2020年10月 Archives

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「八月の狂詩曲」の原作だが、映画とは別物か。3連続候補での芥川賞受賞作「鍋の中」。

I「鍋の中」817.jpg村田喜代子.jpg  八月の狂詩曲 ポスター.jpg
鍋の中』 村田 喜代子 氏(1987)「八月の狂詩曲」['95年/松竹]

 1987(昭和62)年上半期・第97回「芥川賞」受賞作の「鍋の中」ほか、「水中の声」「熱愛」「盟友」を所収。

 ある夏、80歳の鉦おばあさんの住む田舎に四人の孫が同居することになる。わたしこと17歳のたみ子と中学生の信次郎の姉弟、従兄の19歳の縦男とその妹17歳のみな子の四人だ。おばあさんのところにハワイに住む弟の病気が伝えられ、四人の親はハワイに出かけ、子どもたちがおばあさんのところに預けられたのだ。ところが、おばあさんはその弟のことを知らないという。13人いたおばあさんの兄弟たちの12人までは名前は覚えているのだが、この弟の名前だけは出てこない。さらに、おばあさんは精神に異常をきたして座敷牢に入れられた弟や駆け落ちをした兄弟の話をし、子どもたちを不安にさせる。それが真実かどうかも疑わしい。まるでおばあさんの頭の中は「鍋の中」のようにいろいろなものでごった煮になっている―。(「鍋の中」)

八月の狂詩曲 1.jpg 表題作「鍋の中」は、「文學界」昭和62年5月号に発表されたもので、黒澤明監督の「八月の狂詩曲(ラプソディー)」('91年/松竹)の原作としても知られていますが、映画が「反核」「反戦」のメッセージが色濃かったのに対し、原則の方はフォークロア的な雰囲気が強く、映画にはない、主人公の出生の謎などのモチーフもあって、映画とは別物と言えば別物ものでした(作者はこの映画化作品に不満だったそうで、「別冊文藝春秋1991年夏号」に、「ラストで許そう、黒澤明」(『異界飛行』収録)というエッセイを書いている)。
「八月の狂詩曲」['95年/松竹]

吉行 淳之介.jpg 当時の芥川賞違考委員の一人、吉行淳之介は、「予想を上まわる力を見せた」と絶賛し、「登場してくる人物も風物も、そして細部もすべていきいきしている」と評しています(単行本帯に選評あり)。同じく日野啓三は「話の運びの計算されたしなやかさ、文章のとぼけたようなユーモア」に感心していて、自分も読んでそれを感じ、芥川賞受賞作としての水準を満たしているように思いました。この回から女流作家として初めて選考委員に加わった大庭みな子、河野多恵子委員も推して、9人の選考員の中で否定的な意見はほとんどなく、すんなり受賞が決まったという感じです。

 「水中の声」は、表題作の10年前、「文學界」昭和52年3月号に発表されたもので、第7回「九州芸術祭文学賞」受賞作。主人公の、自分の4歳の娘を貯水池での溺死事故故で失った母親が、そうした子を事故で亡くした人たちばかりが集まる子供の事故防止運動のようなことをする団体に引き込まれて、熱心に活動するあまり、世間との間に摩擦を生じていく話。自分だったら、同じ状況におかれても、作中にあるような宗教がかった団体には入らないと思いますが、こればっかりはそうした状況に置かれてみないと分からないかも。テープに残った自分の子の声が水底から(藻の間から!)聞こえるように感じたというのは、ものすごくリアリティを感じました(やや怖いか)。

 「熱愛」は、作者が昭和60年に創刊した「発表」という名の個人誌の第2号に発表され、同人誌推薦作品として「文學界」昭和61年4月号に転載されたもので、1986(昭和61)年上半期・第95回「芥川賞」の候補作。オートバイ好きの主人公がオートバイ仲間と競うが、その相手のオートバイが断崖からどうやら転落したらしい、そのことを事実としてして受け止められないでいる主人公の心理を描いています。読む側に、オートバイの疾走感や、仲間が約束の場所に現れないことへの焦燥感が伝わってきて、上手いと思いました。芥川賞選考では、吉行淳之介が「私は評価した。読んでゆくにしたがって、昂揚を覚えた。外側の世界も心象も、すべて肉体感覚で表現できたあたり、なかなかのものである」と推しましたが、受賞はなりませんでした(この時は受賞作なし)。

 「盟友」は、「文學界」昭和61年9月号に発表されたもので、、1986(昭和61)年下半期・第96回「芥川賞」の候補作。主人公の高校生が、学校の懲罰として便所掃除をさせられるうちに、便所掃除に「開眼」し、また、同じ立場の生徒と盟友関係になっていく様を描いたものです。「鍋の中」とはまた異なるユーモアを感じましたが、芥川賞かどうかとなるとやや弱いでしょうか。吉行淳之介も、「前回の「熱愛」ほどには、私をわくわくさせてくれなかった」「それにしても、この作者がいつも少年ばかり書く理由は、まだ私には分からない」と(この時も受賞作なし)。でも、昔の学校は、懲罰ならずとも、生徒が便所掃除していたなあ(今だと、読む世代によって、懐かしさを覚える世代と、ぴんとこない世代があるのでは)。

 ということで、「熱愛」「盟友」と連続で芥川賞候補になり、「鍋の中」で3連続目で受賞したわけですが、やはり「鍋の中」が一番でしょうか。それに比べると、「熱愛」「盟友」も悪くはないですが、「熱愛」はある状況の主人公の心理を突き詰めたもので"習作"のような印象を受けました。

そうしたら、吉行淳之介と同じく当時の芥川賞選考委員だった三浦哲郎が、「熱愛」の選評で、「緊迫した文体が快いリズムを刻んで、なかなか読ませる。ただ、多用されている比喩のなかに、言葉を選びそこねて曖昧になっている個所が散見されて、結局この作品を好ましい習作の一つと思わざるを得なかったのは、惜しかった」と述べていました。三浦哲郎は、「盟友」については 「次作を期待しよう」との短いコメントを寄せているだけですが、作者はその期待に応えたことになります。

【1990年文庫化[文春文庫]】

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原作者が「ラストで許そう黒澤明」と言うと、自分もそんな気になる。

八月の狂詩曲 ポスター.jpg 八月の狂詩曲 1.jpg 八月の狂詩曲 5.jpg
「八月の狂詩曲(ラプソディー)」村瀬幸子・吉岡秀隆ほか/リチャード・ギア
八月の狂詩曲7.jpg ある夏休み。長崎市街から少し離れた山村に住む老女・鉦(村瀬幸子)に1通の航空便が届く。ハワイで農園を営む鉦の兄・錫二郎が不治の病にかかり、死ぬ前に鉦に会いたいとの内容で、鉦の代わりに息子・忠雄(井川比佐志)と娘・良江(根岸季衣)がハワイへ飛んだ。そのため4人の孫が鉦のもとにやって来た。ハワイから忠雄の手紙が届き、錫二郎が妹に会いたがっているため、孫と一緒にハワイに来てほしいと伝えてくるが、鉦は錫二郎が思い出せないとハワイ八月の狂詩曲 2.jpg行きを拒む。都会の生活に慣れた孫たちは田舎の生活に退屈していたが、原爆ゆかりの場所を見て回ったり、祖母の原爆体験の話を聞くうちに、原爆で夫を亡くした鉦の気持ちを次第に理解していく。やがてハワイ行きの八月の狂詩曲 3.jpg決断を促す手紙が届き、鉦は原爆忌が終わってから行くことを決意し電報を出す。それと行き違いに忠雄と良江が帰国、手紙に原爆のことを書いたのは、アメリカ人に原爆の話はまずかったと落胆する。そこへ錫二郎の息子のクラーク(リチャード・ギア)が来日、空港に出迎えた忠雄はその意図を理解できなかったが、クラークは「ワタシタチ、オジサンノコトシッテ、ミンナナキマシタ」と語り、おじさんが亡くなった八月の狂詩曲 4.jpg場所へ行きたいと頼む。その夜、庭の縁台でクラークは鉦に、おじさんのことを知らなくて「スミマセンデシタ」と謝る。鉦は「よかとですよ」と答え、二人は固い握手を交わす。8月9日、鉦は念仏堂で近所の老人たちと読経する。クラークは父の死去を伝える電報を受け取り、急遽帰国する。鉦はやっと錫二郎を思い出し、その死を悲しむが、その後様子が変になり、雷雨の夜に突然「ピカが来た」と叫ぶ。翌日、キノコ雲のような雷雲が空に広がり、鉦は長崎の方へ駆け出して行く。豪雨となり、孫たちや息子たちは祖母を追いかける―。

