2020年12月 Archives

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ラストの踊りのシーンは圧巻だが、細かいプロットもよく出来ている。

フレンチ・カンカン 1954 dvd.jpg フレンチ・カンカン 1954 1.jpg フレンチ・カンカン160.jpg フレンチ・カンカン61.jpg
フレンチ・カンカン HDマスター [DVD]」ジャン・ギャバン/フランソワーズ・アルヌール
maria-felix-french-cancan-1954.jpgフレンチ・カンカン74.jpg 1888年のパリ。上流向けクラブ「パラヴァン・シノワ(シナの屏風)」のオーナー・ダングラール(ジャン・ギャバン)は、モデルをしていたところを自身が発掘したローラ(マリア・フェリックス)をベリーダンサーとしてクラブのスターに据え、同時に彼女を自身の愛人にしていた。ローラもダFRENCH CANCAN 1954ages.jpgングラールを愛していたが、彼の事業の出資者であるヴァルテル男爵(ジャン=ロジェ・コシモン)が彼女につきまとっていた。ある晩モンマルトルに行ったダングラールは、「白い女王」というキャバレーで恋人のパン職人のポーロ(フランコ・パストリーノ)とカンカン踊りに興じる洗濯女の娘ニニ(フランソワーズ・アルヌーFRENCH CANCAN 1954 3.jpgル)の新鮮さに驚嘆し、カンカン踊りを新しいショーとして興行することを決心、「パラヴァン・シノワ」フレンチ・カンカン 1954 1.jpgを売却して「白い女王」を買い取り、カンカン踊りに「フレンチ・カンカン」という名称を与え、「白い女王」を取り壊してニニを中心に大勢の踊り子がカンカンを踊るショーを上演するキャバレー「ムーラン・ルージュ」を立ち上げることにする。棟上式の日、ニニに嫉妬したローラが喧嘩を仕掛けて乱闘となり、さらにダングラールに嫉妬したポーロが工事中の穴にダングラールを突き落とし、彼は大ケガを負う。彼が退院した日、ローラに唆されてヴフレンチ・カンカン  2.jpgァルテル男爵が出資を取りやめたことを知ったダングラールは絶望するが、その晩ニニと初めて結ばれる。かねてからニニに思いを寄せていた某国のアレクサンドル王子(ジャンニ・エスポジート)が新たな支援者となり、フレンチ・カンカン3852.jpgムーラン・ルージュの工事は進むが、嫉妬に燃えるローラは、王子を連れ「ムーラン・ルージュに押しかけ、皆の面前でニニにダングラールの情婦であることを告白させる。王子はピストル自殺をするが未遂に終わり、ダングラール名義に書き換えたムーラン・ルージュの権利書を残して去る。後悔したローラも協力を約し、ムーラン・ルージュはなんとか開店にこぎつける。しかし ショーの本番直前、新人歌手のエステル(アンナ・アメンドーラ)に囁きかけるダングラールを見かけたニニは楽屋に籠ってしまい、観客たちは騒ぎ出す―。

フレンチ・カンカン 1954 2.jpg ジャン・ルノワール監督の1954年制作、1955年フランス公開作で、1880年代のパリを舞台に、フレンチ・カンカンとムーラン・ルージュの誕生を虚実取り混ぜて描いたものです。キャバレー"ムーラン・ルージュ"を舞台にした映画は数多く、アメフレンチ・カンカン133a.jpgリカでは、ムーラン・ルージュに通い詰めた画家ロートレックの生涯を描いたジョン・ヒューストン監督の「赤い風車」('52年)や、共にミュージカル映画で、シャーリー・マクレーン主演「カンカン」('60年)、ニコール・キッドマン主演「ムーランルージュ」('01年)などがあります。この作品のヒロイン・ニニを演じた当時23歳のフランソワーズ・アルヌールは一気にスターとなりり、その後、アンリ・ヴェルヌイユ監督の「ヘッドライト」('56年)で再びジャン・ギャバンと共演することになります。

 この作品は、厳密にはミュージカル映画ではないものの、エディット・ピアフをはじめとして多くの歌手も出演しているため、雰囲気的にはミュージカル映画っぽい印象を受けます(たまたま隣家で洗濯物を干しながら鼻歌を歌っていた主婦がピアフ級だったというのがスゴイ設定だが)。基本的に俳優陣は台詞を普通に喋りますが、時に歌い出すことのあり、主演のジャン・ギャバンも1曲だけ歌っています。ジャン・ギャバンというとギャング映画のイメージが強いですが、実はジャン・ギャバンの父はミュージック・ホールの役者で、母は歌手であり、ジャン・ギャバン自身も〈俳優〉兼〈歌手〉であったことを改めて想起しました。

FRENCH CANCAN 1954 5.jpg ラストの、ムーラン・ルージュの客席のあちこちからフレンチ・カンカンのダンサーが沸いて出てきて、クライマックスのフレンチ・カンカンの大演舞に繋がっていくシーンは、美しいカラー映像と相俟って圧巻です。さすが画家ルノワールの次男! 「ピクニック」('36年)ではモノクロで印象派の世界を再現してみせましたが、カラーで豊かな色彩表現を見せています(ただし、映画の中ではロートレックの絵が多用されている)。

 細かいプロットもよく出来ていました。去っていった王子はいい人だったなあ。王子には気の毒だったけれども、最後は、残された人はみんな幸せになれそうな雰囲気で、ラストシーンはみんなカップルになっていました。ただ笑わせるだけの役回りだと思っていたダングラールの部下の長身の芸人ガジミール(フィリップ・クレイ)の隣にも彼女と思しき女性がいるし、恋人ニニをダングラールに持っていかれ嫉妬心の抑制がきかなかったポーロ(フランコ・パストリーノ)の傍らにも、ニニのかつての同僚で、「ムーラン・ルージュ」の踊子の採用試験に落ちて今も洗濯女をしているテレーズ(アニック・モーリス)が傍にいました。なんだか、気配りの行き届いた映画のように思えました。

フレンチ・カンカン ジャン・ギャバン.jpg 裏を返せば、王子が去った後に結ばれないのはダングラールとニニだけであり、ダングラールは楽屋に籠ってしまったニニに、「オレは籠の鳥にはなれない」と言っていましたが(説得するつもりが開き直りになっていた(笑))、これが一般的な家庭というものを持ち得ないダングラールの性(さが)であると同時に、興行に人生を賭けた人間の厳しさということなのかもしれません(この厳しさは、踊りにすべてを賭けることにしたニニにも当てはまる)。

フレンチ・カンカン156.jpg この映画は、公開時には興行的に成功しましたが、やがて1950年代末にフランスで始まったにヌーヴェルバーグが隆盛となり、後の批評家たちによって退屈な映画だとして無視されてしまったようです。それがまた最近になって、「ベル・エポック」と呼ばれる時代に、大衆芸能の世界にも新しい現実感覚を示すような創造性豊かな表現方法の革新があったことを、興行の世界だけでなく町の様子や人々の風俗と併せて色彩豊かに描いた作品として再注目されています。

 個人的にも、昔はこんな映画は観に行かなかったでしょうが、だんだんこうした映画が快く、また何となく懐かしく感じられるようになった昨今です(やはり年齢のせいか?)。そう言えばジャン・ギャバンって「レ・ミゼラブル」('57年)のような文芸大作にも出演していて、今まで数多く映画化されたその作品でも「歴代最高」との評価を得ています。

ジャン・ギャバンフランソワーズ・アルヌール in「ヘッドライト」('56年)/ジャン・ギャバン in「レ・ミゼラブル」('57年)
「ヘッドライト」('56年)ジャン・ギャバン.jpg les_miserables01jw.jpg 

フランソワーズ・アルヌール1958.jpgフレンチ・カンカン0.jpg「フレンチ・カンカン」●原題:FRENCH CANCAN●制作年:1954年●制作国:フランス●監督・脚本:ジャン・ルノワール●製作:ミシェル・ケルベ●撮影:ルッツ・ライテマイヤー●音楽:ジョルジュ・ヴァン・パリス●時間:102分●出演:ジャン・ギャバン/フランソワーズ・アルヌール/マリア・フェリックス/アンナ・アメンドーラ/ヴァルテジャン=ロジェ・コシモン/ジャンニ・エスポジート/フランコ・パストリーノ/アニック・モーリス/ミシェル・ピッコリ/エディット・ピアフ●日本公開:1955/08●配給:東和●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(20-12-16)(評価:★★★★)

フランソワーズ・アルヌール 

Francoise Arnoul (1958)


 

フランソワーズ・アルヌール in「グランド・カナル 大運河」(1957)/「女猫」(1958)
グランド・カナル 大運河.jpg La_Chatte.jpg

fgフランソワーズ・アルヌール.jpg009フランソワーズ・アルヌール.jpg フランソワーズ・アルヌール(「サイボーグ009」のキャラクター)

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実写と見紛うCG。「大人の寓話」的要素の強い原作であることを再認識した。

Disney's クリスマス・キャロル  2009.jpg Disney's クリスマス・キャロル01.jpg  クリスマス・カロル 新潮文庫.bmp クリスマス・キャロル (角川文庫).jpg
Disney's クリスマス・キャロル [DVD]」『クリスマス・カロル (新潮文庫)』(村岡花子:訳)『クリスマス・キャロル (角川文庫)』['20年/越前敏弥:訳]
Disney's クリスマス・キャロル1.jpgDisney's クリスマス・キャロル 56.jpg スクルージ&マーレイ商会を営んでいた初老の男スクルージは冷酷で無慈悲な人間で、彼を知る者の多くはエゴイストのスクルージを忌み嫌い、仕事仲間であったマーレイの葬儀の際にも布施を出し渋るばかりか、亡骸の瞼に置かれた冥銭を持ち去るほど金に取り憑かれた男であった。葬儀から7年後のクリスマスイブの夜、亡霊となったマーレイが彼を訪ねてきた。生前、会計事務所に籠って人生を無駄にした自分の愚かさを嘆き、犯した罪の分だけ重Disney's クリスマス・キャロル45.jpgく長くなった鎖に囚われた自らの姿を指して、このままでは「お前も同じ運命を辿る」と忠告をしにきたのだ。そして「お前のもとに3人の精霊が現れる」と言い残して去っていく。程なくして最初の精霊がスクルージの前に姿を現した。彼はスクルージの過去のクリスマスの精霊だと自らを名乗った―。

"A Christmas Carol (Bantam Classic)"
A Christmas Carol (Bantam Classic).jpg 2009年のアメリカ映画で、原作は勿論あの有名なチャールズ・ディケンズが1843年に発表した小説『クリスマス・キャロル』。何しろ、英国では一時家族でクリスマスを祝う風習が廃れていたのが、この小説のお陰で一気に復活し、今に続いている言われているほどの作品です。

Disney's クリスマス・キャロル2.jpg 監督は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」('85年)、「ロジャー・ラビット」('88年)、「フォレスト・ガンプ/一期一会」('94年)のロバート・ゼメキスであり、「ポーラー・エクスプレス」('04年)、「ベオウルフ/呪われし勇者」('07年)で駆使した3D:CGアニメーション技術を更に発展させたCG技術が使われています。具体的には、通常のモーション・キャプチャーなら数台から10数台程度A CHRISTMAS CAROL 2009 performance capture2.jpgA CHRISTMAS CAROL 2009 performance capture.jpgのカメラで身体の主要な部分に取り付けた数十のガラス球(マーカー)を観測するところを,この映画では200台ものカメラを用意し、マーカーは,ボディ部に約60個に対し、顔面と頭皮には153個も着けてデータを計測しています。表情から指先までしっかりと観測し、俳優の微妙な演技をCGキャラに伝えることができるので、これを「パフォーマンス・キャプチャー」と呼ぶそうです。奥行きの表現が豊かになり、実写と見紛うほどで、かつての、登場人物が皆のっぺりしていて、プラスチック粘土か何かに見えるCG映画からは、格段の進歩を遂げたと言えるでしょう。

ゲイリー・オールドマン、コリン・ファース.jpg ジム・キャリー、ゲイリー・オールドマン、コリン・ファース、ケイリー・エルウィズといった芸達者が声を担当し、しかもジム・キャリーはスクルージの子供時代から今の大人までの4役に加え3人の亡霊役の全7役、ゲイリー・オールドマンはマーレイとティムの2役、ボブ・ホスキンスも2役、ケイリー・エルウィズは脇役4役とそれぞれ複数役をこなしています。ジム・キャリーが声を担当したスクルージもそうですが、ゲイリー・オールドマンのクラチット(スクルージの事務所で働く事務員)やコリン・ファースのフレッド(スクルージの甥)のアニメは本人とよく似ています。モーション・キャプチャーと原理は同じだから、声だけでなく実際に演技したということでしょうが、「顔芸」も反映されているようです(ジム・キャリーの場合は、スクルージはスクルージ、亡霊は亡霊で別々に撮ったのだろなあ。でも、何れも動きがジム・キャリーっぽい)。

ゲイリー・オールドマン/コリン・ファース(2009)
  
Disney's クリスマス・キャロル7.jpg テクニカルな面はともかく、セリフが原作をかなり忠実に追っているのがいいです。アクションや表情はCGで大袈裟になっていますが、原作を捻じ曲げなかったのは良かったと思います(ディズニー映画は往々にして原作の"毒"の部分を消してしまうことがある)。ただ、結果的に、精巧なCGによる見た目のリアルさと相俟って、大人は楽しめるけれども、極々小さい子どもには怖く感じられる部分もあったように思います。

Disney's クリスマス・キャロル 3.jpg この話は一面で、主人公の金持ちのスクルージが、(ユダヤ人には金持ちが多い)、禁欲的(スクルージやマーレイは贅沢はしていない)で貯金を良しとするユダヤ人の価値観を捨てて、キリスト教徒的価値観を受け入れる話とも読めます。一方で、イエスの誕生や復活を祝うという色合いはさほど強くなく、ディケンズはクリスマスをプディングと七面鳥の日にしてしまったという批判があるくらいです。

IMG_20201223_160122.jpg そもそもこの映画(原作)のテーマは何か。個人的には、過去を振り返って今の自分を見つめ直した時、今の自分はかつてなりたかった自分と一致しているだろうかを振り返ってみよ!ということではないかと思っています。

A CHRISTMAS CAROL 2009es.jpg 長い鎖を引き摺って死後7年間彷徨っているスクルージのかつての同僚マーレイの幽霊は、ある意味、資本主義社会における人間疎外の象徴であり、その幽霊が去っていくとき、スクルージが窓の外から眺めた夜空には、同じように鎖を引き摺る多くの幽霊で満たされていたというのは、アニメで見ると却って怖いかもしれません。寓話的ですが、「大人の寓話」的要素の強い原作であることを、アニメを観て改めて認識させられました。

A CHRISTMAS CAROL 2009  t.jpgDisney's クリスマス・キャロル4.jpg「Disney's クリスマス・キャロル」●原題:A CHRISTMAS CAROL●制作年:2009年●制作国:アメリカ●監督・脚本:ロバート・ゼメキス●製作:ロバート・ゼメキス/スティーヴ・スターキー/ジャック・ラプケ●撮影:ロバート・プレスリー●音楽:アラン・シルヴェストリ●原作:チャールズ・ディケンズ「クリスマス・キャロル」●時間:97分●出演:ジム・キャリー/ゲイリー・オールドマン/コリン・ファース/ボブ・ホスキンス/ロビン・ライト・ペン/ケイリー・エルウィズ/ダリル・サバラ/フェイ・マスターソン/レスリー・マンヴィル/モリー・C・クイン●日本公開:2009/11●配給:ウォルト・ディズニー・スタジオ・モーション・ピクチャーズ・ジャパン(評価:★★★☆)

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社会派作品であり、心を揺さぶる作品、且つ、カフカ的不条理の世界「壁あつき部屋」。

壁あつき部屋 dvd.jpg 壁あつき部屋2.jpg   私は貝になりたいDVD.jpg 私は貝になりたい 1959 vhs 1.jpg
あの頃映画松竹DVDコレクション 壁あつき部屋」['16年]「私は貝になりたい <東宝DVD名作セレクション>」['20年]/VHS

「「壁あつき部屋」 .jpg 戦後4年が過ぎたが、巣鴨拘置所には多くのBC級戦犯が服役している。その一人・山下(浜田寅彦)は、戦時中南方で上官・浜田(小沢栄太郎)の命令で一人の原地人を殺したのだが、その浜田の偽証で罪を被せられ、重労働終身刑の判決を受けている。また横田(三島耕)は戦時中、米俘虜収容所の通訳だっただけで巣鴨に入れられた。横田が戦時中、唯一人間らしい少女だと思つた隠亡燒(北竜二)の娘・ヨシ子(岸惠子)は、今では渋谷の歓楽街に働いている。朝鮮人の許(伊藤雄之助)も、戦犯の刻印を押された犠牲者の一人だった。山下はある日脱獄を企てて失敗、その直後に母の死を知る。葬儀のため時限付で出所を許された山下は、浜田へのかつての恨みと、浜田が山下の母と妹(林トシ子)を今まで迫害し続けていたことへの怒り壁あつき部屋 0.jpgから、浜田家に向かうも、恐怖に慄く浜田を見て殺意が失せる。たった一人の妹は、「これからどうする?」という山下の問いに、「生きて行くわ」とポツリ答える。再び拘置所に戻り、横田らに迎えられる山下、そこには厚い壁だけが待っていた―。

 巣鴨拘置所に服役中のBC級戦犯の手記「壁あつき部屋」の映画化で、新鋭プロ第一回作品。脚色には芥川賞受賞作家の安部公房が当り、小林正樹が監督しています。作品自体は1953年10月に完成しましたが、GHQの検閲を恐れた松竹の上層部によって、一部カットされそうになったのを小林監督が拒否したため、公開が3年遅れ1956年10月となりました。

壁あつき部屋1.jpg 小説家の安部公房の脚本ということもあるためか、人間心理を深く追求しながらも、余分な説明は削ぎ落とし、多くのエピソードを組み込んでいます。同じ部屋(雑居房)の受刑者6人の話という構成ですが、信欣三が演じる男がやはり手を下したくなかった処刑で人を殺めてしまった苦悩から狂い死ぬ(自殺)という凄絶な場面が早々にあり、あとは5人になります。

