【2883】 ◎ スベトラーナ・アレクシエービッチ (松本妙子:訳) 『チェルノブイリの祈り―未来の物語』 (2011/06 岩波現代文庫) 《(1998/12 岩波書店)》 ★★★★☆

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冒頭の消防士の妻の証言は、読むのが辛いくらい衝撃的で、哀しい愛の物語でもある。

チェルノブイリの祈り.jpgチェルノブイリの祈り――未来の物語.jpgスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ.jpg スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ
チェルノブイリの祈り-未来の物語 (岩波現代文庫)
チェルノブイリの祈り―未来の物語

スベトラーナ・アレクシエービッチ.jpg 戦争や社会問題の実態を、関係者への聞き書きという技法を通して描き、ジャーナリストとして初めてノーベル文学賞を受賞したベラルーシのスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチの著作で、第二次世界大戦に従軍した女性や関係者を取材した『戦争は女の顔をしていない』(1984)、第二次世界大戦のドイツ軍侵攻当時に子供だった人々の体験談を集めた『ボタン穴から見た戦争』(1985)、アフガニスタン侵攻に従軍した人々や家族の証言を集めた『アフガン帰還兵の証言』(1991)、ソ連崩壊からの急激な体制転換期に生きる支えを失って自殺を試みた人々を取材した『死に魅入られた人びと』(1994)に続く第5弾が、チェルノブイリ原子力発電所事故に遭遇した人々の証言を取り上げた本書『チェルノブイリの祈り』(1997)です。

 1986年の巨大原発事故に遭遇した人々を3年間以上かけて、子どもからお年寄りまで、職業もさまざまな人たち300人に取材して完成したドキュメントですが、1998年に邦訳が出された際は、日本ではそれほど注目されてなかったのではないかと思います。それが2015年のノーベル文学賞受賞で知られるようになり、そう言えば2011年の東日本大震災・福島原発事故の年に、岩波現代文庫で文庫化されていたのだなあと―自分もほぼそのパターンです。

 チェルノブイリ原発事故とその後の対応に自身や近しい人が関わった様々な立場や職業の人々の証言が綴られていますが、やはり最も衝撃的だったのは、事故発生時に消火活動にあたった消防士の妻の話でした(この消防隊は後から駆け付けた応援部隊も含め最終的にほぼ〈全滅〉したとされている)。

 病院に搬送された夫を追って、妊娠を隠し会いにでかける妻。妊娠中だと夫に会えず、またそうでなくとも、将来妊娠する可能性があれば夫に会わせてもらえないため、息子と娘がいると嘘を言い、医師に「二人いるならもう生まなくていいですね」と言われてやっと「中枢神経系が完全にやられ」「骨髄もすべておかされている」という夫のいる病室へ。夫の食事の用意をどうしようかと悩むと、「もうその必要はありません。彼らの胃は食べ物を受けつけなくなっています」と医師に告げられる―。

 それから彼女は、毎日"ちがう夫"と会うことになります。やけどが表面に出てきて、粘膜がゆっくり剥がれ落ち、顔や体の色は、青色、赤色、灰色がかかった褐色へと変化していく。それでも彼女は愛する夫を救おうと奔走し(凄い行動力!)、泣きじゃくる14歳の夫の妹の骨髄が適応したことを知ると、それを夫に告げるも、優しい夫は彼女からの移植を拒否し、代って看護婦だった姉が覚悟の上で提供を申し出、手術を行います(姉は今も病弱で身障者であると言う)。

 夫のそばのテーブルに置かれたオレンジは、夫から出る放射能でピンク色に変わり、それでも、妻は時間の許すかぎり夫の傍に付き添って世話をし続けます。致死量の4000レントゲンをはるかに超える16000レントゲンを浴びた夫の身体は、まさに原子炉そのものであるのに、その夫のそばに居続ける妻の狂気。肺や肝臓の切れ端が口から出て窒息しそうになる夫。事故からたった14日で死を向かえた夫は、亜鉛の棺に納められ、ハンダ付けをし、上にはコンクリート板をのせられ埋葬され、一方、その後、生まれた娘は肝硬変で先天性心臓欠陥があり、4時間で死亡します。

 あまりに衝撃的で、読むのが辛いくらいであり、同時に、極限下で互いの気持ちを通い合わせる若い夫婦のあまりに哀しい愛の物語でもあります。

TVドラマ「チェルノブイリ」(2019)
ドラマ チェルノブイリ1.jpgドラマ チェルノブイリ2.jpgドラマ チェルノブイリ3.jpg  昨年[2019年]アメリカ・HBOで制作・放送され、日本でもスターチャンネルで放映されたテレビドラマ「チェルノブイリ」(全5回のミニシリーズ)にも、このエピソードが反映されたシーンがあったように思いましたが、虚構化された映像よりも、この生々しい現実を伝える「聞き書き」の方が強烈であり、ジャーナリスト初のノーベル文学賞受賞というのも頷けます。

東海村JOCの臨界事故
東海村JCO臨界事故.bmp 思えば、日本国内で初めて事故被曝による死亡者を出した1999年の東海村JCO臨界事故でも、犠牲となった2名の作業員は同じような亡くなり方をしたわけで、うちの1人である大内久さん(当時35歳)の83日間にわたる闘病・延命の記録は、海外では大きく取り上げられたものの、日本では、日本だけが報じない写真などがあるらしく、国の原子力政策上不都合なものには蓋をするという動きが働いたのではないでしょうか。マスコミ内にも、あの問題に触れることをタブー視する、或いは触れないよう"忖度"する気配があるように思います。

 東海村の事故は、2011年の福島原発事故より10年以上前のことですが、本書著者のノーベル文学賞受賞は2015年で、福島原発事故から4年しか経っておらず、その割にはマスコミもあまり彼女の受賞を報道しなかったように思います。本書のベラルーシでの出版は独裁政権による言論統制のために取り消されているとのことですが、目に見えない"報道規制"は日本でもあり得るのではないかと思った次第です。

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