 黒澤明(1910年生まれ)監督の1991年公開作で、脚本も黒澤明。遺作となった「まあだだよ」('93年)の一つ前の作品であり、三船敏郎を主演に据えた最後の作品「赤ひげ」('65年)以降、「どですかでん」('70年)、「デルス・ウザーラ」('75年)、「影武者」('80年)、「乱」('85年)、「夢」('90年)と5年に1作のペースで撮り続けていた黒澤明監督ですが、この作品は「夢」のわずか1年後の作品であるのが興味深いです。

八月の狂詩曲 6.jpg 黒澤自身はこの作品について、「ラストのあのシーンで笑ってくれ」と言ったそうですが(つまり、鉦おばあさんが豪雨の中で風に立ち黒澤明 大林.jpg向かい、そこにシューベルトの「野ばら」の合唱が流れる場面のことになる。個人的には、黒澤明には"風男"という異名がある(都築政昭『黒澤明と「用心棒」―ドキュメント・風と椿と三十郎』('05年/朝日ソノラマ))ほど風に縁があるということを思い出した)、笑ってくれと言われても、反戦色が滲む作品でもあるため、そう簡単には笑えない気もします (ただし、木下惠介監督の「二十四の瞳」('54年)の原作もそうだが、この作品の原作「鍋の中」も反戦小説ではなくフツーの文芸小説であり、「原爆」や「ピカ」といった言葉も出てこない)。 そう言えば、今年['20年]4月に亡くなった大林宣彦監督の遺作が「海辺の映画館―キネマの玉手箱」('20年)という反戦色の強い作品でしたが、晩年になるとそうした傾向のものを撮りたくなるのでしょうか。

I「鍋の中」817.jpg八月の狂詩曲es.jpg 原作である「鍋の中」は、村田喜代子(1945- )の1987(昭和62)年上半期・第97回「芥川賞」受賞作です。映画を観ていて、リアルなシーン、戯画化されたシーン、いかにも物語の中のシーンみたいなのが入り混じっていて、例えば、孫たちが鉦おばあさんの料理にダメ出しするなどはリアルだし、ハワイに金持ちの親戚がいると分かった大人たちの行動は通俗的かつ戯画的だし、孫たちは物語の中の人物のように純真であったりします。その辺りにややちぐはぐさを感じましたが、これはおそらく原作がそういう性質のものなのだろうと思いました。でも、原作を読んでみたら、映画と相当違っていました。

 原作者の村田喜代子氏はこの映画化作品に不満だったそうで(そうだろうなあ)、「別冊文藝春秋1991年夏号」に、「ラストで許そう、黒澤明」(『異界飛行』収録)というエッセイを書いています。これを読むと、自分が映画を観て感じたちぐはぐさは、原作者も感じていたということが分って興味深かったです。

八月の狂詩曲5.jpg 例えば、そのエッセイの中に、「主人公の祖母が純文学的造形であるのにくらべ、孫達は通俗小説的可もなく不可もなくで、親はマンガタッチである。この原因はなんだろうと暗闇の中でかんがえた。祖母が映画の中でしっかりと個性を持って立っているのは、原作の造形にわりと忠実に沿っているためだが、孫達はストーリーの幕引き以上の役をここでは持たされていないため、ただ可愛いだけなのである。親達は原作には出てこない映画だけの登場人物であるため、作りがもうひとつ浅いのだろう」といった文章もあります(因みに、原作は孫娘の視点から描かれている)。

 それでもこのエッセイが「ラストで許そう、黒澤明」というタイトルになっているのは、映画を観終わった後、「どうですか、原作者の感想は」と友人に聞かれ、実際、考えた上で、「ラストで許そう、黒澤明」と返事したからそうで、原作者は映画を原作とは別にものとして捉えながらも、ラストの映像の力強さには感じるものがあったようです(三島由紀夫が黒澤のことを「テクニシャン」と呼んでいたが、そうした面はあるかも)。

 自分の作品を映画化してくれた、自分より35歳も年上の世界的監督に、「ラストで許そう」なんて当時は態度が大きいと感じた人もいたようですが、原作者というのは自分の作品の方がいいと思っているのが普通であるし(このエッセイにはっきりそう書いている)、これくらいにのスタンスでもいいのではないかと思います(原作者はラストの、老婆の至福の姿が、黒澤明その人にみえたそうだ)。原作者が「ラストで許そう」なんて言うと、自分もついそんな気になります。主体性が無さすぎかもしれませんが(笑)。
 
八月の狂詩曲 ギアges.jpg この映画は、アメリカでは、芸術性とは異なった部分で評判がイマイチでした。それは、リチャード・ギア演じるクラークが「すみませんでした」「私たち悪かった」と鉦おばあちゃんに謝っている場面が、アメリカ人であるクラークが原爆投下を「すみませんでした」「悪かった」と謝罪していると捉えられたためのようです。実際には、「私たち」は、「鉦の兄であるハワイに移民した錫二郎やクラークらの一家」のことであり、「すみませんでした」は「鉦おばあちゃんの夫が被爆死したことを知らなかった」ことに対してなのですが、そのことが分からず、井川比佐志、根岸季衣らが演じる親たちが、「クラークさんが謝りに来る」とただただ慌てふためく場面もあったりして、これが皮肉にも、観る側にとっての誤解にも結びついたのかもしれません(因みに、原作ではクラークは手紙でしか登場しない)。

 2015年にアメリカのシンクタンクであるピュー・リサーチ・センターが実施した調査では、原爆投下は「正当化できる」と答えた日本人は14%にとどまり、79%は「正当化できない」と回答しているのに対し、アメリカ人では56%が「正当化できる」と回答し、過半数を上回ったそうで、原爆投下に関する歴史認識には、日米のあいだで超えられない深い溝があるようです。

 『COUNTDOWN 1945』という本によれば、広島と長崎への原爆投下から数日後に行われたギャラップの世論調査では、85%のアメリカ人が原爆投下を支持していて、その後の調査で、その支持率は安定していたそうです。被爆60周年を迎えた2005年には、原爆投下を支持するアメリカ人は57%、反対する人は38%だった」と(前述の通り、2015年の調査でもそう変わっていないということにまる)。ところが最近になって、有力紙ロサンゼルス・タイムスが、今年[2020年]8月6日の広島平和記念日に、「日本に原爆を落とす必要なかった」という論説を掲載し、また、近年では、29歳以下の若年層に限定すれば、アメリカでも原爆投下は「間違っていた」と考える人たちは多いといのことです(逆に「正しかった」と考える人々は、65歳以上の白人男性、共和党支持者に多いが、若年層の回答を見ればアメリカの世論も変化しているという指摘もある)。

下村脩 2.jpg 『COUNTDOWN 1945』は、戦争終結のための選択肢は、本土決戦か原爆投下の2つに1つであったという論調ですが、例えば長崎への2回目の原爆投下についてはどうか。広島への原爆投下のたった3日後に、再び無警告で長崎への原爆投下を行ったことは、広島の原爆以上に正当化しえない殺戮だったのではないかと思われます。このことを、2008年にノーベル化学賞を受賞した故・下村脩(長崎に原爆が落ちた際に当時16歳で諫早市にいた)が、ストックホルム大学でのノーベル賞受賞記念講演で話し(通常は記念公演での政治的話題はタブーとされているのだが)、著書にも書いていますが、こうした人々の発言もあって、アメリカでも少しずつ世論が変化しているのかもしれません。

 今この作品が海外公開されていれば、少なくとも当時のように、アメリカの映画界で黙殺されることも無かったかもしれません。ただし、当時のアメリカででも"完全黙殺"されたわけではなく、この映画の撮影時にはなかった平和公園のアメリカからの慰霊碑が、1992(平成4)10月にアメリカのセントポール市から寄贈されていることを付記しておきます(この慰霊碑への寄付を募るために「八月の狂詩曲」上映会がセントポール市で開催された)。