壁あつき部屋3.jpg その5人の中心となる浜田寅彦演じる山下は、戦地で疑心暗鬼に駆られた上官に現地人の殺害を命じられたわけですが、その現地人は部隊が食料も無くジャングルを彷徨い歩いていたところを助けてくれた言わば命の恩人であり、山下自身は上官に抗議するも、それでも殺害命令に従わなければ反逆罪として銃殺すると言われて、失意の中で恩人の命を奪ったものでした。

壁あつき部屋m5.jpg それが戦犯として裁かれる際に、上官の方は偽証により罪を全て山下になすりつけ、山下には瞬く間に死刑判決が下って、現地で執行ぎりぎりのところで刑を減免されて巣鴨刑務所に送致されたわけです。そこではまた人間扱いされず不当な処遇のもと強制労働させられる「BC級戦犯」が多く収容されていて、中には精神を病む者もいる状況。この山下の自身が置かれた理不尽な状況は、カフカ的不条理の世界にも通じ、その辺りが安部公房なのかなとも思いました。

 戦争の現地である南方での裁判において、アメリカ人らが報復にも近い形で日本人を裁き処刑していく場面があり(処刑も残酷だが、それを日本人捕虜に見せるのも残酷!)、銃殺後に現地に遺体をぞんざいに埋葬するため、現地人の反感を買うという、こうした自分本位の「正義」を振りかざして現地人の反感さえ買うアメリカ人の横暴が描かれているところが、松竹の上層部がGHQの検閲を恐れた由縁ではないかと思われます。
    
壁あつき部屋 岸恵子.jpg壁あつき部屋 ポスター.jpg この映画は社会派作品であることは確かですが、今の時代でも人の心を揺さぶるような戦争というものの根本に迫った作品でもあります(且つ、壁あつき部屋17.jpgカフカ的不条理の世界にも通じるということか)。一時的に出所を許された山下は、世の中がすっかり平和ムードに変化しているのに驚かされますが、一方で、横田が戦時中、唯一人間らしく優しい少女だと感じたヨシ子は、戦後は米兵に体を売る女となっていて、心もすれっからしになっており、そこにも戦争の悲劇が縮図として組み込まれています。岸惠子が、戦時中の可憐な少女と、戦後の淪落した女性の両方を演じ分けています。

私は貝になりたい2.jpg私は貝になりたい 1958.jpg もともとこの雑居房の6人は普通の市井の善良な市民であり、それがいわれなき罪を負わされて重い刑に服しているわけです。無実の人間が戦犯とされてしまう話としては、「壁あつき部屋」と同じように、戦争中に上官の命令で捕虜を刺殺した理髪店主が、戦後C級戦犯として逮捕され処刑されるまでを描いた「私は貝になりたい」('59年/東宝)があります。もともと1958年10月にテレビ放映された作品が、芸術賞受賞をきっかけに翌年4月に映画化されたもので、監督はTV版の脚本を書いた橋本忍です(橋本忍にとっての初監督作品)。
私は貝になりたい <1958年TVドラマ作品> [DVD]
私は貝になりたい」 508.jpg私は貝になりたい」tbs.jpg<1958年TV版> ラジオ東京テレビ(KRT/現TBS)(第13回芸術祭文部大臣賞受賞)〈出演〉フランキー堺/清水房江/桜むつ子/平山清/高田敏江/佐分利信(特別出演)/大森義夫/原保美/南原伸二(特別出演)/清村耕次/熊倉一雄/小松方正/内藤武敏/恩田清二郎/浅野進治郎/増田順二/坂本武/十朱久雄/垂水悟郎/河野秋武/田中明夫/ジョージ・A・ファーネス(特別出演)/佐野浅夫/梶哲也/織本順吉
「私は貝になりたい」<1959年映画作品>
私は貝になりたい 1959 vhs.jpg こちらは、主人公の理髪店主・豊松(フランキー堺)が戦後やっとの思いで家族のもとに戻り、理髪店で再び腕を揮い、やがて二人目の子供を授かったことを知私は貝になりたい 1959 01.jpgり平和な生活が戻ってきたかに思えた―その時、突然やってきたⅯP(ミリタリーポリス)に従軍中の事件の戦犯として逮捕されてしまうというもので、しかも最後は死刑になるという結末であるため、相当にヘビーです。

私は貝になりたい 1959 2.jpg いかにも橋本忍っぽい脚本に思えなくもないですが、こちらもBC級戦犯・加藤哲太郎の巣鴨獄中手記「狂える戦犯死刑囚」が一部モチーフとなっていて、そこには「私は貝になりたいと思います」という囚人の切実な叫びが綴られています(加藤哲太郎自身は、絞首刑→終身刑→有期刑と減刑されている)。

私は貝になりたい 所1.jpg私は貝になりたい 所2.jpg 「壁あつき部屋」は、北千住・シネマブルースタジオでの「戦争の傷跡特集」で観ました。「私は貝になりたい」と観比べてみるのもよいかと思います。「私は貝になりたい」はその後、1994年に所ジョージ主演でテレビドラマ・リメイク版が放送されたほか、2008年に福澤克雄監督、中居正広主演で再映画化されています。
「私は貝になりたい」<1994年TVドラマ化作品>所ジョージ/田中美佐子
私は貝になりたい 所0111.jpg私は貝になりたい vhs.jpg<1994年TV(所ジョージ)版> TBS(第43回日本民間放送連盟賞ドラマ番組部門優秀受賞)〈出演〉所ジョージ/田中美佐子/長沼達矢/瀬戸朝香/津川雅彦/春田純一/桜金造/柳葉敏郎/渡瀬恒彦/矢崎滋/石倉三郎/杉本哲太/森本レオ/三木のり平/室田日出男/すまけい/小宮健吾/小坂一也/段田安則/竹田高利/寺田農/尾藤イサオ/ラサール石井


シネマ ブルースタジオ 戦争の傷跡 特集.jpg壁あつき部屋 (1956).jpg「壁あつき部屋」●制作年:1956年●監督:小林正樹●脚本:安部公房●撮影:楠田浩之●音楽:木下忠司●原作:「壁あつき部屋―巣鴨BC級戦犯の人生記」●時間:110分●出演:浜田寅彦/三島耕/下元勉/信欣三/三井弘次/伊藤雄之助/内田良平/林トシ子/北竜二/岸惠子/小沢栄太郎/望月優子/小林幹/永井智雄/大木実/横山運平/戸川美子●公開:1956/10●配給:松竹●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(20-10-12)(評価:★★★★)

「壁あつき部屋」巣鴨プリズン(現在は池袋サンシャインシティ)       
壁あつき部屋 巣鴨プリズン.jpg
     
「私は貝になりたい」フランキー新珠.jpg私は貝になりたい 1959 tokoya.jpg「私は貝になりたい」●制作年:1959年●監督・脚本:橋本忍●製作:藤本真澄/三輪礼二●撮影:中井朝一●音楽:木佐藤勝●原作:(物語、構成)橋本「私は貝になりたい」95.jpg忍/(題名、遺書)加藤哲太郎●時間:113分●出演:フランキー堺/新珠三千代/菅野彰雄/水野久美/笠智衆/中丸忠雄/藤田進/笈川武夫/南原伸二/藤原釜足/稲葉義男/小池朝雄/佐田豊/平田昭彦/藤木悠/清水一郎/加東大介/織田政雄/多々良純/桜井巨郎/加藤和夫/坪野鎌之/榊田敬二/沢村いき雄/堺左千夫/ジョージ・A・ファーネス●公開:1959/04●配給:東宝●最初に観た場所:高田馬場・ACTミニシアター(84-12-09)(評価:★★★★)


143865267608226030179_PDVD_006_20150804104437.jpg143867866083089746178_PDVD_008_20150804175741.jpg1「私は貝になりたい」笠智衆.jpg143868414555329634178_PDVD_010_20150804192906.jpg加東大介(豊松に赤紙を届ける町役場職員・竹内)/フランキー堺(清水豊松)
藤田進(豊松の元上官(軍司令官)矢野中将)/笠智衆(教誨師の小宮)


平田昭彦(陸軍参謀)... 平田昭彦は陸軍士官学校出身
「私は貝になりたい」平田.jpg

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夫婦の危機と再生。昭和サラリーマンの悲哀。小津にはこういう映画をもっと撮って欲しかった。

「早春」dvd.jpg 早春 (ラーメン.jpg 早春 dvd.jpg 早春 淡島千景 池部良.jpg
あの頃映画 松竹DVDコレクション 「早春」」岸恵子・池部良「早春 デジタル修復版 [DVD]」池部良・淡島千景  

早春 1956 通勤.jpg 杉山正二(池部良)は蒲田から丸ビルの会杜「東亜耐火煉瓦」に電車通勤するサラリーマンで、結婚後8年の妻昌子(淡島千景)とは、子供を疫痢で失って以来互いにしっくりいかないものを感じている。毎朝同じ電車に乗り合わせることから親しくなった通勤仲間に、青木(高橋貞二)、辻(諸角啓二郎)、野村(田中春男)たち、それに「キンギョ」という綽名の金子千代(岸惠子)がいて、正二は退社後は男仲間で麻雀にふけるのが日課のようになっていた。昌子は毎日の単調を紛らわすため、荏原中早春 1956.jpg延の実家に帰り、小さなおでん屋をやっている母のしげ(浦邊粂子)に愚痴をこぼしていた。杉山は、通勤仲間で日曜に江ノ島へハイキングに出かけたのを機に千代と急接近し、千代の誘惑に屈して一夜を共にしてしまう。それが他の仲間早春 (1956年の映画)awasihima.jpgに知れて、千代は仲間に吊し上げられ、その辛さを杉山の胸に縋って訴えるが、杉山はそれを持て余す。一方、夫と千代の秘密を見破った昌子は家を出る。その日、杉山は会社の同僚で前夜に見舞ったばかりの三浦(増田順二)の早春 池部良 笠智衆 山村聰.jpg死を聞かされ、サラリーマン人生に心から希望を託していた男だっただけに、その死は杉山に暗い影を落とす。仕事面でも家庭生活でも杉山はこの機会に立ち直りたいと思い、丁度話に出た岡山県三石の工場への転勤内示を受諾し、千代との関係を清算して田舎へ行くのもいいかもしれないと考える。一方、昌子は家を出て以来、旧友の婦人記者の富永栄(中北千枝子)のアパートに同居して、杉山からの電話にさえ出ようとしない。杉山は三石の工場に単身で赴任する途中に大津に寄り、仲人の小野寺(笠智衆)を訪ね助言を得る。山に囲まれた侘しい三石に着任して幾日目かの夕方、杉山が工場から下宿に帰ると―。

早春 1956 .jpg 小津安二郎監督の1956年監督作で、当時の若者向けに撮ったと言われているそうです。サラリーマンとして自宅と会社を往復するだけの生活だった杉山(池部良)が、ちょっとしたきっかけから通勤仲間の千代(岸恵子)と関係を持ってしまう、などといったことは今でもありそうですが、密会を重ねるうちに、二人の関係が社内で噂となり、(社内不倫ではないのに)同期社員らに詰問されてしまうというのは、昭和的かもしれません(今の若者はプライバシー問題を気にしてそこまでおせっかい焼かないのでは)。そもそも、通勤仲間でハイキングに行ったのが契機になったというのにも昭和的なものを感じます。

早春 岸恵子 池部良.jpg

 この映画には、もう一人、戦後のニュータイプの女性が出てきて、それは、昌子が家を出てそのアパートに駆け込んだ旧友の婦人記者(中北千枝子)で、夫に早く死なれて一人住まいを余儀なくされながらも、経済的には自立している女性です。基本的には"伝統的"な家庭女性と思われる昌子も、彼女のバイタリティに感化されてか、家を出てもそう暗くならず、杉山からの電話も出ようとしません。

 これらに比べると、杉山の方は、前夜に見舞ったばかりの会社の同僚に死なれるなどして、そこへ妻に出奔されて終始暗い感じ。更にそこへ、会社からの地方への転勤の打診といった具合に、内憂外患の状況に。もともと、大恋愛で結婚したらしい夫婦ですが、昌子が何年か前に産んだ子が死産だったこともあり、夫婦仲が淡泊になっていたところに、杉山の不倫問題があって(千代に「奥さん、怖い?」と訊かれて「ああ、怖い」と答えているのに不倫してしまった)、これはまさに離婚の危機と言えるでしょう。

 でも、家庭のことを考えながら、仕事のことも考えなければならないのがサラリーマン。杉山は今の会社で出世コースなのか、ゴルフをやる総務部長(中村伸郎)から声をかけられる存在です。一方、違った生き方をする人物もいて、それが会社の先輩で仲人もやってもらった小野寺(笠智衆)と同期の阿合(山村聰)で早春 山村聡.jpg早春 東野英治郎2.jpg、彼は会社を辞めて今は喫茶店・バーを経営していて(常連客に定年間際の東野英治郎!)、要するに「脱サラ」したのだと思われますが、会社一筋とは違った男の生き方もこの映画では見せています。

山村聰(杉山のかつての上司・阿合豊)/東野英治郎(阿合の店の客・服部東吉)/[下右]中村伸郎(杉山の会社の総務部長)

早春 1956 中村.jpg 興味深く観ることが出来ました。不倫を扱っていますが、最後はハッピーエンドというか「雨降って地固まる」と言えるのでは(そう言えば、「風の中の牝雞」('48年)も「お茶漬の味」('52年)も「雨降って地固まる)」的映画だった)。娘が嫁にいくかいかないかといった話よりは起伏があり、小津にはこういう作品をもっと撮って欲しかった気もします。興味深く観ることが出来た理由の一つとして、当時のサラリーマン事情がよく分かる映画だったということがあります。杉山の勤務する会社が丸ビルにあるということは、当時で言えば一流会社なのでしょう。杉山に転勤の内示が出てからほどなくして、複数名の労働組合の幹部が杉山のところへ来て「(転勤命令を)受けるかどうかよく考えて」とアドバ早春 池部良 笠智衆.jpgイスするというのにも時代を感じました(内示の段階で組合に知らされているのか?)。仲人をしてもらった人に人生相談するというのもある意味昭和的かも。

笠智衆(杉山の仲人・小野寺) 

 描写がしっかりしている小津映画を観るということは、「昭和」という時代を確認することにもなると思いますが、後期の作品は、家庭内のことはよく描かれているものの、会社のことは、この人たち(主に重役たち)仕事しているの? みたいな印象もあります。そうした中で、この作品は、昭和のサラリーマン悲哀物語とも言え(もちろん今のサラリーマンに通じるところもある)、小津映画の中ではちょっと面白い位置にあるように思います。

杉村春子(杉山家の隣人・田村たま子)   三井弘次・加東大介(杉山の戦友)
早春 杉村春子.jpg 早春 加東大介 三井弘次.jpg
宮口精二(たま子の夫・精一郎)      中村伸郎(総務部長)
早春宮口精二.jpg 早春 中村伸郎.jpg
岸惠子(「キンギョ」こと金子千代)
早春 岸恵子.jpg早春 (1956年の映画).jpg「早春」●制作年:1956年●監督:小津安二郎●脚本:野田高梧/小津安二郎 ●撮影:‎厚田雄春●音楽:斎藤高順●時間:144分●出演:池部良/淡島千景/浦辺粂子/田浦正巳/宮口精二/杉村春子/岸惠子/高橋貞二/藤乃高子/笠智衆/山村聰/三宅邦子/織田順二/長岡輝子/東野英治郎/中北千枝子/加賀不二男/田中春男/糸川和広/長谷部朋香/諸角啓二郎/荻いく子/山本和子/中村伸郎/永井達郎/三井弘次/加東大介/菅原通済/村瀬禅/杉田弘子/山田好一/川口のぶ/竹田法一/島村俊雄/谷崎純/長谷部朋香/末永功/南郷佑児/佐々木恒子/千村洋子/佐原康/稲川善一/鬼笑介/今井健太郎/松野日出夫/峰久子/鈴木康之/叶多賀子/井上正彦/千葉晃/山本多美/太田千恵子/中山淳二●公開:1956/01●配給:松竹(評価:★★★★)

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主人公を男性から女性に変えて成功したとも言えるし、原作と別物になったとも言える。

06『顔』.jpg 顔 映画 0.jpg 顔 (1956年) (ロマン・ブックス).jpg 『顔・白い闇』.JPG
<あの頃映画> 顔 [DVD]」岡田茉莉子/大木実『顔 (1956年) (ロマン・ブックス)』(顔/殺意/なぜ「製図」が開いていたか/反射/市長死す/張込み)『顔・白い闇 (角川文庫)』(顔/張込み/声/地方紙を買う女/白い闇)
顔 (1956年) (ロマン・ブックス)』『声―松本清張短編全集〈5〉 (カッパ・ノベルス)
『顔』ロマン・ブックス.jpg声―松本清張短編全集〈5〉 (カッパ・ノベルス).jpgchapter_l_0001.jpg 東海道線の夜行列車にある男が乗り込み、そこである女を見つける。その女・水原秋子(岡田茉莉子)は、元は安酒場で働いていたが、ふとしたことでファッションモデルの幸運を掴みこれを手放すまいと懸命になっていた。一方の男・飯島(山内明)は無免許の堕胎医だった。秋子はプロ野球二軍選手の江波(森美樹)と結婚しようとしていたが、飯島は酒場時代の秋子の古傷に触れ彼女を苦しめていたのだ。飯島は、秋子の大阪でのショーの帰りを追って夜行列車に乗り込んだのだが、洗面所で秋子と口論となり、揉み合いになって列車から落ち、付近の病院に搬送されるも間もなく死亡する。警察chapter_l_0002.jpgは事件を軽く見たが、長谷川刑事(笠智衆)は何かあると確信、病院の死体置場に贈主不明の花束が届いたことから疑念を深め、列車の乗客で事件の目撃者である石岡三郎(大木実)に辿り着く。石岡は洗面所で秋子の顔を見たという。その新聞記事を見て秋子はモデルをやめ、江波と田舎に帰る決心するが、秋子の最後のショーに、長谷川刑事が石岡を連れて首実検に来る。驚く秋子だったが、石岡は犯人はいないと刑事に告げる。chapter_l_0003.jpg止むなく警察は石岡を尾行したがマカれてしまう。その頃、秋子のアパートでは江波が田舎へ行くため荷造りをしていた。そこへ石岡が現れ、秋子はいなかったが、去り際に表で帰って来た秋子に会う。石岡は秋子を旅館に連込み脅迫したが、そこを出た途端トラックに轢かれ死ぬ。秋子がアパートに戻ると、江波は石岡との関係を難詰、別れると言い出す。秋子は、呆然として外に出た。長谷川刑事らは漸く飯島殺し犯人として秋子を突止める。夜の銀座を彷徨う秋子。それをパトロールカーのサイレン音がけたたましく追う―。 笠智衆(長谷川刑事)

