ともなった。ばかに見られたくないという理由だけで、私が象を撃ったのだと見抜いた者がだれか一人でもいたかどうか、私は何度となく思いをめぎらせたものだ」と。

 この衝撃エピソード的な短編は、支配しているように見える側が実は支配されているのだという矛盾を象徴的に露わにさせることで、帝国主義を批判しているのだともとられているようですが、そうした深い"読み"に至るのも、主人公の自らが追いつめられるように象を撃つに至る心理や、象を撃った時の衝撃、撃った後の自分の居場所を失ったような心情が実によく描けていて秀逸であり、それだけ読む側の印象に残るからだと思います。

動物農場 角川旧.jpg ところで、この作品は、個人的には『動物農場』['72年/角川文庫]所収のものを読んだのが最初ですが、岩波文庫の『オーウェル評論集』('82年)や平凡社ライブラリーの『オーウェル評論集1』('95年)に収められているように、エッセイという位置づけのようです(平凡社ライブラリー版の原典は"The Collected Essays, Journalism and Letters of George Orwell"。編者によれば、平凡社ライブラリー版の第1集は「経験」というテーマをもとに編纂されているとのこと)。ただし、編者の川端康雄氏によれば、作者はビルマでの記憶が10年を経て「スケッチ」のごとく甦ってきたのが作品を書いた動機だとはしているものの、ドキュメンタリーとも短編小説ともとれるとしています(『ジョージ・オーウェル―「人間らしさ」への讃歌』('20年/岩波新書))。

 実際、この作品が実話なのかどうかには議論があって、「象を撃った処分としてオーウェルはミャンマー北西部のカタへ転属された」という当時の同僚の証言がある一方、1926年に起きた類似の事件を題材にしたフィクションではないかという主張もあるそうです。

 このドキュメンタリーかフィクションかという謎は、角川文庫、平凡社ライブラリーにそれぞれ併録のもう一つの短編「絞首刑」(1931)にも当てはまるかと思います。ビルマ赴任し当時、死刑の執行に立ち合った体験をもと書かれたものとされていますが、こちらも印象にに残る作品です(タイトル的には「象を撃つ」の方がインパクトがあるが、中身は引けを取らない)。併せて読まれることをお勧めします。

【1972年文庫化[角川文庫(『動物農場』)]/1982年再文庫化[岩波文庫(『オーウェル評論集』)]1995年ライブラリー化・2009年新装版[平凡社ライブラリー(『象を撃つ―オーウェル評論集〈1〉』『新装版 オーウェル評論集1―象を撃つ』)]】

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「●「『本の雑誌』編集部が選ぶノンジャンル・ベスト10」(第1位)」の インデックッスへ

父と子どもの切ない(身につまされる)ファンタジー。年齢とともに傑作に。

流星ワゴン (講談社文庫) tiup.jpg流星ワゴン 文庫.jpg 流星ワゴン 単行本.jpg
流星ワゴン (講談社文庫)』['05年]/『流星ワゴン』['02年]

 2002年度「『本の雑誌』が選ぶノンジャンルベスト10」第1位。

 帰省先から帰宅途中の永田一雄は、夜の駅前に1台のワゴン車が止まているのを見かける。ワゴン車には橋本義明・健太という親子が乗っていて、彼らはなぜか永田の抱えている問題をよく知っていた。永田の家庭は崩壊寸前で、妻の美代子はテレクラで男と不倫を重ね、息子の広樹は中学受験に失敗し家庭内暴力をふるっていた。永田自身も会社からリストラされ、小遣いほしさに、ガンで余命いくばくもない父・忠雄がを訪ねていくようになっていた。「死にたい」と漠然と考えていたとき、永田は橋本親子に出会ったのだ。橋本は彼に、自分たちは死者だと告げると、「たいせつな場所」へ連れて行くと言う。そして、まるでタイムマシーンのように、永田を過去へと誘(いざな)うと、そこには、なぜか自分と同じ年の姿で現れた父・忠雄がいた―。

 作者自身が文庫あとがきで、「『父親』になっていたから書けたんだろな、と思う自作はいくつかある」とし、その一つに挙げている作品で、この作品を書き始めた時は36歳だったそうです。36歳の自分が36歳の父親と会ったら、友達になれただろうか、という思いを込めたとのことで、まさにほぼそういった設定になっています。

バック・トゥ・ザ・フューチャー デロリアン.jpg 文庫解説の斎藤美奈子氏が、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」('85年/米)を想起させるところがあるとしていますが、確かに、デロリアンがオデッセイになっていますが(物語のワゴン車は3列シートのオデッセイ)それはあるかも。

 主人公の永田一雄は38歳で、一方の父親は63歳で、末期ガンで余命いくばくもない状態で病院にいますが、一雄が橋本親子に連れられてオデッセイでタイムスリップした1年前においては、父は一雄と同じ38歳になっていて、つまり1年過去に戻った一雄とは逆に、父・一雄は24年くらい未来にやってきたことになります。

銀河鉄道の夜 田原田鶴子.jpgスーパージェッターモノクロ22.jpg 斎藤美奈子氏は、タイトルから、「スーパージェッター」の「流星号」も想起したそうですが、これも確かに、時を駆ける際には流星号となるとも言えます。個人的には、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を想起しました。

 『銀河鉄道の夜』に出てくる列車は、これから死に向かいつつある人を乗せているわけで、橋本父子は5年前に事故死しているわけだし(不慮の事故だっため、死んではいるが成仏できていない)、主人公の一雄は、壊れた家庭を前にふと死を考えてみたりもしています。そこに現実世界では末期ガンである父親も乗り込んでくるとなると、一雄はどうなるのかなあとも思ったりしましたが、彼はカムパネルラではなくジョバンニだったわけかと。

宮沢 賢治(作)/田原 田鶴子(絵)『銀河鉄道の夜』['11年/偕成社]より

 一雄は、過去に遡るたびに、妻・美代子や息子・広樹が躓いてしまったきっかけを知ることになり、何とかしなければと思いながらも、2人にうまく救いの手を差しのべられないでいますが、これは「歴史は変えられない」というタイムパラドックスSFのセオリーとも言えます。

 「バック・トゥ・ザ・フューチャー」もそうですが、"誤った将来(現在)"にならないよう"過去を過去のまま"保とうとするタイプのタイムパラドックスSFがあるのに対し、こちらは、主人公が"過去を変える"ことで"現在を変える"ことを試みるというタイプのものになっていて、それは結局何一つ叶わないものだったのか―実際、一雄と家族のすれ違いと衝突は極めてシビアで、生半可なことでは解決の糸口は見い出せないようにも感じられましたが...。

斎藤美奈子6.jpg しかしながら、最後は何とかハッピーエンドに。話が出来過ぎているように思えても、やはり感動させられ、このあたりは作者の力量かなと思いました。こんな「感動物語」の解説を辛口批評の斎藤美奈子氏がやっているいるのがやや意外でしたが、作者の指名であったようです。斎藤氏は、この作品を読んで「身につまされる」のはなぜかを、しっかり社会学的に分析していました。

斎藤美奈子 氏
 
エリザベート・バダンテール.jpg 斎藤美奈子氏は、フランスの社会思想家エリザベート・バダンテールの『XY―男とは何か』('97年/筑摩書房)を引いて、工業化社会以降の職場と家庭の分離が、父と子の距離が離れていった原因であり、家庭に居場所を失った父親は、家長として威厳を保つために権威を振り回すか、愛情ある父親を演じようと子どものご機嫌をとるか、極端に言えばその2つしかなくなるとのこと。息子から見ても、生活圏の異なる父親を自己同一化モデルとすることは難しくなったとしています。

エリザベート・バダンテール

 バダンテールの『XY』によれば、権威主義の家父長のもとで育った子は、その苦しい経験から、自身は「並外れて愛情深い」父親になるが、その優しさが今度は子どもから厳しく裁かれることになるとしており、斎藤美奈子氏は、この物語の父子がまさにそうだとしています(そして、読者も身につまされるのだ)。

 物語の中で親子はチュウとカズさんという関係になっていきますが、そうなるには二人が同年齢であるSFファンタジックな設定が必要であったわけで、読者の多くもSFというよりはファンタジーとしてこの作品を読んだのではないかと思います。切ないファンタジーではありますが。

 痛々しい家庭の内実をシビアに描きながらも、一方でそうしたファンタジクな設定でそえrを包み込むことで、小説として爽やかな読後感を残しています。また、いろいろと考えさせれる面もあった傑作であると思います(実は、年齢がいくごとにそう思えるようになった。何歳くらいで読むと一番感動するだろうか)。

流星ワゴン ドラマ相関.jpg流星ワゴン tbs.jpg 2015年にTBS系列でドラマ化されており(全10回)、一雄(カズ)は西島秀俊浜本茂 2004.jpg、父(チュウさん)は香川照之、妻・美代子は井川遥、ワゴン車を運転する橋本は吉岡秀隆が、それぞれ演じています。