八月の狂詩曲 ポスター.jpg八月の狂詩曲 dvd.jpg八月の狂詩曲(ラプソディー) [DVD]
「八月の狂詩曲(ラプソディー)」●制作年:1991年●監督:黒澤明●製作:黒澤久雄●脚本:黒澤明●撮影:斎藤孝雄/上田正治●音楽:池辺晋一郎●原作:村田喜代子「鍋の中」●時間:98分●出演:村瀬幸子/吉岡秀隆/大寶智子/鈴木美恵/伊崎充則/井川比佐志/根岸季衣/河原崎長シネマ ブルースタジオ 戦争の傷跡 特集.jpg一郎/茅島成美/リチャード・ギア/松本克平/牧よし子/本間文子/川上夏代/音羽久米子/木田三千雄/東静子/堺左千夫/夏木順平/川口節子/槇ひろ子/加藤茂雄/歌澤寅右衛門/門脇三郎●公開:1991/05●配給:松竹●最初に観た場所:北千住・シネマブルースタジオ(20-08-19)(評価:★★★☆)

 

《読書MEMO》
●クラーク役には当初、ジーン・ハックマンが予定されていた。これは脚本を読んだハックマン本人の熱望を受けてのものであった(年齢がクラーク役としては高いため、当初は黒澤が難色を示していた)。ただし、健康上の理由から撮影前に降板している。リチャード・ギアは代役だったわけだが、この作品が原爆論争を引き起こす可能性を含むことを織り込み済みでの出演だったのではないか。撮影で使われた念仏堂(下左)は、撮影終了後に、リチャード・ギアの希望により彼のアメリカの別荘へ移築されたが、ハリウッド俳優としては破格の安い出演料で出演してくれたリチャード・ギアに対する埋め合わせの意味もあったという。リチャード・ギアは、鉦おばあさんの家(下右)も欲しがったが、さすがにこれをアメリカへ移築するのは大変なので諦めてもらったという。
八月の狂詩曲 仏.jpg 八月の狂詩曲 家.jpg

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後の作品の様式美、後の黒澤と三船の関係の終焉の予兆を感じさせる作品ではないか。

蜘蛛巣城 1957.jpg蜘蛛巣城 dvd.jpg蜘蛛巣城 10.jpg
蜘蛛巣城<普及版> [DVD]」三船敏郎

蜘蛛巣城 浪花ド.jpg 北の館(きたのたち)の主・藤巻の謀反を鎮圧した武将、鷲津武時(三船敏郎)と三木義明(千秋実)は、喜ぶ主君・都築国春(佐々木孝丸)に召喚され、蜘蛛巣城へ馬を走らせるが、霧深い「蜘蛛手の森」で道に迷い、奇妙な老婆(浪花千栄子)と出会う。老婆は、武時はやがて北の館の主、そして蜘蛛巣城の城主になり、義明は一の砦の大将となり、やがて子が蜘蛛巣城の城主なると告げる。二人は一笑に蜘蛛巣城 三船es.jpg付すが、主君が与えた褒賞は、武時を北の館の主に、義明を一の砦<の大将に任ずるものだった。武時から一部始終を聞いた妻・浅茅(山田五十鈴)は、老婆の予言を国春が知ればこちらが危ないと謀反を唆し、武時の心は揺れ動く。折りしも、国春が、藤蜘蛛巣城 ンロード.jpg巻の謀反の黒幕、隣国の乾を討つために北の館へ来た。その夜、浅茅は見張りの兵士らを痺れ薬入りの酒で眠らせ、武時は、国春を殺す。主君殺しの濡れ衣をかけられた臣下・小田倉則安(志村喬)は国春の嫡男・国丸(太刀川洋一)と蜘蛛巣城に至るが、蜘蛛巣城蜘蛛巣城 16.jpgの留守を預かっていた義明は開門せず、弓矢で攻撃してきたため逃亡する。義明の推挙もあり、蜘蛛巣城の城主となった武時だったが、子が無いために義明の嫡男・義照(久保明)を養子に迎えようとする。だが浅茅はこれを拒み、加えて懐妊を告げたため、武時も心変わりする。義明親子が姿を見せないまま養子縁組の宴が始まるが、その中で武時は、死装束に身を包んだ義明の幻を見て、抜刀して錯乱する。浅茅が客を引き上げさせると、郎党の武者から、義明は殺害したが、義照は取り逃がしたとの報が入る。嵐の夜、浅茅は蜘蛛巣城 三船 山田.jpeg死産し、国丸、則安、義照を擁した乾の軍勢が攻め込んでくる。無策の家臣らに苛立った武時は、森の老婆を思い出し、蜘蛛手の森へ馬を走らせる。現れた老婆は「蜘蛛手の森が城に寄せて来ぬ限り、お前様は戦に敗れることはない」と予言する。蜘蛛巣城を包囲され動揺する将兵に、武時は老婆の予言を語って聞かせ、士気を高めるが、野鳥の群れが城に飛び込むなどした不穏な夜が明けると浅茅は発狂し、手を「血が取れぬ」と洗い続ける。そして蜘蛛手の森は寄せ来る。恐慌をきたす兵士らに持ち場に戻れと怒鳴る武時めがけ、味方側から無数の矢が放たれる―。

 黒澤明監督の1957年公開作で、シェイクスピアの「マクベス」を日本の戦国時代に置き換えた作品であることはよく知られています。クレジットに「原作:シェイクスピア「マクベス」と無いのは、「原作」ではなく「翻案」ということだと思われますがが、Wikipediaなどでは「原作」となっています。また、海外ではシェイクスピアの映画化作品で最も優れた作品の一つとして評価されているようです(ヴェネツィア国際映画祭「金獅子賞」ノミネート作品)。

蜘蛛巣城 last.jpg 1956年10月16日、第1回ロンドン映画祭のオープニング作品として上映され、黒澤明もこれに出席、その直後にローレンス・オリヴィエとヴィヴィアン・リーの夫妻と会食し、ローレンス・オリヴィエは本作について、浅茅を妊娠させ、死産で発狂させたことや、森が動き出す前夜、森を荒らされた鳥たちが城に飛んでくるところ、最後に武時が味方の矢で殺されるところなどを評価し、ヴィヴィアン・リーも山田五十鈴の演技に興味を持ち、動きの少ない演技や発狂するときのメーキャップについて熱心に質問したそうです。

蜘蛛巣城 mori.jpg 原作にはマクベスの妻の妊娠は無く、こうしたオリジナリティから黒澤自身がこの作品を「マクベス」のリメイクとしては公表しなかった言われていま蜘蛛巣城 志村4.jpgす。また、最後に武時が味方の無数の矢で殺される部分は、原作ではマクベスは、「女(訳本によっては「女の股」)から生まれた者には殺されない」と魔女に告げられ慢心していたのが、「母の腹を破って出てきた」(要するに「帝王切開」で生まれた)マクダフという男に殺されます(映画では、「バーナムの森がダーネンの丘に向かってこない限りはマクベスは滅びない」との予言の方だけ採用されている。娯楽性を重視する黒澤明がわかりやすい方のみを選択したのではないか)。

蜘蛛巣城 山田.jpg また、山田五十鈴演じる浅茅が狂気に陥る場面では、山田五十鈴は、凄まじい形相で手を洗う仕草をくり返す演技を自分で組み立て、自宅で水道の水を流して自己リハーサルをくり返したといい、この演技は、黒澤にして「このカットほど満足したカットはない」と言わせましたが、黒澤明の方でも、山田五十鈴の白眼に金箔を張るなど、「七人の侍」('54年)で雨に墨汁を混ぜたのと同じような技巧を施しています。

蜘蛛巣城 yamada.jpg ヴィヴィアン・リーも関心を持った山田五十鈴演じる浅茅の演技は、黒澤明自蜘蛛巣城 mihune.png身が好きだったという能の所作を取り入れたもので、モノクロ画面の印影と相俟って強烈な印象を残しますが、この作品が「七人の侍」や「隠し砦の三悪人」('58年)など黒澤作品と同じ50年代の作品であり、同様のダイナミズムを有しながらも、一方で、後の「乱」('85年)(これもシェイ東京暮色 yamada nakamura.jpgクスピアの「リア王」を翻案した作品だが)などに見られる能の様式美をすでに体現していることが興味深いです。しかし。山田五十鈴という女優は、同じ年に小津安二郎監督の「東京暮色」('57年)にも出ているわけで、演技の幅広さを感じます(「東京暮色」には、この作品で「幻の武士」役の中村伸郎、宮口精二も出ている)。