 原作は、「小説新潮」1956(昭和31)年8月号に掲載され、同年10月、講談社ロマン・ブックスより刊行された松本清張による初の推理小説短編集の表題作となり(所収作品:顔、殺顔 1957年 okada31.jpg意、なぜ「星図」が開いていたか、反射、市長死す、張込み)、この短編集は1957(昭和32)年・第10回「日本探偵作家クラブ賞(第16回以降「日本推理作家協会賞」)」を受賞作しています。
岡田茉莉子(水原秋子)
右から岡田茉莉子(水原秋子)・笠智衆(長谷川刑事)・大木実(石岡)
顔  大木 岡田 笠智衆.jpg ただし、原作の「顔」の主人公はファッションモデル女性ではなく、井野良吉という劇団員で、最近味のある役者として人気が出てきて、映画出演も決まり始めた男性です(つまり映画は主人公の性別を改変している)。実は彼は過去に女性を旅行に誘って殺害しようとして目的を果たすも、その土地に向かう途中の列車内で女性が知り合いの男性と出会ったところから二人でいるのを目撃されたため、今度はその男を理由をつけて旅行に誘い出し、殺害しようとします。ところが、その誘いを訝った男性は警察に相談し、警察は井野が犯人と確信、その旅行についてきて、旅館が井野と同宿だったために鉢合わせに。そこで実質的に首実検の状況になったわけですが、ところが、男には井野が自分が列車内で見た人物と同一人物には見えない! 見えないから当然、コイツが犯人だととも言えない(この点が、石岡が秋子を同一人物と分かりながらも、後で脅迫するために、その場では「犯人はここ中にはいない」と刑事に言っている映画とは大きく異なる)。

 結局、最終的には偶然どこかで井野が犯人であることが男にはわかるわけで、どこで分かるかは読んでのお楽しみですが、人間の記憶の機微を扱った短編らしいモチーフの作品です。ただし、このままだと映画になりにくい短編でもあるので、主人公を男性から女性に変えて、サイドストーリーを幾つも付け足して映画として"見栄えある"ものにしたとも言えるし、原作のモチーフを映画では活かしていないので、原作と別物になったとも言えるかと思います。

松本清張2 .jpg 原作者の松本清張は、自分の短編が映像化する際に話を膨らますことについては鷹揚であったようで、むしろ、短編をどうやって1時間半なり2時間なりの物語に加工するかこそが映画監督らの力量とみていたようです。自身の短編の映画化作品で最も評価していたのは、野村芳太郎監督の「張込み」('58年/松竹)だったようで、「原作を超えている」と言っていたそうですが、この「顔」については、脚本で原作が「改悪」されたと見て、それ以来映画会社を信用しなくなり「物申す原作者」になったとのことです。個人的には、原作を超えたとまでは言い難いですが、まずまずだったように思います。ただし、原作のモチーフを活かしていないので、「別物」として"まずます"ということになります。

 映画の中で、石橋湛山が自民党総裁で岸信介と争って勝った出来事が銀座のビルのテロップニュースで流れる場面がありますが、これは1956年12月のことで、岸信介に7票差で競り勝って総裁に当選した石橋湛山は、12月23日に内閣総理大臣に指名されています。原作が「小説新潮」1956年8月号に掲載されたもので、この映画の公開が1957年1月22日なので、撮影時の時事ネタを織り込んだといったところでしょうか。それにしても、雑誌の8月号に発表された短編が翌年1月には映画になるなんて、当時の松本清張の人気を窺わせます。ただし、過去に10回以上ドラマ化されていますが、映画化作品はこの大曽根辰夫監督の作品のみです。

・1958年「顔」(日本テレビ)三橋達也(井野)・花柳喜章(石岡)
・1959年「顔」(KRテレビ(現TBS))天本英世(井野)・高野真二(石岡)
・1962年「松本清張シリーズ・顔」(NHK)南原宏治・松宮五郎
・1963年「顔」(NET(現テレビ朝日))大木実(井野)・大坂志郎(石岡)
・1966年「松本清張シリーズ・顔」(関西テレビ・フジテレビ)山崎努・内田稔
・1978年「松本清張おんなシリーズ・顔」(TBS)大空真弓(井野)・織本順吉(石岡)
・1978年「松本清張の「顔」・死の断崖」(テレビ朝日)倍賞千恵子(井野)・財津一郎(石岡)
・1982年「松本清張の「顔」」(TBS)烏丸せつこ・浅茅陽子
・1999年「「松本清張特別企画・顔」(TBS)戸田菜穂 (井野)・斉藤慶子(石岡)
・2009年「松本清張ドラマスペシャル 顔」(NHK)谷原章介(井野)・高橋和也(石岡)
・2013年「松本清張スペシャル 顔」(フジテレビ) 松雪泰子・田中麗奈・坂口憲二

・1978年「松本清張の「顔」・死の断崖」(テレビ朝日)倍賞千恵子・山口崇・財津一郎・今井健二
「松本清張の「顔」」t.jpg 「松本清張の「顔」」01.png 「松本清張の「顔」」03.png 「松本清張の「顔」」04.png
・2009年「松本清張ドラマスペシャル 顔」(NHK)谷原章介/2013年「松本清張スペシャル 顔」(CⅩ)松雪泰子
松本清張ドラマスペシャル 顔.jpg松本清張SP--松雪泰子の「顔」.jpg

  
   
顔 映画00.jpg「顔」okada.jpg「顔」●制作年:1957年●監督:大曽根辰夫●脚本:井手雅人/瀬川昌治●撮影:石本秀雄●音楽:黛敏郎●原作:松本清張「顔」●時間:104分●出演:岡田茉莉子/大木実/笠智衆/森美樹/宮城千賀子/佐竹明夫/松本克平/千石規子/小沢栄(小沢栄太郎)/山内明/細川俊夫/内田良平/永田靖/乃木年雄/草島競子/永井秀明/十朱久雄/笹川富士夫/高村俊郎●公開:1957/01●配給:松竹(評価:★★★☆)
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「ゼロの焦点」('58年)の女性主人公へと繋がる「声」('56年)、「白い闇」('57年)。

白い闇 (1957年) (角川小説新書).jpg  『顔・白い闇』.JPG 松本清張短編全集〈第5〉声 (1964年).jpg 声―松本清張短編全集〈5〉 (カッパ・ノベルス).jpg
白い闇 (1957年) (角川小説新書)』(白い闇/一年半待て/地方紙を買う女/共犯者/声)『顔・白い闇 (角川文庫)』(装画:駒井哲郎)(顔/張込み/声/地方紙を買う女/白い闇)『松本清張短編全集〈第5〉声 (1964年) (カッパ・ノベルス)』(声/顔/恋情/栄落不測/尊厳/陰謀将軍)『声―松本清張短編全集〈5〉 (カッパ・ノベルス)』['02年]
「松本清張の「声」.jpg  「松本清張の白い闇.jpg
「松本清張の「声」・ダイヤルは死の囁き」['78年/テレビ朝日・土曜ワイド劇場]/「松本清張の白い闇・十和田湖偽装心中」['80年/テレビ朝日・土曜ワイド劇場](共に音無美紀子主演)

 新聞社で電話の交換手・高橋朝子は、数百人の声を聞き分けられるベテラン。ある日、社会部の石川汎に頼まれて、赤星という姓の学者に電話をかけるが、太く厭らしい声で電話を切られてしまう。電話帳を見誤り、同じ赤星姓でもまったくの別人にかけてしまったとすぐに分かったが、不快なので、間違えた方の住所を見てみると、世田谷の邸町であった。帰宅し夕刊を開いた朝子は、世田谷の赤星邸で強盗殺人事件が起こったことを知る。朝子は警察に出頭し電話の件を伝えたが、犯人の手掛かりは掴めない。ところが、月日は流れたある日、結婚して離職した彼女の耳に、あの電話の声の主が...。声の持ち主は意外なところから朝子のもとに現われる―。(声)

 信子の夫の精一は、仕事で北海道に出張すると言って家を出たまま失踪した。夫の身を案ずる信子は、精一の従弟・高瀬俊吉の助言に従い、夫の仕事関係の炭鉱会社に電報を打つが、北海道には一度も来ていないと返事が来る。信子は俊吉に結果を報告したが、俊吉から、実は精一には青森に田所常子という隠れた女がいるとの思いがけない"夫の裏切り"を聞かされる。信子は青森に向かい女と対峙するが、却って田所常子に圧倒されてしまう。病人のようになって東京へ帰った信子を俊吉はいたわるが、その二ヵ月後、思いがけない事件が発生する。俊吉が連れてきた田所常子の兄だという白木淳三という仙台の旅館経営者が、田所常子は青森県の十和田湖に近い奥入瀬の林の中で死体で発見されたという。田所常子を殺害したのは夫・精一なのか。その精一はいまどこにいるのか―。(白い闇)

「影なき声」0.jpg 「声」は、文庫で80ページほどの短編で、「小説公園」1956(昭和31)年10月号・11月号に連載され、1957年2月に『森鴎外・松本清張集』(文芸評論社・文芸推理小説選集1)収録の一編として刊行されています。また、鈴木清順監督、二谷英明(石川汎)、南田洋子(朝子)主演で「影なき声」('58年/日活)として映画化されるとともに、1950年代から70年代にかけて5回テレビドラマ化されています。電話交換手という仕事が人々にとってまだ馴染みのあったころに集中していうように思います(今後ドラマなどで映像化される可能性は低いか)。

「影なき声」('58年/日活)南田洋子・二谷英明
        
「影なき声」posuta-.jpg「影なき声」1.jpg「影なき声」●制作年:1958年●監督:鈴木清順●脚本:佐治乾/秋元隆太●音楽:林光●撮影:永塚一栄●原作:松本清張「声」●時間:92分●出演:二谷英明/南田洋子/高原駿雄/宍戸錠/芦田伸介/金子信雄/高品格●劇場公開:1958/10●配給:日活
二谷英明/南田洋子   
『声―松本清張短編全集〈3〉』 (1964/03 カッパ・ノベルス)
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 「白い闇」は、文庫で70ページ弱の短編で、「小説新潮」1957(昭和32)年8月号に掲載され、1957年8月に短編集『白い闇』収録の表題作として、角川書店(角川小説新書)より刊行されています。こちらは、映画化はされていませんが、50年代から00年代にかけて8回テレビドラマ化されています。

 何度もドラマ化されていることからも窺えるように、共に傑作です。短編集『白い闇』所収作では、「一年半待て」が2016年までに12回、「地方紙を買う女」が9回ドラマ化されていますが、内容的にもそれらに比肩し得るレベルにあると思います。「声」は時間差トリックが秀逸で、「白い声」は誰が味方で誰が敵かという点でほとんどの読者を欺いてみせるのではないかと思います。

 この両作品の特徴は、平凡な女性である主人公が、警察に頼らず独力で事件の謎を解こうとする点で、そこで思い出されるのが「ゼロの焦点」('58年発表)です。「ゼロの焦点」も、夫が単身赴任先の北陸で行方不明になり、妻・が単身捜査に乗り出す過程で夫の二重生活が浮き彫りになってくるというものなので、「白い闇」と少し似ています。

 三作とも女性が主人公ですが、「声」では、主人公の朝子は、事件に深入りしたばかりに犯人グループの犠牲になり、あとは警察が事件を解決することになり、「白い闇」では、主人公の朝子は、犯人を見抜くことが出来たものの、霧深い湖のボートの上で犯人と対峙し、最後は危うく犯人に殺害されかけます。それに比べると、「ゼロの焦点」の女主人公・板根禎子は、やはり断崖絶壁の上で犯人と対峙しますが、二人きりではなくそこにもう一人の人物がいて、自らが犯人に崖から突き落とされるということにはなりません。

 こうしてみると、「声」('56年)、「白い闇」('57年)から「ゼロの焦点」('58年)へと女性主人公が進化してきている(推理小説として洗練されてきている)ように思えました。「声」「白い闇」は、名作「ゼロの焦点」へと繋がる作品でもあるように思いました。特に「白い闇」は、夫の失踪などのモチーフは「ゼロの焦点」と重なり、さらに偽装自殺は「点と線」('57年)とも重なるように思いました。

松本清張の「声」・ダイヤルは死の囁き.jpg ドラマ化作品では、「声」のドラマ化作品で、'78年にテレビ朝日の「土曜ワイド劇場」枠(2時間ドラマがまだ定着しておらず90分枠だった)で放送された音無美紀子主演の「松本清張の「声」・ダイヤルは死の囁き」がありました(4回目のドラマ化作品であり、その後ドラマ化されていまいのは、やはり「電話交換手」という職業設定のためか)。

 新聞社の電話交換手・朝子(音無美紀子)は、ある日、大学教授宅への電話を間違って繋いでしまう。そこで出た男の「こちらは墓場」という声を聞く朝子。翌日、新聞に強盗殺人事件の記事が出て朝子は被害者が自分が間違えて電話を繋いだ人物と知る。強盗殺人を働いたのは不動産ブローカー・川井(小松方正)、浜野(米倉斉加年)ら三名。浜野は週刊誌記者を装って朝子に近づこうとするが、話を聞いたのは朝子の同僚・良江(泉ピン子)。浜野ら三人は役所に勤める朝子の婚約者・小谷(秋野太作)と良からぬ企み。朝子は浜野に小谷を外すよう頼み、二人の間には奇妙な繋がりが。だが、ある日浜野がかけてきた電話の声が事件の時聞いた声と朝子が気づいた時から新たな事件が――とやや原作を脚色しています。

 音無美紀子演じる朝子と米倉斉加年演じる浜野のキャラがいいし、秋野太作の小谷も小谷らしいというか。それぞれの俳優の持ち味が活かされた好編だったように思います。
【2975】○ 水川 淳三 (原作:松本清張) 「松本清張の「声」・ダイヤルは死の囁き」 (1978/03 テレビ朝日) ★★★☆
松本清張の「声」・ダイヤルは死の囁き2.png1松本清張の「声」・ダイヤルは死の囁き.png「松本清張の「声」・ダイヤルは死の囁き」●監督:水川淳三●プロデューサー:佐々木孟●脚本:吉田剛●音楽:菅野光亮●原作:松本清張●出演:音無美紀子/秋野太作(津坂匡章)/米倉斉加年/泉ピン子/小松方正/柳生博/波多野憲/高橋征郎/寄山弘/土田桂司/加島潤/高杉和宏/小林悦子/本木紀子/沖秀一/山本譲二●放映:1978/03/11(全1回)●放送局:テレビ朝日(評価:★★★☆)

 音無美紀子は、同じく「土曜ワイド劇場」枠で、'80年に放送された「白い闇」のドラマ化作品「松本清張の白い闇・十和田湖偽装心中」にも主演していますが、コレ、何と原作と犯人を変えています。

松本清張の白い闇・十和田湖偽装心中10.jpg 小関信子(音無美紀子)は、不動産屋を経営する夫・精一(津川雅彦)姑の初子(賀原夏子)と三人で暮らしていた。精一は北海道の新規案件のためパンフレットのデザインを従兄弟の高瀬俊吉(速水亮)に依頼することになり俊吉が精一の家にやって来た。たたき上げで勢力旺盛な精一と違い俊吉は一流商社のデザイナーで性格も対照的だった。精一は俊吉が信子に心を寄せていることはわかっていた。それを信子も気が付いているだろうが、信子は自分を愛しているという自信があった。その晩、俊吉は精一夫婦の家に泊まることになった。俊吉が隣の部屋に寝ているのも気にせず、精一は信子を求めてきた。気配を察した俊吉は、精一の家を飛び出すと馴染みのバーへ行った。ホステスのユリ(池波志乃)がひとりいただけでそのままふたりはユリの家へ行く。ユリは同僚の田所常子(横山エリ)が俊吉と付き合っていたと思い、俊吉に自分は常子と違って結婚は求めないと迫っるが、俊吉はユリを振り切って帰ってきてしまう。精一は北海道へ出張に行くことになった。信子は妊娠したことがわかり早くそれを伝えようと空港まで急きょ精一を見送りに行くことにした。信子が精一に妊娠を告げると、性格的に大喜びしそうな精一だが複雑な表情だった。信子は早く帰ってくるように言って見送ったが、精一はいつまで経っても帰ってこなかった。不安に思った信子が北海道へ電話すると、そこはもう10日も前に発っていたという。信子は俊吉の会社へ行き、心当たりを聞くが、俊吉は自分は何も知らないという。羽田空港に到着した信子を俊吉が迎えに来ててくれた。俊吉は今度は自分が常子のところへ行ってみるという。心労が重なった信子は病院で流産してしまう。知らせを受けた初子が来て、俊吉から精一に女がいたことを聞かされた。俊吉は信子を飲みに誘い、酔った俊吉は信子の家へ行き二人はその晩関係を持ってしまう。警察から常子が死体で見つかったと連絡が入り、信子と俊吉は署まで出向く。刑事が言うのには十和田湖近くの林で見つかり死後約2か月ほどで、青酸系の毒物を飲んだらしい。依然として精一の行方はわからない。常子の兄で元宮城県警の刑事・白木淳一(下川辰平)も来ていて、長らく音信不通だった常子から1か月ほど前に手紙が来てアパートへ行ったものの10日前に家を出たきりだった。それから、ずっと妹を探し続けていたのだと話すー。

下川辰平.jpg かなり原作を改変していますが、放映当時はこれはこれで面白いということで(視聴率23.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区))'83年3月に同じ土曜ワイド劇場枠で再放送されています。ドラマ「太陽にほえろ!」('72年~'75年)で七曲署の「長さん」こと野崎太郎・巡査部長を演じた下川辰平(1924-2004/75歳没)を元宮城県警の刑事・白木淳一役で起用していて、原作を読んでいれば尚のことですが、ほとんどの人が引っかかったのではないでしょうか(「これはないよ」という気も若干したが)。音無美紀子はホームドラマのイメージですが、このほかにも同じく土曜ワイド劇場の「松本清張の山峡の章・みちのく偽装心中」('81年/ANB)にも出ていて(主演)、サスペンスでも安定した演技力を発揮していたことがわかります。