 因みに、この『流星ワゴン』は「『本の雑誌』ノンジャンル・ベスト10」の第1位にも選ばれていますが、編集人の椎名誠氏よりむしろ、当時から『本の雑誌』の発行人で、今は「本屋大賞」実行委員会代表も務める浜本茂氏が強く推したためのようです。
   
『本の雑誌』ノンジャンル・ベスト102002.jpg

【2005年文庫化[講談社文庫]】

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「●「直木賞」受賞作」の インデックッスへ

子育て経験を経て読むと尚の事ぐっとくるものなのかも。「セッちゃん」は傑作。

ビタミンF』80万部突破 - コピー.jpgビタミンf bunko.jpgビタミンf bunko obituki.jpg  ビタミンf 単行本.jpg
ビタミンF(新潮文庫)』['03年]『ビタミンF』['00年]

 2000(平成12)年下半期・第124回「直木賞」受賞作。

 「ゲンコツ」「はずれくじ」「パンドラ」「セッちゃん」「なぎさホテルにて」「かさぶたまぶた」「母帰る」の7篇を収録。『ビタミンF』のタイトルの由来は、著者によれば、Family、Father、Friend、Fight、Fragile、Fortune...で始まるさまざまな言葉を、個々の作品のキーワードとして埋め込んでいったつもりであるためとのことです。ネット情報等によれば、この18年前の直木賞作は、新潮社営業部員のプロモートによって今また人気再燃しているとのことです。

「ゲンコツ」 ... 同期で会社に入社した雅夫と吉岡も、今は主任を務める38歳の中年になり、次第に年齢が気にかかり出す。飲み会の席で仮面ライダーを演じてはしゃぐ吉岡とは対照的に、若い頃のようにいかない自分を悲嘆する雅夫。そんなある日、雅夫は、街でイタズラを繰り返す少年グループを注意するために闘いを挑む―。真面目で正義感の強い主人公に共感が持てました。ラストの不良少年とその父との会話も良かったです。主人公の雅夫自身も、自信を取り戻したという爽やかなラストでした。(評価★★★★)

「はずれくじ」 ... 妻の淳子が手術で入院することになり、今まであまり話をしてこなかった息子の勇輝と二人きりになることに不安を覚える修一。そんな彼がたまたま道端で「宝くじ売り場」を見かけ、、自分の父親との過去に思いを馳せていく―。最初読んだ時は、父親が昔買ってた宝くじの思い出が印象的で、ほかはあまり印象に残らなかったが、読み直してみると2つの「父と息子の関係」が対比して描かれているのが、なかなかいいと思いました。(評価★★★★)

「パンドラ」... 孝雄は、かつて優等生だった娘の奈穂美が万引きをしたことで警察に補導され、さらに彼女が年上の男と一緒にいたと聞き、気を揉む。そんな娘の知りたくなかった側面、所謂パンドラの箱を開けてしまった孝夫は、その件がきっかけで、妻が最初に抱かれた男が自分でなかったことや、自分が最初に付き合った女性のことなど、開いてはいけない秘密の箱に次々と手を出してしまう―。あまり主人公に共感できないですが、どこか読んでいて身につまされるというのもあったかも。最後にオルゴールとともに過去の秘密を封印したことが救いか。(評価★★★☆)

「セッちゃん」 ... 娘の加奈子が突然、クラスのみんなにいじめられているという「セッちゃん」という女の子のことを話題にする。やがて父親の雄介は、その背後に隠された事実を知ることになる―。これ以上書くとネタバレになるので止めますが、たいへん良かったです。娘の加奈子は人一倍プライドが高く、生徒会長に立候補してみんなのリーダーを務めるような女の子ということで、まさかこんあ展開だとは思わなかったです。ラストで「流し雛」の話に繋げるのも上手いです。(評価★★★★☆)

なぎさホテル.jpg「なぎさホテルにて」... 達也が17年ぶりに家族と訪れた海の近くのなぎさホテルは、実は彼がかつての恋人・有希枝と一緒に泊まって二十歳の誕生日を祝った思い出のホテルだった。当時、ホテルでは、未来の指定した日に手紙が届く"未来ポスト"というサービスがあり、達也と有希枝はそれを使って17年後の自分たちに向けて手紙を書いていた―。最後は、今の自分の幸せを有り難く思うわけですが、昔の恋人との思い出の場所に、今の妻子を連れていく主人公のメンタリティがちょっと理解できませんでした(伊集院静に『なぎさホテル』という作品があるが、同じホテルがモデルなのだろう)。(評価★★☆)

「かさぶたまぶた」...政彦は、娘・優香が落ち込んでいることに妻・綾子とともに心配を抱く。そんな優香が、自身の心の闇を象徴するかのように、学校から課題として出されていた自画像に、邪悪な仮面のような顔と雪だるまみたいなからっぽな顔を描く―。「セッちゃん」と少し似ている気がしました。この子も、親の期待に応えようと頑張ってきた優等生なのだろなあ。自らの「弱さ」を子どもたちの前にさらけ出すことで、傷の入ってしまった親子の関係の修復を図る父・政彦がいいです。(評価★★★☆)

「母帰る」...母は、今37歳の「僕」が結婚したすぐ後に父と離婚し、別の男と一緒に住んでいた。最近その男が亡くなって一人暮らしになったと人伝に聞いた父が、母に一緒に住まないかと持ちかけた。僕と姉は反対で、父の説得に当たろうと帰郷する途中で、姉の元夫と一緒の飛行機に乗り合わせる。その元兄との話で、僕の気持ちの変わる―。「普通、家庭とは帰るところ」と考えられているところを、「家庭とは、本来そこから出ようとするところ」ではないのかというのが、この小説の問いかけのようです。結局、母が帰って来るというのはタイトルで分かってしまいますが(笑)、「僕」が、それまで恨んでいた母に「帰ってきてほしい」と電話をするようになる心境の変化が、作品の肝であるように思いました。 (評価★★★★)


 主に「父親」の目から妻や子どもを見た家族についての短編集ですが最後の「母帰る」だけ少し違ったか(でも、これも「父」がモチーフになっていることには変わりない)。一番良かったのは「セッちゃん」で、直木賞の選考でも、田辺聖子(1928-2019)がその「哀憐」を讃え、津本陽(1929-2018)も「『セッちゃん』が図抜けていい」としています。あと、黒岩重吾(1924-2003)がやはり、「『セッちゃん』が最も優れていた。(中略)加奈子なる少女が憐れで、とどまることのないこの病弊に憤り、無力な対策にうちのめされた」としています(一歩間違えると、「あれが自殺の予兆だった」的な話になりかねない)。

 こうした作品は、子育ての経験がなくて読むのと、そうした経験を経て読むのとではかなり印象が違ってくるかもしれません。再ブレイクのきっかけとなった、新潮社営業部員(40歳・男性)の弁―「入社当初、20代の頃に『ビタミンF』を初めて読んだ時は、正直あまりピンと来なかったのですが、40歳を迎えて改めて読むと、涙が止まりませんでした。それは主人公が今の私と同年代だからです。仕事も家庭もピリッとせず、何とも中途半端な年代。コロナによる閉塞感も重なったのかもしれません。今の自分と重なる部分ばかりで、気が付くと山手線を一周して涙が頬を伝っていました。この気持ちを誰かと共有したいと思い立ち、もう一度拡販することを提案したんです」。なるほど。子育ての経験を経て読むと尚の事ぐっとくるものなのかも。

衛星ドラマ劇場 ビタミンF.png 個人的には未見ですが、'02年7月1日から7月5日まで衛星ドラマ劇場 ビタミンF.jpgNHKBS-2でドラマ化作品が放送されています。一話完結・全6章(最終日のみ二話連続放映)のラインアップは以下の通りで(原作からは「かさぶたまぶた」だけが外れている)、やはり「セッちゃん」を最初にもってきたか。

第1章 セッちゃん(脚本:荒井晴彦/出演:役所広司・森下愛子・谷口紗耶香)
第2章 パンドラ(脚本:水谷龍二/出演:温水洋一・内田春菊・利重剛)
第3章 はずれくじ(脚本:犬童一心/出演:大杉漣・りりィ・市原隼人)
第4章 ゲンコツ(脚本:森岡利行/出演:石橋凌・小島聖・大江千里)
第5章 なぎさホテルにて(脚本:岩松了/出演:光石研・洞口依子)
最終章 母帰る(脚本:加藤正人/出演:三上博史・渡辺文雄・李麗仙)

[2003年文庫化[新潮文庫]]

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「恋愛はバスを待っているようなもので、一台のバスを逃しても、また次のバスが来る」。

