「●お 奥田 英朗」の インデックッスへ Prev|NEXT ⇒ 【3226】 奥田 英朗 『リバー』
「刑事たちの執念」×「容疑者の孤独」。『オリンピックの身代金』×『沈黙の町で』か。
『罪の轍』
東京オリンピックを翌年に控えた昭和38年。北海道・礼文島で昆布漁の親方の下で働く青年・宇野寛治は空き巣の常習だった。彼は窃盗事件の捜査から逃れるために、身ひとつで本土に流れ着く。東京に行きさえすれば、明るい未来が待っていると信じていたのだ。一方、警視庁捜査一課強行班係に所属する刑事・落合昌夫は、南千住で起きた強盗殺人事件の捜査中に、子供たちから「莫迦」と呼ばれていた北国訛りの青年の噂を聞きつける。やがて、浅草で男児誘拐事件が発生し、日本中を恐怖と怒りの渦に叩き込む。落合昌夫は、その誘拐事件を担当することになり、事件と北国訛りの男とのつながりを感じ、事件解決への糸口を探る―。
作者の作品としては、『オリンピックの身代金』『沈黙の町で』などと同系譜の犯罪ミステリで、時代背景も『オリンピックの身代金』の1年前であるし、捜査一課刑事の落合昌夫をはじめ、『オリンピックの身代金』の時と同じチームが捜査にあたります(そう言えば、高村薫の『マークスの山』から『我らが少女A』までの合田刑事シリーズ6作も、合田雄一郎は警視庁捜査一課だった)。
『オリンピックの身代金』で、1964年東京オリンピック当時の社会を描いて、そのリアリティにおいてピカイチのものを感じましたが、今回もそれに勝るとも劣らずといったところ。しかも、読み進むうちに胸に迫ってくる緊迫感は、『オリンピックの身代金』以上であり、スケールとしては『オリンピックの身代金』の方がスケールが大きいのでしょうが、細部においてはこちらの方が上でしょうか。
「莫迦」と蔑まれ、行き当たりばったりの行動を繰り返す宇野は、時に哀しく映りますが、朝日新聞での作者へのインタビュー記事によれば、物語で人を裁くことは決してしないのが作者のモットーだそうで、「誰でも事情があるし、こいつなら何を言うかと想像しながら書く。勧善懲悪みたいな物語は僕には書けない」と述べています。
読んでいて、そんな宇野につい感情移入させられました(この辺りも『オリンピックの身代金』に通じるし、前言からすれば、読者をそう導くのが"作者流"なのだろう)。それだけに、彼が、幼いころの自分を使って"当たり屋"をしいていた義父に対して復讐を図る気持ちも分かる気かしたし、最後に事実がすべて明らかになった時のやるせない気持ちは、そうか、やっぱりと思いながらも、何とも言えないものでした。
誘拐事件は、物語と同じ東京五輪前年の1963年に、4歳児が誘拐・殺害され、日本中の注目を集めた吉展(よしのぶ)ちゃん事件がモデルになっており、作者は「いまある世の中の基礎になった事件だった」と話しています。
帯に「刑事たちの執念」×「容疑者の孤独」とあるように、容疑者の不遇に偏りすぎず、被害者家族の不安や哀しみと、なんとかそれを晴らそうと奮闘する刑事たちの奮闘を、うまく配分していたように思います。さらには、匿名をいいことに警察批判をする世間や、それに便乗するマスコミ報道など、「劇場型」と呼ばれる事件のハシリのころの世相を、よく伝えているように思います。
加えて秀逸なのは、宇野寛治という、ある種の人格障害を抱えているとも言えるキャラクターの描き方で、この点においては、、『オリンピックの身代金』よりむしろ『沈黙の町で』での、特殊な人格に対する卓越した描写力が、この作品においても生かされているように思いました。
その意味では、「刑事たちの執念」×「容疑者の孤独」の物語であると同時に、『オリンピックの身代金』×『沈黙の町で』的作品のように感じられました。傑作同士でランク付けするのはあまり意味がないかもしれないし、作者を高く評価する人の中でも、人によってランキングは当然違ってくると思いますが、個人的には、『オリンピックの身代金』よりは上で、『沈黙の町で』(実はこれ、2010年代のマイ・ベスト小説なのだが)に迫ろうというところにあると思いました。
【2022年文庫化[新潮文庫]】