松本清張の白い闇・十和田湖偽装心中4.jpg松本清張の白い闇・十和田湖偽装心中お.jpg「松本清張の白い闇・十和田湖偽装心中」●監督:野村孝●プロデューサー:吉津正/柳田博美/野木小四郎●脚本:柴英三郎●音楽:菅野光亮●原作:松本清張●出演:音無美紀子/津川雅彦/速水亮/賀原夏子/横山リエ/下川辰平/池波志乃/小野武彦●放映:1980/12/06(全1回)●放送局:テレビ朝日(評価:★★★☆)



 結局、'96年にテレビ東京で放送された、白い闇 ドラマ 大竹晩.jpg大竹しのぶ主演の「松本清張ドラマスペシャル・白い闇 十和田湖奥入瀬殺人事件」あたりが、一番原作に忠実なのかも。時代が原作の昭和30年代から〈今〉に置き換えられているため、主人公の夫の職業は石炭商から魚のブローカーに換えられていますが、おおむね原作に忠実です。主人公がどこで犯人に気づくかが原作の一つのポイントですが、大竹しのぶが上手く演じていてさす白い闇 大竹しのぶ3.jpgがです。この女優はときどき演技過剰になるような印象もありますが、この作品は適度な演技達者ぶりで良かったです。演技達者ぶりと言えば、旅館経営者の白木を演じた寺田農も良かったです(ちょっと怪しげなところが役にぴったり)。

「松本清張ドラマスペシャル・白い闇 十和田湖奥入瀬殺人事件」●演出:木下亮●プロデューサー:鶴間和夫/大野晴雄/林悦子●脚本:須川栄三●音楽:福井峻●原作:松本清張●出演:大竹しのぶ/加勢大周/寺田農/左時枝/三浦浩一/清水ひとみ/一柳みる/片桐竜次/田岡美也子/川津花/中条佳代子/佐藤功/中村徳彦/大船滝二/水野ケイ/楠美千穂/樽見幸子●放映:1996/02/08(全1回)●放送局:テレビ東京
  

 
●「声」ドラマ化
 •1958年「声」(KRテレビ(現TBS))佐野周二・三井弘次・藤間紫
 •1959年「声」(フジテレビ)千典子・飯沼慧
 •1961年「声」(TBS)福田公子・岩井半四郎
 •1962年「声」(NHK)小山明子・松本朝夫・三島耕
 •1978年「松本清張の「声」・ダイヤルは死の囁き」(テレビ朝日)音無美紀子・秋野太作・泉ピン子・米倉斉加年

・1978年松本清張の「声」・ダイヤルは死の囁き(テレビ朝日)音無美紀子・秋野太作・泉ピン子・米倉斉加年[上]
松本清張の「声」t.png 松本清張の「声」お.png 松本清張の「声」3.png

●「白い闇」ドラマ化
 •1959年「白い闇」(KRテレビ(現TBS))乙羽信子・高橋昌也・金子信雄
 •1959年「白い闇」(フジテレビ)日野明子・真木祥次郎・入川保則
 •1961年「白い闇」(TBS)月丘夢路・井上孝雄・山茶花究
 •1962年「白い闇」(NHK)吉行和子・金内吉男・鈴木瑞穂
 •1977年「白い闇」(TBS)吉永小百合・草刈正雄・二木てるみ・井上孝雄
 •1980年「松本清張の白い闇・十和田湖偽装心中」(テレビ朝日)音無美紀子・津川雅彦・速水亮
 •1996年「松本清張ドラマスペシャル・白い闇 十和田湖奥入瀬殺人事件M」(テレビ東京)大竹しのぶ・加勢大周・寺田農
 •2005年「黒革の手帖スペシャル〜白い闇」(テレビ朝日)米倉涼子・豊原功補・岡本健一・田村高廣

・1977年「松本清張傑作選 2 白い闇 [レンタル落ち]」「白い闇」(TBS)吉永小百合・草刈正雄
1977年「白い闇」(TBS)dsd.jpg 1977年「白い闇」(TBS).jpg
・1980年松本清張の白い闇・十和田湖偽装心中(テレビ朝日)音無美紀子・津川雅彦・速水亮[上]
白い闇・テレビ朝日・音無.jpg 白い闇・テレビ朝日・2.jpg
・1996年松本清張ドラマスペシャル・白い闇 十和田湖奥入瀬殺人事件(テレビ東京)大竹しのぶ・加勢大周・寺田農[上]
白い闇 大竹しのぶ3.jpg 3白い闇 寺田.jpg 3白い闇 大竹しのぶ2.jpg
・2005年「黒革の手帖スペシャル〜白い闇」(テレビ朝日)米倉涼子・豊原功補
黒革の手帖スペシャル〜白い闇0.jpg 黒革の手帖スペシャル〜白い闇.jpg

「白い闇」...【1959年文庫化[角川文庫(『顔・白い闇―他三篇』)]/1965年再文庫化[新潮文庫(『駅路―傑作短編集6』)]】
「声」...【1959年文庫化[角川文庫(『顔・白い闇―他三篇』)]/2009年再文庫化[光文社文庫(『声―松本清張短編全集〈05〉』)]】

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読書案内を兼ねた"読書半生記"。人文専攻ネタ、松波信三郎ゼミネタで懐かしくなってしまった。

新書百冊 新潮新書.jpg  坪内祐三2.jpg 新潮新書 新書百冊.jpg
新書百冊(新潮新書)』坪内 祐三(1958-2020)

 本書の著者で、今年['20年]1月に61歳で亡くなった評論家・エッセイストの坪内祐三(1958年生まれ)は、本好き、古本好き、神保町好きとしても知られていましたが、その著者が、自らの半生の折々に読んできた新書百冊を重ねて振り返ってコラムとして綴った"読書半生記"であり(エッセイとも言えるか)、新潮新書の創刊ラインアップの10冊のうちの1冊として刊行されています。

 タイトルから「読書案内」的なものを想像する人もいるかと思いますが、その要素もしっかり満たしていて、文中で取り上げた百冊の新書が、巻末に「百冊リスト」として章ごとに整理されています。ただし、その他にも多くの本を紹介していて、「新書百冊」にそれらを含めた約300冊の書名索引もそのあとに付されています。

 いい本を選んでいるなあという印象で、古本が多いせいか、岩波新書・中公新書・講談社現代新書の「新書御三家」が占める割合が高くなっています。「講談社現代新書のアメリカ文化物は充実していた」(第4章)というのは確かに。かつては岩波新書・中公新書・講談社現代新書の3つが、一般向け新書では絶対的代表格でリジッドなイメージがありました。

 自伝的エッセイっぽい印象を受けるのは、例えば第1章が「自らの意志で新書を読み始めた頃」、第2章が「新書がどんどん好きなっていった予備校時代」というふうになっていたりするためで、御茶ノ水での浪人生活を振り返り、「私が通っていた御茶ノ水の駿台予備校は、当時、単なる受験合格のテクニックではなく、もっと本質的な「学問」を教えてくれた。特に英文解釈の奥井潔先生の授業はいつも心待ちにした。教壇で奥井先生は例えばT.S.エリオットやポール・ヴァレリーの文学的意味について語ってくれた」といった下りは、その頃浪人生活を送り、駿台予備校で学んでいた人などは懐かしくて仕方がないのでは。

 と思って読んでいたら、「浪人時代の多読が功を奏して(?)」早稲田大学第一文学部に入学し、2年次の専攻分けで、学問の多様化を見据え、オール―ジャンルの学科の授業に出席できる人文専攻を選んだとのこと(本当は1時限目の授業や原書購読が無いことが理由であったとも)。実は自分も同じ大学・学部・専攻であり、そのことは以前から知っては知ってはいたものの、人文専攻を選んだ理由もほぼ同じであることを改めて知りました。

存在と無下.jpg存在と無 上.jpg さらに、第5章では、人文専攻のゼミで『存在と無』を読まされ、教官はその本の翻訳者の松波信三郎で、「全然歯が立たなかった」とありますが、自分も同じ頃このゼミを受けました。松波信三郎先生の講義は『存在と無』をものすごいスピードで読み下して解説するので、講義中にかなりの集中力を要したように記憶します。毎回の授業がそんな感じで進められ、それを丸々1年かけてやるのですが、『存在と無』そのものがかなり大部な本なので、結局、本の要所要所を押さえはするものの、全部は読み通せませんでした。

 松波信三郎先生は大男だったとのこと(そうだったかも)、躰の大小の違いはあるが風貌はサルトルに似ていたとのこと(言われればそうだったかも)。なんだか、早大一文(「第一文学部」という呼称は今は無い)ネタ、人文専攻ネタ、松波信三郎ゼミネタで懐かしくなってしまいましたが、著者の方は修士課程に進んだのだのだなあ。

 著者の社会人としてのスタートは雑誌「東京人」の編集者であり、その後次第に書き手としての本領を発揮していくことになりますが、ベースにしっかりした読書体験があることを改めて感じました。本書で紹介されている本には絶版本も多いですが、今はほぼネットの古本市場で入手可能です。それにしても、一方で1996年から「週刊文春」で「文庫本を狙え!」の連載を亡くなる前まで続けていて、こちらの方は文庫の新刊を追っていたわけですから、改めてスゴイなあと思います。

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本当に「傷だらけ」になったなあ、カミーユ警部。シリーズを終わらせるところまでいくとは...。

Sacrifices (A.M.THRIL.POLAR) (French Edition).jpg傷だらけのカミーユ.jpg Pierre Lemaitre.jpg
Sacrifices (A.M.THRIL.POLAR) (French Edition)『傷だらけのカミーユ (文春文庫)』 Pierre Lemaitre(2014)

 妻を失って5年、ようやく立ち直りかけたカミーユ。ところが恋人のアンヌがたまたま事件に巻き込まれ、二人組の強盗に殴られ瀕死の重傷を負う。アンヌの携帯の連絡先のトップにカミーユの電話番号があったため、警察からカミーユに電話があり、カミーユは病院に駆けつけ、アンヌとの関係を誰にも明かすことなく、事件を担当することにする。しかしながら、強引なうえに秘密裏の捜査活動は上司たちから批判され、事件の担当を外されるどころか、刑事として失格の烙印さえ押されそうになる―。

 2012年10月原著刊行のピエール・ルメートルの、『悲しみのイレーヌ』『その女アレックス』に続くカミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズの第三作であり(原題:Sacrifices)、シリーズ完結編となるとのことです。英国推理作家協会賞のインターナショナル・ダガー賞を2013年に受賞した『その女アレックス』に続いて、この作品でも2015年のインターナショナル・ダガー賞を受賞しています。また日本では、2016年「週刊文春ミステリーベスト10」の第1位となり、『その女アレックス』『悲しみのイレーヌ』に続く3年連続の第1位でした(別冊宝島の「このミステリーがすごい!」(2016年)では第2位、早川書房の「ミステリーが読みたい!」(2017年)では第5位)。

 時系列でいうと、『その女アレックス』のすぐあとの事件ですが、本書で繰り返し言及されるのは、悲劇的な死をとげたイレーヌのことです(日本では、翻訳の順序が『その女アレックス』→『悲しみのイレーヌ』と逆になった)。ようやく立ち直りかけたカミーユに襲いかかる新たな悲劇! これ、ほとんどの読者は完全に騙されると思いますが、プロットのこと以上に、作者というのはここまで主人公を苛めるものなのかなあと考えてしまいました。

 事件は解決しても、カミーユは本当に「傷だらけ」になったなあ。警察も辞めることになり、シリーズもこれで終わらせるということだそうで、そこまで普通やるかね。アガサ・クリスティはエルキュール・ポワロのことを好きではなかったと言われていますが、この作者もこの物語の主人公である身長145㎝のカミーユ・ヴェルーヴェン警部のことをあまり好きではないのかも、と思ってしまいました。

 ただ、後に作者はシリーズの復活も示唆しており、今のところ個人的にはこのシリーズとは相性がイマイチですが(すべてにおいてカミーユ警部が強引すぎる)、新作が出れば読んでみるかもしれません。

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漫画化作品の中で群を抜く、近藤ようこ版「桜の森の満開の下」「夜長姫と耳男」。

桜の森の満開の下 (岩波現代文庫).jpg 夜長姫と耳男 (岩波現代文庫).jpg 桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫).jpg  桜の森の満開の下・夜長姫と耳男 (ホーム社漫画文庫).jpg
桜の森の満開の下 (岩波現代文庫)』『夜長姫と耳男 (岩波現代文庫)』『桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫)』(「夜長姫と耳男」所収)『桜の森の満開の下・夜長姫と耳男 (ホーム社漫画文庫)
桜の森の満開の下・白痴 他12篇 (岩波文庫)
桜の森の満開の下・白痴 他十二篇 (岩波文庫).jpg 主人公の山賊が住む鈴鹿の山奥には桜の木がたくさん茂っており、山賊はそれらに対し、理由がわからないまま不安を感じている。ある時、山道を非常に美しい女が通り、山賊は、女と一緒にいた旦那を殺して女を自分の妻にする。妻は都から来たもので、山での生活に何かと不平不満を言う。そして遂には山賊を都に連れて行き生活を始める。都での妻は大変楽しそうだった。山賊に頼んで獲ってきてもらった人の首で、ごっこあそびにふけっていた。対する山賊は次第に退屈になり、同時に妻に嫌気もさし始めたため、山へ帰ろうと決める。その旨を伝えると妻は連れて行ってくれと頼む。しかし妻は、一時ついていくものの、いずれまた都に連れ帰ってこようと考えていたのだ。山賊が妻を負ぶって山へ向かう道中、いつの間にか背中にいたのは鬼だった。襲われた山賊は鬼を殺す。しかしそこにあるのは鬼ではなく妻の死体だった。死体は桜の花びらへと変わり、孤独を知った山賊自らも花びらへと変わって消えてゆくのだった―。

IM桜の森の満開の下8.jpg 昭和22(1947)年6月、当時40歳の坂口安吾(1906-1955)が雑誌『肉体』創刊号に発表した短編小説「桜の森の満開の下」(さくらのもりのまんかいのした)は、坂口安吾代表作の一つで、「堕落論」と並んで読まれており、傑作と称されることの多い作品です。

 作品の魅力として、全体を通して情景の美しさが溢れるように感じられる点がありますが、これをビジュアル化するとなると、それぞれが既に抱いている美しいイメージがあるだけに、その期待に応えるのはなかなか難しいということになります。

 実際、多くの漫画家や画家が挑戦していますが、原作を読んで固有のイメージが出来てしまった人を満足させるものは少ないかと思います。画風が少女漫画風(BL系・ツンデレ系)になってしまっているものが多いせいもあるかと思います。

桜の森の満開の下 (ビッグコミックススペシャル).jpg そんな中、2009年に小学館のビッグコミックススペシャルとして刊行された近藤ようこ(1957年生まれ)氏の漫画化作品は、さすがベテランと言うか、比較的原作の雰囲気をよく伝えているように思いました。と言うより、相対比較で言えば、群を抜いていると言っていいかもしれません(このタッチが原作にフィットするとすれば、山岸涼子氏なども描けば結構いい線いくのではないか)。

桜の森の満開の下 (ビッグコミックススペシャル)』['09年]

 実は近藤氏が坂口安吾の作品で最初に漫画化したのは2008年の「夜長姫と耳男」で、近藤氏はその企画が決まった時、大好きな安吾を独り占めできるような気がして武者震いしたそうです。一番描きたいと思っていたのは、耳男が江奈子に耳を切られる場面と、高楼につるされた蛇の死体が揺れる場面だったそうで、これだけでも、「夜長姫と耳男」の原作が「桜の森の満開の下」に劣らず凄まじい話であることは窺えるかと思いますが、「桜の森の満開の下」のあらすじを書いてしまったので、「夜長姫と耳男」の方はここでは内容には触れないでおきます。
桜の森の満開の下 (立東舎 乙女の本棚)
桜の森の満開の下 (立東舎 乙女の本棚).jpg 近藤氏の漫画のほかに、立東舎の「乙女の本棚」シリーズで「桜の森の満開の下」の原文を全て載せた上でそれにカラーで絵をつける形での絵本化をしていますが('19年)、絵が、駆け出しの少女漫画家のパターンでこれも自分にとってはイマイチでした。

 同じ少女漫画風ならば、ホーム社漫画文庫の『コミック版 桜の森の満開の下・夜長姫と耳男』('10年)の方がまだ良かったかも。「桜の森の満開の下」の方の漫画は萩原玲二氏、「夜長姫と耳男」の方はタナカ☆コージ氏が描いています。漫画として割り切って読めば、1冊で両方の作品が読めるので、コスパ的にもますまずだったように思います。

 因みに、近藤氏の『桜の森の満開の下』『夜長姫と耳男』は共に2017年10月に岩波現代文庫のラインアップに加わっています(お堅い岩波もその実力を認めた!?)。

『桜の森の満開の下』...【2017年文庫化[岩波現代文庫]】/『夜長姫と耳男』...【2017年文庫化[岩波現代文庫]】

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○ノーベル文学賞受賞者(ジョゼ・サラマーゴ)「○海外文学・随筆など 【発表・刊行順】」の インデックッスへ

白の闇 2008-2.jpg白の闇 2008-3.jpg 白の闇 2001.jpg 白の闇 2020.jpg 
白の闇 新装版』['01年]『白の闇』['08年]『白の闇 (河出文庫)』['20年]

目が見えなくなることで見えてくるものがあるならば、今は我々は何を見ているのか。

 クルマを運転中の男が突然目の前が真っ白になり失明する。そこから、車泥棒、篤実な目医者、サングラスの娼婦の娘、子供、眼帯をした老人などへと、「ミルク色の海」が原因不明のまま次々と周囲に伝染していく。事態を重く見た政府は、感染患者らを、精神病院だった建物を収容所にしてそこへ隔離する。介助者のいない収容所の中で人々は秩序を失い、やがて汚辱の世界にまみれていく。しかし、そこにはたったひとりだけ目が見える女性が紛れ込んでいた―。

ジョゼ・サラマーゴ.jpg ポルトガルの作家(劇作家・ジャーナリストでもある)ジョゼ・サラマーゴ(1922-2010/87歳没)が1995年に発表した作品で(原題:Ensaio sobre a Cegueira)、サラマーゴは既に、その代表作『修道院回想録』('82年)、『リカルド・レイスの死の年』('84年)で数々の文学賞を受賞していましたが、本書はとりわけ世界各国で翻訳され、'98年にはポルトガル人として初のノーベル文学賞受賞者となっています。また、2002年にノルウェー・ブック・クラブが発表した「世界最高の文学100冊」(Bokkulubben World Library)では、一番古いものが『ギルガメシュ叙事詩』(紀元前18世紀~17世紀)で、最も最近のものがこの『白の闇』となっています。