シングルマン 2009.jpg シングルマン01.jpg シングルマン02.jpg
シングルマン [DVD]」コリン・ファース/ジュリアン・ムーア  ニコラス・ホルト
「シングルマン」4.jpg 1962年11月30日の朝。LAの大学で英文学を教えている内省的でシニカルなジョージ(コリン・ファース)にとって、この8ヶ月間は苦痛に満ちた日々だった。16年間共に暮らした建築家のジム(マシュー・グード)が交通事故で亡くなって以来、その悲しみは癒えるどころか、日に日に深くなっていた。だが、彼は自らの手でこの悲しみを終わらせようと決意する。大学のデスクを片付け、銀行の貸金庫の中身をカラにし、新しい銃弾を購入。着々と準備「シングルマン」0.jpgを進めるジョージだったが、一方で、今日が最後の日だと思って世界を眺めると、些細なことが少しずつ違って見えてくる。最後の授業ではいつになく自らの信条を熱く語り、講義に触発された教え子ケニー(ニコラス・ホルト)が、学校の「シングルマン」ages.jpg外で話したいと追いかけてくる。彼の誘いを断って銀行に行くと、いつも騒がしい隣家の少女と偶然出会う。ジョージは少女の可憐さに始めて気付き、彼女との正直な会話に喜びさえ感じる。だが、帰宅したジョージは、遺書、保険証書、各種のカギ、「ネクタイはウインザーノットで」のメモを添えた死装束......全てを几帳面にテーブルに並べる。そし「シングルマン」81.jpgて銃、とその時、かつての恋人で今は親友のチャーリー(ジュリアン・ムーア)から電話が入り、ジョージは破るつもりだった約束を守って彼女の家を訪れる。夫と子供に去られ「シングルマン」l.jpgて孤独な彼女の身勝手な言動に振り回されながらも、未熟で奔放だった青春時代を共にロンドンで過ごした彼女と心から笑い合うジョージ。そして、一日の終わりには、彼の決意を見抜いていたケニーの思いがけない行動にジョージは心を揺さぶられる―。

「シングルマン」ヴェネチア3.jpg 原作はクリストファー・イシャーウッドの同名小説で、ファッションデザイナーとして知られるトム・フォードの監督の2009年の監督デビュー作です。この作品でコリン・ファースに第66回Venice filmfest honors.jpgヴェネツィア国際映画祭の男優賞をもたらしたほか、続く「ノクターナル・アニマルズ」('16年)で監督第2作にして、第73回ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)に輝いています。
トム・フォード監督、ジュリアン・ムーア、コリン・ファース(第66回ヴェネチア国際映画祭)

「シングルマン」cf.jpg イギリスとイタリアの国籍を持つコリン・ファースは、同性愛者である大学教諭を演じたこの作品で、前述の第66回ヴェネツィア国際映画祭男優賞のほか、英国アカデミー賞主演男優賞受賞など多くの賞を受賞しています(2年後の「裏切りのサーカス」 ('11年/英・仏・独)でも同性愛者のスパイを演じた)。また、この映画の翌年の「英国王のスピーチ」('10年/英・豪・米)で吃音に悩まされたイギリス王ジョージ6世を演じて、第83回アカデミー賞の主演男優賞と第68回ゴールデングローブ賞主演男優賞(ドラマ部門)をダブル受賞しています。

「シングルマン」ew.jpg 一方、ジュリアン・ムーアは、この時すでに「エデンより彼方に」('02年/米)でヴェネツィア国際映画祭女優賞、「めぐりあう時間たち」('03年/米)でベルリン国際映画祭女優賞を受賞していましたが、その後「マップ・トゥ・ザ・スターズ」('14年/米)でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞したため、ジュリエット・ビノシュに次いで世界三大国際映画祭すべての女優賞を制覇した二人目の女優となり、さらに「アリスのままで」('14年/米)でゴールデングローブ賞とアカデミー賞の各主演女優賞をダブル受賞と、この二人のその後の活躍には進境著しいものがありました。

「シングルマン」a ges.jpg 映画はというと、ジョ「シングルマン」ニコラス・ホルト.jpgージの元恋人で親友のチャーリーの母の言葉「恋愛はバスを待っているようなもので、一台のバスを逃しても、また次のバスが来る」という、まさにその通りの内容でしたが、その言葉どおりのことががゲイの登場人物に起きるというのがこの映画であり、男同士の恋愛(マイノリティの恋愛)も男女の恋愛(マジョリティの袁愛)と基本的に同じであるということが言いたかったのではないでしょうか。

「シングルマン」la.jpg 冷戦下の緊張が高まる1962年のアメリカが舞台で、キューバ危機への社会不安、経済成長の影で崩壊する中産階級、ヒッピー文化の幕開け(荒廃した若者のモラルと相俟って、主人公はこれを嫌悪する)等々―そうした時代の波が押し寄せる中、主人公のジョージは、学問と孤独な精神性に魂の救いと安息を求める、いわば保守的な人間であるわけですが、そうした保守的な(しかもインテリ)人間がゲイであるという設定も、この作品の注目すべきポイントかもしれません(LGBTは文化人類学上の必然であるという近年の思潮に沿っていると言える)。

 ジョージが死を意識することで、今まで見ていた景色が色づき、自分が思っていたよりずっと愛おしいものだと気づいていく、その彼が改めて世界の素晴らしさを発見する過程が明快に描かれていて、その上で、「次のバスが来る」という結末に繋がっていくのが自然でした。この自然さは、かなりの部分、コリン・ファースとジュリアン・ムーアの演技力に負うのではないかと思われました。

「シングルマン」ges.jpg「シングルマン」●原題:A SINGLE MAN●制作年:2009年●制作国:アメリカ●監督:トム・フォード●製作:トム・フォード/アンドリュー・ミアノ/ロバート・サレルノ/クリス・ワイツ●脚本:トム・フォード/デヴィッド・スケアス●撮影:エドゥアルド・グラウ●音楽:アベエル・コジェニオウスキ/梅林茂●原作:クリストファー・イシャーウッド●時間:128分●出演:コリン・ファース/ジュリアン・ムーア/マシュー・グード/ニコラス・ホルト/ジョン・コルタジャレナ/ジニファー・グッドウィン/テディ・シアーズ/ライアン・シンプキンス/リー・ペイス/エリン・ダニエルズ/アリーン・ウェバー/ジョン・ハム(声のみ)●日本公開:2010/10●配給:ギャガ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(19-03-12)(評価:★★★★)

「英国王のスピーチ」('10年/英・豪・米)/「裏切りのサーカス」 ('11年/英・仏・独) 
英国王のスピーチ.jpg 裏切りのサーカス02.jpg

トーマス「●あ行外国映画の監督」の インデックッスへ Prev|NEXT⇒ 【1041】T・アンゲロプロス 「旅芸人の記録
「●海外サスペンス・読み物」の インデックッスへ 「○海外サスペンス・読み物 【発表・刊行順】」の インデックッスへ「●ハヤカワ・ノヴェルズ」の インデックッスへ(『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』)

映画を観てよく分からなくて、原作を読んでもう一度映画を観たが、それぞれの段階で愉しめた。

裏切りのサーカス 2011.jpg 裏切りのサーカス04.jpg 裏切りのサーカス01.jpg
裏切りのサーカス [DVD]」ゲイリー・オールドマン/ジョン・ハート/ベネディクト・カンバーバッチ
ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ 文庫.jpgティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ 単行本.jpg ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ (ハヤカワ文庫NV).jpg ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ 文庫新訳.jpg
ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ (1975年) (Hayakawa novels)』(装幀画:真鍋博)/『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ (ハヤカワ文庫NV)』['86年]『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ (ハヤカワ文庫NV)』['06年]/『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ〔新訳版〕』['12年]
裏切りのサーカス 07s.jpg 東西冷戦下、英国情報局秘密情報部MI6(通称サーカス)とソ連情報部KGB(通称モスクワセンター)は熾烈な情報戦を繰り広げていた。長年の作戦失敗や情報漏洩から、サーカスの長官であるコントロール(ジョン・ハート)は内部にソ連情報部の二重スパイ〈もぐら裏切りのサーカス desk.jpg〉がいるとの情報を掴む。ハンガリーの将軍が〈もぐら〉の名前と引き換えに亡命を要求。コントロールは独断で、工作員ジム・プリドー(マーク・ストロング)をブダペストに送り込むが、ジムが撃たれて作戦は失敗に終わる。責任を問われたコントロールは、長年の右腕ジョージ・スマイリー(ゲイリー・オールドマン)と共に組織を去ることに。退職後ほどなくコントロールは謎の死を遂げ、ほぼ同時期にイスタンブールに派遣されていたリッキー・ター(トム・ハーディ)の前に、持つソ連情報部の女イリーナ(スヴェトラーナ・コドチェンコワ)が現れる。彼女と恋仲になったターはイリーナを英国に亡命させるためロンドンのサーに連絡するが、翌日イリーナはソ連情報部に発見され連れ去られる。サーカス内部に「もぐら」がいることを察知したターはイギリスへ戻り、外務次官でサーカスの監視役のオリバー・レイコン(サイモン・マクバーニー)に連絡。レ裏切りのサーカス 8.pngカス本部イコンは、引退したスマイリーに裏切りのサーカス 3.png「もぐら」探しを要請する。スマイリーは、ターの上司のピーター・ギラム(ベネディクト・カンバーバッチ)と、ロンドン警視庁公安部のメンデル警部(ロジャー・ロイド=パック)とともに調査を始める。標的は、組織幹部である"ティンカー(鋳掛け屋)"ことパーシー・アレリン(トビ-・ジョー、"テイラー(仕立て屋)"ことビル・ヘイドン(コリン・ファー裏切りのサーカス 06.pngンズ)ス)、"ソルジャー(兵隊)"ことロイ・ブランド(キアラン・ハインズ)、裏切りのサーカス 14.png"プアマン(貧乏人)"ことトビー・エスタヘイス(デヴィッド・デンシック)の4人。スマイリーは、過去の記憶を遡り、証言を集め、容疑者を洗いあげていくと、ソ連の深部情報ソース〈ウィッチクラフト〉が浮かび上がる。そしてかつての宿敵のソ連のスパイ、カーラ(マイケル・サーン(声のみ))の影。やがてスマイリーが見い出した意外な裏切り者とは―。