「東京暮色」('57年)山田五十鈴/中村伸郎

 でも、やはり三船敏郎が一番でしょうか。武時が味方の矢で殺されるというのは、原作からの大きな改変と言えますが、ローレンス・オリヴィエをしてその箇所を評価せしめているのは、やはり三船敏郎の演技によるところが大きいと思われ、改めて三船あっての黒澤作品であると思わざるを得ません。このシーン蜘蛛巣城 三船.jpg、大学の弓道部の学生を大勢動員して実際に三船に向けて蜘蛛巣城 大學弓道部.jpg矢を放ったという、まさに命懸けの撮影だったわけですが、三船は本作の撮影終了後も、自宅で酒を飲んでいると矢を射かけられたラストシーンを思い出し、あまりにも危険な撮影をさせた黒澤にだんだんと腹が立ち、酒に酔った勢いで散弾銃を持って黒澤の自宅に押しかけ、自宅前で「こら〜!出て来い!」と叫んだというエピソードがあります。これはある意味、将来の黒澤と三船の関係の終焉の予兆を感じさせるような話のように思えます。

土屋嘉男(鷲津の郎党D、伝令、騎馬の伝令の3役)
蜘蛛巣城 土屋101.jpg 伝令の男が城門を叩くシーンは、当初は鷲津の郎党の一人の役の土屋嘉男が推薦した俳優が演じていましたが、「演技が嘘っぽい」として黒澤が気に入らず数日を費やしたため、監督直々の頼みで土屋嘉男が吹き替えをすることとなり、また、鷲津武時に騎馬の伝令が敵情を緊急報告する場面では、ベテランの馬術スタッフが急に「役が重すぎる」と怖気づいたため、乗馬の心得のある土屋嘉男が再び黒澤監督から直々の頼みを受け、この伝令の役を演じています。土屋嘉男は自身にとって会心のテイクが3度目にあったものの、黒澤監督から馬の動きに注文を出され、何度もテイクを重ねることになり、堪りかねてわざと黒澤監督めがけて馬を走らせて、逃げる監督を追いかけ回し、3度目のテイクにOKを出させたとか。土屋嘉男は「隠し砦の三悪人」でも騎馬侍を演じ、馬上で三船敏郎と会い交える派手な騎乗シーンを見せてくれています。

加藤武(都築警護の武士A)/千秋実(三木義明&その幻影)/浪花千栄子(物の怪の妖婆)/中村伸郎(幻の武者C)
蜘蛛巣城 katou1.jpg 蜘蛛巣城 千秋.jpg 蜘蛛巣城 浪花.jpg 蜘蛛巣城 中村.jpg
志村喬(小田倉則保)
蜘蛛巣城 志村.jpg蜘蛛巣城 1.jpg「蜘蛛巣城」●制作年:1957 年●監督:黒澤明●製作:藤本真澄/黒澤明●脚本:小国英雄/橋本忍/菊島隆三/黒澤明●撮影:中井朝一●音楽:佐藤勝●原作:ウィリアム・シェイクスピア「マクベス」(クレジット無し)●時間:110分●出演:三船敏郎/山田五十鈴/志村喬/久保明/太刀川洋一/千秋実/佐々木孝丸/清水元/高堂国典/上田吉二郎/三好栄子/浪花千栄子/富田仲次郎/藤木悠/堺左千夫/大友伸/土屋嘉男/稲葉義男/笈川武夫/谷晃/沢村いき雄/佐田豊/恩田清二郎/高木新平/増田正雄/浅野光雄/井上昭文/小池朝雄/加藤武/高木均/樋口廸也/大村千吉/櫻井巨郎/土屋詩朗/松下猛夫/大友純/坪野鎌之/大橋史典/木村功(特別出演)/宮口精二(特別出演)/中村伸郎(特別出演)●公開:1957/01●配給:東宝●最初に観た場所(再見):北千住・シネマブルースタジオ(10-09-21)(評価:★★★★☆)

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合田刑事シリーズ第5作は、カポーティ×『レディ・ジョーカー』か?

冷血 上下.jpg冷血  毎日新聞社.jpg
冷血(上・下)』(2012/11 毎日新聞社)
   
冷血(上) (新潮文庫)』『冷血(下) (新潮文庫)』['18年]

 クリスマスイヴの朝、午前九時。歯科医一家殺害の第一報。警視庁捜査一課の合田雄一郎は、北区の現場に臨場する。容疑者として浮上してきたのは、井上克美と戸田吉生。彼らは一体何者なのか。その関係性とは? 高梨亨、優子、歩、渉―なぜ、罪なき四人は生を奪われなければならなかったのか。社会の暗渠を流れる中で軌跡を交え、罪を重ねた男ふたり。合田は新たなる荒野に足を踏み入れる(上巻)。井上克美、戸田吉生。逮捕された両名は犯行を認めた。だが、その供述は捜査員を困惑させる。彼らの言葉が事案の重大性とまるで釣り合わないのだ。闇の求人サイトで知り合った男たちが視線を合わせて数日で起こした、歯科医一家強盗殺害事件。最終決着に向けて突き進む群れに逆らうかのように、合田雄一郎はふたりを理解しようと手を伸ばす─。生と死、罪と罰を問い直す、渾身の長篇小説(下巻)。(各文庫版口上より)

 出版された時は結構話題になりましたが、文庫になってから読もうと思っていたら、文庫化まで6年くらいかかった本(この作家は、文庫化の際に改稿する作家でもある)。『マークスの山』から始まり、『照柿』『レディ・ジョーカー』『太陽を曳く馬』と続いた合田雄一郎シリーズの第5作ですが、タイトルから窺えるように、トルーマン・カポーティの『冷血』を意識したものと思われます。前半が「事件」篇で、後半が「裁判」篇で、加害者が死刑になる(二人のうち一人は病死するが)ところで終わるのも似ています。

 ただし、カポーティの『冷血』は、実際に発生した殺人事件を作者が徹底的に取材し、加害者を含む事件の関係者にインタビューすることで、事件の発生から加害者逮捕、加害者の死刑執行に至る過程を再現したノンフィクション・ノベルですが(このジャンルのノンフィクション・ノベルに、佐木隆三の『復讐するは我にあり』がある)、本書はあくまでもフィクションということになります。

 ただ、フィクションでありながらも、2000年(平成12年)12月30日深夜に東京都世田谷区上祖師谷で発生し、未だ解決をみない「世田谷一家殺害事件」をモチーフにしているのは間違いなく、この点では、1984年と1985年に起きた食品会社を標的とした企業脅迫事件「グリコ・森永事件」をモチーフにしたと思われる『レディ・ジョーカー』のスタイルと似ているようにも思います。

 多分、この小説の意図は、「理由なき殺人」を描こうとした点にあるのではないでしょうか。『レディ・ジョーカー』の場合は、「あの事件はこんな犯人像だったかもしれないよ」と示唆しているように感じたのですが(それに納得するかどうかは別として)、この『冷血』では、犯人は二人とも、気がついたら人殺しをしていたという感じで、ところが裁判ではその動機を何とか確定しようとするため、そこに齟齬が生じる、そのギャップを描きたかったのではないかという気がします。

 ただ、その辺りの狙いが見えにくい点がやや難でしょうか。残忍な犯罪を犯したその背景となる生い立ちを犯人の幼少時に遡って分析していますが、躁鬱病の犯人が幼少時にキャベツ畑のキャベツを鍬で叩きつぶす感触と、歯医者夫婦の頭を根切りで叩きつぶす感触が似ていて快感を覚えたというところで、ちょっとついていけない読者もいたのでは。

 でも、やはり、「殺人犯はこうして作られる」こともある、そして、「彼らは、理由にならないような理由で殺人を犯す」こともある―ということがテーマなのではないでしょうか。「こともある」としたのは、この作品がフィクションだからですが、これがノン・フィクションであれば、完全にカポーティの『冷血』と重なるわけで、だから『冷血』というタイトルなのだと思います。

