【2862】 ◎ 西川 昭幸 『昭和の映画ベスト10―男優・女優・作品』 (2019/07 ごま書房新社) ★★★★☆

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スクリーンで観るのとはまた違った、一人一人の意外な人となりが伝わってくる男優・女優篇。

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昭和の映画ベスト10 ‐男優・女優・作品‐

 1941年生まれで、大学卒業後、東映AG、角川春樹事務所などに勤務した著者が、「映画は娯楽」という考えのもと、昭和の男優、女優、作品のベスト10を選んで解説したものです。

 男優では長谷川一夫、三船敏郎、渥美清、高倉健、市川雷蔵、勝新太郎、萬屋錦之介、石原裕次郎、菅原文太、仲代達矢、女優では、田中絹代、李香蘭、原節子、高峰秀子、京マチ子、美空ひばり、岩下志麻、吉永小百合、富司純子、薬師丸ひろ子、作品では、「東京物語」(昭和28年)、「七人の侍」(29年)、「二十四の瞳」(29年)、「椿三十郎」(37年)、「浮雲」(30年)、「飢餓海峡」(40年)、「男はつらいよ」(44年)、「仁義なき戦い」(48年)、「砂の器」(49年)、「幸福の黄色いハンカチ」(52年)が選ばれています(ベスト10内での順位づけは無し)。

 男優篇・女優篇で全体の8割を占め、作品よりも俳優の方にウェイトがかかっている感じですが、"映画通"を称するならば知っておきたい(または知っているであろう)エピソードが詰まっていて楽しめました。それぞれの俳優に思い入れを込めながらも、淡々と逸話を紹介しているのも良かったです。

 長谷川一夫(昭和59年没)については、松竹から東宝へ移籍した際にヤクザに顔を切られた「林長二郎傷害事件」の、当時マスコミに公表されることがなかった"真実"が書かれていて、当時松竹系の新興キネマの撮影所長をしていたという永田雅一が関係していたとはびっくり。長谷川一夫のNHK大河ドラマ「赤穂浪士」への出演ギャラは史上空前だったそうですが、当時のNHKってそんなに大盤振る舞いだったのか。

「羅生門」.jpg 三船敏郎(平成9年没)がカメラマン志望で東宝を受けて、書類の手違いで俳優志願に回され、面接会場にいた高峰秀子の目に留まって、その存在感に胸騒ぎを感じた高峰秀子が黒澤明に連絡し、駆けつけた黒澤明も三船敏郎を見てただならぬ雰囲気を感じて審査委員長だった山本嘉次郎監督に直訴して三船敏郎の採用が決まったというのは有名な話。その後、黒澤明監督の「羅生門」で世界に羽ばたく三船敏郎ですが、当初、この作品の国内での評価はそう高くなく(キネ旬ベストテン5位)、最初は大映社長の永田雅一も「この映画はわけがわからん」と言っていたのが、ベネチア映画祭でグランプリの受賞が決まると態度を一変、自分の手柄のように語り、世間は「黒澤明はグランプリ、永田雅一はシランプリ」と揶揄したとあります。因みに、三船敏郎はいつも撮影現場に誰よりも早く来て、セリフは完璧に覚えていて、相手がとちっても嫌な顔ひとつ見せず、お付きを絶対付けず、カバン(化粧箱)なども自分で持ったそうで、撮影現場で非常にストイックな姿勢を見せ周囲の尊敬を集めたという高倉健をちょっと想起させます。

男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎
男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎 水中花.jpg 渥美清(平成8年没)のところでは、世間ではあまり知られていない彼の来歴が書かれてていて、テキ屋稼業みたいなこともやっていたのだなあ。ストリップ劇場で仕事していたというのは片や劇団員として、片や漫才師としてという違いがあるものの、後のビートたけしなどにもつながるように思いました。当時、渥美清は1歳年上のストリッパーと同棲していて、彼女は渥美清に惚れ込んで尽くし、渥美清が大病したときも献身的に世話をしたけれども、彼が有名になると静かに身を引いたとのことで、こういう気質の女性って昔はいたのだなあと。公私混同を嫌った渥美清の私生活は謎に包まれ、彼が結婚していたことを彼の死まで知らなかった人も多かったそうです。

高倉健 bunka.png 高倉健(平成26年没)もプライベートを見せなかった俳優で、晩年にガンで病床に伏してもごく一部の人にしか伝えられなかったというのは、渥美清とちょっと似ているように思いました('13年の文化勲章親授式に出席した際は、もしかしたら...とは思ったが)。死後、養女・小田貴月(たか)氏の振る舞いに、高倉健をよく知る関係者らから嘆きの声が聞こえてくるのが残念。自宅も壊され、鎌倉霊園の墓も更地になって、その骨さえ家族の元には残らず、著者も「名声と富を極めた高倉だったが、死後の始末までは心が至らなかった。しかし、立派な足跡は残った」と書いています。

大映グラフ 1967年 昭和42年 新春特別号.jpg 市川雷蔵(昭和44年没)が、長谷川一夫に続くスタートして脚光を浴びたのに、長谷川一夫よりずっと早く亡くなってしまったのは本当に残念。本書では、同じ大映で仲の良かった勝新太郎から見た市川雷蔵像と言うのがあって、メイクをすると「市川雷蔵に変わる」「メーキャップをしている姿は菩薩のように見えた」とのこと。この人もガンで、37歳の短い生涯でした。

大映グラフ 1967年 昭和42年 新春特別号 市川雷蔵 勝新太郎保

 といったように続いていきますが、女優篇も、原節子が「小早川家の秋」で共演した司葉子と撮影中に明石へプライベートで海水浴に行ったとき、淡路島を見て「司さん、私、あそこまで泳いでくる」と言うので、びっくりして「お願いだからやめてください」と。スクリーンで観るのとはまた違った、一人一人の意外な人となりが伝わってくる選りすぐりのエピソードがコンパクトに取り上げられていて、適度な"トリビア感"が個人的には良かったです。

 女優ベスト10に薬師丸ひろ子が入っているのがやや異質のようにも思いましたが、著者が角川春樹事務所に勤務していた時期があったということで、おそらくそれなりに思い出や思い入れがあるためではないかと推察します。まえがきでも、本書の「ベスト10」はあくまで著者の判断であると断っていて、「読者諸氏には、たとえば同期が集まった際、病気自慢や孫の話ばかりでなく、本書をネタに、自分の思うところを大いに議論して貰いたいと思う」とあります(なかなかそうはならず、結局は病気自慢や孫の話ばかりになってしまったりするものだが)。

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