 トーマス・アルフレッドソン監督による2011年の英・仏・独合作のスパイ映画。昨年['12年]12月に亡くなったジョン・ル・カレ(『寒い国から帰ってきたスパイ』『ナイロビの蜂』)の1974年発表の小説『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』が原作です。タイトルは、主人公のスマイリーが組織幹部たちの身辺を探る際につけたコードで、マザー・グースの「鋳掛け屋さん、仕立て屋さん、兵隊さん」の歌詞になぞらえたものです。

裏切りのサーカス 相関図.png 一度観ただけでは、複雑な人物相関を理解するのが難しく、原作を読んでからもう一度映画を観直してみて、やっと理解できたという感じでした(でも、1度目に観た時も雰囲気は愉しめた)。

 ただし、原作が分かりやすいかというとそうでもなく、映画はいくつかカットバックを使ったりしてますが、これが原作は、時系列で並べたものをぶつ切りにしてシャッフルしたような感じです。本来の物語の中盤が冒頭にきて、どうしていきなり学校の教師などが出てくるのかなあと思ったら...といっても、自分の場合は、映画を既に観ていたため、なるほど、ここから語り始めるのか、といった感じで、これはこれで愉しめました(旧訳の方が読みやすい!)。

 ようやっと人物相関が掴めて、もう一度映画を観ると、これはこれでまた愉しめました。映画は、あまり説明的に作りすぎてテンポが悪くなるよりは、全部を説明しないで観る側には自ら推測してもらうことにし、ハードボイルドタッチな演出にして映像や音楽を凝らし、007やミッション・インポッシブルシリーズのようなアクション映画ではない、本格スパイ映画の雰囲気を味わってもらうことを主眼としたもののように思いました。

裏切りのサーカス 02.jpg しかし、コリン・ファースが演じる戦略的に人妻を誘惑したヘイドンも、ベネディクト・カンバーバッチが演じる職場の女性に対裏切りのサーカス 04.jpgしてプレイボーイとして振る舞うギラムも、実はどちらもゲイだったということか...。原作では、ギラムの方はゲイということになっていないので、これは映画のオリジナルです(ゲイ映画ブームに乗っかった?)。二重スパイとその"愛人"の哀しい結末は、原作と同じです。

 イギリスとイタリアの国籍を持つコリン・ファースは、この作品の前年、「英国王のスピーチ」('10年/英・豪・米)で、英王ジョージ裏切りのサーカス001.jpg6世を演じて第83回アカデミー賞の主演男優賞受賞と第68回ゴールデングローブ賞主演男優賞(ドラマ部門)をダブル受賞しています。一方、スマイリーを演じたゲイリー・オールドマンは、この作品でアカデミー主演男優賞に初ノミネートされるも受賞は果たせませんでゲイリー・オールドマン.jpgしたが、その後「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」('17年/英・米)でチャーチルを演じて、こちらも第90回アカデミー賞の主演男優賞と第75回ゴールデングローブ賞主演男優賞(ドラマ部門)をダブル受賞しています(リュック・ベッソン監督の「フィフス・エレメント」('97年/仏)で変てこな悪役ジャン=バティスト・エマニュエル・ゾーグを演じたのと同じ役者には見えない(笑))。

 また、コリン・ファースは「シングルマン」('09年)でもゲイの大学教授を演じていますが、この映画については次のエントリーでレビューしたいと思います。

裏切りのサーカス all.jpg「裏切りのサーカス」●原題:TINKER TAILOR SOLDIER SPY●制作年:2011年●制作国:イギリス・フランス・ドイツ●監督:トーマス・アルフレッドソン●製作:ティム・ビーヴァン/エリック・フェルナー/ロビン・スロヴォ●脚本:ブリジット・オコナー/ピーター・ストローハ●撮影:ホイテ・ヴァン・ホイテマ●音楽:アルベルト・イグレシアス●原作:ジョン・ル・カレ●時間:128分●出演:ゲイリー・オールドマン/コリン・ファース/トム・ハーディ/ジョン・ハート/トビー・ジョーンズ/マーク・ストロング/ベネディクト・カンバーバッチ/キアラン・ハインズ/デヴィッド・デンシック/スティーヴン・グレアム/サイモン・マクバーニー/スヴェトラーナ・コドチェンコワ/キャシ裏切りのサーカス 07.jpgー・バーク/ロジャー・ロイド=パック/クリスチャン・マッケイ/コンスタンチン・ハベンスキー/マイケル・サーン(声のみ)/ジョン・ル・カレ(カメオ出演)●日本公開:2012/04●配給:ギャガ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(19-03-20)●2回目:北千住・シネマブルースタジオ(19-03-26)(評価:★★★★)

【1975年単行本[早川書房(菊池光:訳]/1986年文庫化・2006年改版[ハヤカワ文庫NV(菊池光:訳)]/2012年再文庫化[ハヤカワ文庫NV(村上博基:訳〔新訳版〕』)]】


真鍋博装幀画稿「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」
真鍋博装幀画稿「ティンカー、...」.jpg 真鍋博装幀画稿「ティンカー、...」2.jpg
真鍋博装幀画稿「ティンカー、.jpg 真鍋 博 ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ.jpg

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前作よりシビアな結末だが、「カーリドは死ななかった」とみる。

希望のかなた 2017.jpg希望のかなた 01.jpg 希望のかなた 02.jpg
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『希望のかなた』1.jpg ヘルシンキ。トルコからやってきた貨物船に身を隠していたカーリド(シェルワン・ハジ)は、この街に降り立ち難民申請をする。彼はシリアの故郷アレッポで家族を失い、たったひとり生き残った妹ミリアム(ニロズ・ハジ)と生き別れになっていたのだ。彼女をフィンランドに呼び、慎ましいながら幸福な暮らしを送らせることがカーリドの願いだった。一方、この街でセールスマン稼業と酒浸りの妻に嫌気がさしていた男ヴィクストロム(サカリ・クオスマネン)は遂に家出し、全てを売り払った金をギャンブルにつぎ込んで運良く大金を手にした。彼はその金で一軒のレストランを買い、新しい人生の糧としようとする。店と一緒についてきた従業員たちは無愛想でやる気の『希望のかなた』2.jpgない連中だったが、ヴィクストロムにはそれなりにいい職場を築けるように思えた。その頃カーリドは、申請空しく入国管理局から強制送還されそうになり、逃走を目論んだあげく出くわしたネオナチの男たちに襲われるが、偶然ヴィクストロムに救われる。拳を交えながらも彼らは友情を育み、カーリドはレストランの従業員に雇われたばかりか、寝床や身分証までもヴィクストロムに与えられた。商売繁盛を狙って手を出した寿司屋事業には失敗するものの、いつしか先輩従業員たちまでもカーリドと深い絆で結ばれていく。そんなある日、カーリドは難民仲間からミリアムの居場所を知らされる。ヴィクストロムらの協力で彼は妹と再会、目的を果たすに至る。だが、安心しきった彼をいつかのネオナチの一員が襲う―。

『希望のかなた』3.jpg フィンランドのアキ・カウリスマキ監督・脚本による2017年の映画で、カンヌ国際映画祭でプレミア上映された前作の「ル・アーヴルの靴みがき」('11年)から続く難民問題3部作の第2弾。元々は「港町3部作」という構想だったのが、欧州で難民問題が深刻化する中、そちらに重きを置くように路線変更したようです(さらにカウリスマキ監督は、この作品を最後に映画監督業自体からの引退を仄めかしている)。

