2020年4月 Archives

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科学的見地から地球外生命の可能性を考察。先人たちが宇宙人についてどう考えたかが詳しい。
仮説宇宙人99の謎_5442.JPG  四つの目2.jpg 四つの目0.JPG
仮説宇宙人99の謎―宇宙は生命にあふれている (1978年) (サンポウ・ブックス)』 草下 英明 in「四つの目」)

仮説宇宙人99の謎_5443.JPG 本書の著者・草下英明(1924-1991)は誠文堂新光社など出版社勤務を経て独立した科学解説者、科学ジャーナリストで、「現代教養文庫」の宇宙科学関係のラインアップに、『星座の楽しみ』('67年)、『星座手帖』('69年、写真:藤井旭)、『星の百科』('71年)、『星の神話伝説集』('82年)などこの人の著書が多くありました( 保育社の「カラーブックス」の中にもあった)。その中でも、『星座の楽しみ』『星座手帖』『星の神話伝説集』は2000年に再版され、版元の社会思想社の倒産後は、2004年に文元社から「教養ワイドコレクション」としてオン・デマンド出版されています(版元が倒産しても本が出るのは内容がしっかりしているからということか)。

四つの目1.jpg また、「四つの目」という、NHKで1966(昭和41)年から1972(昭和47)年まで放送された小学生向けの科学をテーマにした番組の解説も務めていたので"視覚的"にも馴染みのある人です。「四つの目」とは、通常の撮影による「肉眼の目」、高速・微速度撮影による「時間の目」、顕微鏡・望遠鏡などによる「拡大の目」ウルトラアイ NHK.jpgガッテン!.jpg、Ⅹ線撮影による「透視の目」を意味し、物事を様々な「目」で科学的に分析するというもので、この番組スタイルは、後番組の「レンズはさぐる」('72年~'78年)を経て(草下英明はこの番組にも出ていた)、より生活に密着したテーマを扱う「ウルトラアイ」('78年~'86年)、「トライ&トライ」('86年~'91年)へと受け継がれ(共に司会は局アナの山川静夫)、「ためしてガッテン」('95年~'16年)や現在の「ガッテン!」('16年~)はその系譜になります。

 ということで、本書はトンデモ科学本などではなく、極めて真面目に、宇宙人の可能性について解説した本です。まえがきでUFOの存在をはっきり否定し、自身が遭遇したUFOと間違えそうな4つの経験を挙げ、すべてその正体を明かすなどして、UFO=宇宙人という考えの非科学性を説いています。その上で、科学的見地から地球外生命の可能性を考察しています。ただし、著者はSFにも詳しこともあり、地球外生命について先人たちはどのように考え、イメージを膨らませてきたかなどについても紹介していて、そのため堅苦しささは無く、楽しく読めるものとなっています。

 本書は全8章から成り、その章立ては、
  第1章「想像の宇宙人―人類はなにを夢見たか」、
  第2章「宇宙と生命―なにが宇宙人なのか」、
  第3章「地球と生命―環境はなにを決定するか」、
  第4章「惑星と生命―太陽系内生命の可能性を推理する」、
  第5章「恒星と生命―きらめく星の彼方になにがあるか」、
  第6章「宇宙人逮捕―宇宙人とどう交信するか」、
  第7章「宇宙と文明―ホモ・サピエンスはどこまで進化するか」、
  第8章「夢の宇宙人―どこまで宇宙人にせまれるか」、
 となっていて、その中に99の問いが設けられていますが、1つの章の中で各問いに連続性があるため、読みやすく、また理解しやすいです。