 日本では、2001年に翻訳されて日本放送出版協会より刊行され、2008年には新装版も出ましたが、今回、河出文庫として刊行されました(英訳本を底本とし、原著を参照している)。本書における失明を引き起こす感染症が街中に蔓延していく状況は、まさに新型コロナウィルスによる感染が広まる2020年現在の状況に通じるところがあることからの文庫化と思われます。

 物語では人から人へと感染は広まり、目の見えない人は急増し、次々と収容所の建物に送られてきます。ベッドは足りず、食糧も足りなくなり、目が見えないのでトイレも一苦労で、至る場所が汚れていきます。さらには、あるグループが暴力で食糧を占拠し、他のグループに金目のものを要求、やがてその要求はエスカレートしていき、要求に従わなければ支配下に置かれた人間は餓死してしまう状況に―。

 閉鎖された空間で噴出する人間の醜さ・怖ろしさを描いた、ウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』などにも比される、ディストピア小説であると言えます。文体は独特で、会話にカギ括弧がなく、初めはやや当惑させられますが、内容の凄まじさに引き込まれ、ぐいぐい読み進むことができました。特殊な出来事を描いていて、登場人物の名前も出てこないというのはある種の寓話ともとれますが、表現がリアルな分、「現実世界の縮図」感もありました。

 希望がまったく無いかと言えばそうではなく、世の中の皆が目が見えなくなっていく状況の中、目医者の妻1人だけが目が見えていて(この目医者の妻が物語の中心人物になる)、最初に収容所に隔離された、自分の夫を含む6人を、陰に日向に支えていくサーバントリーダーのような役割を果たします。ある意味、人間の理性の部分を象徴するような存在です。
ブラインドネス (2008) 監督:フェルナンド・メイレレス 主演:ジュリアン・ムーア
ブラインドネス (2008).jpgブラインドネス1.jpg 2008年にはフェルナンド・メイレレス監督、ジュリアン・ムーア主演で映画化もされ(「ブブラインドネス (2008) 木村 伊勢谷.jpgラインドネス」('08年/日本・ブラジル・カナダ))、第61回カンヌ国際映画祭のオープニング作品でした。日本からも最初に感染する夫婦役で伊勢谷友介、木村佳乃が出演していますが、当時はノーベル賞作家の作品が原作とは知らす、単なるパニック映画だと思ってスルーしてしまいました。でも、少人数の"身内"とその他大勢の"外敵"という原作の構図は、サバイバル系のパニック映画の典型的パターンであり(「バイオハザード」('02年)や「アイ・アム・レジェンド」('07年)など感染者がゾンビ化する映画なども大体このパターン)、意外と映画化し易かったのではないかという気もします。

 作品テーマとしては、目が見えなくなることで見えてくるものがあり、それは人間のエゴの醜さであったりするものの、真の理性もそうしたものの対極として同じように浮き彫りになるということでしょうか。となると、目が見えているときは一体我々は何を見ているのかという、ある種皮肉のようなものも込められているかと思います(意識的・無意識的に見ないようにしている部分が多々あるように思う)。個人的解釈ですが、「白い闇」とは、今まさに人々が置かれている(しかし気づいてはいない)状況でもあると言えるかもしれません。

 原題の意味は「見えないことの試み」で、作者は2004年には81歳で本書の続編『見えることの試み』を、2005年に82歳で『中絶する死』を発表しており、『見えることの試み』では、伝染性の"白い失明病"が終焉した4年後の世界の政治と社会、集団と個人、束縛と自由を描き、『中絶する死』では、ある国でその国境の内側では、どんなに死にかけている人も死ななくなる、つまり死者がいなくなる事態が勃発するという世界を描いているとのこと、そう言えば、2017年のノーベル文学賞受賞者となったカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』('05年)も、SFの形を借りて、わかりやすいドラマのスタイルで「死」というテーマを扱っていたことを思い出しました(SFの形を借りるのはノーベル文学賞受賞者の一つの傾向か?)。

【2008年新装版/2020年文庫化[河出文庫]】

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若尾文子が役に嵌っている。タイトルが「解題」になっているような面もあるか。

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チラシ/「女は二度生まれる [DVD]」「女は二度生まれる 4K デジタル修復版 Blu-ray

女は二度生まれる 山村.jpg 九段の花街の芸者・小えん、本名友子(若尾文子)は、売春防止法が施行されて、肩身の狭い思いをしながらも特に芸も無いため、建築家の筒井(山村聡)に抱かれるなどして、適当に法をすり抜けながら客を取る日々を送っている。芸者仲間の桃千代(八潮悠子)が早女は二度生まれる 藤巻.jpg々見切りをつけ、銀座でバー勤めをすることになり一緒に誘われるが、小えんは誘いを断り九段に留まる。置屋の近所に住む学生・牧(藤巻潤)に仄かな恋心を抱きながらも、馴染み客の矢島(山茶花究)とは適当に遊びに興じたりしていたが、宴席で知り合った寿司職人・野崎(フランキー堺)に女は二度生まれる 山茶花 究.jpg対しては、自らデートに誘ったりして他の男とは一線を画していた。しかし、密告者により売春行為がバレて職女は二度生まれる フランキーges.jpgを追われた彼女は、桃千代のいる銀座のバーで本名の友子の名で働くことになる。店で筒井と再会し、妾となりアパートまで世話して貰うようになるが、筒井は独占欲が強く、友子を縛りつける。ある日、友子は、映画館で知り合った少年工・孝平(高見国一)と、遊びのつもりで関係を持つが、それが女は二度生まれる4.jpg筒井にバレてしまう。筒井に散々脅された友子は、二度と他の男と付き合わないと決め、その後は、筒井の希望通りに唄を習い始めたりと、平穏の日々となるが、その筒井が突然病に倒れ入院することに。それを機に友子は小えんに戻り、九段の花街に復帰しながら、本妻の隙を窺って筒女は二度生まれる8.jpg井を見舞うが、筒井が急逝すると筒井の妻(山岡久乃)が置屋に現れ、執拗な言い掛かりをつけてくる。その後、学生だった牧が就職し、その仕事上の接待としてお座敷を訪れ再会を遂げるが、牧が外国人客の接待を頼んだのを知って絶望する。街に彷徨い出た彼女はいつかの少年工に出会い、少年が山に行きたいのを知って、故郷へ行って見ようと思う。その途中、妻子ともに幸福そうな野崎にばったり出会う。彼女から金をもらって元気に山にでかける少年を見送り、自らは駅に独り佇む―。

女は二度生まれる スチール.jpg 1961(昭和36)年公開の川島雄三(1918-1963/享年45)監督作で、川島雄三はこれが大映での初監督作でした。原作は富田常雄の『小えん日記』('99年/講談社)で(そう言えば、川島監督の「とんかつ大将」('52年/松竹)も富田常雄の原作だった)、川島雄三が井手俊郎と共に脚色しています。

 川島雄三監督は当時42歳くらいで、若尾文子は1933年生まれなので28歳くらいでしょうか。川島監督は大映の重役陣を前に「とにかく、若尾クンをオンナにしてお目にかけます」と宣言したとのことですが、若尾文子が本能の赴くまま気のむくまま行動する天衣無縫の性格の小えんという役に嵌っていました。

 そんな楽天的な小えんも、いろいろあって、女の幸せとは何 女は二度生まれる 山村聰.jpgかを考えるようになります。まず、ある意味自分を縛っていた建築家のパトロン筒井の死と、その本妻から上から目線での言いがかりをつけられた事件(こうなると妾は本妻に対して弱い)。さらに、かつて想いを寄せたこともあった牧に、宴席で牧の学生時代の初恋相手として紹介されたと思いきや、接待客の外国人に枕営業をして欲しいと頼まれるという屈辱。小えんはそれを頑なに断り、九段の花街を出ていくことになりますが、それまでふわふわと生きていた彼女が、プライドに目覚めた瞬間とも言えます。

女は二度生まれる 松本電鉄島々駅.jpg いつかの少年工を誘い、かねてから行きたがっていた長野の上高地へ向かうと、その電車内で、偶然、信州のわさび屋の出戻り子持ち女性と一緒になったと聞いていた、あの寿司職人だった野崎を見かけてしまう...。結局、途中のバス乗り場で少年に金や腕時計等を渡して、実家に帰ると言って少年とも別れ一人になる友子でした(もう小えんではない)。

島々駅(松本電鉄上高地線終点駅。台風による土砂災害で1984年に廃止)

女は二度生まれる ド.jpg ラストはやや唐突に終わりますが、駅の待合所に一人座り電車を待つ彼女が、新しい人生を生きていこうという決意に目覚めたことが示唆されるような終わり方ともとれます。タイトルがまさにそのものですが、ただ、このタイトルがないと彼女の内心は慮りにくい面もあり、「女は二度生まれる」というタイトルが「解題」になっているような面もあるように思いました(「はじめは女として、二度目は、人間として」というキャッチまで付けられている)。

 小説でもこういうのありますが、これはこれでいいのではないでしょうか。ラストでぶった切るような終わり方で、すっきりしないという人もいるかと思うし、もしかしたら中には彼女の将来を悲観する人もいるかもしれません。でも、観た人それぞれが女は二度生まれる フランキー.jpg違った受け止め方をする映画っていうのも、それはそれで味があると言えるのではないでしょうか。若尾文子はリアルで存在感ある演技をしていたし、脇役ではフランキー堺が良かったです(寿司職人の野崎はわさび屋になっちゃったのかあ(笑))。前の年にデビューしたばかりの江波杏子も出ていました。

渋谷パンテオン(1961)
「女は二度生まれる」渋谷パンテオン.jpg

江波杏子
若尾文子映画祭 角川シネマ2.jpg女は二度生まれる 江波.jpg「女は二度生まれる」●制作年:1961年●監督:川島雄三●脚本:井手俊郎/川島雄三●撮影:村井博●音楽:池野成●原作:富田常雄「小えん日記」●時間:99分●出演:若尾文子/藤巻潤/山村聡/菅原通済(特別出演)/山茶花究/江波杏子/高野通子/潮万太郎/倉田マユミ/上田吉二郎/村田知栄子/八潮悠子/山内敬0女は二度生まれる.jpg子/仁木多鶴子/花井弘子/紺野ユカ/目黒幸子/村田扶実子/山岡久乃/穂高のり子/平井岐代子/耕田久鯉子/三保まりこ/中条静夫/村井千恵子/中田勉/竹里光子/山中和子/大山健二/酒井三郎/高見國一/フランキー堺(東宝)●公開:1961/07●配給:大映●最初に観た場所:角川シネマ有楽町(20-03-20)(評価:★★★★)
女は二度生まれる [DVD]
江波杏子 「女の賭場」('66年/大映)/「江戸川乱歩 美女シリーズ(第5話)/黒水仙の美女」('78年/テレ朝)
女の賭場2.jpg   5話)/黒水仙の美女 江波1.jpg 5話)/黒水仙の美女 江波2.jpg
江波杏子(1942-2018/76歳没)
江波杏子.jpg 江波杏子_5.jpg

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原作を新藤兼人がサスペンス時代劇風に。宮川一夫のカメラが映す肌が4Kで映えた。

刺青(1966).jpg刺青1966.jpg 刺青 4K デジタル修復版.jpg 刺青 若尾.jpg
「刺青」チラシ/「刺青 [DVD]」/「刺青 4K デジタル修復版 [Blu-ray]」若尾文子

刺青 satou1.jpg 質屋の娘・お艶(若尾文子)は、ある雪の夜、手代の新助(長谷川明男)と駈け落ちした。この二人を引き取ったのは、店に出入りする遊び人の権次夫婦(須賀不二男・藤原礼子)だった。優しい言葉で二人を迎え入れた夫婦だったが、権次は実は悪党で、お艶の親元へ現われ何かと小金を巻きあげた挙句に、お艶を芸者として売り飛ばし、新助を殺そうとしていた。そんなこととは知らないお艶と新助は、互いに求め合うまま狂おしい愛欲の日々を送っていた。しかし、そんなお艶の艶めかしい姿を、権次の下に出入りする刺青師の清吉(山本學)は焼けつくような眼差しで見ていた。ある雨の夜、権次は計画を実行に移し、殺し屋・三太(木村玄)を新助にさし向けるが、必死で抵抗した新助は、逆に三太を短刀で殺してしまう。同じ頃、土蔵に閉じこめられていたお艶は、清吉に麻薬をかがさ刺青 1966es.jpgれて気を失い、その白い肌に巨大な女郎蜘蛛の刺青を施される。やがて眠りから醒めたお艶は、刺青によって眠っていた妖しい血を呼び起こされたように瞳が熱を帯びて濡れていた。それからというものお艶は辰巳芸者・染吉と名を改め、次々と男を酔わせてくが、お艶を忘れ切れない新助は嫉妬に身を焦がし、お艶と関係を持った男を次々と殺害、遂にある晩、短刀を持ってお艶に迫る。だが新助にはお艶を殺せず、逆にお艶が新助を刺す。一部始終を垣間見ていた清吉は、遂に耐え切れず自らが彫った女郎蜘蛛を短刀で刺し、自らも命を絶つ―。

刺青 籾山書店.jpg 原作「刺青(しせい)」は、1910(明治43)年11月、同人誌の第二次『新思潮』に発表された谷崎潤一郎の短編小説で、作者本人が処女作だとしていたという作品です(単行本は、翌1911(明治44)年12月に籾山書店より刊行)。皮膚や足に対するフェティシズムと、それに溺れる男の性的倒錯など、その後の谷崎作品に共通するモチーフが見られます。

『刺青』[1911年/復刻版](刺青/少年/麒麟/幇間/秘密/象/信西)

刺青・秘密 (新潮文庫).jpg刺青・秘密 (新潮文庫)』[1966年](刺青/少年/幇間/秘密/異端者の悲しみ/二人の稚児/母を恋うる記)

 原作は文庫で十数ページしかなく、主人公の清吉が少女に刺青を施すことで宿願を果たし、「男と云う男は、みんなお前の肥料(こやし)になるのだ」という清吉の予言通り、少女がこれから多くの男を酔わせるであろう妖艶な女に変身したところで終わっています(少女は清吉に「お前さんは真先に私の肥料になったんだねえ」とも言っている)。この少女が刺青を施されたことで劇的な変化を遂げたところですぱっと終わっている、この終わり方が作品の印象を非常に強いものにしているように思います。

増村保造(1924-1986)/新藤兼人(1912‐2012/享年100)
刺青 若尾 映画祭.jpg増村保造.jpg新藤兼人2.png 一方、増村保造監督の映画「刺青(いれずみ)」は、「刺青」の他に同じ谷崎の短編小説「お艶殺し」も基にしていて、映画の方で展開されるサスペンス時代劇風のストーリーは、「お艶殺し」に拠るか、または脚本家としての新藤兼人(1912-2012)のオリジナルということになります。強いて言えば、谷崎の原作における刺青を施され魔性を覚醒された少女がその後どうなったかを、イメージを膨らませて描いた後日譚ともとれます。ただし、映画で、若尾文子演じるお艶が山本學演じる清吉に刺青を掘られるのは物語の中盤なので、10ページほどしかない谷崎の原作に、プロローグとエピローグの両方を足したという感じでしょうか。

 とは言え、そのプロローグとエピローグで大方を占めるので(黒澤明の「羅生門」が、芥川の「羅生門」を基にしているのは冒頭部分くらいで、あとはほとんど芥川の「藪の中」を基にしていたのを想起させる)、原作の「刺青」とは別物という見方もできます。となると、あとは、「お艶殺し」に拠った新藤兼人の脚本が、どれだけ谷崎の耽美主義的な世界を表現することが出来ているかということになりますが、ちょっとストーリー性があり過ぎて、テレビの時代劇ドラマみたいになった印象もなくもないです。それでも最後まで見せるのは、増村保造の演出と宮川一夫のカメラのお陰でしょうか。

 このパターンでいく場合、大概のケースでは原作の雰囲気をぶち壊してしまうものですが、原作を超えたとは言わないまでも、何とか持ちこたえたような気がします。実際、谷崎作品の映画化ということを考えず、若尾文子の映画という風に見れば、まずまずであったように思います。

角川シネマ有楽町200306_0216.jpg刺青 映画&文庫 2.JPG 角川シネマ有楽町での「若尾文子映画祭2020」で観ましたが、全41作品を上映する中で、この「刺青」の4K修復版が世界初上映されることが映画祭の最大の目玉であったようです。率直な感想として、映像のきめ細やかさは予想していた以上でした。宮川一夫のカメラが映す若尾文子の肌が4Kで映え、彼女が動くと背中の蜘蛛も妖しく蠢くという、映画祭の目玉として打ち出すだけのことはあるものでした。

「若尾文子映画祭」@角川シネマ有楽町(同館公式Twitterより)
「若尾文子映画祭」@角川シネマ有楽町.jpg刺青 1966 4.jpg「刺青(いれずみ)」●制作年:1966年●監督:増村保造●脚本:新藤兼人●撮影:宮川一夫●音楽:鏑木創●原作:谷崎潤一郎「刺青(しせい)」「お艶殺し」●時間:86分●出演:若尾文子/長谷川明男/山本學/佐藤慶/須賀不二男/内田朝雄/刺青_143716.jpg藤原礼子/毛利菊枝/南部彰三/木村玄/岩田正/藤川準/薮内武司/山岡鋭二郎/森内一夫/松田剛武/橘公子●公開:1966/01●配給:大映●最初に観た場所:角川シネマ有楽町(20-03-24)(評価:★★★☆)


2刺青810.jpg 刺青 satou1.jpg 佐藤慶

【1950年文庫化[新潮文庫(『刺青』)]/1969年文庫化[新潮文庫(『刺青・秘密』)]/2012年再文庫化[集英社文庫(『谷崎潤一郎フェティシズム小説集』)]/2021年再文庫化[文春文庫(『刺青 痴人の愛 麒麟 春琴抄―現代日本文学館』)]】

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バルタザールは何の象徴なのか。バルタザールにとって死は幸福だったと示唆しているのか。

バルタザールどこへ行く 1966.jpgバルタザールどこへ行くA.jpg バルタザールどこヘ行くtド.jpg
バルタザールどこへ行く HDマスター ロベール・ブレッソン [DVD]」チラシ
アンヌ・ヴィアゼムスキー