【2018年文庫化[新潮文庫(上・下)]】

《読書MEMO》
●2013年1~6月に読まれた書評ベスト10 (2013/8/10付 日本経済新聞 電子版)
1 冷血(上・下) 高村薫 著
2 ソロモンの偽証 第1部~第3部 宮部みゆき 著
3 知の逆転 吉成真由美 編
4 等伯(上・下) 安部龍太郎 著
5 僕の死に方 金子哲雄 著
6 私を知らないで 白河三兎 著
7 紅の党 朝日新聞中国総局 著
8 問題です。2000円の弁当を3秒で「安い!」と思わせなさい 山田真哉 著
9 皮膚感覚と人間のこころ 傳田光洋 著
10「弱くても勝てます」 高橋秀実 著

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前半はメタ小説として面白かったが、後半は漫画「ONE PIECE」になってしまった。

熱帯.jpg熱帯』(2018/11 文藝春秋)

 2019(平成31)年・第6回「高校生直木賞(大賞)」(同実行委員会主催、文部科学省ほか後援)受賞作。2018(平成30)年下半期・第160回「直木賞」候補作。2019(平成31)年・第16回「本屋大賞」第4位。

 「汝にかかわりなきことを語るなかれ」という謎めいた警句から始まる一冊の本『熱帯』。この本に惹かれ、探し求める作家の森見登美彦氏はある日、奇妙な催し「沈黙読書会」でこの本の秘密を知る女性と出会う。そこで彼女は「この本を最後まで読んだ人間はいないんです」と言うが、この言葉の真意とは? 秘密を解き明かすべく集結した「学団」のメンバーは、神出鬼没の古本屋台「暴夜書房」、鍵を握る飴色のカードボックスと「部屋の中の部屋」...。幻の本をめぐる冒険はいつしか妄想の大海原を駆けめぐり、謎の源流へと向かう―。

 かつてAmazonサイト内にあったマトグロッソ(今は独立している出版社イースト・プレスが運営するWeb文芸誌)に連載されていた作品で、作者が連載を抱えすぎて心身症を発症したため中断していましたが、それが作者が復活して完結させたもの、作者の『夜は短し歩あるけよ乙女』('06年/角川書店)、『夜行』('16年/小学館)に続いて3度目の「直木賞」候補にもなっています。

 ただし、個人的には、前半はメタ小説として面白かったのですがで(主人公は「スランプに陥っている作家・森見登美彦氏」)、後半は漫画「ONE PIECE」みたいになってしまっていて、リアルなイメージが全然湧きませんでした(『夜よるは短し歩あるけよ乙女』のアニメ版を観てしまったことも影響している?)。Amazon.comのレビューを見ると、固定的なファンと思われる人々から絶賛されている一方、一部からは「才能が枯渇したか」などとも評されています(個人的には、後者の意見に近い印象を持ってしまったのだが)。

 「直木賞」の方は、大衆選考会での推薦文には、「現実と空想の境界が曖昧になる構成が見事」「森見ワールドに何回でも浸らせてくださる」といった評が並んでいますが、本選考では強く推す人がいなかったようです。

 林真理子氏が、「読者をぐるぐると迷路の中に誘い込んだ。その混乱が大好きという人もたくさんいるであろうが、私は楽しめなかった」「読者も一緒になってイマジネーションを楽しむ作品なのだろうが、私は従いていけなかった」と述べていますが、自分の感想もこれに近かったでしょうか。

 東野圭吾氏などは、「本作には○も△も×も付けられなかった。この作品の何を楽しめばいいのか、まるでわからなかったからだ」「候補になっているのだから、ほかの人にはわかる美点があるに違いない。それが全く見えないのは、私に文学的素養がないからだろう。つまり本作は純文学なのだ。たぶん」と言っていて、これって半ば皮肉が込められているのではないでしょうか(笑)。

【2012年文庫化[文春文庫]】

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上手いことは上手いが、〈あざとさ〉を感じた。結末が中途半端な印象も。

「流浪の月」.jpg流浪の月.jpg流浪の月2.jpg 流浪の月 (創元文芸文庫.jpg
【2020年本屋大賞 大賞受賞作】流浪の月』['19年] 流浪の月 (創元文芸文庫 LA な 1-1)』['22年]
2022年映画化(タイアップ帯)
 2020(平成28)年・第41回「吉川英治文学新人賞」候補作。2020(令和2)年・第17回「本屋大賞」第1位(大賞)作品。

 家内(かない)更紗は、公務員だった父と自由な性格の母のもとに育っていったが、小学3年生の時に父は病死、1年後に母は男と蒸発した。親戚に引き取られた更紗だが、そこでの生活に窮屈さを感じ、また、その家の子・孝弘からは性的な扱いをされることで、完全に空虚な気持ちになっていた。ある日、公園で本を読んでいた更紗は、「ロリコン」とあだ名が付けられた、いつも公園で小学生を眺めながら読書をしている青年から、「うちへ来ないか」と言われ、ついていくことに。 青年は佐伯文(ふみ)という19歳の一人暮らしの学生で、噂とは異なり、更紗に対して性的な目は向けず、淡々と共同生活が続いた。文は真面目で、逆に更紗は自由な生活を手に入れ、両者は互いに信頼関係を築いていく。2か月の共同生活が続き、少女行方不明事件として話題を呼んでいた頃、文と更紗は油断して動物園に出かけ、そこでメディアにも報道されていた更紗に気づいた人が通報し、文は逮捕される。更紗はやっと現れた理解者が連れて行かれることに抵抗し、文の無罪を主張したが、誰からも信用されることはなかった。失意のまま親戚の家に戻った更紗は、相変わらず孝弘の「いたずら」が行われようとしたため、ビンで孝弘を強打し、孝弘の罪を言えないまま、少女時代を児童養護施設で過ごすことになる。14年後、彼女は大人になり、恋人・亮と同棲をしていた。しかし、過去の呪縛はいまだに彼女を縛り続けている。そんあなある日、更紗は文と思わぬ再会を果たすことになる―。

恩田陸 オンダ・リク.jpg 今年(2020)年4月発表の第17回「本屋大賞」の「大賞」受賞作ですが、3月の「吉川英治文学新人賞」では候補作でありながらも、5人の選考委員の内、積極的に推したのが(言わば◎をつけたのが)、恩田陸氏だけで、他にいなかったため受賞に至っていません。恩田睦氏は、「ここには、私たちが日々感じている息苦しさや生きにくさが描かれており、そのひとつの解決策が提示されている」としています。

 一方、その他の選考委員では、京極夏彦氏は、「筆力も、時代を写し取る感性も、申し分ない。よりシンプルな構造にしたほうが、完成度もいや増し、普遍性も獲得できていたようにも感じられる。惜しい」としていて(言わば△)、個人的にも、上手いとは思うけれど、読んでいてまどろっこしさを感じることもありました。

伊集院静es.jpg 他の選考委員は比較的厳しい評価で(言わば×)、伊集院静氏は作品の曖昧さに苦言を呈し、「亮という人物を登場させたことで作品に不必要な色合いをつけた」とも。大沢在昌氏も、「ファンタジーとしか読めなかった。こういう形での男女の交流を完全否定はしないが、清潔感でくるむことで、本来あってはならないことから目をそらせているようで、読んでいて落ちつかなかった」と。重松清氏も、「エグい要素が満載の作品でありながら、不思議な静謐さと清潔さをたたえていた」としながらも、「やや都合の良すぎる展開も目についてしまった」としています(亮が所謂「恋人間DV」であったという点などがそうか)。

 版元の口上に「あなたと共にいることを、世界中の誰もが反対し、批判するはずだ。わたしを心配するからこそ、誰もがわたしの話に耳を傾けないだろう。それでも文、わたしはあなたのそばにいたい―。再会すべきではなかったかもしれない男女がもう一度出会ったとき、運命は周囲の人を巻き込みながら疾走を始める」とあり、これだけでは何のことかさっぱり分かりませんが(笑)、生き辛い二人の見つけた互いが唯一安心できる関係と、世間の眼とのギャップが1つテーマになっているのかなと思いました(同様のテーマは、吉田修一氏の『悪人』('07年/朝日新聞社)などにも見られたように思う)。