 特に先人たちが宇宙人についてどう考えたかが詳しく、第1章では、シラノ・ド・ベルジュラックの『月両世界旅行記』(1649)、ジュール・ベルヌの『地球から月へ』(1865)、H・G・ウェルズの『月世界の最初の人間』、コンスタンチン・ツィオルコフスキーの『月の上で』などにおいて作者が生み出した宇宙人が紹介されており(ツィオルコフスキーは「宇宙飛行の父」と呼ばれる学者であるともにSF作家でもある)、第8章では、ロバート・ハインラインの『人形使い』('51年発表)やハル・クレメントの『重力の使命』('54年発表)、アイザック・アシモフの『もの言う石』、ジヤック・フィニイの『盗まれた街』などに出てくる宇宙人が紹介されていて、更には、フレッド・ホイルの『暗黒星雲』にあらわれる星雲生命やClose Encounters.jpg、アルフレッド・E・バン・ボクトの『宇宙船ビーグル号の航海(航海)』('50年発表)の超生命なども紹介されています。また最後の〈問99〉「未知の宇宙人との遭遇は、どうなされるか」では、著者が本書を書き終えようとしていた頃に公開されたスティーヴン・スピルバーグ監督の「未知との遭遇」('77年)にも言及しています(高く評価している)。
「未知との遭遇」('77年)

 尤も、本論は第2章から第7章の間にあるわけで、宇宙人とは何かという定義から始まって、太陽系内の惑星を1つずつ生命が住めるか検証し、さらにそれを恒星宇宙に広げていき、さらに宇宙人との交信方法や人類の未来について考察していますが、その中においても、先人たちはどう考えたのが随所に紹介されていて、興味を持って読めます。地球外生命論については、立花隆、佐藤勝彦ほか著の『地球外生命 9の論点―存在可能性を最新研究から考える』('12年/講談社ブルーバックス)などもありますが、本書が"経年劣化"しているとはまだ言えず、単著で纏まりがあるという点で、本書は自分の好みです。

 因みに、〈問1〉「世界で最初に宇宙人を想像したのはだれか」によると、世界で一番古い宇宙旅行小説(SFの元祖)は、紀元前二世紀頃にギリシャのルキアノスが "イカロスの翼"伝説に触発されてメニッポスという実在の哲学者を主人公にして書いた『イカロメニッポス』というものだそうで、そのあらすじがまた面白かったです。

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「●わ 和田 誠」の インデックッスへ

誰が誰を選んでいるかも興味深いが、やはり、和田誠の絵が一番楽しめる。意外と知られていない傑作集。
3人がいっぱい②_5436.JPG3人がいっぱい  1・2 - コピー.jpg 和田誠 2.jpg
3人がいっぱい 2 (新潮文庫 わ 3-2)』和田 誠(1936-2019)

 雑誌「小説新潮」の1976(昭和51)年7月号から1979(昭和54)年12月号までに掲載されたコラムを文庫化したもので、同誌の1973(昭和48)3人がいっぱい②_5437.JPG年1月号から1976(昭和51)年6月号に掲載のコラムを文庫化した『3人がいっぱい➀』の続編です。

3人がいっぱい②図7.png コラムの趣旨は、「今月の3人」として、毎月異なる選者にテーマを決めてそのテーマに沿った3人の有名人を挙げて文書を書いてもらい、その3人の似顔絵を和田誠が描くというものです(最初の1年間は和田誠自身が似顔絵だけでなく、人選と文書も担当していた)。

3人がいっぱい②_5438.JPG 冒頭の1976(昭和51)年の1月には、黒柳徹子が「私より早口の三人」として、森英恵(美しい早口)、淀川長治(楽しい早口)、沢村貞子(立派な早口)を、2は、寺山修司が「競馬の先輩」として、古山高麗雄(最終レースの古さん)、織田作之助(一の目のオダサク)などを挙げています(織田作之助って随分前に亡くなっているけれど、真面目男がふとした契機から競馬に嵌ることになる「競馬」という傑作短編がある)。9月は渡辺淳一が、「手術してみたい三人」として、ちあきなおみ。浅丘ルリ子、浅茅陽子を挙げています。