 この作品は、第67回ベルリン国際映画祭で「銀熊賞(監督賞)」を受賞しています。同監督作としては、カンヌ国際映画祭でグランプリを獲得した「過去のない男」('02年)以来、久しぶりの世界三大映画祭の主要部門の受賞であり、この監督、意外と賞の方は獲っていないのだなあと思いました。

 難民問題と格差社会を描き続けているベルギーのジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督は、カンヌ国際映画祭で5作品連続で主要賞を受賞していますが、ベルリン国際映画祭の"傾向と対策"も、難問問題や格差社会になりつつあるのでしょうか。近年、政策上難民を受け入れてきたドイツで難民受け入れ反対の声が上がるばかりでなく、デンマークをはじめ北欧内でも難民問題を巡って受け入れ反対運動を起きていて、我々が知る以上に、欧州では難民問題がクローズアップされているのかもしれません。

 映画は、「ル・アーヴルの靴みがき」と似た流れで、主人公が偶然出くわした一人の難民を庇護するというものです。レストラン経営のヴィクストロムは偶然にシリア難民の青年カーリドと出くわし、最初は互いに殴り合いの喧嘩をするものの、結局は彼を受け入れることで、彼を強制送還しようとする側、彼を暴力で排除しようとする側と対峙することになります。

 「ル・アーヴルの靴みがき」では、靴みがきの主人公がアフリカ難民の少年を北仏から母親がいるロンドンに密航させようと骨を折りますが、この「希望のかなた」では、このシリア難民のカーリドはシリア脱出の際にハンガリーで生き別れた妹を探しており、自身も難民申請するも不受理となり、強制送還前日に収容施設から逃亡します(結果的に妹とは会えて、彼女の難民申請も図ることに)。

「希望のかなた」4.jpg ネタバレになりますが、最後はヴィクストロムは妻とのよりを戻し(カーリドを庇護することが彼の人格に変化をもたらした?)、一方のカーリドは、ネオナチに刺されながらも、妹を難民センターに送り出した後、浜辺で朝日を受けて横たわり、寄り添ってきた犬に微かに微笑む(そう言えば「ル・アーヴルの靴みがき」でも犬は難民の少年の味方だった)―というエンディングでした。

 カーリドが刺されて(おそらく)血をどくどく流しながら横たわっているところで映画はぷつっと終わり、すべてがハッピーエンドだった「ル・アーヴルの靴みがき」とはこの点が大きな違いです。「ル・アーヴルの靴みがき」がある種"メルヘン"だとすれば、こちらは"現実"ということなのでしょうか。

 ただ、個人的には、「希望のかなた」というタイトルに影響されたのかもしれませんが、カーリドは死ななかったのではないかという気がします。

「希望のかなたIncP.jpg「希望のかなた」寿司.jpg この映画は随所にユーモアが見られます。例えば、ヴィクストロムがレストランを改装して日本風にした寿司屋は、欧米人にありがちな勘違い的日本趣味に溢れていて、法被を着た従業員たちもどこか変です。日本人がしばしば外国映画に見い出す"おかしな日本観"を、カウリスマキ監督は意図的に具象化してみせ、ユーモアを醸しているように思えます(日本人にはよくわかるユーモアだが、外国人にどこまでわかるか?)。

 そうしたユーモアと、バッドエンドの結末は相性が悪いように思えます。したがって、独断ですが(笑)「カーリドは死ななかった」とみるのがスジではないか思います。

 それにしても、やっぱりシリア内戦によって大量の難民が欧州になだれ込んだことで、欧州も今まで以上に難民の問題と向き合わなければならなくなっているのでしょう。

 国連の「持続可能開発ソリューションネットワーク」が発表している「世界幸福度ランキング」で2018年版から2021年版まで4年連続で1位を獲得したフィンランドにさえも、やっぱりネオナチみたいなゴロツキはいるというのは、この問題と無関係ではないのでしょう。

「希望のかなた」es.jpg「希望のかなた」●原題:TOIVON TUOLLA PUOLEN●制作年:2017年●制作国:フィンランド・ドイツ●監督・製作・脚本:アキ・カウリスマキ●撮影:ティモ・サルミネン●時間:98分●出演:シェルワン・ハジ/サカリ・クオスマネン/シーモン・フセイン・アル=バズーン/カイヤ・パカリネン/ニロズ・ハジ/イルッカ・コイヴラ/ヤンネ・フーティアイネン/ヌップ・コイヴ/カティ・オウティネン/マリア・ヤンヴェンヘルミ/ミルカ・アフロス/スレヴィ・ペルトラ/マッティ・オンニスマー/ハンヌ=ペッカ・ビョルクマン/タネリ・マケラ/ヴィッレ・ヴィルタネン/トンミ・コルペラ●日本公開:2017/12●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(18-12-17)(評価:★★★★)

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こんな結末でいいのかなと思ったりもするが、この監督の場合あまり気にならないのが不思議。

ルアーヴルの靴磨き 2011.jpg ルアーヴルの靴磨き es3.jpg ルアーヴルの靴磨き 03.jpg
ル・アーヴルの靴みがき [DVD]
アンドレ・ウィルム/カティ・オウティネン
「ルアーヴルの靴磨き」01.jpg 北フランスの大西洋に臨む港町ル・アーヴル。ここに暮らすマルセル・マルクス(アンドレ・ウィルム)は、かつてパリでボヘミアン生活を送っていたが、今はル・アーヴルの駅前での靴磨きを生業としている。ベトナム移民のチャング(クォック=デュン・グエン)と共に日々靴磨きに精を出し、夕暮れともなると微々たる儲けながら代金を持ち帰り、献身的な妻・妻のアルレッティ(カティ・オウティネン)に迎えてもらうのを楽しみにしていた。ずっと苦労をかけてきた妻は、マルセルアーヴルの靴磨きges.jpgルにしてみれば勿体ないくらいの女房と感じられてならなかった。そんなある日、アルレッティは病に倒れ、医師から治る見込みはない、余命も長くないと宣告されるが、彼女はマルセルには絶対にこのことは言わないで欲しいと医師に頼む。一方、港にアフリカのガボンからの不法移民が乗った船が漂着し、密航者らのコンテ「ルアーヴルの靴磨き」02.jpgナから逃げ出し、警察の検挙をすり抜けた一人の少年イドリッサ(ブロンダン・ミゲル)にマルセルは偶然出くわす。警視のモネ(ジャン=ピエール・ダルッサン)はマルセルを尋問し、不審者を見なかったかと訊ねるが、少年を見捨てられないと考えたマルセルは、街の一同と共に少年を庇う。ところが隣の住人(ジャン=ピエールルアーヴルの靴磨き3.jpg・レオ)が、黒人の少年が出入りするのを目撃し、警察に通報してしまう。モネ警視はマルセルに付きまとい馬鹿な真似はするなと忠告する。マルセルは収監されたイドリッサの祖父に会いに行き、ロンドンにイドリッサの母親がいて、自分は捕まってしまったが、イドリッサをロンドンに行かせてほしいと頼まれる。マルセルは密航に必要ま300ユーロを集めるため、人気ロックスターのリトル・ボブ(ロベルト・ピアッツァ)にチャリティコンサートを依頼する。資金が集まって、いよいよ密航の日、イドリッサを港まで運び船に乗せることがたが、そこに警視モネがやって来る―。

 フィンランドのアキ・カウリスマキ監督・脚本による2011年の映画で、フランスの港町のル・アーヴルを舞台にしたフランス語映画です。第64回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門でプレミア上映され、FIPRESCI賞を獲得しています。

 移民問題というやや重のテーマを扱いながら、どことなくユーモアも漂い(資料によってはコメディ映画として紹介されていたりする)、映画に出てくる人々も皆、質素ながらも互いに支え合って生きていて、日本映画でよく描かれる下町の人情のようなものに通じるところがあります。

 マルセルの妻が倒れるとご近所さんは奥さん手を差し伸べるし、イドリッサが捜査対象になっていることを新聞で知ると皆で庇います。カフェの女主人や常連客、靴みがき仲間までもがマルセルに協力するのがいいです。マルセル自身も、イドリッサを母の元に届けるために奮闘し、最後はイドリッサを追う警視モネまでも、実は人情味ある人間だったとは! 

