【2955】 ○ 黒澤 明 (原作:村田喜代子) 「八月の狂詩曲(ラプソディー) (1991/05 松竹) ★★★☆

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原作者が「ラストで許そう黒澤明」と言うと、自分もそんな気になる。

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「八月の狂詩曲(ラプソディー)」村瀬幸子・吉岡秀隆ほか/リチャード・ギア
八月の狂詩曲7.jpg ある夏休み。長崎市街から少し離れた山村に住む老女・鉦(村瀬幸子)に1通の航空便が届く。ハワイで農園を営む鉦の兄・錫二郎が不治の病にかかり、死ぬ前に鉦に会いたいとの内容で、鉦の代わりに息子・忠雄(井川比佐志)と娘・良江(根岸季衣)がハワイへ飛んだ。そのため4人の孫が鉦のもとにやって来た。ハワイから忠雄の手紙が届き、錫二郎が妹に会いたがっているため、孫と一緒にハワイに来てほしいと伝えてくるが、鉦は錫二郎が思い出せないとハワイ八月の狂詩曲 2.jpg行きを拒む。都会の生活に慣れた孫たちは田舎の生活に退屈していたが、原爆ゆかりの場所を見て回ったり、祖母の原爆体験の話を聞くうちに、原爆で夫を亡くした鉦の気持ちを次第に理解していく。やがてハワイ行きの八月の狂詩曲 3.jpg決断を促す手紙が届き、鉦は原爆忌が終わってから行くことを決意し電報を出す。それと行き違いに忠雄と良江が帰国、手紙に原爆のことを書いたのは、アメリカ人に原爆の話はまずかったと落胆する。そこへ錫二郎の息子のクラーク(リチャード・ギア)が来日、空港に出迎えた忠雄はその意図を理解できなかったが、クラークは「ワタシタチ、オジサンノコトシッテ、ミンナナキマシタ」と語り、おじさんが亡くなった八月の狂詩曲 4.jpg場所へ行きたいと頼む。その夜、庭の縁台でクラークは鉦に、おじさんのことを知らなくて「スミマセンデシタ」と謝る。鉦は「よかとですよ」と答え、二人は固い握手を交わす。8月9日、鉦は念仏堂で近所の老人たちと読経する。クラークは父の死去を伝える電報を受け取り、急遽帰国する。鉦はやっと錫二郎を思い出し、その死を悲しむが、その後様子が変になり、雷雨の夜に突然「ピカが来た」と叫ぶ。翌日、キノコ雲のような雷雲が空に広がり、鉦は長崎の方へ駆け出して行く。豪雨となり、孫たちや息子たちは祖母を追いかける―。

 黒澤明(1910年生まれ)監督の1991年公開作で、脚本も黒澤明。遺作となった「まあだだよ」('93年)の一つ前の作品であり、三船敏郎を主演に据えた最後の作品「赤ひげ」('65年)以降、「どですかでん」('70年)、「デルス・ウザーラ」('75年)、「影武者」('80年)、「乱」('85年)、「夢」('90年)と5年に1作のペースで撮り続けていた黒澤明監督ですが、この作品は「夢」のわずか1年後の作品であるのが興味深いです。

八月の狂詩曲 6.jpg 黒澤自身はこの作品について、「ラストのあのシーンで笑ってくれ」と言ったそうですが(つまり、鉦おばあさんが豪雨の中で風に立ち黒澤明 大林.jpg向かい、そこにシューベルトの「野ばら」の合唱が流れる場面のことになる。個人的には、黒澤明には"風男"という異名がある(都築政昭『黒澤明と「用心棒」―ドキュメント・風と椿と三十郎』('05年/朝日ソノラマ))ほど風に縁があるということを思い出した)、笑ってくれと言われても、反戦色が滲む作品でもあるため、そう簡単には笑えない気もします (ただし、木下惠介監督の「二十四の瞳」('54年)の原作もそうだが、この作品の原作「鍋の中」も反戦小説ではなくフツーの文芸小説であり、「原爆」や「ピカ」といった言葉も出てこない)。 そう言えば、今年['20年]4月に亡くなった大林宣彦監督の遺作が「海辺の映画館―キネマの玉手箱」('20年)という反戦色の強い作品でしたが、晩年になるとそうした傾向のものを撮りたくなるのでしょうか。