 ただ、若干ネタバレになりますが、文がと更紗に対して性的な接し方をしないというのが、結局、終章で、文の気質的要因によるものだと分かった時、小説としてどうなのだろうと。結局、上手いことは上手いのですが、読者の内に潜む"道徳観"を逆利用して、読者を驚かせようとしているような〈あざとさ〉を感じなくもなかったです。また、かつての文は、本文中にもあるように、客観的には少女拉致監禁犯になるわけで、手を出さなければよいというものでもなく、この辺りも、プロ作家が選考委員を務める賞で、ノミネートされながらも受賞に至らなかった理由のような気がします。

 恩田睦氏が「ひとつの解決策が提示されている」としていると書きましたが、ハッピーエンドかというとどうかなと思います。結局、ラストではっきり示されているように、この二人はいつまでもさすらっていく可能性があり、作者もそれが分かっていて、タイトルに「流浪」とあるのでしょう。最後に、二人は知人の子ども「梨花」と会っていて、ある種「ステップファミリー」的なものを示唆しているのかなとも思いましたが、その子と会うのは年に1回ということで、全然そこまでもいっておらず、そうしたことも含め、全体に(特に結末部分)中途半端な印象は否めませんでした。
2020年本屋大賞.jpeg

【2022年文庫化[創元文芸文庫]】

2022年映画化「流浪の月」(東宝)
監督:李相日/出演: 広瀬すず、松坂桃李、横浜流星、多部未華子
「流浪の月」02.jpg「流浪の月」03.jpg

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新たに発見された続編と併せ、当初からストーリー性の高い構想だったのではないか。

夫婦善哉 決定版 新潮文庫.jpg夫婦善哉 (新潮文庫)旧.jpg 夫婦善哉 DVD.jpg 夫婦善哉 森繁久弥・淡島千景.jpg
夫婦善哉 決定版 (新潮文庫)』['16年]『夫婦善哉 (新潮文庫)』['50年/'00年改版]「夫婦善哉 [DVD]」淡島千景/森繁久彌
夫婦善哉19.JPG 大正時代の大阪。貧乏な天ぷらやの娘・蝶子は、17歳で芸者になり、陽気でお転婆な人気芸者に成長する。そして化粧問屋の若旦那・柳吉といい仲になり、駆け落ちをする。ところが熱海で関東大震災に出くわした二人は、大阪に戻り、黒門市場の裏路地の2階に間借り生活をはじめる。蝶子は職のない柳吉に代わり、ヤトナ芸者(コンパニオン)で稼ぎに出るが、柳吉はその金でカフェに出かけたりしていた。柳吉は実家の父親から勘当され、蝶子が苦労して貯めた金に手をつけて放蕩を繰り返す。蝶子はなんとか柳吉を一人前の男にして、実家から認めてもらおうと、商売を始める。剃刀屋、関東煮屋、果物屋、カフェなど転々と商売をするが、結局は柳吉の浪費で失敗に終わる。蝶子の苦労はなかなか報われず、柳吉も腎臓結石を患い、実家から廃嫡される。ある日、柳吉は蝶子を法善寺境内の「めおとぜんざい」に誘い、二人仲良くぜんざいをすする。蝶子はめっきり肥えて座布団が尻に隠れるほどになった―。(「夫婦善哉」)

 「夫婦善哉」は、織田作之助(1913-1947/33歳没)が1940(昭和15)年4月に同人雑誌「海風」に発表し、作者が世に出る契機となった作品です。新潮文庫の旧版(1950年刊)は、この他に「木の都」「六白金星」「アドバルーン」「世相」「競馬」の五編を所収していましたが、2007年に「続 夫婦善哉」の未発表原稿が発見されて刊行され(『夫婦善哉 完全版』雄松堂出版)、この文庫「決定版」は、旧版に「続 夫婦善哉」を加えたものです(新版の解説は石原千秋・早稲田大学教授だが、旧版の作家・青山光二の解説も載せている)。

映画 夫婦善哉0.jpg 「夫婦善哉」は、前記の通り、北新地の人気芸者で陽気なしっかり者の女・蝶子と、化粧問屋の若旦那で優柔不断な妻子持ちの男・柳吉が駆け落ちし、次々と商売を試みては失敗し、喧嘩しながらも別れずに一緒に生きてゆく内縁夫婦の物語であり、豊田四郎監督、森繁久彌、淡島千景主演の映画('55年/東宝)でも知られています。映画は森繁久彌主演ということもあって結構ユーモラスに描かれていますが、原作を読むと、見方によっては、頑張り屋の女性がダメ男に惚れたばっかりに、共に破滅に向かっていく、その予兆の部分まで描いた作品ととれなくもないように思いました。

「夫婦善哉」('55年/東宝)

 ところが、2007年に見つかった「続 夫婦善哉」では、二人は別府に渡り、そこで例のごとく商売を始め、前と同じく起伏がありながらも何とか見通しがついたところへ、隆吉の娘から、自分が結婚することになったので、二人で式に対会ってもらいたいとの速達が届く―という結末になっています(ハッピーエンドと言っていいのでは)。

夫婦善哉 映画 自殺未遂.jpg 実は、本編の終盤で、柳吉の父親が亡くなった際に、蝶子が葬式に出ることを実家から拒まれ、紋付を二人分用意していた蝶子は、いまだに隆吉の実家に自分が受け容れてもらえないのかと絶望し、ガス自殺未遂を起こすという事件があり(この事件は映画にも描かれて、原作同様に新聞記事になっている。この事件のため、柳吉は結局、父の位牌を持つことさえ許されなかったというのは映画のオリジナル)、こうしたことが、文学的には傑作だが、現実的に考えると、一人の女性が破滅に向かう話ともとれるのではないかと個人的に危惧するところであったのですが、ちゃんと話に続きがあって、前は「葬式に呼ばれなかった」けれど、今度は「結婚式に呼ばれる」という相対する結末が「続 夫婦善哉」には用意されていたのだなあと。

 決定版解説の石原千秋氏は、「夫婦善哉」を書いたのは私たちのイメージの中にある「織田作之助」その人であって、「続 夫婦善哉」を書いたのは、人間織田作之助であり、「夫婦善哉」には文学があって、「続 夫婦善哉」には織田作之助がいるとしていますが、なるほど、そうい夫婦ぜんざい.jpgう見方もあるのかなあと。ただし、旧版解説の青山光二(1913-2008)は、「結末のオチがうかばぬうちは作品を書き出さないというのが、短編小説の名手とされた織田作之助の基本的態度でもあった」としており、青山光二は、柳吉と蝶子が法善寺境内の「めおとぜんざい」に行き、二人でぜんざいを食べるという結末のイメージは早くから作者の頭の中にあったようだとしていますが、もしかしたら、更にその先までストーリーはできていたのかも、と思ってしまいます。
夫婦ぜんざい

 青山光二は、「若書きの『夫婦善哉』には、「文章に未熟な個所が目立ち、構成にも起伏が乏しい」といった弱点があるとしながらも、「この作品が今日まで多くの読者を獲得しつづけ、名品の風格さえ高いと思えるのは、題材と渾然たる調和をなす斬新な文体と、それによって一分の弛みもなく作品を支えている高度の緊張感、さらに作品の根底にある、作者の煮つまった情熱が、そくそくと伝わってきて、読者の心をうつからである」と評しています。

 確かに、戦後書かれた「世相」や「競馬」の方が、完成度自体は高いのかも。「世相」は作者の分身と思しき作家が世相を見ながら作品のネタを漁る、虚実皮膜譚のような構成でオチは無いのですが、真面目男がふとした契機から競馬に嵌ることになる「競馬」は、ストーリー性も高いように思います。ただし、「夫婦善哉」が「続 夫婦善哉」と当初からセットで構想されていたとしたら、ストーリー性においても後の作品と遜色なく、青山光二の言うように、「結末のオチがうかばぬうちは作品を書き出さない」というのは、デビュー当時からそうだったのではないかと思わせます。