 加えて、アルレッティにも奇跡が起きるとなると、こんなハッピーな結末にしてしまっていいのかなと思ったりもしますが、この監督の場合、この作り方があまり気にならない、不思議な作品です。多分、作為的に盛り上げるような作り方をしていないため、かえって受け入れやすいのではないかと思います。

ルアーヴルの靴みがき 01.jpg 主人公のマルセル・マルクスという名前はカール・マルクスにインスパイアされたそうで、また、モネ警視はフョードル・ドストエフスキーの小説『罪と罰』に登場する、ラスコーリニコフを疑い心理面から追い詰める捜査官ポルフィーリー・ペトローヴィチにインスパイアされているそうです。

「ルアーヴルの靴磨き」con.png マルセルの頼みでチャリティ・コンサートをやってくれる人気ロックスターのリトル・ボブ(ロベルト・ピアッツァ)は実在のロックローラーで、つまり本人役で出ているわけです。カウリスマキ監督は、「ロケ地を探していたとき、リトル・ボブの存在がル・アーヴルを舞台に選んだ理由のひとつだった」と言い、「ル・アーブルはフランスのメンフィス、リトル・ボブはさながらそこのエルヴィス・プレスリー」と、その歌声を絶賛しています。

LE HAVRE Jean-Pierre Léaud.jpgJean-Pierre Léaud.jpg ジャン=ピエール・レオは、トリフォーやゴダールの映画によく出ていたヌーヴェルヴァーグ映画の代表的俳優ですが、まさかこんな密告者役で出ているとは思いませんでした(この密告者の男だけが映画の中で"嫌な奴"なのだが)。2016年には第69回カンヌ国際映画祭においてパルム・ドール・ドヌール(名誉パルム・ドール)を受賞しています。過去の同賞の受賞者は以下の通り錚々たる顔ぶれです。

パルム・ドール・ドヌール受賞者(※印は俳優としての受賞)
  1997年  イングマール・ベルイマン(スウェーデン)
  2002年  ウディ・アレン(米)
  2003年  ジャンヌ・モロー(仏)※
  2005年  カトリーヌ・ドヌーヴ(仏)※
  2007年  ジェーン・フォンダ(米)※
  2008年  マノエル・ド・オリヴェイラ(ポルトガル)
  2009年  クリント・イーストウッド(米)
  2011年  ベルナルド・ベルトルッチ(伊)
       ジャン=ポール・ベルモンド(仏)※
  2015年  アニエス・ヴァルダ(仏)
  2016年  ジャン=ピエール・レオ(仏)※
  2017年  ジェフリー・カッツェンバーグ(米)
  2019年  アラン・ドロン(仏)※

 また、この映画に出たカウリスマキ監督の愛犬"ライカ"は、2001年から始まったカンヌ国際映画祭で優秀な演技を披露した犬に贈られる賞「パルム・ドッグ賞」の「審査員特別賞」を受賞しています。

ルアーヴルの靴磨き 0.jpgルアーヴルの靴磨き8.jpg「ルアーヴルの靴みがき」●原題:LE HAVRE●制作年:2011年●制作国:フィンランド・フランス・ドイツ●監督・製作・脚本:アキ・カウリスマキ●撮影:ティモ・サルミネン●時間:93分●出演:アンドレ・ウィルム/カティ・オウティネン/ジャン=ピエール・ダルッサン/ブロンダン・ミゲル/エリナ・サロ/イヴリーヌ・ディディ/クォック=デュン・グエン/フランソワ・モニエ/ロベルト・ピアッツァ/ピエール・エテックス/ジャン=ピエール・レオ●日本公開:2012/04●配給:ユーロスペース●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(18-12-04)(評価:★★★★)

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観ている観客が主人公と同じ"記憶喪失"状態を体験していたという作りが画期的。

エターナル・サンシャイン  2005.jpg エターナル・サンシャイン01.jpg エターナル・サンシャイン02.jpg
エターナル・サンシャイン [DVD]」ジム・キャリー/ケイト・ウィンスレット
「エターナル・サンシャイン」01.jpg バレンタイン目前のある日、ジョエル(ジム・キャリー)は、最近ケンカ別れした恋人のクレメンタイン(ケイト・ウィンスレット)が、自分との記憶を全部消してしまったという不思議な手紙を受け取る。ショックを受けたジョエルは、自らもクレメンタインとの波乱に満ちた日々を忘れようと、記憶除去を専門とするラクーナ医院の門を叩く。ハワード・ミュージワック博士(トム・ウィルキンソン)が開発したその手術法は「エターナル・サンシャイン」2.jpg、一晩寝ている間に、脳の中の特定の記憶だけを消去できるというもの。さっそく施術を受けるジョエル。技師のパトリック(イライジャ・ウッド)、スタン(マーク・ラファロ)、メアリー(キルスティン・ダンス「エターナル・サンシャイン」3.jpgト)が記憶を消していく間、無意識のジョエルは、クレメンタインと過ごした日々を逆回転で体験する。しかしやがて、ジョエルは忘れたくない素敵な時間の存在に気づき、手術を止めたいと思うようになるが、そのまま手術は終わる。そして朝。家を出たジョエルは、衝動的に仕事をさぼって海辺へと向かい、そこでクレメンタインと出会う。二人は互いに惹かれ合うが、彼らのもとに、消された記憶について二人がそれぞれ語っているテープが届く。自分と博士との不倫の記憶を消されたと知ったメアリーが、彼らに送ったのだ。テープから聞こえてくるお互いの悪口。しかし二人は、それでも改めて恋に落ちるのだった―。

エターナル・サンシャインdoctor.jpgエターナル・サンシャイン 2005.jpg 2004年公開のミシェル・ゴンドリー監督作で、アカデミー賞脚本賞、放送映画批評家協会賞作品賞などを受賞していますが、確かに脚本が巧みでした。「記憶除去」を扱った映画SFでもあり、サターン賞の最高賞である「SF映画賞」も受賞していますが、SFチックな部分はわざとキッチュに作っている感じで、やはり、サターン賞も含め、評価されたのは脚本の面白さだったのではないでしょうか(映像も、金をかけないなりに撮り方に凝っていた)。

「エターナル・サンシャイン」r.jpg 冒頭にジム・キャリー演じるジョエルとケイト・ウィンスレット演じるクレメンタインの列車での出会いの場面があります。朝、家を出て職場に向かおうとしたジョエルは、衝動的に仕事をさぼってロングアイランドの果て「モントーク」の海辺へと向かい、そこでクレメンタインと出会う―クレメンタインがかなり積極的にジョエルにアプローチしていて、ちょっとエキセントリックですらありましたが、これ全部、伏線があったのだなあ。思えば、映画の構成自体が、推理小説で言うところの"叙述トリック"と言うか、観客に対する一つのトリックみたいになって、そのことに気づいたのは観始めてかなり経ってからでした。

エターナル・サンシャイン30.jpg 二度目の二人の出会いのシーンが出てきて、「えっ、何これ」という感じになりましたが、それこそがこの映画の画期的にユニークな点だったわけです。要するに、観ている観客がいつの間にか主人公と同じ"記憶喪失"状態を体験していたということです(「何、言っているか分からない」って、分からない方が幸せ。実際に映画を観て味わって欲しい)。コレ、この方法が使えるのはこの作品1回きりだろなあという気がします。誰かが後から真似ようと思っても、この映画から「盗んだ」という捉え方しかされないのではないでしょうか。

「エターナル・サンシャイン」7.jpg ラブ・ストーリーとしても良く出来ていますが、ジム・キャリー演じるジョエルとケイト・ウィンスレット演じるクレメンタインでは、後者の方が完全に"キャラ立ち"しており、ケイト・ウィンスレットはこの作品で、ロンドン映画批評家協会賞「英国主演女優賞」、放送映画批評家協会賞「主演女優賞」などを受賞しています(アカデミー「主演女優賞」、ゴールデングローブ賞「主演女優賞(ドラマ部門)」にもノミネート)。彼女は2年後の「愛を読むひと」('08年/米・独)で、アカデミー「主演女優賞」とゴールデングローブ賞「助演女優賞」を受賞することになります(「タイタニック」('97年)で共演したレオナルド・ディカプリオより7年早くアカデミー俳優になった)。

エターナル・サンシャイン .jpg「エターナル・サンシャイン」●原題:ETERNAL SUNSHINE OF THE SPOTLESS MIND●制作年:2004年●制作国:アメリカ●監督:ミシェル・ゴンドリー●製作:スティーヴ・ゴリン/アンソニー・ブレグマン●脚本:チャーリ「エターナル・サンシャイン」es.jpgエターナル・サンシャイン hair.jpgー・カウフマン●撮影:エレン・クラス●音楽:ジョン・ブライオン●時間:107分●出演:ジム・キャリー/ケイト・ウィンスレット/イライジャ・ウッド/キルスティン・ダンスト/マーク・ラファロ/トム・ウィルキンソン/デヴィッド・クロス●日本公開:2005/03●配給:ギャガ=ヒューマックス●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(19-02-26)(評価:★★★★)

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先進国の経済は発展途上国の犠牲の上に成り立っているのではないかと考えさせられる。