バルタザールどこヘ行くド.jpg ピレネーのある農場の息子ジャックと教師(フィリップ・アスラン)の娘マリーは、ある日一匹の生れたばかりのロバを拾って来て、バルタザールと名付けた。10年後、バルタザールは鍛冶屋の苦役に使われていたが、苦しさに耐えかねて逃げ出し、マリーのもとへ。久しぶりの再会に喜んだマリー(アンヌ・ヴィアゼムスキー)は、その日からバルタザールに夢中になる。これに嫉妬したパン屋の息子ジェラール(フランソワ・ラファルジュ)を長とする不良グループは、ことあるごとに、バルタザールに残酷な仕打ちを加える。その頃、マリーの父親と農場主との間に訴訟問題がもち上り、十年ぶりにジャック(ヴァルター・グリーン)が戻って来た。しかし、マリーの心は、ジャックから離れていた。訴訟はこじれ、バルタザールはジェラールの家へ譲渡された。バルタザールの身を案じて訪れて来たマリーは、ジェラールに誘惑される。その現場をバルタザールはじっとみつめていた。その日から、マリーは彼等の仲間に入り、バルタザールから遠のく。訴訟にマリーの父親は敗れるが、ジャックは問題の善処を約束、マリーに求婚した。心動かされたマリーは、すぐにジェラールたちに話をつけに行くが、仲間四人に暴行されてしまう―。

バルタザールどこヘ行くロード.jpg ロベール・ブレッソン監督の1966年作品で、第27回ベネチア国際映画祭審査員特別表彰(サン・ジョルジョ賞)をはじめ、フランス映画批評家協会賞(ジョルジュ・メリエス賞)などを多くの賞を受賞した作品です(日本公開前に「バルタザールが行きあたりばったり」という訳題で紹介された)。ブレッソンが長年映画化を望んだ本作は、聖なるロバ"バルタザール"をめぐる現代の寓話であり、ドストエフスキーの長編小説「白痴」の挿話から着想し(ドストエフスキーの長編は、しばしば本筋を"脱線"して長大な挿話が入ることが多いが、これもその1つか)、一匹のロバ"バルタザール"と少女マリーの数奇な運命を繊細に描いています。

 マリーの両親は誇り高さゆえに没落し、マリーは不良少年ジェラールに拐かされ悪徳の道に墜ちていき、そして、不良少年らに暴行されたマリーが村から消えて、彼女の父親は落胆のあまり死に、バルタザールは、ジェラールの密輸の手仕いをさせられた挙句、ピレネー山中で税関との銃撃戦に巻き込まれ斃れる―というように、人間の欲望と愚かさが横溢し、誰も幸せにならない(バルタザールを含め)、と言うより、不幸になることを運命づけられているような話でした。

バルタザールどこヘ行く3.jpg 最初は、ロバのバルタザールを巡ってのマリーの話かと思ましたが、最後はマリーもいなくなり、振り返ってみれば、バルタザールが主人公のような映画でした(演技をしない主人公であることが特殊だが)。では、マリーの母(ナタリー・ジョワイヨー)が「聖なるロバ」と呼ぶ(そう呼ぶのは彼女だけだが)バルタザールは何の象徴なのか。キリストの象徴というのは、比較的すんなり受け入れる人とそうでない人がいるかと思います(個人的にはその中間くらいなのだが)。

 ブレッソン監督の作品は、イングマール・ベルイマン、ジャン・リュック・ゴダール、アンドレイ・タルコフスキーといった錚々たる映画監督たちを魅了してきたことでも知られていますが、例えば、ベルイマンとゴダールの評価を見てみると、この作品の後に続く「少女ムシェット」('67年/仏)に対しては両監督とも高い評価であるのに対し、この「バルタザールどこへ行く」は、ゴダールは高く評価したのに対し、ベルイマンは「さっぱりわからん」と言ったとか。やはり、それくらいのクラスでも、バルタザールの象徴性のところで、合う合わないが出てくるのではないでしょうか(ブレッソンは、「説明をしない」ことで知られている監督と言ってもいい)。

バルタザールどこへ行く hi.jpg ラストの、羊たちに囲まれてバルタザールが息を引き取ろうとするシーンに、イエス・キリストの磔刑の場面を想起する人もいるようです。一方、悲惨な生涯が終わりを告げるのは、バルタザールにとって幸福だったと示唆しているような気もします。というのは、次作「少女ムシェット」がまさに、悲惨な人生を送る少女が、死によって自らの安寧を得ようとするような作品であるからです。ただ、そう捉えると、バルタザール=キリストというのは、ちょっと違ってくるようにも思います。

バルタザールどこヘ行くes.jpg ストーリー的には、バルタザールがパン屋や不良グループ、サーカス、老人など様々な人の手に渡る中で、その目を通して人間の欲望やエゴや浮彫りになるのが興味深いですが、バルタザールの飼い主の中では、不良のジェラールの仲間であるアルノルド(ジーン・クラウド・ギルバート)というのが一番エキセントリックでした。普段は大人しくバルタザールの面倒を見ていたのが、酒が入ると人が変わったかのように狂暴になり、堪らず逃げ出したバルタザールがサーカスに拾われたのを再度迎えに訪れ、また飼うことに。やがて遺産を相続して貧困から脱するも、不良グループにたかられた挙句、酔ったままバルタザールの背に乗り、転落死するという、ちょっとエミール・ゾラの小説に出てくる「破滅が運命づけられている」人物みたいでした。そう言えば、この俳優、「少女ムシェット」にも、密猟者の役で出ていました。

アンヌ・ヴィアゼムスキー&ゴダール.jpgアンヌ・ヴィアゼムスキー 中国女.jpg また、少女マリーを演じたアンヌ・ヴィアゼムスキー(1947-2017)は、この作品で女優としてデビューし、翌1967年、ジャン=リュック・ゴダールの「中国女」に主演、同年ゴダールと結婚するも、1979年に離婚しています。彼女には小説家や脚本家としての作品があり、フランスでは著書を原作にしばしば映画化される人気作家で、テレビ映画の監督もしています。でも、この映画の頃は18歳になったばかりで、"素"な美しさがロベール・ブレッソン監督のドキュメンタリー調の演出の中で映えているように思いました(ゴダールが惚れたのも無理ない?)

グッバイ・ゴダール!1.jpgグッバイ・ゴダール!.jpg 近年では、ヴィアゼムスキーの自伝的小説『彼女のひたむきな12カ月』の1年後が描かれた『それからの彼女』がミシェル・アザナヴィシウス監督により「グッバイ・ゴダール!」として映画化されていて、1960年代後半のパリを舞台に、映画監督ジャン=リュック・ゴダールとその当時の妻アンヌ・ヴィアゼムスキーの日々が描かれるコメディ映画とのこと。第70回カンヌ国際映画祭にて主要部門パルム・ドールに出品されたのち、フランスで2017年9月13日に公開されていますが、ヴィアゼムスキーは同年10月5日に満70歳で亡くなっています。

「グッバイ・ゴダール!」('17年/仏)ルイ・ガレル/ステイシー・マーティン

アンヌ・ヴィアゼムスキー in「バルタザールどこへ行く」('66年)/「中国女」('67年)
バルタザールどこヘ行くages.jpgアンヌ・ヴィアゼムスキー 中国女2.jpg「バルタザールどこへ行く」●原題:AU HASARD BALTHAZAR●制作年:1966年●制作国:フランス・スウェーデン ●監督・脚本:ロベール・ブレッソン●製作:マグ・ボダール●撮影:ギスラン・クロケ●音楽:フランツ・シューベルト/ジャン・ヴィーネ●時間:96分●出演アンヌ・ヴィアゼムスキー/フランソワ・ラファルジュ/フィリップ・アスラン/ナタリー・ジョワイヨー/ヴァルター・グリ1シネマカリテブレッソン.jpgーン/ジャン=クロード・ギルベール/ピエール・クロソフスキー●日本公開:1970/05●配給:ATG●最初に観た場所:新宿シネマカリテ(20-11-05)(評価:★★★★)●併映(同日上映):「少女ムシェット」(ロベール・ブレッソン)

新宿シネマカリテ(20.11.05)

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40年ぶりの劇場公開。テンポが良くて明るいのがベルモントらしい。「ルパン三世」や「コブラ」のルーツ的作品?
「警部」(ジョルジュ・ロートネル)1.jpg 「警部」(ジョルジュ・ロートネル)3.jpg 「警部」(ジョルジュ・ロートネル)2.jpg
ジャン=ポール・ベルモンドの警部 [DVD]
「警部」es.jpg 南仏マルセイユでは、警察官が暗黒街から賄賂を貰い、麻薬、恐喝、売春などの犯罪を黙認してたが、ある日モーテルで地元警察の警部が娼婦と一緒のところを殺された。背後に暗黒街の影がちらつく中、パリから一人の男がやって来る。彼の名は、スタニスラス・ボロウィッツ(ジャン=ポール・ベルモンド)、またの名をアントMarie Laforêt Flic ou Voyou.jpgニオ・セルッティ。その行状から一見悪党にも見え、警察に逮捕されたりもするが、実は別名"洗濯屋"と呼ばれる、自らの身分を隠して他の警察官を監督する警部だった。彼は早速、身分を隠して地下組織に潜り調査を開始、殺された警部の未亡人(マリー・ラフォレ)に接近し、彼女を通して事件の真相に迫るが、一方、警察内では暗黒街の組織と通じて彼を葬り去ろうとする計画が進んでいた―。

ジャン・ポール・ベルモンド傑作選.jpg '79年フランス公開作で、ミシェル・グリリアの原作を基に「さらば友よ」('68年)、「パリ警視J」('84年)のジャン・エルマンが脚色し、撮影は「死刑台のエレベーター」('58年)、「太陽がいっぱい」('60年)、「サムライ」('67年)のアンリ・ドカエ、音楽は「最後の晩餐」('72年)、「暗黒街のふたり」('73年)、「テス」('80年)のフィリップ・サルド、監督はベルモンドとはこの作品以降、「プロフェッショナル」('81年)、「ソフィー・マルソー/恋にくちづけ」('84年)など4本の作品でコンビを組む、アクション活劇を得意とするジョルジュ・ロートネル(1926-2013)です。

 このように、ある程度"面子"が揃っている割には、1980年11月にフランス映画際の1本として上映されただけで、その後も名画座で数回上映されたのみという不遇の作品で、その後'88年に「ジャン・ポール・ベルモンドの警視コマンドー」のタイトルでビデオ化されましたが(アーノルド・シュワルツェネッガー主演の「コマンドー」('85年/米)を意識した?)、やがて廃盤になり、'07年にやっと「ジャン=ポール・ベルモンドの警部」のタイトルでDVD化され、ただし、どういう訳かブルーレイ化されないまま今['20年]に至っています。それが今回、新宿武蔵野館での特集「ジャン=ポール・ベルモンド傑作選」でHDリマスター版による40年ぶりの劇場公開となりました。
     
「警部」ges.jpg 観ていてテンポがいいと思いました。ベルモント演じる男は、革ジャン・革ブーツで白いクラシックのスポーツカーをぶっ飛ばして登場するや、マリー・ラフォレ演じる警部の未亡人の家に乗り付け、車ごと窓をぶち破って侵入、自らセルッティと名乗り、カナダの刑務所から出所してきたばかりであり、殺されたのは妹だと自己紹介して金を請求する―どこの無法者かと思いきや実は刑事ということで、ただしこれは邦題がネタバレ気味でしょうか(原題は FLIC OU VOYOU(COP OR HOOD)、つまり「刑事か無法者か」)。
 
「警部」Flic-ou-voyou-de-Georges-Lautner-1979.jpg ただ、もう一つ大きなJulie-Jezequel-dans-Flic-ou-Voyou.jpgヤマがあって、ボロウィッツは二つの組織を対立させて自滅に追い込む黒澤明の「用心棒」みたな戦略をとるのですが、警察内部にも暗黒組織に通じた側にはボロウィッツを陥れようとする罠があって、ボロウィッツがどこまでそれに気が付いているかが分からず、観ていてはらはらさせられることです。一方で、ボロウィッツには娘(ジュリー・ジェゼケル)がいて、ホームドラマ的な親子問題も微妙に(時にユーモラスに)絡んで、さらに極力スタントマンを使わず体を張ってやっているアクションの部分にもユーモラスな場面があり、全体としてコメディ・アクション映画と言えるものになっています。

i「警部」ages.jpg この明るさが、アラン・ドロンのギャング映画などとは大きく異なる点で、フランスではアラン・ドロンより人気があるということですが、日本でも、ボロウィッツの人物造型はモンキー・パンチの「ルパン三世」や寺沢武一の「コブラ」に影響を与えたと言われてます(ただし、「ルパン三世」の雑誌連載そのものは'67年にスタートしているので、実際に「ルパン三世」に影響を与えたかどうかとなると「?(クエスチョン)」)。「ルパン三世」「コブラ」のルーツと言われながら、その割にはあまり注目されてこなかったようにも思いますが、相まみえてみると意外と楽しめた作品でした。
     
IMG_20201112_183719.jpgIMG_20201112_183526.jpg「警部(ジャン=ポール・ベルモンドの警部)」●原題:FLIC OU VOYOU(COP OR HOOD)●制作年:1978年●制作国:フランス●監督:ジョルジュ・ロートネル●製作:アラン・ポワレ●脚本:ジャン・エルマン/ミシェル・オーディアール●撮影:アンリ・ドカ●音楽:フィリップ・サルド●原案:ミシェル・グリリア●時間:108分●出演:ジャン=ポール・ベルモンド/マリー・ラフォレ/ジョルジュ・ジェレ/ジャン=フランソワ・バルメ/クロード・ブロッセ/トニー・ケンドール/ミシェル・ボーヌ/カトリーヌ・ラシェン/ジュリー・ジェゼケル●日本公開:1980/11●配給:エデン●最初に観た場所:新宿武蔵野館(20-11-12)(評価:★★★☆)

新宿武蔵野館(2020.11.12)

ジャン=ポール・ベルモンド傑作選Blu-ray BOX Iハードアクション編.jpgジャン=ポール・ベルモンド傑作選Blu-ray BOX Iハードアクション編<初回限定版>」(2021)

「恐怖に襲われた街」(1975/仏) 原題:PEUR SUR LA VILLE
「危険を買う男」(1976年/仏) 原題:L'ALPAGUEUR
「警部」(1978年/仏) 原題:FLIC OU VOYOU
「プロフェッショナル」(1981年/仏) 原題:LE PROFESSIONNEL

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45年ぶりの劇場公開。CGを使わない分、昔のアクション映画の方がスリルがあったことの証左のような映画。

恐怖に襲われた街.jpg【ビデオ】 恐怖に襲われた街.jpg恐怖に襲われた街1.jpg
【ビデオ】 恐怖に襲われた街 (VHS)

 パリの高級マンションに住むノラ・エルメール(レア・マッサリ)が17階の自分の部屋の窓から飛び降りて死んだ。死の直前に、何者かに脅迫されていると警察に訴え出た直後だった。パリ警察きっての腕利き警部ルテリエ(ジャン=ポール・ベルモンド)が捜恐怖に襲われた街 kangosi.jpg査にあたることになったが、ミノスと名乗る謎の男から彼に電話がかかってくる。事件の犯人だと話すミノスは、連続殺人を予告してくるのだった。そして、次には、多くの男との情事を重ねていた女性が犠牲となる。パリの街が恐怖に包まれる中、ルテリエは次の標的である看護師のエレーヌ(カトリーヌ・モラン)の警護にあたるが、エレーヌもミノスの罠にはまり殺されてしまう。彼女の死によって意外な犯人の正体が明らかになるのだが、ルテリエは次の犠牲者がポルノ女優のパメラ・スイートであることを突きとめると、彼女の自宅であるマンションへと向かう。だが、すでに到着していたミノスは、パメラを人質に取った上に部屋に爆弾を仕掛けていた―。

IMG_20201203_164015.jpg 「地下室のメロディー」('63年)「シシリアン」('69年)のアンリ・ヴェルヌイユ監督の1975年公開作で、「ジャン=ポール・ベルモンドの恐怖に襲われた街」との邦題が使われることもあるポリス・アクション映画。アンリ・ヴェルヌイユとベルモンドのタッグで、音楽もエンニオ・モリコーネという作品ですが、ストーリーがやや凡庸なせいか、公開当時あまり話題にならなかったようです。一応、ビデオ化されましたが、その後ソフト化されることもなく('21年に初DVD化)、それが今回、新宿武蔵野館での特集「ジャン=ポール・ベルモンド傑作選」でHDリマスター版による45年ぶりの劇場公開となりました。

新宿武蔵野館(2020.12.3)
    
恐怖に襲われた街2.jpg 見所はストーリーではなくアクションでした。ジャン=ポール・ベルモンドはノー・スタントでスレート屋根を跳び、列車の屋根を走ってトンネルでは身を伏せ、最後はヘリにワイヤーでぶら下がってビルの25階の窓を破って突入します。この映画が、後のジャッキー・チェンやスティーブ・マックイーン、チャック・ノリスなど、多くのアクションスターに影響を与えたというのも頷けます。

 スティーヴ・マックイーンも「ハンター」('80年/米)でシカゴの地下鉄の屋根に上っています。デパートの中へ逃げ込んだ犯人を追うシーンは、ジャッキー・チェンの「ポリス・ストーリー/香港国際警察」('85年/香港)にもありました。高層ビルにロープ一本で突っ込むシーンは「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」('11年/米)にもあったので、それをスタントを使わずにやったトム・クルーズも、この映画でアクションに体を張るベルモンドの影響を受けているのかもしれません。

「恋愛日記」トリュフォー.jpg恐怖に襲われた街 aibo.jpg ルテリエの相棒のモアサック刑事に扮するシャルル・デネは、ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」('57年)では、リノ・ヴァ死刑台のエレベーター9.jpgンチュラ演じる警部の相方の警部補で、リノ・ヴァンチュラと交互にモーリス・ロネを尋問していました。主演作「恋愛日記」('77年/仏)など、フランソワ・トリュフォー監督の作品にもよく出ていた性格俳優です。この作品では"筋肉"で事件を解決することをモットーとするルテリエに比べれば特に見せ場は無いものの、抑制の効いた味のある演技を見せています。

恐怖に襲われた街 lea.jpgL_avventura_(1959)_Antonioni.jpg また、冒頭でネグリジェ姿で登場し最初に死んでしまう女性ノラ・エルメール役のレア・マッサリは、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「情事」('60年/伊)で、物語の序盤で行け不明になる娘アンナ役を演じていました。この作品の15年前ですが、そう言えば、当時からちょっとキツイ感じだったかも。 

