【2886】 ○ 南村 喬之(画)/テリー下沢(構成・文) 『大恐竜画報―伝説の画家 南村喬之の世界』 (2015/07 北辰堂出版) ★★★★

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「図鑑」ではなく「画集」として楽しむものだとしても図鑑として見てしまう。引き込まれる。

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大恐竜画報 2.jpg 南村喬之(みなみむら・たかし、1919-1997).jpg
大恐竜画報 伝説の画家 南村喬之の世界』南村喬之(1919-1997)
   
IMG_5469ブロントサウルス.JPG 挿絵画家・南村喬之(1919-1997)が1970年代から80年代に描いた恐竜作品を「大恐竜画報」として1冊に纏めたもの。解説によれば、すべて当時子供向け図鑑用に描かれた作品であるものの、恐竜研究が進む中、現在では違った見解、異なった名称の恐竜も多く、そのことを踏まえた上で、本書は「図鑑」ではなく、「南村喬之の画集」として編集したとのことです。

 当時の雰囲気を再現するため、名称も1970年代当時のままで、説明文も、当時の少年誌の読み物を意識した文体にしたとのこのこと。したがって、恐竜に詳しい人の目から見れば、おかしところが多く見られる復元図ということなるかと思いますが、以上の趣旨のもとに編纂されているので、これはこれで、昔見た少年誌の挿絵のワクワク感を思い出させてくれるという意味でいいです。

IMG_5470アパトサウルス.JPG 個人的には、自分がずっと幼い頃は、最大恐竜と言えば「プロントザウルス」が定番でまさにそれ一本でしたが、この画報が想定している70年代から80年代の時点ですでに名称が「プロントザウルス」からブロントサウルス(108p、全長21~23m)となっており、一方、アパトサウルス(156p、全長21~26m)も出ていて、解説に「かつてはブロントサウルス、雷竜とも呼ばれていたんだ」とあります(プロントザウルス→ブロントサウルス→アパトサウルスか)。但し、2015年の研究で「アパトサウルス」と「ブロントサウルス」とは別属との発表もあります(ナショナルジオグラフィックWEBニュース「ブロントサウルス、本物の恐竜として復活へ」2015.4.10)

IMG_5471マメンチサウルス.JPG 竜脚類(首長竜)でマメンチサウルス(36p、全長22~25m)というのも大きいし、長さで言えばディプロドクス(66p、全長25~30m)が史上最も長い恐竜だとありますが、Wikipediaでは、マメンチサウルスが体長20~35m、ディプロドクスが全長約20~33mになっています。でも、体重では、30t(本書)と圧倒的にアパトサウルスが重く(同じくWikipediaによれば、ディプロドクスはアパトサウルスなどと同じ竜脚類ではあるが、体重は比較的軽く、10 ~20t程度とみられるとのこと)、やっぱり草食巨大恐竜と言えばアパトサウルスになるのかなあ。でも、「特大の竜」ことスーパーサウルス(72年発見)はここには出てこないなあ。さらには「存在可能な最大級の恐竜であろう」と考える学者もいるアルゼンチノサウルスというのもあるし(体重は約80~100tあったと見積もられている)、アパトサウルスの最大恐竜としての地位は安泰ではないかもしれません。

 一方、肉食恐竜の方は、昔も今もティラノサウルス(98p、全長15m)が最大最強とされていて...とやっていくとキリがないのでこの辺りにしておきます。「図鑑」ではなく、「南村喬之の画集」として楽しむものだとしても、結局「図鑑」として見てしまうのは、もともとそのために描かれたものだからでしょう。その後の発見や研究で、二足立ち恐竜が所謂ゴジラ立ちをすることは普段は無かったとか、雷竜が水中にいることも無かったとか、いろいろ新事実が明らかになっているというのはありますが、それでも絵に細やかさと奥行きがあって引き込まれます。結局(正確さのことは抜きにして)「図鑑」として見てしまうことは、同時に絵を楽しんでいるということなのでしょう。

「白馬童子」 少年画報昭和35年9月号付録
白馬童子 少年画報昭和35年9月号付録.jpg 南村喬之は日本通信美術学院で美術を勉強、戦時中シベリアでの拘留生活を体験した後、戦後は多様な作画仕事で生活費を稼ぎながら改めて美術を勉強し、「はやぶさ童子」で絵物語作家としてデビュー。昭和30年代には「少年ブック」「少年画報」などで活躍しますが、絵物語が漫画分野にとって変わられる中で仕事が減り、1959(昭和34)年の「週刊少年マガジン」創刊号の漫画「天平童子」(原作・吉川英治)を執筆(矢野ひろし名義)したりもしますが(そう言えば、同じ挿絵画家の小松崎茂も、1957(昭和32)年に雑誌「少年」に漫画形式の絵物語「宇宙少年隊」を連載したことがあるが、途中から絵物語形式にスタイル変更した)、結局、漫画は自分の資質に合わないとし、以降は、挿絵画家に本格的に転向。怪獣もの、戦記ものなどで多大な業績を残しています(1960年代の初期怪獣ブームの時は、東宝・大映などの映画怪獣、ウルトラシリーズの怪獣んお造形に大きな影響を与えたとされる)。このように、主な活動は児童を対象としたものですが、桐丘裕之(きりおか・ひろゆき)、桐丘裕詩(きりおか・ゆうじ)などの筆名でSM雑誌の小説挿絵やイラスト画も担当していたりし、その分野でも独特の世界を確立していたそうです。そうした二面性があるところも何となくいいです。

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This page contains a single entry by wada published on 2020年6月 6日 00:04.

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