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ナイロビの蜂 [DVD]」レイチェル・ワイズ/レイフ・ファインズ
「ナイロビの蜂」pos.jpg ガーデニングが趣味の物静かな英国外務省一等書記官のジャスティン(レイフ・ファインズ)は、スラムの医療施設を改善する救援活動に励む妻テッサ(レイチェル・ワイズ)と、ナイロビで暮らしていた。しかし突然、テッサがトゥルカナ湖の南端で殺害されたという報せが届く。彼女と同行していた黒人医師アーノルド(ユベール・クンデ)は行方不明。警察はよくある殺人事件と断定して処理しようとするが、その動きや、テッサに密かに思いを寄せていた同僚サンディ(ダニー・ヒューストン)の不審な振る舞いから、疑念にかられたジャスティンは、妻の死の真相を独自に調べ始める。そして、アフリカで横行する薬物実験、大手製薬会社と外務省のアフリカ局長ペレグリン(ビル・ナイ)の癒着という、テッサが生前暴こうとしていた世界的陰謀を知る。命の危険にさらされながら、テッサの想いを引き継ぐジャスティンは、その過程で、改めてテッサへの愛を実感していく。しかし、やがてジャスティンもテッサと同じように―。

「ナイロビの蜂」l.jpg 2005年制作のブラジル人監督フェルナンド・最優秀助演女優賞 レイチェル・ワイズ.jpgメイレレスによる作品で、原作は、昨年結果的に['20年]12月に亡くなったジョン・ル・カレ(『寒い国から帰ってきたスパイ』『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』)が2001年に発表した同名小説『ナイロビの蜂』(原題:The Constant Gardener)です。この映画化作品で、ナイロビのスラム街で医療救援活動に励む女性テッサを演じたレイチェル・ワイズは、2005年のアカデミー助演女優賞を受賞しています(「ニューオーリンズ・トライアル」('03年)の時はあまり印象に残らない使い方をされていたので、この作品で受賞出来て良かった)。

 ストーリーは1980年前後に原作者が実際に取材した内容を下敷きにしたフィクションだそうですが、その時の取材対象は、新型コロナウイルスワクチンが目下['21年]世界中の争奪戦になっているあのファイザー製薬が、かつてナイジェリアで治験を行った細菌性髄膜炎治療だったとのことです(小説と類似した問題が存在したことを匂わせている)。

THE CONSTANT GARDENER1.jpg 原題の意味は「誠実な庭師」で、レイフ・ファインズが演じた外務省一等書記官であるジャスティンの趣味がガーデニングであることに重ねて、彼が外交官でありながらも元来は政治に関心の薄いノンポTHE CONSTANT GARDENER2.jpgリであることを示唆しているようです。そのジャスティンが、亡きテッサへの信愛から、その死の謎を探るうちに、大手製薬会社と政治家の癒着という闇の世界にどんどん喰い込んでいき、改めて彼女への愛を深めつつ、自らを犠牲にしてまでも、彼女から引き継いだ真相究明の責務を果たすまでに変貌する様が、テンポよく描けているように思いました。

「ナイロビの蜂」9.jpg ケニアの首都ナイロビのスラム街は、「シティ・オブ・ゴッド」('02年/ブラジル)で同じくリオのスラム街をで撮ったフェルナンド・メイレレス監督をして「見たことない劣悪さ」と言わしめたそうですが、現地での撮影交渉やエキストラ確保において困難を極める中で、現地の人々い映画の趣旨を丁寧に説明して賛同を得たり、交換条件として橋を建造したりして協力を得たとのことです。結果的には、ハンディカメラなどを使って現地の人々をドキュメンタリータッチで撮るというやり方は、貧困の中でも逞しく生きる現地の人々の息吹を伝え、成功しているように思いました。その上で、先進国の経済は発展途上国の犠牲の上に成り立っているのではないかということを改めて考えさせられる重い作品でした。

「ナイロビの蜂」7.jpg この映画におけるテッサとジャスティンの出会いについて、テッサがジャスティンに最初は突っかかるような感じの質問をしてそのあ「ナイロビの蜂」f.jpgと極めて能動的に接近したのは(すぐにベッドインしたね)、ジャスティンが外交官であり、彼と結婚すればアフリカに行けると考えたからではないかとの見方があるようですが、確かにテッサには目的のためには手段を選ばないという一面もありはするものの、ヒロインに関してそういう解釈のもとに映画を撮る監督が果たしているものでしょうか。個人的には、やや穿ち過ぎた見方のように思います。

「ナイロビの蜂」bk.jpg ラストで、テッサと不倫関係にあったのではと噂されたアーノルドが実はゲイだったというのは(この映画、ここだけ笑える)、テッサもきっちりジャスティンを愛していたということの証左とまでは言わないまでも、そうした疑念への反証を示唆しているように思えました(もしかしたら、監督はそんなことまで考えてなかったかもしれないが)。

「ナイロビの蜂」22.jpg「ナイロビの蜂」●原題:THE CONSTANT GARDENER●制作年:2005年●制作国:イギリス・ドイツ・アメリカ・中国●監督:フェルナンド・メイレレス●製作:サイモン・チャニング・ウィリアムス●脚本:ジェフリー・ケイン●撮影:セザール・シャローン●音楽:アルベナイロビの蜂  .jpgルト・イグレシアス●原作:ジョン・ル・カレ「ナイロビの蜂」●時間:128分●出演:レイフ・ファインズ/レイチェル・ワイズ/ダニー・ヒューストン/ビル・ナイ/ユベール・クンデ/ドナルド・サンプター/ジェラルド・マクソーリー/リチャード・マッケイブ/ピート・ポスルスウェイト/ジュリエット・オーブリー/アネク・キム・サルナウ●日本公開:2006/05●配給:ギャガ・コミュニケーションズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(19-02-12)(評価:★★★★)

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「世界はつながっている」ということか。日本編のラストは、芥川の「藪の中」みたいだった。

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バベル スタンダードエディション [DVD]」ケイト・ブランシェット/ブラッド・ピット  菊地凛子
モロッコ
「バベル」11.jpg 裏売買で父親が手に入れたライフルを羊を狙うジャッカルの退治に渡された遊牧民の兄弟。羊の放牧に出た真面目な兄アーメッド(サイード・タルカーニ)と要領のいい弟ユセフ(ブブケ・アイト・エル・カイド)は射撃の腕を競ううちに遠くの観光バスを標的にしてしまう。バスの乗客の中には、互いに心の中に「バベル」12.jpg相手への不安を抱えながら、旅行でモロッコを訪れたアメリカ人夫婦のリチャード(ブラッド・ピット)とスーザン(ケイト・ブランシェット)が乗っていたが、スーザンがその銃撃を受けて負傷、観光客一行は近くの村へ身を寄せる。リチャードは必死に救助を要請するが助けはなかなか来ず、バスに残された他の観光客たちとも不和が広がっていく。次第に事件が解明され、ライフルの入手元がモロッコに来た日本人の観光ハンターのヤスジロー(役所広司)であることが判明する。
アメリカ・メキシコ
「バベル」20.jpg リチャード・スーザン夫妻の家で子ども2人の世話するメキシコ人の使用人で不法就労者のアメリア(アドリアナ・バラッザ)は、故郷のティフアナで催される息子の結婚式が迫るも、夫妻が旅行中のトラブルで帰国できず、代わりに子どもの面倒を見てくれるはずの親戚も都合がつかない。しかたなく彼女は子どもたちを結婚「バベル」21.png式に同行させる。式の後、甥のサンティアゴ(ガエル・ガルシア・ベルナル)が3人をアメリカまで送り返すが、国境の検問所で子どもたちを不法に連れ込んだと見なされたのと飲酒運転がばれ、取り調べを受けそうになったところを強行突破する。警察に追われ逃げ切れないと焦ったサンティアゴは、真夜中の荒野にアメリアと子どもたちを置き去りにする。
日本
「バベル」31.jpg 父・綿谷安二郎(役所広司)と二人暮しの聾者の女子高生・綿谷千恵子(菊地凛子「バベル」役所・菊池.jpg)は、自殺した母親を亡くした苦しみを父とうまく分かち合うことができない。不器用な父娘関係に孤独感を深める千恵子だが、街に出ても聾であることで疎外感を味わう。ある日、警察が父親に面会を求めて自宅を訪れるが、千恵子は刑事の目的を母親の死と関係があると誤解する―。

「バベル」カンヌ.jpgbabel golden globe.jpg 2006年公開のメキシコのアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督作で、第59回カンヌ国際映画祭で監督賞、第64回ゴールデングローブ賞でドラマ部門の作品賞を受賞した作品。脚本は同じくメキシコ出身で、この作品の2年後には、「あの日、欲望の大地で」('08年/米)で監督も手掛けることになるギジェルモ・アリアガです。