3人がいっぱい②_5444.JPG 1977(昭和52)年に入ると、9月に筒井康隆が「三人の破壊者」として、タモリ(言語破壊者)、矢野顕子(フィーリング破壊者)、山下洋輔(ピアノ破壊者)を挙げていたりし、1978(昭和53)年には、本書の解説も書いている作家の阿佐田哲也が「文武百般の大先輩」として、五味廣祐、柴田錬三郎、寺内大吉を挙げていますが、この場合の"武"は賭け事なのでしょう。

3人がいっぱい②_5439.JPG  1979(昭和54)年では、作詞家の阿久悠が「目の光る三人」として倉本聰、浅井慎平、王貞治を挙げています。また、作家の小林信彦が、「笑いの求道者たち」として、森繁久弥、渥美清、萩本欽一を挙げています。

 選者も含め亡くなっている人も多いですが、息長く活躍している人も多いなあと。『3人がいっぱい➀』の方でも感じましたが、誰が誰を選んでどのようなことを書いているかも興味深いですが、やはり絵が一番楽しめるでしょうか。昨年['19年]亡くなった和田誠の、本書は意外と知られていない傑作イラスト集と言えるかもしれません。

3人がいっぱい②7.jpg

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読み物を読むように読めてしまい、それでいて頭によく残るのがいい。

発明発見99の謎0.JPG発明発見99の謎5.JPG  科学の起源99の謎.jpg
発明発見99の謎―だれが、なぜ最初に気がついたか (1978年) (サンポウ・ブックス)』['78年]『科学の起源99の謎―宇宙の発見から数・生命・動力の発見まで (1976年) (サンポウ・ブックス)』['76年]

発明発見99の謎1.JPG 本書の著者・三石巌(1901-1997)は物理学者ですが、70歳を過ぎてから分子生物学や栄養学での研究も行うようになり、独自に編み出した分子栄養学を提唱して、健康自主管理運動の拠点として1981年にメガビタミン協会、1982年に株式会社メグビー設立したという人物です。

 理科全般にわたる教科書や子供の科学読み物から専門書にいたる著作は300冊余りとなり、長寿を保ちつつ生涯現役を全うしています。死去の2週間前まで雪山でスキーを楽しみ、担当医は「ガンなど一切なく、臓器はすべて正常でした。三石理論でガンが予防できることを、ご自身の体で証明されたのですね」と語っています。

ダルビッシュ有 twitter.jpg その著書の一部は今なお読み継がれていて、あたかも著者が存命しているかのように毎年刊行されており、メジャーリーガーのダルビッシュ有なども信奉者です。どこかの栄養士がツイッターで著者の栄養学を、「三石巌氏は長く研究されているようですが、論文がありませんのでトンデモです」と批判したのに対し、ダルビッシュは「多分あなたがトンデモだと思いますよ」とツイートしていました(笑)。

 本書は物理や化学に特化した入門書ではなく、科学一般の疑問に広く答えることで、読者に科学的な知識やセンスを養ってもらうことを意図したものと思われ、昔はこの著者に限らず、広く「科学」を解説できる学者が結構いたように思います。思えば、あのアインシュタインだって(「物理学」限定だが)『物理学はいかに創られたか』(共著・岩波新書)という入門書を書いているぐらいですが、今はこうした分野はサイセンスライターの領域なのでしょうか。

 本書は、「青空の科学」「飛行機の科学」「「大気圏外の科学」「外から見た地球の科学」「ひかりの科学」「ミクロ世界の科学」「身のまわりの科学」「発見のはなし」「発明のはなし」の9章からなり、この中に、例えば第1章であれば「空気はいつ、だれが発見したか」「空気はなぜ見えないか」といった問いが設けられていますが、1つの章の中で各問いに連続性があるため、1つわかって、それをベースに次に進むというスタイルになっています。