I「鍋の中」817.jpg八月の狂詩曲es.jpg 原作である「鍋の中」は、村田喜代子(1945- )の1987(昭和62)年上半期・第97回「芥川賞」受賞作です。映画を観ていて、リアルなシーン、戯画化されたシーン、いかにも物語の中のシーンみたいなのが入り混じっていて、例えば、孫たちが鉦おばあさんの料理にダメ出しするなどはリアルだし、ハワイに金持ちの親戚がいると分かった大人たちの行動は通俗的かつ戯画的だし、孫たちは物語の中の人物のように純真であったりします。その辺りにややちぐはぐさを感じましたが、これはおそらく原作がそういう性質のものなのだろうと思いました。でも、原作を読んでみたら、映画と相当違っていました。

 原作者の村田喜代子氏はこの映画化作品に不満だったそうで(そうだろうなあ)、「別冊文藝春秋1991年夏号」に、「ラストで許そう、黒澤明」(『異界飛行』収録)というエッセイを書いています。これを読むと、自分が映画を観て感じたちぐはぐさは、原作者も感じていたということが分って興味深かったです。

八月の狂詩曲5.jpg 例えば、そのエッセイの中に、「主人公の祖母が純文学的造形であるのにくらべ、孫達は通俗小説的可もなく不可もなくで、親はマンガタッチである。この原因はなんだろうと暗闇の中でかんがえた。祖母が映画の中でしっかりと個性を持って立っているのは、原作の造形にわりと忠実に沿っているためだが、孫達はストーリーの幕引き以上の役をここでは持たされていないため、ただ可愛いだけなのである。親達は原作には出てこない映画だけの登場人物であるため、作りがもうひとつ浅いのだろう」といった文章もあります(因みに、原作は孫娘の視点から描かれている)。

 それでもこのエッセイが「ラストで許そう、黒澤明」というタイトルになっているのは、映画を観終わった後、「どうですか、原作者の感想は」と友人に聞かれ、実際、考えた上で、「ラストで許そう、黒澤明」と返事したからそうで、原作者は映画を原作とは別にものとして捉えながらも、ラストの映像の力強さには感じるものがあったようです(三島由紀夫が黒澤のことを「テクニシャン」と呼んでいたが、そうした面はあるかも)。

 自分の作品を映画化してくれた、自分より35歳も年上の世界的監督に、「ラストで許そう」なんて当時は態度が大きいと感じた人もいたようですが、原作者というのは自分の作品の方がいいと思っているのが普通であるし(このエッセイにはっきりそう書いている)、これくらいにのスタンスでもいいのではないかと思います(原作者はラストの、老婆の至福の姿が、黒澤明その人にみえたそうだ)。原作者が「ラストで許そう」なんて言うと、自分もついそんな気になります。主体性が無さすぎかもしれませんが(笑)。
 
八月の狂詩曲 ギアges.jpg この映画は、アメリカでは、芸術性とは異なった部分で評判がイマイチでした。それは、リチャード・ギア演じるクラークが「すみませんでした」「私たち悪かった」と鉦おばあちゃんに謝っている場面が、アメリカ人であるクラークが原爆投下を「すみませんでした」「悪かった」と謝罪していると捉えられたためのようです。実際には、「私たち」は、「鉦の兄であるハワイに移民した錫二郎やクラークらの一家」のことであり、「すみませんでした」は「鉦おばあちゃんの夫が被爆死したことを知らなかった」ことに対してなのですが、そのことが分からず、井川比佐志、根岸季衣らが演じる親たちが、「クラークさんが謝りに来る」とただただ慌てふためく場面もあったりして、これが皮肉にも、観る側にとっての誤解にも結びついたのかもしれません(因みに、原作ではクラークは手紙でしか登場しない)。

 2015年にアメリカのシンクタンクであるピュー・リサーチ・センターが実施した調査では、原爆投下は「正当化できる」と答えた日本人は14%にとどまり、79%は「正当化できない」と回答しているのに対し、アメリカ人では56%が「正当化できる」と回答し、過半数を上回ったそうで、原爆投下に関する歴史認識には、日米のあいだで超えられない深い溝があるようです。