 最初に読んだ時は、「世相」や「競馬」は「夫婦善哉」と並ぶ傑作だと思いましたが、読み返してみると、1940(昭和15)年の夏に(つまり「夫婦善哉」のすぐ後に)書かれた、作者と同じ六白水星の星まわりの少年・楢雄を主人公とする「六白水星」が傑作と言うか、愛おしい作品のように思えてきました(因みに、この作品は書いたときは発表が許されず、戦後に改稿して発表されている。織田作之助は、「夫婦善哉」の次作「青春の逆説」が発禁処分になっていて、このことはそのまま「世相」の中に話として出てくる)。「六白水星」は、何となくオチが無いように見えますが、読み返してみると、青山光二の言うように、「結末のオチがうかばぬうちは作品を書き出さない」という法則が当て嵌まるかのように、ラストが決まっているなあと思いました。

映画 夫婦善哉1.jpg 映画「夫婦善哉」は、森繁久彌演じる柳吉と淡島千景演じる蝶子が熱海の温泉旅館に駆け落ちと洒落込んだところへ関東大震災に見舞われるというのが出だしでしたが、森繁久彌のアドリブっぽい演技もあって(原作に無い台詞が結構あったように思う)ユーモラスに淡島千景 森繁久彌 夫婦善哉.jpg描かれていたし、あの映画で一番気持ちがいいのは、淡島千景演じる蝶子が、「あの人を一人前の男に出世させたら、それで本望や」と言い切るところですが、原作ではこうした啖呵を切る場面はありません。

 淡島千景は、この作品の演技で1955年・第6回ブルーリボン賞・主演女優賞を受賞。デビュー作でいきなりブルーリボン賞・主演女優賞を受賞した渋谷実監督の「てんやわんや」('50年/松竹)に続く2度目の受賞で、1955年度(1956(昭和31)年)・第4回「菊池寛賞」も受賞しています。また、森繁久彌も1955年・第6回ブルーリボン賞・主演男優賞を初受賞、淡島千景とのコンビで、この作品以降、「駅前シリーズ」など多くの作品で夫婦役を演じることになります。
  
映画 夫婦善哉 awasima.jpg 淡島千景(1924-2012、享年87)は生涯を独身で通しています。森繁久彌(1913-2009、享年96)が生前に「ずっと手が出なかった」と語ったように、男性を寄せつけないオーラがあったそうです。映画は、豊田四郎監督とこの二人のコンビで「新・夫婦善哉」('63年/東宝)が作られただけでリメイク作品はありません。一方、1966年以降10回ほどTVドラマ化されていて、扇千景、中村玉緒、榊原るみ夫婦善哉 森山未來 尾野真千子.jpg、泉ピン子、森光子、浜木綿子、三林京子、黒木瞳、田中裕子、藤山直美らが蝶子(またはそれに相当する役)を演じていますが、淡島千景を超えるものはなかったとの世評のようです。2013年の織田作之助生誕100年を機に、新たに発見された続編を含む新解釈でNHKが初めてテレビドラマ化しています(全4回)。柳吉と蝶子は森山未來と尾野真千子が演じましたが、残念ながら未見です。どろっとした役を演じても透明感のあるのが淡島千景でしたが、尾野真千子はどこまでそれに迫れたのでしょうか。

NHK土曜ドラマ「夫婦善哉」(2013年)森山未來/尾野真千子
 
映画 夫婦善哉es.jpg映画 夫婦善哉ド.jpg「夫婦善哉」●制作年:1955年●監督:豊田四郎●製作:佐藤一郎●脚本:八住利雄●撮影:三浦光雄●音楽:團伊玖磨●原作:織田作之助●時間:121分●出演:森繁久彌/淡島千景/司葉子/浪花千栄子/小堀誠/田村楽太/三好栄子/森川佳子/山山茶花究 夫婦善哉.jpg茶花究/万代峰子●公開:1955/09●配給:東浪花千栄子 夫婦善哉.jpg宝●最初に観たふたりぼっちの物語.jpg場所:神保町シアター(14-01-18)(評価★★★★)
 
山茶花究/浪花千栄子

 
夫婦善哉 正続 他十二篇_.jpg織田作之助 (ちくま日本文学全集).jpg【1950年文庫化・2000年改版[新潮文庫(『夫婦善哉』)]/1993年再文庫化[ちくま文庫(『織田作之助 (ちくま日本文学全集)』)]/1999年再文庫化[講談社文芸文庫(『夫婦善哉』)]/2013年再文庫化[岩波文庫(『夫婦善哉 正続 他十二篇』)]/2013年再文庫化[実業之日本社文庫(『夫婦善哉・怖るべき女 - 無頼派作家の夜』)]】

夫婦善哉 正続 他十二篇 (岩波文庫)』['13年]/『織田作之助 (ちくま日本文学全集)』['93年](※「続 夫婦善哉」は所収しておらず)カバー絵:安野光雅   
    
夫婦善哉 (講談社文芸文庫) 文庫.jpg夫婦善哉 (講談社文芸文庫)』['99年]
「夫婦善哉」のほか、「放浪」「勧善懲悪」「六白金星」「アド・バルーン」、評論「可能性の文学」所収(※「続 夫婦善哉」は所収しておらず)

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悲恋物語でありながらも前向きなものが感じられる「愛と死」は、作者の真骨頂か。

愛と死 (新潮文庫)2.jpg愛と死 (新潮文庫).jpg  愛と死 (1980年) (ポプラ社文庫).jpg  若き日の思い出 (新潮文庫).jpg
愛と死 (1952年) (新潮文庫〈第423〉)』『愛と死 (新潮文庫)』『愛と死 (1980年) (ポプラ社文庫)』『若き日の思い出 (新潮文庫)

友情・愛と死・若き日の思い出.JPG 小説家の端くれである村岡は、尊敬する小説家であり、友人となった野々村の元へ訪問するようになる。そこで野々村の妹である夏子と知り合う。ある時、野々村の誕生日会の余興の席で夏子に窮地を救われてから、二人の関係が始まる。文芸会の出し物や手紙のやり取りで距離を縮めていき、最終的に村岡の巴里への洋行後に結婚をするまでの仲になる。半年間の洋行の間でも互いに手紙を書き、帰国後の夫婦としての生活に希望を抱いていたが、帰国する船の中で、電報によって夏子の急死が知らされる。帰国後、深い悲しみを負いながら野々村との墓参り、帰国の歓迎会で村岡は「死んだものは生きている者に対して、大いなる力を持つが、生きているものは死んでいる者に対して無力である」という無常を悟る。21年の時を経てもその考えは彼にとっての慰めとなっている―。

 「愛と死」は、武者小路実篤(1885-1976)が1939(昭和14)年7月に「日本評論」に発表した長編小説であり(ただし、文庫で100ページほどだが)、「友情」「若き日の思い出」と併せて、武者小路文学の青春三部作と言われていますが、1919(大正8)年発表の「友情」から20年を経て書かれており、「友情」執筆当時34歳だった作者は、54歳にななっていたということになります。ただし、主人公の村岡が、21年前の出来事を回顧する形になっているので、「友情」とある種"連作"関係にあると見做されるのではないでしょうか。

「愛と死」('71年/松竹)監督:中村登/脚本:山田太一/出演:栗原小巻・新克利・横内正・芦田伸介
愛と死 映画 栗原.jpg「愛と死」('71年/松竹)b.jpg「愛と死」('71年/松竹)cf.jpg これも「友情」と並んで人気の高い作品で、1959年に八千草薫主演でドラマ化され、1971年には栗原小巻主演で映画化されています。栗原小巻主演の映画版は、時代を現代に置き換え、「愛と死」と「友情」の両方を原作としています(原作における夏子の死因は流行性感冒(スペイン風邪と思われる)だったが、映画で栗原小巻演じる夏子は爆発事故で亡くなる)。

 まさに、原作の「死んだものは生きている者に対して、大いなる力を持つが、生きているものは死んでいる者に対して無力である」との主人公の想いに無常を感じますが、さらに、この無常を乗り越えるためによりよく生きようという主人公の意思が、個人的には感じられました。このあたりは「友情」と同じく、悲恋物語でありながらも前向きなものが感じられ、やはりこの辺が白樺派・武者小路実篤の真骨頂ではないかと思います。

 作者・武者小路実篤は、さらに61歳の時に「陸輸新報」という鉄道関係の業界新聞に、1945(昭和20)年5月から10月まで『母の面影』という題で、戦中戦後を通して全103回にわたり連載、それらを集め改稿したものが翌1946(昭和21)年4月に座右宝刊行会より単行本『若き日の思い出』として刊行されました。