 したがって、バラバラに問いが設定されているよりも読みやすく、また、理解しやすいです。そうした中に、「紅茶とコーヒーはどちらがよいか」といったごく日常に関わる問いや、「コンピュータは何のために発明されたか」といった学校ではあまり教わらないような問いが織り込まれていたりもし、読み物を読むように読めてしまい、それでいて頭によく残るというのが本書のいいところではないかと思います。先に同著者の『』も読みましたが(と言っても随分以前になるが)これも良かったです。

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人選や文章も楽しめるが、やはり一番は和田誠の描く似顔絵。

3人がいっぱい➀_5429.JPG3人がいっぱい  1・.jpg3人がいっぱい➀ amazon.jpg
3人がいっぱい 1 (新潮文庫 わ 3-1)

 雑誌「小説新潮」の1973(昭和48)年1月号から1976(昭和51)年6月号までに掲載されたコラムを文庫化したもので、単行本化を経てはおらず、和田誠(1936-2019)の名前で出た本としては新潮文庫初登場でした。

3人がいっぱい➀_5430.JPG コラムの趣旨は、「今月の3人」として、毎月テーマを決めてそのテーマに沿った3人の有名人に登場してもらい、その3人の似顔絵を和田誠が描くというもので、当初は和田誠自身がテーマを決めて「今月の3人」を選び、その3人についてイラストを前景として余白に文章も書くというものでしたが、このスタイルは1973年12月号で終わり、1974年からは「続・今月の3人」として、人選と文章を毎月異なる著名人が担当し、和田誠はイラストを担当するものとなっています。

 この形になったお陰で長続きできたのか、1975年から1976年6月号までは「新・今月の3人」として連載は続き、それが本書に収めれられているわけですが(42組13人がいっぱい➀_5431.JPG26人)、連載は「今月の3人」にタイトルを戻して1976年7月号から1979年(昭和54)年12月号まで続き、後半部分(42組126人)は『3人がいっぱい②』として同じく文庫化されています。

 まず、シンプルな線で本人の特徴を上手く写しとった絵に目が行き、次にどのような切り口で誰を選んだのかが面白く、それで文章も読むといった感じでしょうか。まず、和田誠自身がテーマ決めと人選をしていた1973(昭和48)年は、1月は「多忙」と題して、笹沢佐保氏、愛川欽也氏、赤塚不二夫氏が取り上げられていて、当時の売れっ子ぶりが窺えます。8月は「お寺」と題して、、丹羽文雄氏、植木等氏、篠山紀信氏が取り上げられていますが、3人とも実家がお寺だったのだなあ(1973年だけ画中の名前に男性は「氏」、女性は「さん」がついている)。

3人がいっぱい➀_5432.JPG 1974(昭和49)年以降は、選者のトップバッターは文庫解説も書いている吉行淳之介で、「ノム・ウツ・カウ」と題して、"ノム"で山口瞳、"ウツ"で生島治郎、" カウ"で川上宗薫を選んでいて、川上宗薫は巨大なイヌを飼っているとのこと(笑)。同年6月は、選者がSF作家の小3人がいっぱい➀_5433.JPG松左京で、「SF三大図絵」と題して、星新一、筒井康隆、半村良を選んでいます。8月は、漫画家の東海林さだおが「三人をハゲます会」と題して、"角"として稲垣足穂、"丸"として田中小実昌、"三角"として殿山泰司を選んでいます。形状で区分しているところがさすがに漫画3人がいっぱい➀_5434.JPG家(笑)。それをイラスト化しているのは和田誠ですが。

 1975(昭和50)年に入ると、その田中小実昌が8月の選者となって、「三大ボイン歌手」と題して、中山千夏、戸川昌子、3人がいっぱい➀_5435.JPG淡谷のリ子を取り上げたりしていますが、こうしてみると、亡くなった人も多いですが、存命で現役の人も結構いるなあという印象です。そうした人はものすごく職歴や芸歴が長いことになりますが、それだけ早くに世に出たということなのでしょう。芸能人で言えば黒柳徹子然り、美輪明宏然り、作家で言えば佐藤愛子然り、大江健三郎然り(庄司薫みたいに書かなくなってしまった作家もいるが)。