 『COUNTDOWN 1945』という本によれば、広島と長崎への原爆投下から数日後に行われたギャラップの世論調査では、85%のアメリカ人が原爆投下を支持していて、その後の調査で、その支持率は安定していたそうです。被爆60周年を迎えた2005年には、原爆投下を支持するアメリカ人は57%、反対する人は38%だった」と(前述の通り、2015年の調査でもそう変わっていないということにまる)。ところが最近になって、有力紙ロサンゼルス・タイムスが、今年[2020年]8月6日の広島平和記念日に、「日本に原爆を落とす必要なかった」という論説を掲載し、また、近年では、29歳以下の若年層に限定すれば、アメリカでも原爆投下は「間違っていた」と考える人たちは多いといのことです(逆に「正しかった」と考える人々は、65歳以上の白人男性、共和党支持者に多いが、若年層の回答を見ればアメリカの世論も変化しているという指摘もある)。

下村脩 2.jpg 『COUNTDOWN 1945』は、戦争終結のための選択肢は、本土決戦か原爆投下の2つに1つであったという論調ですが、例えば長崎への2回目の原爆投下についてはどうか。広島への原爆投下のたった3日後に、再び無警告で長崎への原爆投下を行ったことは、広島の原爆以上に正当化しえない殺戮だったのではないかと思われます。このことを、2008年にノーベル化学賞を受賞した故・下村脩(長崎に原爆が落ちた際に当時16歳で諫早市にいた)が、ストックホルム大学でのノーベル賞受賞記念講演で話し(通常は記念公演での政治的話題はタブーとされているのだが)、著書にも書いていますが、こうした人々の発言もあって、アメリカでも少しずつ世論が変化しているのかもしれません。

 今この作品が海外公開されていれば、少なくとも当時のように、アメリカの映画界で黙殺されることも無かったかもしれません。ただし、当時のアメリカででも"完全黙殺"されたわけではなく、この映画の撮影時にはなかった平和公園のアメリカからの慰霊碑が、1992(平成4)10月にアメリカのセントポール市から寄贈されていることを付記しておきます(この慰霊碑への寄付を募るために「八月の狂詩曲」上映会がセントポール市で開催された)。

八月の狂詩曲 ポスター.jpg八月の狂詩曲 dvd.jpg八月の狂詩曲(ラプソディー) [DVD]
「八月の狂詩曲(ラプソディー)」●制作年:1991年●監督:黒澤明●製作:黒澤久雄●脚本:黒澤明●撮影:斎藤孝雄/上田正治●音楽:池辺晋一郎●原作:村田喜代子「鍋の中」●時間:98分●出演:村瀬幸子/吉岡秀隆/大寶智子/鈴木美恵/伊崎充則/井川比佐志/根岸季衣/河原崎長シネマ ブルースタジオ 戦争の傷跡 特集.jpg一郎/茅島成美/リチャード・ギア/松本克平/牧よし子/本間文子/川上夏代/音羽久米子/木田三千雄/東静子/堺左千夫/夏木順平/川口節子/槇ひろ子/加藤茂雄/歌澤寅右衛門/門脇三郎●公開:1991/05●配給:松竹●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(20-08-19)(評価:★★★☆)

 

《読書MEMO》
●クラーク役には当初、ジーン・ハックマンが予定されていた。これは脚本を読んだハックマン本人の熱望を受けてのものであった(年齢がクラーク役としては高いため、当初は黒澤が難色を示していた)。ただし、健康上の理由から撮影前に降板している。リチャード・ギアは代役だったわけだが、この作品が原爆論争を引き起こす可能性を含むことを織り込み済みでの出演だったのではないか。撮影で使われた念仏堂(下左)は、撮影終了後に、リチャード・ギアの希望により彼のアメリカの別荘へ移築されたが、ハリウッド俳優としては破格の安い出演料で出演してくれたリチャード・ギアに対する埋め合わせの意味もあったという。リチャード・ギアは、鉦おばあさんの家(下右)も欲しがったが、さすがにこれをアメリカへ移築するのは大変なので諦めてもらったという。
八月の狂詩曲 仏.jpg 八月の狂詩曲 家.jpg

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This page contains a single entry by wada published on 2020年10月26日 21:58.

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