 カンヌでソフィア・コッポラ監督の「マリー・アントワネット」('06年/米)が不評で、代わりに注目を浴びたのがこの作品だったとのこと。更に、この作品では、「アビエイター」('04年)でアカデミー助演女優賞受賞を獲得した女優ケイト・ブランシェット(後に「ブルージャスミン」('13年)でアカデミー主演女優賞も受賞)が、銃弾で負傷して只々横たわってうんうん唸っている演技場面しかなく(誰かが"無駄使い"と評していた)、代わりに注目を浴びたのが菊池凛子―といったところでしょうか。菊地凛子は、アカデミー賞の「助演女優賞」にノミネートされたほか、2006年ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞の「ブレイクスルー女優賞」などを受賞しています。

「バベル」2006 0.jpg 映画公開時のキャッチコピーは「届け、心。」、「神よ、これが天罰か。」でしたが、「世界は繋がっている」とかの方が良かったのではないでしょうか。何で繋がっているかと言えば、モノとしては「ライフル」であり、それはある意味「罪」の象徴として繋がっていたということになるのかもしれません。

 菊地凛子の演技はそんなスゴイとは思いませんでしたが、脱ぎっぷりが良かったのでしょうか。ただ、ラストシーンは、日本編の冒頭で千恵子が見せる男性への"誘惑魔"的な態度の答えになっていました。ネタバレ気味になりますが、つまり彼女は、父との関係から抜け出したかったということでしょう。

「バベル」役所広司2.jpg そうなると、それは母親の死と関係があるのか―そもそも母親はなぜ死んだのか、またどのようにして死んだのかですが、まず、母親が安二郎と千恵子の関係を知ったのはほぼ間違いなく、そこから死に至った経緯として考えられるのは、
 ① 千恵子の言うように、母親はベランダから飛び降り自殺した
 ② 父・安二郎の言うように、母親はベランダでライフル自殺した
 ③ 二人とも嘘をついていて、母親が千恵子をベランダから突き落とそうとしたため、安二郎がライフルで撃った

の3通りではないかと思います(外にもいろいろ考えられるが取り敢えず)。

 以上の内、①は、もしそうとすれば「ライフルつながり」の話ではなくなるため、②が本当のところなのでしょうか。③はやや穿ち過ぎた話になるような気もしますが、①で千恵子が「その時父親は寝ていた」とわざわざ証言していることから、その証言が嘘であるならば、逆にあり得るなあと思います。

 日本編のラストは、芥川龍之介の「藪の中」みたいだったように思います。

「バベル」(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ).jpg「バベル」●原題:BABEL●制作年:2006年●制作国:アメリカ●監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ●製作:スティーヴ・ゴリン/ジョン・キリク/アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ●脚本:ギレルモ(ギジェルモ)・アリアガ●撮影:ロドリゴ・プリエト●音楽:グスターボ・サンタオラヤ(坂本龍一 ※ オリジナル・アルバムより3曲使用されている)●時間:142分●出演:ブラッド・ピット/ケイト・ブランシェット/ブブケ・アイト・エル・カイド/サイード・タルカーニ/ムスタファ・ラシーディ/アドリアナ・バラッザ/ガエル・ガルシア・ベルナル/ネイサン・ギャンブル/エル・ファニング/モハメド・アクザム/クリフトン・コリンズ・jr/マイケル・ペーニャ/役所広司/菊地凛子/二階堂智/小木茂光/ミチ・ヤマト●日本公開:2007/04●配給:ギャガ・コミュニケーションズ●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(19-01-22)(評価:★★★☆)

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レバノン内戦の悲劇とすべてを包み込む母の愛。エグい話だが、凄い映画でもある。

灼熱の魂 2011.jpg 灼熱の魂 02.jpg 灼熱の魂  01.jpg
灼熱の魂 [DVD]」ルブナ・アザバル/メリッサ・デゾルモー=プーラン
「灼熱の魂」03.jpg 双子姉弟ジャンヌ(メリッサ・デゾルモー=プーラン)とシモン(マクシム・ゴーデット)の母親ナワル(ルブナ・アザバル)が、ある日プールサイドで原因不明の放心状態に陥り息絶える。姉弟を驚かせたのは、ナワルを長年秘書として雇っていた公証人のルベル(レミ・ジラール)が読み上げた遺言だった。ルベルはナワルから預かっていた二通の手紙を差し出す。それは姉弟の父親、兄それ「灼熱の魂」02.jpgぞれに宛てられたもので、今どこにいるのか分からない彼らを捜し、その手紙を渡す事が、母の遺言だった。しかし兄の存在など初耳で、父はとうの昔に死んだと思い込んでいた姉弟は困惑を隠せない。シモンは母の遺言を「イカれてる!」と吐き捨てるが、ジャンヌは遺言の真意を知るために、母の祖国を訪ねる事を決意する。一体その手紙には何が記されているのか?そして母が命を賭して、姉弟に伝えたかった真実とは―。

「灼熱の魂」p.jpg「灼熱の魂」00.jpg 2010年のカナダ映画で、原作は、レバノン生まれでカナダ・ケベック州に移住した劇作家ワジディ・ムアワッドが1997~2009年に発表した戯曲『約束の血』四部作の第二部「焼け焦げるたましい(原題:Incendies、火事)」(2003年)。日本でも2009年に「焼け焦げるたましい」の題で上演されていますが、これをドゥニ・ヴィルヌーヴが脚色と監督を務め映画化したもの。同監督はこの「灼熱の魂」で、カナダの映画賞ジニー賞を、「渦」('00年)、「静かなる叫び」('09年)に続く3度目の受賞をし、この作品は米アカデミー賞外国語映画賞のカナダ代表に選出され、ノミネート作品5本のうちに選ばれましたが、アメリカで最も有名で信頼される映画評論家とされたロジャー・イーバート(1942-2013)などが推したものの、肝心の受賞はデンマークのスサンネ・ビア監督の「未来を生きる君たちへ」('10年)に持っていかれて逃しています。

「灼熱の魂」01.jpg レバノン内戦の悲劇とその中で起きた親子の悲劇。そのすべてを包み込む母の愛の偉大。近親相姦が出てきたところでまさにエグい話だと感じましたが、全体の構成が巧みで、ミステリ的要素もあって感動もさせる凄い映画でもあると思いました(「父と兄を探す旅」というキャッチが1つミソだった)。アカデミー賞外国語映画賞を逃したのは、「重い」ながらも「面白すぎる」からではないかと思ったりもしました(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督はこの作品でアメリカ進出を果たし、近年では「メッセージ」('16年)、「ブレードランナー 2049」('17年)、「DUNE/デューン 砂の惑星」('20年)などSF娯楽作品の監督をしている)。

「灼熱の魂」ges.jpg もう一つ、弱点らしきものとして言われているのは、本作の登場人物が特別な運命を背負っているように見えてしまうことであり、本作の双子が親の因縁を解き明かしていく物語は、我々が身近に見聞きするような類のものではなく、ギリシャ神話に材を取ったギリシャ悲劇の物語に思えてしまうことです。それをどう捉えるかは観た人それぞれだとは思いますが、日常普遍の物語とは言い難いと思います。

「灼熱の魂」pic.jpg ただ、「リアルか神話か」などといったことは観終わった後で思うことであって、観ている間は引き込まれました。テーマ的にも、「どうすれば怒りの連鎖を断ち切ることができるのか」という問いにこの映画なりの解答を出していて、それは悲劇を悲劇として終わらせてしまうことへの強烈なアンチテーゼにもなっているように思いました。
 
 中東の乾いた大地を舞台に、戯曲である原作をここまで映画的にダイナミックに、映画らしく映像化している監督の技量は相当なものではないかと思います。それでいて、カナダでの「現在」の描き方は地味で、だから「リアルか神話か」なんて考えてしまうのだろなあ。非常に特異な設定の「母子(ははルブナ・アザバル(ナワル・マルワン).jpgこ)物」とも言え、好みは割れると思いますが、個人的には傑作だと思います。母親ナワル役のベルギー出身の女優ルブナ・アザバルは、父はモロッコ人、母はスペイン人。英語、フランス語、アラビア語で演技でき、ハニ・アブ・アサド監督の「パラダイス・ナウ」('05年/仏・独・オランダ・パレスチナ)で注目されるようになりましたが、力量のある俳優のように思いました。

ルブナ・アザバル(ナワル・マルワン)

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督
「灼熱の魂」es.jpg「灼熱の魂」●原題:INCENDIES●制作年:2010年●制作国:カナダ・フランス●監督・脚本:ドゥニ・ヴィルヌーヴ●製作:リュック・デリ/キム・マクロー●撮影:アンドレ・トゥルパン●音楽:グレゴワール・エッツェル●原作:ワジディ・ムアワッド「焼け焦げるたましい」●時間:131分●出演:ルブナ・アザバル/メリッサ・デゾルモー=プーラン/マキシム・ゴーデット/レミー・ジラール/アブデル・ガフール・エラージズ/アレン・アルトマン/モハメド・マジュド/ビル・サワラ/バヤ・ベラル●日本公開:2011/12●配給:アルバトロス・フィルム●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(18-10-16)(評価:★★★★☆)
 

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