恐怖に襲われた街 ja.jpg恐怖に襲われた街  han.jpg こうした役者陣も含め、個々の見所はありますが、犯人が結構しょぼい割には、ルテリエが警護しててもカトリーヌ・モラン演じる看護師のエレーヌを守れなかったりするので、やはりストーリー面で弱いでしょうか(まあ、「007シリーズ」だって、ジェームズ・ボンドはいっぱい女性を死なせてしまっているが)。結局、この作品の一番の見所はジャン=ポール・Henri Verneuil explique à Jean-Paul Belmondo.jpgean-Paul Belmondo se tient prêt pour une cascade.jpgベルモンドのアクション―ということに行き着きます。「CGなどを使わない分、昔のアクション映画の方がスリルがあった」ということの証左のような映画でした。
     

Henri Verneuil explique à Jean-Paul Belmondo


「ベルモンド傑作選」.jpg0070恐怖に襲われた街.jpg「恐怖に襲われた街(ジャン=ポール・ベルモンドの恐怖に襲われた街)」●原題:PEUR SUR LA VILLE(英:FEAR OVER THE CITY)●制作年:1975年●制作国:フランス・イタリア●監督・脚本:アンリ・ヴェルヌイユ●製作:ジャン=ポール・ベルモンド/アンリ・ヴェルヌイユ●撮影:シャルル=アンリ・モンテル●音楽:フエンニオ・モリコーネ●時間:126分●出演:ジャン=ポール・ベルモンド/シャルル・デネ/レア・マッセリ/アダルベルト・マリア・メルリ/ジョヴァンニ・チャンフリーリア/ジャン・マルタン/カトリーヌ・モラン●日本公開:1975/07●配給:コロムビア●最初に観た場所:新宿武蔵野館(20-12-03)(評価:★★★☆)


ジャン=ポール・ベルモンド傑作選Blu-ray BOX Iハードアクション編.jpgジャン=ポール・ベルモンド傑作選Blu-ray BOX Iハードアクション編<初回限定版>」(2021)

「恐怖に襲われた街」(1975年/仏) 原題:PEUR SUR LA VILLE
「危険を買う男」(1976年/仏) 原題:L'ALPAGUEUR
「警部」(1978年/仏) 原題:FLIC OU VOYOU
「プロフェッショナル」(1981年/仏) 原題:LE PROFESSIONNEL

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三島の演技は言われているほどに酷いものでもない。演技を見られるだけも貴重。

からっ風野郎450.jpgからっ風野郎 dvd.jpgからっ風野郎 若尾2.jpg
からっ風野郎 [DVD]」若尾文子/三島由紀夫
からっ風野郎』 mishima.jpg 刑務所内の庭での111番の出所祝いのバレーボール大会の最中、試合に熱中している111番囚人・朝比奈武夫(三島由紀夫)に面会の知らせがあり、別の囚人が代わりに武夫の上着を着て面会に行く。面会の男は名札を確かめ拳銃を発砲、彼は別人を殺したのだ。朝比奈一家二代目の武夫は、何とからっ風野郎 水谷.jpgか予定どおり出所。殺し屋を仕向けたのは一家と反目する新興ヤクザ・相良商事の社長・相良雄作(根上淳)で、武夫が服役したのも、父の仇で相良の脚を刺したためであり、後遺症を負った相良は武夫を恨んでいる。武夫は、情婦のキャバレー歌手・昌子(水谷良重)と映画館の2階の部屋で落ち合い、抱き終わると彼女と手を切る。命を狙われている武夫に女はお荷物だからだ。映画館は朝からっ風野郎』 wakao.jpg比奈一家が支配人で、2階は武夫の隠れ家だった。映画館には武夫が初めて見るもぎりの女・小泉芳江(若尾文子)がいて、武夫は芳江から「親分なのにちっとも怖くない」と言われる。ある日、芳江は町工場に勤める兄・正一(川崎敬三)に弁当を届けに行ってスト騒動に巻き込まれる。武夫は叔父・吾からっ風野郎 志村 .jpg平(志村喬)から相良を殺して来いと拳銃を渡され、大親分・雲取大三郎(山本禮三郎)から法事の招待が両者にあり、その機会が訪れる。ところが当日相良は来ず、武夫は帰り際に、殺し屋ゼンソクの政(神山繁)の銃弾に見舞われる。しかし、政がゼンソク発作を起し、武夫は左腕を射たれただけで済む。映画館を解雇されていた芳江は、再び雇うよう頼むが、武夫が断ると居場所をバラすと脅す。怒った武夫は芳江を手籠めにし、「こうなったのもお前が好きだったからさ」と言って、それから2人は付き合うように。ある日、二人が遊園地から出たとき、武夫は相良の幼い娘を偶然見つけ誘拐、相良らが製薬会社から金をゆすろうと入手した、治験で死者が出た新薬をよこせと相良に要求する。しかし取引場所の東京駅八重洲口からっ風野郎 ラス前.jpg構内に雲取が仲介で登場し、儲けは折半し手打ちにしろと命ずる。両者は一旦収めるが、相良は雲取に更に半分仲介料を取られることに。芳江は妊娠し、武夫は、命を狙われている自分に赤子がいると面倒だから堕ろせと言うが芳江はきかない。産婦人科に連れて行くが抵抗され、帰途に昌子と鉢合わせする。芳江との事を昌子が相良に密告すると察した武夫は、芳江を隠れ家に匿う。芳江に根負けした武夫は、彼女と世帯を持つ決意をする。そんな折、相良が芳江の兄を監禁して、朝比奈一家が取引で得た金からっ風野郎 神山.jpgで始めたトルコ風呂の権利を要求してくる。芳江の身を案じた武夫は、九州の芳江の田舎へ身を隠すよう言う。武夫は舎弟で親友の愛川(船越英二)にトルコ風呂の権利をくれと相談、愛川が断ると相良商事に単身乗り込もうとするため、愛川は権利書を相良に渡し芳江の兄を救う。愛川の勧めで彼と一緒に大阪で堅気になると決めた武夫は、出産で里帰りする芳江を東京駅まで見送りに。発車直前に、生まれてくる赤ん坊の産着を買いに、構内のデパートに走るが、待ち伏せしていたゼンソクの政に拳銃を突き付けられる―。

からっ風野郎 1960.jpgからっ風野郎 ラスト.jpg 1960公開の増村保造監督作。三島由紀夫が、ヤクザの跡取りながらどこか弱さや優しさを持ったしがない男を演じていますが、この作品で華々しく映画デビューしたものの、その大根役者ぶりを酷評され、興行的にはヒットしたようですが、三島自身は「俳優はもうゴメン」と言ったとか。

 もともと、『鏡子の家』を映画化する予定だったのが、三島主演の映画を作ろうという話が持ち上がってそちらを優先することになり(結局『鏡子の家』の映画化話は流れた)、それは、競馬騎手が主人公の「凄い名馬に乗る騎手が八百長やる話」で、三島も乗り気だったのが、当の映画製作会社・大映の永田雅一社長が中央競馬会の馬主会会長をしていて、「中央競馬が八百長だって、そんなの絶対できない!」と怒ってボツになり、そこでかつて菊島隆三が石原裕次郎を想定して書いたものの、ラストで主人公が死ぬのが裕次郎の「からっ風野郎」ges.jpgイメージに合わないとしてお蔵入りしていた脚本が再発掘されたとのこと。オリジナルは、凄く強いヤクザの二代目が最後に殺し屋に殺されてしまうというもので、三島はそれを読んで惚れ込んだものの、増村監督はその役柄を不器用な三島の演技に合わせ、「二代目だが気が弱く、腕力がなくて、組の存続も危ぶまれる、気がいい男」という性格に変えています。このように紆余曲折あったわけですが、三島自身は、そのように改変されたことで、「はじめてなんとか見られるやうになつた」(三島由紀夫「映画俳優オブジェ論」)という認識だったようです。

 撮影現場での増村保造監督(増村は三島と東大法学部で同級生だったが、会うのは15年ぶりだった)の三島に対する演出は苛烈を極め、殆どパワハラに近いものがあり、若尾文子などは見ていてはらはらしたそうですが、その甲斐あってか、三島の演技は言われているほどに酷いものでもないと思いました。演技のド素人が、いきなり志村喬や船越英二といった演技達者を相手にここまでやれれば、大したものと言ってもいいのではないでしょうか。この映画の三島が"大根"ならば、「幕末太陽傳」('57年)の石原裕次郎だって、三島と同じ程度に"大根"ではなかったかなあ。

「からっ風野郎」.jpg もともと脚本がB級っぽくて(純愛ヤクザ物語?)、映画としての個人的評価は△ですが、三島の熱演のせいで△にするには忍びなく(?)、また、三島由紀夫が出ずっぱりであり、ノーベル文学書候補にもなった大作家がスクリーンを動き回っているのを最初(冒頭のバレーボールシーンですぐに、いま跳ねたの三島だ!と分かった)から最後まで見られるだけでも貴重という見方をすれば、○にしておいていいのではと思った次第です。三島由紀夫が好きな人は必見です。

「からっ風野郎」ンロード.jpg 主人公の武夫が公園で相良の幼い娘を誘拐しようとするシーンで、武夫が子どもにウィンクするのですが、三島はウィンクをしようとすると両目を閉じてしまい、どうしてもウィンクができず、何度もリテイクになったそうです。三島自身は、自分は「何かの病気だろう」と思ったようですが、緊張していたかというと、それは否定しています。ただ、普通に考えればやはり緊張していたのだろうなあ(その前に美輪明宏の舞台に兵士たちの1人の役で出たときも、緊張のあまり「回れ右」の号令に1人だけ「回れ左」をしたというから)。結果、出来上がりはこわばった感じのウィンクになり、それが映画における状況設定や主人公の性格とマッチしているという、こうした偶然の妙もあったかと思います。

「からっ風野郎」680.jpgからっ風野郎 ラスト2 (1).jpg ラストの武夫がエスカレーターに倒れ込むシーンで、殺し屋役の神山繁が、「三島さんね、もっとパーンと派手に倒れなきゃ駄目だよ」と助言したのを素直に聞き入るあまり、本当に思いっきり倒れて足を踏み外してしまい、右後頭部をエスカレーターの段の角に強打し大ケガをし、虎の門病院に救急搬送されたというエピソードは有名です。ロケは西銀座デパートで行われましたが、自分がこの作品を劇場で初めて観たのが有楽町だったので、60年前、ここから歩いて5分もかからないところで、三島は後頭部を打って脳震盪を起こしたのだなあと思ったりしました。

 増村保造監督に言わせれば、「監督を引受けたからには、同級生の三島が世間から笑われないような芝居にしなければ駄目だと」という気持ちだったとのことですが(東大同級生として同じインテリ同士のライバル意識があったのだろうという人もいる)、この映画では、本人がたいへんな目に遭った割には批評家が結構厳しい評価をしたため、先述の通り、三島自身も暫くはもう映画は懲り懲りといった気持ちだったようです。ただ、後に五社英雄監督の「人斬り」('69年)に出てその演技が評価されたのは、この「からっ風野郎」での経験があってのことだと思うし、その前に「憂国」('66年)を監督し、主演もしているのも、映画というものがどういうものか要領が掴めたからであって、三島やはり、後々にこの映画出演の経験を活かしたように思います。

からっ風野郎 200306_0216.JPGからっ風野郎』.jpgからっ風野郎 若尾.jpg「からっ風野郎」●制作年:1960年●監督:増村保造●製作:永田雅一●脚本:菊島隆三/安藤日出男●撮影:村井博●音楽:塚原哲夫●時間:96分●出演:三島由紀夫/若尾文子/船越英二/志村喬/川崎敬三/小野道子/水谷良重/根上淳/山本禮三郎/神山繁/浜村純/三津田健/潮万太郎/倉田マユミ/小山内淳/守田学●公開:1960/03●配給:大映●最初に観た場所:角川シネマ有楽町(20-03-06)(評価:★★★☆)

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「雁」の位置づけが原作と違った。原作に現代的な解釈を織り込んだのではないか。

vhs 雁1.jpg雁 (1953) [DVD].jpg「雁」('53年/大映)高峰秀子.jpg
日本映画傑作全集 「雁」[VHS]」「雁 (1953) [DVD]

 下谷練塀町の裏長屋に住む善吉(田中栄三)、お玉(高峰秀子)の親娘は、子供相手の飴細工を売って、侘しく暮らしていた。お玉は妻子ある男とも知らず一緒になり、騙された過去があった。今度は呉服商だという末造(東野英治郎)の世話を受けるvhs 雁2.jpgことになったが、それは嘘で末造は大学の小使いから成り上った高利貸しでお常(浦辺粂子)という世話女房もいる男だった。お玉は大学裏の無縁坂の小さな妾宅に囲われた。末造に欺か雁 1953 東野.jpgれたことを知って口惜しく思ったが、ようやく平穏な日々にありついた父親の姿をみると、せっかくの決心も揺らいだ。その頃、毎日無緑坂を散歩する医科大学生達がいた。偶然その中の一人・岡田(芥川比呂志)を知ったお玉は、いつ豊田四郎 「雁」芥川.jpgか激しい思慕の情を募らせていった。末造が留守をした冬の或る日、お玉は今日こそ岡田に言葉をかけようと決心をしたが、岡田は試験にパスしてドイツへ留学する事になり、丁度その日送別会が催される事になっていた。お玉は岡田の友人・木村(宇野重吉)に知らされて駈けつけたが、岡田に会う事が出来なかった。それとなく感ずいた末造はお玉に厭味を浴びせた。お玉は黙って家を出た。不忍の池の畔でもの思いにたたずむお玉の傍を、馬車の音が近づいてきて、その中に岡田の顔が一瞬見えたかと思うと風のよう通り過ぎて行った―。

「雁」1953.jpg 森鷗外の「」を原作とする1953年の豊田四郎監督作で、高峰秀子、芥川比呂志主演。豊田四郎監督の永井荷風原作「濹東綺譚」('60年)も山本富士子の相手役は芥川比呂志でした。豊田四郎監督は、この2作品の間に、有島武郎原作の「或る女」('54年)、織田作之助原作の「夫婦善哉」('55年)、谷崎潤一郎原作の「猫と庄造と二人のをんな」('56年)、川端康成原作の「雪国」('57年)、井伏鱒二原作の「駅前旅館」('58年)、志賀直哉原作の「暗夜行路」('59年)など毎年精力的に文芸作品を撮っています。また、この「雁」は、池広一夫監督、若尾文子、山本學主演で1966年にも映画化されています。

雁 高峰秀子.jpg 原作は、「僕」が35年前の出来事を振り返る形になっていて、原作の「僕」は映画での岡田の友人・木村に該当しますが、原作には木村という名は出てきません(因みに若尾文子版でも木村になっている)。また、原作でのお玉の年齢は数えで19歳くらいのようですが、それを実年齢で当時29歳の高峰秀子が演じています(ただし、若尾文子が演じた時は32歳だった)。芥川比呂志もこの時33歳だったので、学生というにはやや年齢が行き過ぎている印象も受けます。

雁 1953 1.gif 物語は、原作が主に「(物語の語り手でもある)僕」の視点から展開されるのに対し、映画は高峰秀子が演じるお玉の視点からの展開が中心であり、特に前半は9割以上がそうであって、お玉が善吉にほとんど騙されるような形でその"囲い者"になり、周囲の差別と偏見の下、肩身の狭い思いで暮らす様が丁寧に描かれています。お玉が芥川比呂志演じる岡田と知り合う契機となる「蛇事件」は真ん中ぐらいでしょうか。そこからお玉が岡田への想いを募らせていくのは原作と同じです。

 原作との大きな間違いは、宇野重吉演じる原作の「僕」こと木村が、原作では岡田とお玉が相識であったことを当時知らなかったことになっているのに、映画ではそれを知っていて、岡田の恋愛アドバイザー的な立場にいることで(岡田が医学生であるのに対し、木村は文系の学生ということになっているが、演じる宇野重吉が当時39歳くらいなので、相当老けた学生に見える(笑))、ただし、木村の岡田への助言は、「二人は住む世界が違いすぎる」といった現実的なものとなっています。一方で、岡田の送別会の夜、夜道でお玉と出会った木村は、岡田がもうすぐ来るので一緒に岡田を待ちますか、とお玉を誘う優しさを見せます。

 しかし、お玉は一緒に岡田を見送りましようと言う木村には応じず、遠くからその出発を見届けるにとどまります。ラストシーンで、岡田が去った後一人佇むお玉の脇で、池から一羽の鴈が飛び立ちますが、これは去っていく岡田を象徴しているようにも思えますが、原作では雁は、岡田が逃がそうと思って投げた石に当たって死ぬことからお玉の悲運を象徴しているともとれるものとなっています。そうなると、映画における雁は、将来におけるお玉の転身を象徴しているようにも思えます。

豊田四郎 「雁」 takamine.jpg豊田四郎 「雁」es.jpg 個人的には、原作を読んだ時、正直あまりに古風な話だなあと思ったりもしましたが、豊田四郎監督は映画において、高峰秀子という女優の意志的なキャラクターをベースに、現代的な解釈を織り込んだのではないかという気がしています。原作に手を加えてダメにしてしまう監督は多いですが、本作は、原作の情緒風情、主人公の切ない思いなどを生かしたうえでの改変であり、これはこれで悪くなかったように思います。

vhs 雁 阿部一族.jpg豊田四郎「雁」1953.jpg「雁」●制作年:1953年●監督:豊田四郎●企画:平尾郁次/黒岩健而●脚本:成澤昌茂●撮影:三浦光雄●音楽:團伊玖磨●原作:森鷗外「雁」●時間:87分●出演:高峰秀子/田中栄三/小田切みき/浜路真千子/東野英治郎/浦辺粂子/芥川比呂志/宇野重吉/三宅邦子/飯田蝶子/山田禅二/直木彰/宮田悦子/若水葉子●公開:1953/09●配給:大映(評価:★★★☆)