 結構、選ばれた人が今度は選ぶ側に回っていたりして、まあ、人選や文章も楽しめますが、やはり一番は和田誠の描く似顔絵でしょうか。解説の吉行淳之介(この人も選ぶ側であったり選ばれる側であったりする)は、和田誠の描く似顔絵を山藤章二(この人も選ぶ側であったり選ばれる側であったりする)のそれと比較して「淡泊」としていますが、そういう表現の仕方もあるのかもしれません。

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そのオーラに溢れた怪奇画を再びこうして見られるだけでも有難い。

柳柊二怪奇画集01.jpg柳柊二怪奇画集11.jpg 柳柊二怪奇画帖ド.jpg
柳柊二怪奇画帖

柳柊二怪奇画集20.jpg イラストレーター・挿絵画家の柳柊二(やなぎ・しゅうじ)(1927-2003)(本名:柳橋風有草(やなぎばし・かざうぐさ)の怪奇挿画を集めたもので、昭和40年代頃の少年雑誌には「大図解」というグラビアページがありましたが、それを飾る画家としては、柳柊二は石原豪人(ごうじん)(1923-1998)と並ぶ"大御所"だったように思います(この二人、共に75歳で亡くなっている)。

柳柊二怪奇画集30.jpg 石原豪人は「エロスと怪奇」を描いたイラストレーターと言われていますが、柳柊二の方は「怪奇」が中心で(初期にはエロス系も描いていたが、子どもができてやめたようだ)、ただし、普通の歴史時代ものの挿絵なども多く描いています(「伝記文庫」の表紙絵なども描いている)。両者を「怪奇」同士で比較すると、石原豪人が、力強いタッチで押してくるのに対し、柳柊二は繊細なタッチで、伊藤彦造(1904- 2004/享年100)のイラストをも想起させます。

柳柊二怪奇画集40.jpg 本書では、その細かいタッチが分かるようにページいっぱいに絵を載せていて、見開きページも少なからずあって、画家の筆致を堪能できます。一方で、モノクロ・二色刷りが主体で、カラー原画のページがちょっと少ないかなという感じもします。もともと少年雑誌の「大図解」がモノクロ・二色刷りが多く、これは致し方なかったのかなと(怪奇画に絞って、しかも原画が残されているもののみで本書を構成したこともその理由か)。

ヘンゼルとグレーテル―グリム童話.jpg 巻末に、柳柊二夫人、柳橋静子さんのインタビューがあり、本人は「子供の絵はごまかしちゃいけない」と言い、「リアルな絵が描ける装画家はいないんじゃないかなあ」と嘆いてもいたとのこと。忙しい時期は、今は禁止薬物になっている精神賦活剤を飲んで、60時間くらい起き続けて描いていたそうです。ずっと奥さんを「おい」とだけで呼んでいたのに、最期亡くなるちょっと前に「静子さん」と名前で奥さんを呼び、感謝の意を表したという話にはほろりとさせられます。

 解説によれば、柳柊二は怪奇画を得意としていたわけでもなく、多くの出版社から依頼を受けて、描いてきたものは多岐に渡り、子供向けだけを取ってみても怪奇画はその一部にすぎないとのこと(「講談社の絵本」シリーズの表紙などを手掛けており『ヘンゼルとグレーテル』などは高い水準であると)。柳柊二のものと知らずに見ていた絵も結構あったかもしれないなあと思いました。

 でも、取り敢えず、原画が残っていて(殆どが、出版社から戻されて、本人宅に無造作に仕舞われていたものだったそうだ)、そのオーラに溢れた怪奇画を再びこうして見られるだけでも有難いことだと思います。

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