 「若き日の思い出」のストーリーは、長年母の庇護の下にあった主人公「私」(野島厚行)が、療養のためにK海岸へ一人旅に出かけ、そこで同級生の宮津とその妹正子に出会い、さらに、それをきっかけに様々な人物との交流を通して「私」は成長し、また、正子との恋をも成就させるというものです。

 「友情」と少し似ているところもありますが、「友情」と違って、主要登場人物のほとんどが、主人公の恋愛の媒介者として、その恋愛が成就する方向に作用します。また、元々が「母の面影」というタイトルであったことからも窺えるように、作者の「母思う記」的要素も含んでいます。因みに、谷崎潤一郎から井上靖、山口瞳まで多くの作家の作品の中に、この種の作品があります(近年ではリリー・フランキーかな)。

 作品が象徴性の高い文体で描かれており、典型的な予定調和型の物語展開であるため、研究者によっては「大人の童話」として位置付けられることもある作品ですが、「友情」「愛と死」「若き日の思い出」の中でこの作品が最も好きな読者も結構いるようです。

 個人的には、気持ちよく読める作品ですが、「友情」「愛と死」と劇的な内容であるだけに、ちょっと地味な印象も(映画にはしにくい(笑))。ただし、「青春三部作」という捉え方をするのならば、最後を締めるには相応しい作品と言うことになるのかもしれません。

 「友情」「愛と死」「若き日の思い出」の「青春三部作」のうち、「友情」は作者が30代の時の作品で、後の2作は、それぞれ50代と60代の時に書かれて作品であることを意識して読んでみるのもいいのではないでしょうか。


愛と死 武者小路sim.jpg「愛と死」新潮文庫.jpg「愛と死」...【1952年文庫化・1967年改版[新潮文庫(『愛と死』)]/1955年再文庫化[角川文庫(『愛と死』)/1965年再文庫化[旺文社文庫(『友情・愛と死―他一編』)]/1966年再文庫化[角川文庫(『友情・愛と死』)/1972年再文庫化[講談社文庫(『愛と死』)/1980年再文庫化[ポプラ社文庫(『愛と死』)]】

角川文庫『友情・愛と死』.jpg「若き日の思い出」...【1955年文庫化[角川文庫(『若き日の思ひ出』)/1957年再文庫化・1968年改版[新潮文庫(『友情』)/1966年再文庫化[旺文社文庫]】

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武者小路実篤 友情 以文社.jpg
武者小路実篤 友情 2.jpg友情 (新潮文庫).jpg  友情 (岩波文庫).jpg
友情 (1949年) (新潮文庫)』(改装版・新装版)『友情 (岩波文庫)
『友情』(1920/04 以文社)

"高次の友情"を支えるものは何か。
旧装派(カバー・題字:武者小路実篤)
友情・愛と死・若き日の思い出.JPG 脚本家の野島は、作家の大宮と尊敬し合い、仕事に磨きをかけている。実績は大宮のほうがやや上だが、大宮はいつも野島を尊敬し、勇気づけてくれる。ある日、野島は友人の仲田の妹・杉子に恋をする。堅い友情で結ばれた大宮に包み隠さず打ち明けると、やはり大宮は親身になってくれた。杉子会いたさに仲田の家へ大宮と連れだって行くと、杉子はいつでも自分たちに無邪気な笑顔を向けてくる。野島は、杉子に大切にされている感覚を覚えた。しかし、大宮は杉子にはいつも冷淡だった。突然、大宮が「ヨーロッパに旅立つ」と野島に告げる。野島は友人と別れる寂しさと杉子を一人占めできる安心感とに悩む。それ以来、杉子とはあまり遊ばなくなる。大宮が西洋へ旅立って約1年後、思い切ってプロポーズをしたが断られる。さらに1年程後、杉子は突如ヨーロッパへ旅立ち、その後、大宮からは一通の手紙が届く。そこには「自分の書いた小説を見てくれればわかる」とあった。その小説は、大宮と杉子が抱き続けていた恋心と野島への思いを明かす内容だった―。

「友情」発表100年 作中の言葉をおみくじに.jpg 武者小路実篤(1885-1976)が1919(大正8)年10月から12月に「大阪毎日新聞」に連載した作品で、1920(大正9)年4月には以文社より単行本が刊行されています。後に書かれる「愛と死」「若き日の思い出」と併せて、武者小路文学の青春三部作と言われていますが、特にこの「友情」は「恋する人はすべからく読むべし」とまで言われるほど根強い人気があるようで、調布市にある武者小路実篤記念館では、昨年['19年]に「友情」の発表100年を記念して、作中の言葉を記した「おみくじ」を作成し、来館者に配布したくらいです。

武者小路実篤の「友情」と記念館が配布したおみくじ(毎日新聞 2019年8月17日 地方版)

 結論から言うと、大宮は野島との友情と引き換えに愛する人・杉子を得たが、野島は愛する人・杉子と友人・野島を一度に失ってしまうという話で、二人とも友を失っている話であるのに「友情」というタイトルであるのが興味深いです。

 大宮などは、杉子が自分のことを好きになり、野島のことは彼女は前から好いていなかったことを小説として描いて同人誌に発表したくらいで、大宮なりに悩んだのでしょうが、見方によっては野島に対して非常に惨酷な仕打ちをしていることになります。

 どうしてこの話が「友情」というタイトルになるかということを考えてみるに、この作品の趣意とする"友情"は、一般的なそれよりもひと際高いレベルにある(ということを作者が言いたい)ためではないかと思います。

 その証拠に、恋に破れた野島は、大宮への手紙の中で、「君よ、仕事の上で決闘しよう。君の惨酷な荒療治は僕の決心をかためてくれた。之は僕にとってよかった」と書いていて、この失恋も自分の成長の糧にしようという非常にポジティブな姿勢が窺え、むしろ野島の仕打ちに感謝すらしているように見えます。これは、やっぱり"高次の友情"ということになるのではないでしょうか。

 こうした"友情"を支えているものは何かというと、野島の大宮に宛てた手紙からも窺えるように、自分たちがこれからの文学界を引っ張っていくのだという気概のようなものではないかと個人的には思います。これを、一高的教養主義というか、(自分は世の中に資する仕事をすべき人間であり、世の中のために成長していかなければならないという)ある種エリート思想とみるのも、あながち全くの誤りではないように思います。

武者小路実篤 志賀直哉.jpg この小説のモデルは、野島が武者小路実篤自身で、大宮が志賀直哉だと言われています。実生活では、志賀直哉は武者小路実篤より2歳年上ですが、二人とも初等科から学習院に通っていて、武者小路実篤が中等科6年、17歳の時、二回落第した志賀が同級になったことから、以後親しくなっています。志賀直哉はビリから6番目、武者小路実篤はビリから4番目の成績で学習院を卒業し、揃って東京帝国大学に入学しています(成績の悪い者同士で仲が良かった?)。ただし、武者小路実篤と志賀直哉が一人の女性を巡って恋敵同士のような関係になったという事実は無いようです(若い頃の風貌を見ると、志賀直哉の方がモテそうだが)。

画:周剣石・清華大学美術学院副教授

 杉子に対する野島の恋心の一途さが非常に上手く描かれていて、野島が真実を把握できていなかった、いわば"恋は盲目"状態にあったということが、腑に落ちます。杉子が大宮にぐぐっと傾倒したのは、ピンポンでそれまで男たちを打ち負かしていた杉子が、大宮にはこてんぱに打ち負かされた時からではないでしょうか。大宮は、野島が杉子とピンポンの手合わせしなければならなくなった状況で、杉子や皆の前で野島に恥をかかせまいとして助太刀したのに、と思うと実に皮肉なことで、この辺りも上手いと思いました。随所に恋に落ちた者の心情の的確な描写があり、「おみくじ」になるのも分かる気がします(笑)。

【1947年文庫化・1967年改版[新潮文庫(『友情』)]/1965年再文庫化[旺文社文庫(『友情・愛と死―他一編』)]/1966年再文庫化[角川文庫(『友情・愛と死』)]/1970年再文庫化[ポプラ社文庫(『友情』)]/1992年再文庫化[集英社文庫(『友情・初恋』)]/2003年再文庫化[岩波文庫(『友情』)]】

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