高峰秀子/飯田蝶子

高峰秀子を演出する豊田四郎監督
「雁」1953年.jpg

成沢昌茂.jpg成澤昌茂(1925-2021/96歳没)作品
《監督作品》
1962年 「裸体」(永井荷風原作) にんじんくらぶ・松竹
1966年 「四畳半物語 娼婦しの」(永井荷風原作)三田佳子 露口茂 田村高広 東映
1967年 「花札渡世」(脚本)東映
1969年 「妾二十一人 ど助平一代」(小幡欣治原作)三木のり平 佐久間良子 森光子 中村玉緒 東映
1968年 「雪夫人絵図」(舟橋聖一原作)佐久間良子 山形勲 浜木綿子 丹波哲郎 東映

《脚本作品》
1949年 「恋狼火」(洲多競監督) 新演伎座
1950年 「東海道は兇状旅」(久松静児監督、秘田余四郎原作) 大映
1950年 「午前零時の出獄」(小石栄一監督、島田一男原作) 大映
1950年 「ごろつき船」(菊島隆三と共同)森一生監督、大仏次郎原作 大河内伝次郎  大映
1951年 「宮城広場」(久松静児監督、川口松太郎原作)森雅之 大映
1951年 「牝犬」 (木村恵吾監督)京マチ子 大映
1951年 「飛騨の小天狗」(小石栄一監督) 大映
1951年 「馬喰一代」(中山正男原作、木村恵吾監督)三船敏郎、京マチ子 大映
1952年 「浅草紅団」(川端康成原作、久松静児監督)京マチ子 乙羽信子 根上淳  大映
1952年 「丹下左膳」(林不忘原作、松田定次監督)阪東妻三郎 淡島千景 松竹
1952年 「港へ来た男」(梶野悳三原作、本多猪四郎監督)三船敏郎  東宝
1953年 「南十字星は偽らず」(山崎アイン原作、田中重雄監督)高峰三枝子  新東宝
1953年 「雁」(森鷗外原作、豊田四郎監督)高峰秀子、芥川比呂志  大映
1953年 「浅草物語」(川端康成原作、島耕二監督)山本富士子  大映
1954年 「第二の接吻」(菊池寛原作、清水宏・長谷部慶治監督) 滝村プロ
1954年 「鼠小僧色ざんげ」 月夜桜(山岡荘八原作、冬島泰三監督)坂東鶴之助(中村富十郎) 新東宝
1954年 「伝七捕物帳人肌千両(野村胡堂 城昌幸 佐々木杜太郎 陣出達朗 土師清二原作、松田定次監督)高田浩吉 松竹
1954年 「花のいのちを」(菊田一夫原作、田中重雄監督)菅原謙二 大映
1954年 「噂の女」(依田義賢と共同)溝口監督 田中絹代、大谷友右衛門(中村雀右衛門) 大映
1955年 「明治一代女」(川口松太郎原作、伊藤大輔監督)木暮実千代  新東宝
1955年 「花のゆくえ」(阿木翁助原作、森永健次郎監督)津島恵子 日活
1955年 「新・平家物語」(依田と共同、溝口監督)大映
1955年 「若き日の千葉周作」(山岡荘八原作、酒井辰雄監督)中村賀津雄  松竹
1956年 「新平家物語 義仲をめぐる三人の女」(衣笠貞之助監督)長谷川一夫、京マチ子  大映
1956年 「赤線地帯」 溝口監督 大映
1956年 「惚れるな弥ン八」(棟田博原作、村山三男監督)菅原謙二 大映
1956年 「あこがれの練習船」(野村浩将監督)川口浩 大映
1957年 「いとはん物語」(北条秀司原作、伊藤大輔監督)京マチ子 大映
1958年 「風と女と旅鴉」(加藤泰監督)中村錦之助  東映
1959年 「美男城」(柴田錬三郎原作、佐々木康監督)中村錦之助 東映
1959年 「手さぐりの青春」(壺井栄原作、川頭義郎監督)鰐淵晴子 松竹
1959年 「浪花の恋の物語」(近松門左衛門原作、内田吐夢監督)中村錦之助 有馬稲子 東映
1959年 「火の壁」(船山馨原作、岩間鶴夫監督)高千穂ひづる 松竹
1960年 「親鸞」(吉川英治原作、田坂具隆監督)中村錦之助 東映
1960年 「つばくろ道中」(河野寿一監督)中村賀津雄 東映
1960年 「狐剣は折れず 月影一刀流」(柴田錬三郎原作、佐々木康監督)鶴田浩二  東映
1961年 「宮本武蔵」(吉川英治原作、内田吐夢監督)中村錦之助 東映
1961年 「母と娘」(小糸のぶ原作、川頭義郎監督)鰐淵晴子 松竹
1961年 「江戸っ子繁昌記」(マキノ雅弘監督)中村錦之助 東映
1961年 「はだかっ子」(近藤健原作、田坂監督)有馬稲子 ニュー東映
1961年 「小さな花の物語」(壺井栄原作、川頭義郎監督) 松竹
1962年 「お吟さま」(今東光原作、田中絹代監督)有馬稲子、仲代達矢 にんじんくらぶ
1963年 「虹をつかむ踊子」(原作)田畠恒男監督 松竹
1963年 「関の弥太ッぺ」(長谷川伸原作、山下耕作監督) 東映
1964年 「おんなの渦と淵と流れ」(榛葉英治原作、中平康監督)仲谷昇 日活
1965年 「ひも」(関川秀雄監督)梅宮辰夫、緑魔子 東映
1965年 「いろ」(村山新治監督)梅宮、緑魔子 東映
1965年 「赤い谷間の決斗」(関川周原作、舛田利雄監督)石原裕次郎 日活
1966年 「雁」(森鴎外原作、池広一夫監督)若尾文子、山本學 大映
1967年 「シンガポールの夜は更けて」(原作、市川泰一監督)橋幸夫 松竹
1967年 「柳ヶ瀬ブルース」(村山新治監督)梅宮辰夫 東映東京
1968年 「怪談残酷物語」(柴田錬三郎原作、長谷和夫監督) 松竹
1968年 「黒蜥蜴」(江戸川乱歩原作、三島由紀夫劇化)丸山明宏、木村功 松竹
1968年 「夜の歌謡シリーズ 命かれても」 東映東京
1968年 「大奥絵巻」(山下耕作監督)佐久間良子、田村高廣 東映京都
1969年 「夜の歌謡シリーズ 港町ブルース」(鷹森立一監督) 東映東京
1969年 「夜の歌謡シリーズ 悪党ブルース」(鷹森立一監督)東映東京
1969年 「夜をひらく 女の市場」(江崎実生監督)小林旭 日活
1973年 「夜の歌謡シリーズ 女のみち」(山口和彦監督)東映東京
1973年 「夜の歌謡シリーズ なみだ恋」(斎藤武市監督)東映東京
1974年 「夜の演歌 しのび恋」(降旗康男監督) 東映東京

《テレビドラマ》
1962年「善魔」岸田國士原作 菅貫太郎、内藤武敏、瑳峨三智子
1964年「古都」NHK 川端康成原作 小林千登勢、中村鴈治郎(2代)、萬代峰子
1964年「若き日の信長」大仏次郎原作 市川猿之助(2代猿翁)、森雅之
1965年「香華」有吉佐和子原作 山田五十鈴
1967年「華岡青洲の妻」有吉佐和子原作 南田洋子、岡田英次、水谷八重子(初代)
1967年「残菊物語」村松梢風原作 市川門之助、柳永二郎、池内淳子
1968年「皇女和の宮」川口松太郎原作 佐久間良子、平幹二朗
1969年「一の糸」有吉佐和子原作 佐久間良子、佐藤慶
1970年「プレイガール」

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「リズム感とスピード感あふれる口語体」(坪内祐三)。実は相当なインテリ? 

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殿山泰司ベスト・エッセイ (ちくま文庫)』['18年](カバーデザイン・イラスト:南伸坊) 須川栄三監督「螢川」('87年)

 名脇役であり、ジャズとミステリーをこよなく愛し、趣味を綴った著書も多数残している殿山泰司(1915-1989/73歳没)ですが、そのエッセイ集『三文役者あなあきい伝』('74年/講談社)などは、講談社文庫に収められた後、絶版になっていました。こうした著者のエッセイ集を、その没後に掘り起こして再度文庫化しているのがちくま文庫で、そのラインナップは以下の通りです。

三文役者あなあきい伝1・2.jpg ・『三文役者あなあきい伝〈PART1〉』('95年1月/ちくま文庫)
 ・『三文役者あなあきい伝〈PART2〉』('95年1月/ちくま文庫)』
 ・『JAMJAM日記』('96年2月/ちくま文庫)
 ・『三文役者のニッポンひとり旅』('00年2月/ちくま文庫)
 ・『三文役者の無責任放言錄』('00年9月/ちくま文庫)
 ・『バカな役者め!!』('01年3月/ちくま文庫)
 ・『三文役者のニッポン日記』('01年3月/ちくま文庫)
 ・『三文役者の待ち時間』('03年3月/ちくま文庫)

 先に取り上げた坪内祐三(1958-2020)著『文庫本を狙え!』('16年/ちくま文庫)で『三文役者のニッポンひとり旅』が紹介されていましたが、殿山泰司の盟友だった新藤兼人(1912-2012)の著書『三文役者の死―正伝殿山泰司』('00年/岩波現代文庫)をもとに新藤兼人自身が監督した映画「三文役者」('00年/主演:竹中直人)が公開されることになったことを話題とする一方、ここでも、「殿山泰司復活の大きな力となっているのは、何といっても、ちくま文庫だ」としています。
『日本女地図』('2.jpg
『日本女地図』(1.jpg また、坪内祐三は、殿山泰司の作品の特徴は、「リズ『三文役者の無責任放言錄』.jpgム感とスピード感あふれる口語体」にあるとし、初期エッセイ『日本女地図』('69年/カッパ・ブックス)の角川文庫版('83年)で、糸井重里氏が「昭和軽薄体の父が嵐山光三郎であるならば、そのまぶたの父は殿山泰司である」と書いたことを紹介しています(そっか、糸井重里や椎名誠よりもずっと前の、言わば先駆者だったのだなあ)。

 復活してくれるのは有難いし、読んでいて面白いのですが、全部読むのはたいへんという人もいるかと配慮してくれた(?)のが本書ベストエッセイ集で、三部構成の1部は『三文役者のニッポン日「JAMJAM日記」.jpg三文役者の無責任放言録 (ちくま文庫).jpg記』、『三文役者あなあきい伝〈PART1・2〉』からの抜粋、第2部は『三文役者の無責任放言錄』、『三文役者のニッポン日記』、『JAMJAM日記』、『三文役者の待ち時間』、それと『殿山泰司のしゃべくり105日』('84年/講談社)からの抜粋、第3部がその他となっています。
三文役者の無責任放言録 (ちくま文庫)

 個人的には、自叙伝風に構成されている第1部が波乱万丈で特に面白く感じられましたが、銀座8丁目のおでん屋「お多幸」の息子だったのだなあと思い出しました(本人は役者になるため、家業は弟が継いだ)。小学校は愛のコリーダ 殿山.png泰明小学校かあ(公立校だが、何年か前にアルマーニを標準服にしたことで話題となった)。「お呼びがかかればどこへでも」をモットーに「三文役者」を自称し、大島渚監督の「愛のコリーダ」('76年/日・仏)で「フルチン」になったりしましたが、実生活では流行に敏感でお洒落であり、公私にわたりジーンズにサングラスがトレードマークだったようです。
大島 渚「愛のコリーダ」('76年)
新藤兼人「人間」('62年)
「人間」 殿山泰司山本圭.jpg 第1部の終わりの方にある、殿山泰司が出演した新藤兼人監督の「裸の島」('60年/主演:乙羽信子・殿山泰司)や野上弥生子原作の「人間」('62年/出演:乙羽信子・殿山泰司・山本圭・佐藤慶)など作品ごとの映画撮影時の裏話なども興味深かったですが(結構ハチャメチャな面のあったりする)、第2部に1977年から1980年までの日記の抜粋があり、撮影所に出向いて仕事したかと思えばジャズコンサートに行き、さらにミステリもたくさん読んで批評するなど、非常に密度の濃い時間を送っていることが窺えました。語り口とは裏腹に、相当インテリであるような印象を受けましたが、本人はそう見られることを極力避けていたのかもしれません。

黒澤 明「酔いどれ天使」('48年)/小津安二郎「お早よう」('59年)/小栗康平「泥の河」('81年)
酔いどれ天使Drunken-Angel-0.50.16.jpg小津 お早う 殿山.jpg泥の河 殿山泰司9.jpg 新藤兼人、大島渚のみならず、黒澤明、川島雄三、小津安二郎、野村芳太郎、今村昌平など多くの監督に愛されてその作品に起用され(小栗康平監督の「泥の河」('81年)に出演した時砂の器 殿山泰司.jpgのことも書かれていたなあ。舟の上から橋の上にいる子供にスイカを投げてやるオッさん役だった)、一方でこれだけエッセイ集を残しているわけで、充実した生き方であったのではないでしょうか。
野村芳太郎「砂の器」('74年)
  
田中小実昌・色川武大(阿佐田哲也)・殿山泰司
田中小実昌 色川武大 殿山泰司 .jpg田中小実昌(1925-2000/74歳没)
色川武大(1929-1989.4.10/60歳没)
殿山泰司(1915-1989.4.30/73歳没)

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1冊1冊の読み込みが深い。本書を手に文庫探索してみるのもいいかも。

I文庫本を狙え図5.jpg文庫本を狙え.jpg  坪内 祐三.jpg
文庫本を狙え! (ちくま文庫)』 坪内 祐三(1958-2020(61歳没))
カバーデザイン:南 伸坊

『文庫本を狙え!』(晶文社.jpg 今年['20年]1月に61歳で亡くなった評論家・坪内祐三(1958年生まれ)が、「週刊文春」誌上で亡くなる直前まで20年以上にわたって長期連載した「文庫本を狙え!」の第1回から171回分を1冊の文庫に纏めたものです。2000年11月に単行本『文庫本を狙え!』(晶文社)が刊行されていますが、第18回から第171回までが収録されていて、最初の17回分は著者の初の書評集『シブい本』('97年/文藝春秋)に掲載されたため、両方を纏めたものはこの文庫が初となります。第1回の高見澤潤子『のらくろひとりぼっち』の掲載は1996年8月で、171回の小林信彦『読書中毒』の掲載は2000年5月です。

 因みに、シリーズ第2弾『文庫本福袋』(2000年~2004年、194回分を収録)は先に文春文庫で文庫化されていて(したがって文春文庫内では『文庫本福袋』が"第1弾"とされている)、第3弾『文庫本玉手箱』(2004年~2009年、200回分を収録)は'09年に文藝春秋から、第4弾『文庫本宝船』(2009年~2016年、290回分を収録)は本の雑誌社から、それぞれ単行本が刊行されています。さらに、第5弾として、連載の第886回(2016年4月)~第1056回(2020年1月)を収めた『文庫本千秋楽』が先月['20年11月]本の雑誌社から刊行され、「文庫本を狙え!」の170回分と併せ、本の雑誌増刊「おすすめ文庫王国」に1999年から20年にわたって書き続けた「年刊文庫番」を1冊にしたものとなっています。

 1冊1冊の読み込みが深くて、よくこれだけ毎週毎週書き続けてきたものだなあと驚かされます。同じく「週刊文春」に'92年から「私の読書日記」を連載している立花隆氏が、「最後まで読まなければならない本」(推理小説など)、「速読してはいけない本」(文学作品など)は「タイムコンシューマー」(時間浪費)であるとして避けていたのに対し、著者も日本の現代小説や推理小説はほとんど選んでおらず、多くを読もうと思ったらやはり何らかの割り切りが必要なのかもしれません。因みに、本書では34の文庫レーベルが取り上げられていて、最多は岩波の15冊、ちくま、中公が続き、新潮と講談社文芸文庫が10冊で同数4位とのことです。

 村上春樹を取り上げていると思ったら『やがて哀しき外国語』('97年/講談社文庫)で、つまりエッセイでした(p85)。村上春樹はエッセイがいいね。

 小沼丹の『清水町先生』('97年/ちくま文庫)の井伏鱒二の将棋好きの様などは可笑しいです(p112)。太宰治との師弟の関係がどのようなものであったかも伝わってきます。

 「裸の大将」こと山下清の『日本ぶらりぶらり』('98年/ちくま文庫)というエッセイも紹介されていて(p201)、著者が「実は、山下清は、かなりの文章家なのだ」とするのに納得させられました。

 蛭子能収『エビスヨシカズの密かな愉しみ』('98年/講談社+α文庫)では、「蛭子能収ほど実物と作品のイメージが異なる人も珍しい」とし(p216)、「文筆家エビスヨシカズは、きわめて知的で論理的」としてその証左を示しています(そう言えば、先の立花隆氏は、蛭子能収氏の作品の方を評して、作者は「天才か狂人」と言っていた)。

 ノーマン・マルコム/板坂元訳『ウィトゲンシュタイン―天才哲学者の思い出』('98年/平凡社ライブラリー)などを取り上げてくれているのは嬉しいです(p247)。これ、絶版新書がライブラリーになったパターンです。すぐ後に続く岡井耀毅『瞬間伝説―歴史を刻んだ写真家たち』('98年/朝日文庫)にある新人カメラマンだった秋山庄太郎と大女優・原節子の出会いなども、いいところを拾ってくるなあと(p249)。

 水上勉『私版 東京図絵』('98年/朝日文庫)にある、水上勉が武者小路実篤から実篤自身の描いた絵を貰った話も、武者小路実篤の白樺派的な人柄が窺えるエピソードでいいです(p275)。吉行淳之介は、短編集『悩ましき土地』('99年/講談社文芸文庫)が取り上げられていますが(p306)、巻末の年譜が読みごたえがあったと(笑)。それだけの病歴ということでしょう。

 千葉伸夫『評伝山中貞雄―若き映画監督の肖像』 ('99年/平凡社ライブラリー)などを取り上げているのもシブいです(p357)。山中貞雄にとって小津安二郎がメンターだったのなあ。同じく映画関係で、殿山泰司『三文役者のニッポンひとり旅』('00年/ちくま文庫)なども読んでみたくなる紹介のされ方をしています。

 このように、文庫と言えども結構マニアックなものも多いです。その分、こんな本も文庫で読めるのだという新たな発見がありました。シリーズ第1弾なので、1996年から2000年刊と結構古い本ばかりになりますが、解説の平尾隆弘氏によれば、今はネットの古本市場でこれら全ての文庫が入手可能とのことで、しかも、一番高いものでも2,500円とのこと(最安値は1円)。本書を手に、文庫探索してみるのもいいかもしれません。

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